人気者

増田朋美

人気者

人気者

今日も小杉道子は、病院で医者として勤務していた。いつもやってくる患者さんたちが、道子に、先生はきついなあというのは、当たり前のことのようだったが。

「道子先生。」

と、患者さんに言われて道子ははっとした。

「何、どうしたの?」

道子が言うと、

「道子先生、お願いがあるんですけどね。」

と、患者の男性が、そういっている。

「病院にはこれからも来なくちゃいけないですかね?」

という男性に、道子は当たり前じゃないの、と、大きなため息をついた。

「そんなこともわかっていないんですか。病気があるんですから、病院に通うのは、当たり前でしょうが。」

「そうなんですけどね。」

と、男性患者は申し訳なさそうに言った。

「わしはねえ、申し訳ないんだけど、もうちょっと、優しい方がいいなあ。」

目の前にいるのは、立派な体格をした、男性である。しかし、なんでだろう、病気になってしまうと、弱ってしまうのだろうか。なぜか自分ではだめだと、彼は言っている。

「それでは、私では、あなたの治療に間に合わないということでしょうか。」

道子はそういうと、

「そういうわけじゃないんです。薬だってちゃんともらっているしね。そういうことじゃなくて、医者というのは、そうやって冷たいというか、そういう風になってしまうんでしょうか。」

と、患者さんは、そういうことを言う。なんでかなあ、これでも、一生懸命やっているつもりだったのに。なんで先生は、冷たいと言われてしまうんだろうか。道子は、あーあと思ってしまった。

「で、病院変わったら、どちらに伺うつもりですか。」

道子は、其れだけ聞いてみる。

「ええ、わしは、近くにある、総合診療科に通うつもりです。この病院みたいに専門的に治してもらうのもいいけれど、わしは、もうこんなに年だし、それなら、痛みさえとってくれれば、いいかなと思うんですね。」

なんでかなあ、患者さんは、そういうことを、言ってしまうのだ。年を取ると、治ろうという気持ちが、薄くなってしまうらしい。

「それでは、もうよくなって、また農業をしようという気持ちはなくなってしまったということですかね。初めに、この病院に来た時、そうおっしゃっていたじゃありませんか。また、元気になって畑に出たいって。」

「ええ、そうはなしていた時期もありましたね。でも、わしは、もうそういうことはよくなりました。農業も、誰かやりたい人に土地を売って、あとは家族と一緒にのんびり暮らしていけたらいいなと思って。」

と、患者さんは言った。

「なんで、気持ちが変わってしまったの?」

「まあ、そういうことですね。最初は、病気なんてすぐに治るなと思っていたんですけど、こうして、何年も病院に通ってね、薬をずっと飲んでいる生活を強いられるとね、わしは、もう考えが変わりました。だって、道子先生も必ず治ると言っていたけど、いつまでも、病院に来た時のことと、変わりませんものね。それなら、もう症状が治まっていればいいなと思うようになったんです。痛みだけ取ってもらって、いつも通りの生活をしようって。きっとそれで、何とかなるんじゃないかなって。」

と、患者さんはそういうことを言った。道子は、なんだか敗北したというか、自分に対してひどい劣等感をもってしまったというか、そんな気がした。道子は、彼に対して、自分は無力だったなと、がっくりと落ち込んでしまったのだった。

「道子先生、わしは、先生のことを責めているわけではありません。わしはただ病気に対する考えが変わっただけです。家族も、そういってました。お父さんは、もう一生懸命働いてきたから、あとは、悠々自適な生活を送ってって。後は、私たちがちゃんとやるからって。今まで反抗的で、どうしようもない娘ではありましたが、そういう風に言ってくれましたから、ちゃんと、育ってくれたんだなと、感動いたしました。」

と、彼は言うのである。

「そうですか。とても仲のいいご家族なんですね。」

道子は、それだけしか言うことはできなかった。

「喧嘩するほど仲がいいというか、ほんとに、喧嘩ばかりしているときもあったけど、まあ、それができるようになったということで、感謝しか言いようがないです。」

「そうですか。じゃあ、次回から、別の病院に行くんですね。」

道子は、それだけ言った。

「どこに行くんですか?」

それだけ聞いてみる。

「ええ、立田クリニックです。最近近くに開業した。」

「ああ、あそこですか。」

道子は、ふうとため息をつく。

「最近、口コミサイトで、評判のクリニックですね。」

とりあえずそれだけ言ってみる。

「まあ、そういうことは、気にはしていませんが、良い先生がいて、わしのことをちゃんとわかってくれればそれでいいです。」

「じゃあ、新しい病院に行く間のお薬だけ出しておきましょうか。」

と、道子は、それを言った。

「はい、お願いします。」

と、それだけはしっかり言っておく患者さん。

「そうですか。」

道子は、患者さんが長らくありがとうございましたと言って、診察室を出ていくのを、見ているしかなかった。

「立田先生は、優秀な医者ですから、きっと、優しく接してくれると思います。」

道子はそれだけ言う。患者は、ありがとうとしか言わなかった。ありがとうと言ってくれたら、それでいいかなと、道子は思った。

あーあ、と思いながら、道子は病院の食堂に行って、いつも以上にまずい食事をした。なんでこんなに病院の食堂というのはまずいんだろうか。

「道子先生。」

と、掃除にやってきた、いつもの掃除のおばさんが、道子に声をかけた。

「また、病院変わりたいっていう患者さんが出たのかい?」

「ええまあ。」

と、道子はおばさんに言った。

「それで落ち込んでいるのね。道子先生、そうやっていつも仏頂面しているから、そういうことになるの。まあ、髪を染めるとか、そういうことは関係なく、もっとかわいくなるというかさ、もうちょっと親しみやすい雰囲気を出してあげるのが、一番なんじゃないの。」

食堂のおばさんは、そういうことを言った。

「かわいらしく、ね。私は、生まれつき、この顔だからねえ。」

と、道子が言うと、

「そうじゃなくて、あの、先月立田先生と一緒に退職して開業したという、入船先生は、患者さんに負担をかけないように、一生懸命かわいらしく見せていたじゃありませんか。」

という、掃除のおばちゃん。

「入船陽子先生ね。確か、立田先生と一緒に。」

道子は、彼女の名を出されると、ちょっとむっとしてしまうところがあった。

「道子先生。医者はね、病気を治すだけじゃダメなんですよ。もっと笑顔になって、にこやかに接してあげなくちゃ。先生は、そういうところが足りないというか、難しいということですよ。」

道子は、掃除のおばちゃんにそういわれて、道子は、またため息をついた。

そして午後の診療時間が始まると、また患者さんがやってきた。今度は、女性の患者さんだった。

「道子先生。」

と言われて、道子ははっとする。

「道子先生、腕が痛いと言っているんですが、何をボケっとしているんですか?」

と、ちょっと勝気な感じの患者さんに言われて、道子は、

「あああ、すみません。」

とだけ言った。

「道子先生。すみませんじゃなくて、腕が痛いので何とかしてくれとお願いしているんですけどね。」

「ああ、わかりました。腕を見せていただけますか?」

と道子は言って、患者さんの腕の様子を観察した。

「はあなるほど。ひどく腫れていますね。動かすのに支障もあるでしょうね。腕以外にいたい所はありますか?」

「ええ、今のところ腕だけなんですが。」

「そうですか。軽度の関節リウマチですね。じゃあ、湿布薬と、ステロイドを出しておきますから、また痛むようなら、連絡を下さい。」

道子はそういって、彼女にもういいわよと言った。

「ええ?なんで?」

と彼女がいう。

「なんでって、原因は、関節リウマチなんですから、それを、薬で治すのと、痛みを止める湿布薬とを出しておくと言ったんですが。」

道子は、そういうって説明したが、

「そうじゃなくて、先生のいうことはそれだけなんですか?」

と、彼女はそういうことを言うので、道子はちょっと困惑してしまう。

「先生のいうことは、それだけなんですか。なんかもっと言ってくれるのではないかと思った。ただ、痛いから、それに対してリウマチが原因だから、薬を出しましょうで終わりなの?それだけなんですか。」

「ええ、だって医者というのはそういうもんでしょ。」

「せめて、気を付けてほしいこととか、そういうこととか、言ってくれることはしてくださらないんですか。たったそれだけで終わりなの?診察って。」

という彼女は、

「あたしが、どんな思いをしてこの病院に来たのかとか、そういうことを、してくださらないなんて、なんでお医者さんってのはこんなに冷たいんでしょう。やっぱり、あたしたちのことをただの商売道具

しか見てくれなかったのね。」

としまいには、泣き崩れてしまった。道子はどう対処していいかわからずに、

「そうですか、それはすみませんでした。」

と、しか言うことができなかった。

「すみませんでしたではないんですが、、、。」

そういう患者さんは、やっぱりこの先生には任せられないなという感じの顔をして、

「ええ、それでは、次回日程が決まったら電話します。」

と、だけ言った。

とりあえず、彼女には診察は終了したと言って、自宅に帰らせたが、道子は、あーあとため息をついて、彼女の診察が終了したと、カルテに書き込んでおく。

その日、道子は、まっすぐ自宅に帰る気にはならず、駅前の喫茶店によって行くことにした。道子が入ってみると、喫茶店はすいていて、静かな雰囲気であった。

「いらっしゃいませ。」

と、飲み屋のおかみさんが、彼女を一番奥のテーブルに座らせた。道子は、とりあえず、サンドイッチと、コーヒーを注文する。

「今日は、どうしたんですか?」

と、飲み屋のおかみさんが、そういうことを言ってくれたが、道子は、大したことないと言った。まったく、道子先生は、お話をするのが下手ね、と太ったおばさんはそういって、厨房に戻っていった。

ちょうどその時、カランカランと喫茶店のドアが開いて、二人の女性が、喫茶店に入ってくる。

「あら、陽子先生じゃないですか!」

と、喫茶店のおかみさんは、嬉しそうに言った。

「今日はまた誰を連れてきたの?」

来店したのはまさしく入船陽子である。隣にいたのは、彼女の担当する患者さんだろうか、小柄な女性だった。

「ああ、私の勤めているクリニックに、来てもらっている患者さんなのよ。」

と、入船はおかみさんに言う。

「その患者さんがどうして、一緒に来て?」

「ええ、医療コーディネーターの人が、連れてきてくれたんです。ちょっと変わっているけれど面白い先生だからって。」

と、入船の隣にいた患者が答えた。

「そう、どこかお体でもお悪いの?」

と、おかみさんが聞くと、

「ええ。お体というか、なんなんでしょうね。今、先生に検査してもらったんだけど、どうしてもわからなくて。だから入船先生が、別の診療科を紹介してあげるって、おっしゃってくれて。先生は、新しい先生が見つかるまで、自分が責任をもって、治療をするからって言ってくれて。」

と、彼女は答えた。

「そうなんだ。じゃあ、うちの店が、ちょっと治療に貢献できるといいのになあ。まあ、コーヒーでも

飲んで、ゆっくりしていってちょうだいね。」

と、おかみさんは、二人を、道子と隣のテーブルに座らせた。

「じゃあ、先生も、患者さんも、注文が決まったら、言ってちょうだいね。」

と、言って、二人にメニューを渡すおかみさん。

「先生、いいんですか。あたし、どこかしら異常があるかもしれないのに、コーヒーにケーキなんて。」

「まあいいじゃないですか。何かあったら、もう食べられなくなるのかもしれないし。その前に、楽しんでおくことも必要なんじゃないかしら。」

と、入船は言った。

「そうですね。そういうことも考えた方が、いいわね。そういうことだって、できなくなるかもしれないですしね。ええ、そうですね。そう考えた方がいいのかな。」

「ええ、楽しめるときは、楽しんだ方がいいのよ。人間だってそういう風にできているんだから。楽しまないとね、人間は、誰でも、ダメになっちゃうものなのよ。だから、人の間って書くんじゃないのかしら。」

入船先生、そういうことを言って、患者さんたちには、数値をなるべく均等にすることが、一番だと思ってもらわないと。楽しんで暴飲暴食でもされたら、一気に逆戻りじゃない。なんて道子は医者として考えるのだが。入船はそうでもないようである。

「きっとね、結果は、どうなるのか、病理の先生に診てもらわないと、私も何とも言えないけど。それまでは確かに不安よね。だからそれまでには、こういうところで思いっきり楽しんだ方がいいわ。私は、そういう時間だと思うようにしてる。」

「そうなんですね。先生は、優しいんですね。あたしが、結果がどうなるか不安でどうしようもないってこと感じ取ってくれたから、こういうところまで連れてきてくれたんでしょう。先生は、ほかのお医者さんとはちょっと違う。それはやっぱり先生も違う人として生きてきたから?」

と、患者は、入船にそういうことを聞いた。道子は、彼女、いや、彼がどうこたえるのか、わからないけど、ちょっと興味があった。道子は、この人が、今はこんなに人気者になったけど、昔の名前は入船陽だったことをしっている。そういうことを、彼女は自分自身でどう解釈しているのだろうか。

「違う人と言えば違うわね。確かに、男でも女でもないってことは、さんざんほかの人たちにも言われてきたし。でもあたしはね、男ではなくて、女性になりたかったのよ。そのほうが、ずっと私らしくいられるもの。まあ世間では、いろんな名前で私たちのことを言うんだけど、そういうことよりも、私は単に、自分らしくなるためにそうしただけの事よ。」

と、彼女は、その通りに答えた。

「でも違うかもしれないけど、私はこうなれてよかったと思っているの。確かに、大変なことはあったかもしれないけど、もうこうなるんだって、はっきりわかってたようなものだもの。私は、そう思ってるわ。確かにね、苦しかったかもしれないけど、こうなるための段階だったと思えば何ってことないのよ。あたしは、もうこうなるために色いろ苦しんできたんだって、思ったのよ。そして、一度幸せを得たんだから、誰かにそれを分けてあげようと思ったの。」

「そうなんですね。何だか、先生は、すごいことをのりこえられてきたみたい。あたしとは、なんだか全然違うな。あたしなんて、今まで何をしてきたのかな。ただ、何もしていないのに、体調が悪くなって、どこの病院に行っても異常が見つからないで今ここに来ちゃった。あたしのこと、ちゃんと見てくれたのは、先生だけよ。」

と、患者は、入船の話にちょっと悲しそうに言った。

「そしてあたしは、当たり前のことがどんどんできなくなっていって、いつの間にか寝たままの状態で。こんな当たり前のことができないで、何をやっているんだって、まわりの人に言われっぱなし。そんなんだから、あたしは、自身がなくなって、ああ、もう無理なのかな、生きていても仕方ないって思ったわ。」

「そうね、当たり前のことができないって、そういうことはわたしよく知ってたからね。それを乗り越えられない人がいるってことも知っていたから。でも、動かせるようにしなきゃいけないこともあるの。それを、私はお手伝いすることができたらなっていつも思ってるわ。」

と、入船はにこやかに笑っている。そういうことを、笑って言えるのは、それを乗り越えられた人にできる顔である。

「まあ確かに、世界の半分は男か女しかないって言われている国家で、そのどちらでもないとっされるのは、むずかしいことだわね。私は、顔も変えて、声も変えて、やっと本当になりたい自分になれたような気がするの。それが、私の最終目標だったのかもしれないわね。」

「最終目標、、、か。」

道子は、入船がそういうことを言っているのを聞いて、ふっとつぶやいた。

「そういう人生を乗り越えてこられたから、先生は、優しいんだ。明るいし、いつも笑顔でいるし。あたしは、先生のことを変な人とか、そういうことは思いませんよ。だって、先生は、あたしのことを、一生懸命見てくれたし、あたしの訴えていることもちゃんと聞いてくれたし。かかりつけのクリニックに行っても、何も反応されてなくて、困ってしまったことは、本当に何回もあったし。同じ女性の先生に相談しても、そういうことは後回しとか、そういうことを言われてしまって、本当に細やかなところまで見てくれたのは、入船先生だけだったもの。」

そういう患者さんに言われて、入船陽子は、照れ笑いをするような感じで、そんなことないわよといった。

「先生は、きっと、男でも女でもないと言われるから、そういうことができるのよ。」

と、道子は、思わずつぶやいた。それはある意味嫉妬の感情にも近かった。入船という人は、本当の女ではなく、女になりたくてなった人物だ。それでは、第三の性と言われた、宦官に近いのかもしれない。でも、今の彼女は、間違いなく彼女だ。

「だから、今は、一生懸命楽しんだ方がいいわよ。検査結果が出るまで、十分に楽しみましょう。そして新しい先生は、あたしが責任をもって、紹介するわ。きっと変な医者から、紹介されて、変わった患者だと思われるかもしれないけれど。そういうことをもし言われたら、私の責任だから、ちゃんと謝罪するし。」

「謝罪なんてしなくていいですよ。あたしは、入船先生に診てもらって、ほんとうにうれしかったんですから。」

と、彼女は言うが、入船は申し訳なさそうだった。それは、そういう風に態度をとらないといけないとでも言いたげであった。

「そうなのね。あたしは、人助けが何より好きだったけど、それでは、通用しないのが、今のあたしなのかな。とりあえず法的なことはすべてやったけど。」

「いいえ、先生は、素晴らしいわ。女のあたしにはできないこともできちゃうような気がする。」

道子は、そうつぶやいてにこやかに笑った。それが、入船への応援なのかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人気者 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ