29 宿り木
もうすぐ夜が明ける。
薄っすらと空――いや、ダンジョンの天井が輝き始めたのは、外でも朝が訪れ始めた証拠だ。
日の出を眺めるなんて経験も人生じゃ数える程度しかないが、いつだって朝が訪れるのを待つときは、「ようやく」と安堵を抱くものだ。
今も当然、そう。
泉周辺はガーディアンを倒して以来魔物も何も現れる気配はなく、静寂に包まれていた。しかし、ここを離れればまた夜の魔物達が襲い掛かってくるだろう。
だから俺達はこの泉に陣を張り、朝を待つことにした。ガーディアンの襲撃によって吹き飛ばされてしまったテントを張り直し、そこで休む者は休みつつ、見張りを順番に立てる――という話だったのだが、
『モノグサンは、寝ない、デス?』
「まぁ、さっき寝たからな」
サニィを冷やす騒動の最中に軽い休眠を取らせてもらった俺は、今、見張りとして一人、泉の近くに尻もちをつきつつボケーっと空を眺めていた。
いや、一人ではないか。相変わらず人懐っこい妖精が傍をふよふよ浮いているのだから。
寝ていたのは十数分程度だろうけれど、仲間たちはそれはもう水を得た魚のように嬉々として俺を責めてきた。
頬を突き、腹肉を引っ張り、手を揉み、頭を撫で――と、口頭だけでなくネチネチとしたスキンシップを交えて追い詰められた結果、俺が絞り出した苦肉の策が、居眠りをこいた代わりに見張りを代わるということだった。まぁ、1対1の等価交換だ。代償というには軽すぎる気もするが。
「1時間くらいでいいから」などとレインには言われたが……テントに4人仲良く入っていることを思うと、正直起こす方がカロリーが高そうに思える。開いたらうっかり酒池肉林なんてなったら目も当てられないわけだし。
俺は冒険者ではあるが、無謀な危険は冒さない。そりゃあ蛮勇というもんだ。疑惑は疑惑のままにしておいた方がいいこともあるのである。うんうん。
『モノグサン、まだ眠そう、デス。ウチには分かる、デス』
「はは、確かに眠いけどさ……でも嬉しいだろ。もしかしたら抜け駆けを恐れてって背景はあるかもしれないが、あいつらは俺に見張りを任せてくれてるんだぜ。いざ魔物が現れても戦えない俺にさ」
『嬉しい、デス?』
「ああ、この上なくな。普通、一人は戦えるヤツを置いておきたいもんだぜ。どうせ有事の際に、俺はあいつらを起こすしかできることはないんだからな。でも、こうして俺一人に任せてくれるのは、俺を信頼しているっていう意思表示に思えるんだ」
もちろん、適材適所という概念からは外れた采配だ。セオリーから見れば彼らは間違いを犯しているのは間違いない。
けれど、理屈ではないのだ。彼らが俺に、見張りを託して眠れるという事実が、俺に自信を与えてくれる。彼らの仲間であるという自信を。
「それにさ、ウチと話せるチャンスも今を逃せば随分と先になっちまうかもしれないだろ? こうして知り合えたんだ、できればもっと色々話せたらとも思うけど、こんなダンジョンの奥地にわざわざやってこれる機会もそう無いだろうからな。ああ、もちろんウチだけじゃなく、オイドンとかアチキとか……ていうか、あれ? あいつらはどこ行ったんだ?」
『みんなはもういない、デス』
「……え?」
ウチは俺の肩に乗り、どこか悲し気に呟いた。
『知らなかった、デス。ウチたち妖精が、人間の武器に加護を与えるということは、即ち、ウチたちの命を失うことだった、デス』
「何言ってんだよ、ウチは今もここにいるじゃないか」
『ウチはモノグサンと繋がっていた、デス』
俺と繋がっていた……? 疑問を抱きつつも口を挟むべきではないと思い、俺はただ黙ってウチの話に耳を傾ける。
神器の生成――それはこの泉に住む妖精たちの生命を代償に行われたという。
そもそもこの泉は時間経過に合わせて特別な魔力を生成するパワースポットのようなものらしく、一定以上魔力が貯蓄されると妖精という知能を持った生命体が生み出されるのだとか。オイドン、アチキ、ウチ……彼らがそうだ。
彼らの使命はここに溜めた魔力を人間の武器へと委譲し、神器を生成すること。しかし、魔力によって生み出された彼らは、泉に魔力がなくなれば必然、その存在を保ってはいられない。酸素がなくなれば人は呼吸ができずに死ぬ。それと同じだ。
つまり、彼らは、先ほどまで普通に話していたあの妖精達は、サニィの武器を強化する代償として……つまりは俺達が来たせいで――
ウチの説明に俺は、暫く口を開くことができなかった。
さっき、泉に落ちて感じた冷たさ……いや、何かの熱が失われ冷たくなっていく感覚は、正しく彼らの、妖精達の命が失われていくものだったんだ。
『ウチは、みんなが……オイドン達が不幸だったとは思わない、デス』
「ウチ……」
『みんなは与えられた使命を全うした、デス。それに、モノグサンと出会えた、デス』
「え、俺?」
『ハイ、デス。ウチ達は、普通人間から見えない、デス。今日のような魔力の満ちる夜以外、存在は希薄で、人間もウチ達の存在に気がつかないまま、立ち去っていく、デス』
確かにそうか。今回、泉が光っているのは見えても、俺以外に妖精を見て、話せる奴はいなかった。俺もベルのハンマーを借り受けていたから偶然可能だっただけで、何も知らなければこの泉に武器を投げ込もうなんて思いもしなかっただろう。
それこそ、このハンマーの持ち主だったベルの親父さんも、事故的に神器を手に入れ、そして当時この泉に生きていた妖精達は、そのために死ぬこととなった。
誰にも、ベルの親父さんにも気付かれぬまま。
『ウチ達は人間の為に生まれた、デス。けれど、きっと、誰にも気づかれないまま死ぬと思ってた、デス。でも、モノグサンは気づいてくれた、デス』
ふわりふわりと、喜びを表現するように俺の前をウチが踊る。
既に泉に輝きはない。しかし、だからこそ暗闇に浮かぶウチの姿はとても鮮明に、美しく見えた。
『モノグサンが、みんなと話してくれた、デス。みんなに笑顔を向けてくれた、デス。みんなに名前を付けてくれた、デス。みんなを、みんなにしてくれた、デス』
「みんなを、みんなに……」
妖精という一つの集合体から個へ。きっとそれは彼らだけでは叶わないことだったのだろう。
彼らの一人称がどういう意図で作られたものなのかは分からないが、もしかしたら、個を持ちたいという彼らの無意識の願いが働いたのかもしれない。
それか、彼らには元々自我なんてものはなく、俺と触れたことで突発的に生まれたものなのかも……結局ぞれらは予測の域を出ることはない。全部俺の、彼らが彼らの上位者と置く人間側の考えだ。
生物の存在自体に意味を求めるなんて、そんな偉そうなことを考えるのは。
彼らは彼らだ。それぞれに名前があり、意志がある。それでいいんだ。
『みんな、嬉しかった、デス。モノグサンの為に、命を捧げられるなんて、幸せだって言ってた、デス』
「それは……いや、責任重大だな。彼らに恥じない生き方をしないと」
大げさと一蹴することはできない。
ウチから聞いた神器を生み出す条件、武器に対する思いというのは、彼らが命を懸ける価値があるかどうかという意味も込められているはずだ。
そして、ウチの言葉通りなら、彼らの期待はサニィだけじゃない……彼らと直接触れ合い、言葉を交わした俺へも当然向けられているはず。
とてつもなく重い。それでも彼らが生きた意味を蔑ろにはできない。
「……でもさ、ウチ」
『ハイ、デス』
「お前はどうしてまだここにいるんだ? ああ、いや。消えてくれって意味じゃない。むしろ、お前だけでも生きていてくれて嬉しいんだ。本当に」
宙を漂うウチを両手ですくい上げる。
ほんのりと暖かな感触。確かにウチはここにいる。生きている。
『ウチは、モノグサンと生きたいと、思ってしまった、デス』
ウチはハッキリとそう言った。
言葉こそ、思ってしまったなんて控え目になっているが、直接言われた俺としては溜まったもんじゃない。照れる。
『モノグサン、言った、デス。使命に殉ずるだけが幸せじゃない、デス』
「ああ……」
殆ど自戒のような言葉だったが、ウチには深く刺さっていたらしい。
本来、妖精は武器に生命力の全てを捧げることが使命だったのだろう。
しかし、俺がウチに別の生き方を示してしまった。それが正しかったのか、間違いだったのか、俺には分からない。
ただ、ウチは今ここにいる。その事実だけは受け止めなければならない。
『もしも、モノグサンが良ければ、デス。ウチと……』
俺の手の平に身体を擦り付けつつ、いつもよりもたどたどしくウチが言う。
拒絶されることを恐れているのがこちらにもハッキリと伝わってきて……俺は思わず笑みを浮かべる。
「そうだな、ウチ。一緒に生きよう」
答えは決まっていた。
ウチには泉に変わる、新しい寄る辺が必要だ。俺の魔力はそこそこ多い。それこそ滅多に魔力切れになることがない程度には。
今も、言われてみれば俺からウチに魔力が流れていっている感じはしているが十分許容範囲内だ。ウチの存在の維持は俺でも多分、十分行える。
可能ならば、拒絶する必要は無い。
少なくともウチは俺と一緒に生きたいと望んでくれた。それ以上の理由がいるだろうか。
『いい、デス?』
「もちろん。ていうか、俺がどうこう言う前から、既に俺の身体に住み始めてるじゃねぇかよ」
『それは、申し訳ない、デス』
「別に謝らなくていいから。さっき言った、もっと色々話せたらってのも全然嘘なんかじゃないんだぜ。結構、お前のことは気に入ってるんだ」
これは紛れもなく本心だ。
幼いからか嘘のないウチには好感が持てる。
というか、俺はアレだな。
基本的に他人が好きなんだろうな。そんなに嫌いなタイプは浮かばないし。
『嬉しい、デス。モノグサン……いえ、マスター』
「マスター……」
『ご主人様、がいい、デス? でも長い、デス』
「いや、なんだっていいよ」
これでウチの人格が大なり小なり俺から影響を受けていて、俺が潜在的にマスターと呼ばれたがっているなんて話になったら色々と泣けるな。自重しろ、自己顕示欲。
『マスター、マスター』
そんな内心複雑な俺に対し、正式に次の宿り木を手に入れたウチはひゅんひゅん飛びながら、度々キスするように俺の頬をつついてくる。
サニィは新たな相棒を手に入れた――いや、相棒を蘇らせた。
対し、俺は本当に新しい相棒を手に入れた。
こいつの選択が、使命に殉じた仲間達より尊いものであれ、とは言わない。彼らの生も死も、俺達を救ってくれた尊ぶべきものだ。
ただ、願わくば、ウチが選んだこの道が不幸と称されるものではないと願いたい。
まあ、それを決めるのはきっと俺なんだろうけれど……残念ながら、神頼みする方がほどほどに成功率は高そうだからなぁ。
なんて、そんなことを思いつつ、嬉しげに周りを飛ぶウチを眺めるのだった。
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