12 これにて一件落着……とはいかず

「ん……んん……」


 気が付いたら寝てしまっていたらしい。

 重く落ちた瞼をゆっくり上げると、ダンジョン特有の淡く幻想的な光が微かに目に入ってきた。そんでもって、柔らかく癖になる何かが顔を圧迫してきていて、ついでにダンジョンでは嗅いだことのないようないい香りがする。何かの花のような香りだ。


「目、覚ました?」

「サニィ……って、え……?」


 すぐ耳元でサニィの声がした。

 そう思って見ると、すぐ近くにサニィの顔があった。というより……これは完全に抱きしめられている……!!!

 つ、つまり、この顔に触れている柔らかな何かはつまり……サニィの胸か!?


「さ、サニィ!? お、俺は死ぬのか!?」

「へっ!? ど、どうしてそうなるの!?」

「だって死ぬでもなくちゃ、俺がサニィのおっぱいに顔を埋められるわけがないだろ!?」

「お……っ!? も、モノグ君!!!」


 顔を真っ赤にしながら俺を叱るように怒るサニィ。ついでにドンっと突き放されてしまった。

 元々地面に寝転がりながら抱き合っていたらしく、俺はゴロゴロと地面を転がってしまう。


「子供達も見てるのに、変なこと言わないでっ!」

「子供達?」


 聞き慣れないワードに思わず身を起こす。

 もしかして俺は覚えていないけれど、ダンジョンで冒険していた頃から随分と時間が経ち、俺とサニィが結婚……2人の間に子供が生まれてなんていうステキな未来を歩んでいるのかと、一瞬……ほんの一瞬ばかり思いもしたが、すぐにそれは言葉通り儚い夢だったと気が付く。


 ここは第1層の入口、魔物の寄り付かないワープポイント近くの広間であり、そして子供達というのはなんてことない、俺達が助けに来たスフレ・シャル兄妹のことだった。

 2人は同じく広間に座り込んで、俺達をぼけっと見てきていた。


「本当に生きてた……」


 おい。

 兄、スフレくんは容赦なく笑えない冗談をぶつけてくる。死んでると思ったってか。

 ただ、大人げなく文句を言うのはやめておいてやった。というのも、スフレくんの目元は僅かに赤らみ、涙を流した跡が残っていたからだ。自分を助けに来た冒険者が逆に魔物に食われて死ぬなんて、かなりのトラウマものだろうしな……。


「お兄さん……良かったぁ……!!」


 そして、妹ちゃん。シャルちゃんの方は、俺が起き上がったのを見てびえんびえんと泣き出してしまう。

 当然、怖いとか、嫌だという感情ではなく、安心からのものだろう。前者だったら俺も泣いちゃうもの。


「……どうやら、無事救出できたみたいだな」

「無事?」


 サニィが責めるように半目を向けてくる。怖い。


「迷惑を掛けたのは謝るよ。うっすらぼんやり覚えてる。お前が回復魔術をかけてくれたんだろ」

「それは……まぁ、そうだけれど……」

「姉ちゃんすげぇんだぜ! 兄ちゃんの傷、殆ど塞いじゃってさ! ったく、兄ちゃんも弱いんだから無理すんなよなぁ」


 クソガキ……! と一瞬キレそうになる俺だったが、少年の言っていることが全く持ってその通りだったので、これまた文句が喉から上に出ていくことはなかった。

 冷静に考えると、虫一匹殺せない俺が魔物の群れに突っ込むということは即ち、泳げないのに溺れている人を助けに飛び込むというくらい無謀なことなのだ。もう1人、ちゃんと泳げる人がついてきてくれていて良かったね、本当に……。


「お兄ちゃん……! お兄さんはシャルたちを助けてくれたんだよ……!?」


 失礼とも言える発言をした兄を嗜める妹ちゃん。おお、その優しさが塞がったはずの傷に染みる染みる。


「でも、モンスターを倒したのは姉ちゃんだし、兄ちゃんを助けたのも姉ちゃんだろ!」

「それは……でも、シャルたちを助けてくれたのはお兄さんだもん!」


 サニィを持ち上げるスフレと、俺をフォローするシャルという、しなくてもいい兄弟ゲンカを始める2人。

 そんな2人を前に、俺とサニィは互いに顔を見合わせ苦笑した。


「サニィ、本当に悪かった。助かったよ」

「ううん……良かったわ」


 俺の謝罪に微笑みながら首を振るサニィ。見ると、彼女の目元も薄っすら赤く腫れていた。

 それを見て、つい立ち上がる俺だったが、血が抜けたせいかふらついてしまい……咄嗟に立ち上がったサニィに支えられてしまう。本当に情けない。


「モノグ君、大丈夫!? 私の回復魔術じゃ、傷を塞ぐので精いっぱいで、流れた血も、痛みもそのままなのに……」

「いいや、傷が塞がっただけで十分さ」


 俺はサニィに支えられながらではあるが、彼女の目元に手を伸ばす。


「【リカバー】」

「あ……」


 サニィの目元の腫れが引いていく。我ながら完璧な回復魔術だ。

 泣き腫らした目なんて見せたいものではないだろう、という気遣いからの行動だったのだけれど、そんな俺の意に反し、サニィは不機嫌そうに唇を尖らす。


「……もしかして嫌味?」

「まさか。ただ、目元腫らしてたんじゃ、折角の美人が台無しって思っただけさ」

「びじ……って、もう、モノグ君の馬鹿っ。またからかってるんでしょ!?」


 サニィはいよいよツンと顔を逸らしてしまう。

 普段、大人びた落ちつきを見せる彼女の、まるでスノウみたいな子供じみた仕草というのは中々にレアなのだけれど、怒らせていちゃ世話はない。


「あ……ていうか、俺どれくらい寝てたんだ!? 俺達はともかく、ガキ共のことは下手すりゃ随分な騒ぎになってるんじゃ……」

「モノグ君が寝てたのは5分くらいよ。だから大丈夫……とは言い切れないけれど」

「いや、5分くらいなら誤差だな、誤差」

「そんなに誇らしげに言うことでもないでしょう」


 したり顔を浮かべる俺に対し、サニィは呆れるように溜め息を吐く。

 けれど、確かにサニィの言うことはもっともだ。本当ならぶっ倒れずに、すぐに子供達を上に連れ帰るべきなのだ。


「姉ちゃんの方が強い!」

「お兄さんの方がカッコいい!」

「こらこら、いつまでもケンカしてんじゃないよ。兄妹なら仲良く、な」


 互いに睨み合うスフレ・シャル兄妹の間に入りつつ、宥める。

 シャルちゃんは「お兄さん!」などと言いながら足にしがみついてきて、スフレくんは「ちぇっ、なんだよ偉そうに」とそっぽを向いてしまう。

 どうやら2人で全く逆の評価をいただいてしまったらしい。そして……折角評価してくれているみたいだが、俺的にはスフレ少年の意見に賛同しちゃうかな。お兄さん、慕われるようなことやってないよ、別に。


「ねぇねぇ、お兄さん」

「なんでしょう」

「お兄さんって、お姉ちゃんと結婚してるの?」

「けっ……!?」


 何故か狼狽えるサニィ。いや、何故かでもないか。気のない相手と結婚しているなんて疑われれば大なり小なりショックを受けても仕方がないだろう。


「残念ながらそうじゃないんだよ。彼女とは仲間……いや、この年じゃ微妙な言葉かもな。そうだな……友達みたいなものかな」

「友達?」

「友達……」


 首を傾げるシャルちゃんに、何故か溜め息を吐くサニィ。


「ねぇねぇ、だったらシャルがお兄さんと結婚してあげる!」

「ほう」

「ほう、じゃないわよ。モノグ君、真剣に受け取らないの」


 少女からプロポーズを受けたかと思ったら、友達にびしっと頭に手刀を叩き込まれる。形だけで十分なはずなのになぜかしっかりと威力が乗っていた。


「それなら姉ちゃんは俺が嫁に貰ってやるよ!」

「残念ながらスフレ少年、サニィにはもう相手がいるんだよ。な、サニィ?」

「…………早く地上に戻りましょう。2人の友達も探していると思うし」


 なぜか少しだけ語気を強くしつつ、サニィは階段を上り始めてしまう。あぁ、そうか。子供達がいるからワープポイントは使えないんだ……。


 その後、サニィは先に行ってしまい、また、子供達が長い上り階段に早々に音を上げたおかげで、俺は2人をおんぶに抱っこしながら上らされる羽目になった。

 精神的には健康体だけれど、血の抜けた身体では少々キツかったが……まぁ、文句は言うまい。


 彼女が“それ”を俺の命と天秤にかけたなんて思いはしない。

 サニィの性格を思えば、きっと当然のように俺の命を優先してくれるだろう。


 しかし、子供達も俺も助かったからとて、これにて一件落着とはいかない。


 サニィは今日、ついさっき、大事な相棒を失ったのだ。彼女のどこか余裕のない様子を見れば分かる。

 そしてその最後、背中を押したのは、奇しくも長い事一緒に整備を行ってきた俺だった。


「兄ちゃん、もっとスピード上げてくれよー」

「えへへ~、お兄さんの背中あったかーい」

「ったく、子供は気楽でいいねぇ……」


 俺の胸中にも後ろめたい感情は渦巻いている。

 けれど、子供達の前でそれを見せるのは間違っている。そんなことをしても解決しないのだから。


 俺はサニィが整理を付けられるようにと、彼女に追いついてしまわないように速度を緩めながら階段を上っていく。

 俺が今の彼女にできるのは、精々その程度しかないのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る