10 コモン・アント
さてさて、どうしたものか。
ダンジョンに迷い込んだやんちゃな兄妹は無事確保できた。
兄の方は食われる寸前ではあったが、なんとか無傷。妹の方も言わずもがなである。
「グギギ……」
鳴き声というより、噛みつけば人肌など容赦なく食いちぎる鋭い口が擦れる音が響き渡る。
コモン・アントは蟻型の魔物であり、ダンジョンに生息する中では一番の雑魚モンスターと称されている。
実際の蟻はサイズ比で見れば怪力の部類なんて言うけれど、このコモン・アントは大した力を持っているわけではない。下の層にいけばそれこそ怪力だったり、酸を吐きだしたりするタイプも出てくるが、この階層にいるやつは、カサカサと動き、噛みついてくる――ただそれだけだ。
しかし、脅威を上げるのであればその繁殖力にある。とにかく数が多い。
今目の前にもウジャウジャとコモン・アントの群れが俺達を包囲している。取り囲むだけで一斉に飛びかかってこないのが救いか。まぁ、それもコモン・アントの習性の一つなのだけれど。
「少年少女、ちょっと抱き上げるぞっと」
「わわっ!?」
俺は2人を両手に抱き上げる。
少年・スフレくんは困惑するように声を上げたが、少女・シャルちゃんは恐怖を堪えるように強く抱きしめてくる。
「に、兄ちゃん、冒険者だろ!? さっさとあのモンスター、ぶっ殺してくれよ!?」
「過激だなぁ、少年。俺もそうしたいのは山々なんだけど……」
残念ながら、“しない”ではなく、“できない”のだ。
俺は魔物を殺せない。それが俺をアタッカーではなく、サポーターたらしめている一番の理由だ。
魔物は攻撃魔術、または戦技(アーツ)でしか殺せない。
先ほどのように蹴ったり殴ったりで弾き飛ばすことはできても、大したダメージにはなってくれないのだ。
俺の目を通して見えるHP、それをアーツを伴わない拳撃で減少させることはできる。
しかし、一定の割合以下になると、極端に削れる量が減少するのだ。そこから先はどうしたって攻撃魔術・アーツで止めを刺さなければならない。
そして、俺には攻撃魔術はもちろん、アーツの使用はできない。これも“しない”ではなく、“できない”のだ。
魚が陸上では呼吸できないように、逆に人が水中では呼吸できないように……俺に攻撃魔術・アーツは使えない。どうしようもないほどに才能が不足しているのだ。
「少年、一個覚えておきな。冒険者にも色々いてな……俺のように、虫一匹殺せないか弱いやつもいるんだよ」
「役立たずじゃんか!?」
「うへぇ、ストレートだねぇ……」
折角助けてやったのに、クソガキめ……と一瞬思ったが、よくよく考えれば状況はピンチなままだ。とても助けたなんて言える状況じゃなかった。
「お、お兄さん、役立たず、なの……?」
「おーい、少年よぉ。お前が正直に言うから少女が怯えちまったじゃねぇか」
「俺のせいかよ!?」
「そりゃあそうだろ。見た感じ少年の方が少女を引っ張ってダンジョンに――っと!」
グギィなどと声を上げながら飛びついてきた蟻の一匹を咄嗟に蹴り飛ばす。
気持ち良く吹っ飛んではいったが、当然ダメージは僅かでしかない。
「ひっ!」
「きゃあ!」
腕の中で少年少女が悲鳴を上げる。魔物が襲ってきたことか、俺が大きく動いたことか、もしくはその両方によるものだろう。
「落ち着け。蟻んこ共は今みたいに一体ずつしか襲いかかってこないから、今みたいにちゃんと対処していけば噛みつかれることはない」
「そ、そうなのか……!?」
「ただ、近づきすぎると襲ってくるから、気をつけないとな」
「それって、殺されはしないけれど逃げられないってことなんじゃ……」
鋭いな、この少年。子供ながらにダンジョンに足を踏み入れたことも踏まえたら、意外と冒険者に向いているかもしれない。早死にしそうではあるけれど。
「じゃ、じゃあどうするんだよ……!?」
「もしかしたら未来の後輩になるかもしれないからレクチャーしておいてやろう。ほら、念のため少女も聞いておきな。いつか嫁入りしたら役に立つかもしれないから」
再び、飛びかかってきた別個体を蹴り飛ばしつつ、努めて明るい声をかける。
少年は胡散臭げに、少女はぼーっと目を見開きながら、それぞれ俺を見上げてきた。少しでも、この悲痛な状況から意識を逸らせていればそれでいい。
「この第1層は謂わば入門編ってやつだ。出てくるのはコモン・アントだけ。それぞれの個体は弱っちいが、数がべらぼうに多いのが特徴かな」
「弱っちい……これが……!?」
「数が多いってのはそれだけで脅威なんだよ、少年。実際、今俺達はその数によって退路を塞がれた状態だろ?」
まぁ、2人からすれば1体相手でも十分脅威だろうけれど。
ただ、個体の弱さを数で補うというのは実に有効な手段と言える。冒険者がパーティーを組むのも本質的には変わりない。
「どうして、みんないっぺんに襲ってこないの……?」
「それはあの蟻どもを指揮する奴にみんなをいっぺんに操る力が無いからさ」
「指揮するやつ……?」
「ああ。今も目の前の群れの中に紛れ込んでいる筈だ」
コモン・アントの特徴として、指揮者が群れに紛れ込んでいるという点が挙げられる。
見た目的には他の個体と変わりが無いが、そいつが群れに命令を出し、獲物を襲うように指示をしているのだ。
個体として変わりがないというのが厄介で、まず見つけるのが困難――動きに若干違いが見られる程度しかない。また、その指揮者を潰しても、その役目をすぐに別の個体が引き継いでしまうのだ。
即ち、頭を潰せば一網打尽にできる、という手は残念ながら通用しない。
コモン・アントの基本的な行動パターンとしては次の通り。
まず、獲物を発見して数で囲み、逃げられない状況を作る。
次に、群れの中から一匹ずつ飛びかからせ、襲う。これに関しては一度の命令で操れるのが一体だけだからという説が濃厚だ。実際の事情は、残念ながら魔物と話ができる奴が現れないことには不明である。
そして、最後。
コモン・アントは獲物が一定距離に近づくと指揮を外れ獲物を襲う。囲まれた状況から獲物が無理に逃げ出そうとした時がそれだ。
つまり俺達が強引に逃げ出そうとすれば、今は囲んだ状態で黙ってくれているコモン・アント達が一斉に襲い掛かってくるということだ。
「い、一斉に……」
「ああ、厄介だろ?」
ダンジョン内最弱の魔物と侮られようとも、コモン・アントにとってはそんな人間からの格付けは関係無い。
奴らが考えているのはきっと、如何にして獲物を効率的に捕らえるかだ。
まずは獲物を包囲、1匹ずつ襲いつつ獲物を煽り、痺れを切らして強引に逃げ出そうとしたところを絡め取る……それはきっと、数々の冒険者に踏み台とされる中で、それでも生きようと、反映しようと編み出した生存戦略なのだろう。
実際、その理にかなったその戦略は侮れず、既にここを攻略した冒険者でも、新調した武器の試し切りなどで第1層にやってきては油断して殺される……なんてことは珍しい話じゃないのだ。
「ど、どうするの……?」
「チャンスは来るさ。リーダー役を潰せば、僅かの間、リーダー委譲の為に蟻共の動きが止まる。それこそ近づいても攻撃されないように……なっ!」
もう何度目か、飛びかかってきたコモン・アントを蹴り返しつつ、解説を終える。
寸でのところで食われかけた、その授業料への対価としては十分だろう、なんてことを思いつつ。
「さてと……【マーキング】」
両手を塞がれながらも支援魔術を発動。何十といるコモン・アントの中の一体が発光する。
「サニィ! リーダーはコイツだ!」
解説しつつも、動きを観察し見極めたリーダーの存在。
それを明らかにしてしまえば――
「【ブレイク・ショット】!」
ダンジョン内にサニィの声が響き、同時に、発光するコモン・アントの身体を矢が射抜いた。
おそらく、弓に負担をかけないように放ったものだろうけれど、それでもしっかり命中――まぁ、彼女にとっては大きすぎる的だったのだろう。
「今だ……!」
俺はスフレ、シャルを担いだまま、コモン・アントの群れへと足を踏み出す。
「ひいっ!」
「きゃあっ!!」
すぐ足元でウジャウジャと蠢くコモン・アントに怯える2人。
しかし、コモン・アントはリーダーを失った直後――襲い掛かってくることはない。
よしよし、これなら難なく――
「モノグ君っ!」
群れの向こうでサニィが俺の名前を呼んだ。
その声には焦りが籠っていて……俺は、自分の油断を悟る。
(ッ……! 早い……!?)
コモン・アント達の目がギラリと光る。それは新たなリーダーが選定され、再び統制を取り戻した合図だった。
俺達がこの第1層を攻略した時よりも遥かに早い。しかし驚くには値しないことだろう――なんたって、俺達の第1層攻略なんてもう1年近くも前の話なのだから。
1年の間で駆け出し冒険者達に狩られ続けたコモン・アントが成長しない道理はない。
「なんて、感心している場合じゃない……! スフレ、シャル!」
「え!?」
「な、なに……」
「舌噛むなよォ!!」
俺は返事も待たずに、2人を前方、サニィに向かって思いきりぶん投げた。
「うわあっ!?」
「きゃあああっ!!」
2人は悲鳴を上げつつも宙を舞い――そして、群れの外側にいたサニィの胸にしっかりと収まる。
胸板の厚いオッサンとかが相手だったらそうもいかなかっただろうけれど、サニィの防具もつけていない柔らかな胸に受け止めて貰えたのだから怪我も無いだろう。まったくけしから羨ましい限りだ。
「ぐッ……!?」
そんな呑気な思考を吹っ飛ばす激痛が足を走る。
見るまでもない、新たなリーダーを決定し復帰したコモン・アントに齧りつかれたのだ。
そして、それは一匹だけではない。手近な両足にはすぐさま何匹も群がり、そして胴にも次々と飛びかかってくる。今度は一匹ずつではなく、何匹も一斉にだ。
「く……この……!?」
飛びかかってくるコモン・アントをぶん殴っては払うが、如何せん数が多く、キリがない。
やがて腕をすり抜け、まず一匹肩に食い込んでくる。次いで痛みで無防備になった脇腹、今度は反対側と――
「うぐぁ……!?」
容赦ない激痛が全身を走った。そこそこに鍛えた筋肉は、易々と千切り取られはしないものの、しかし確実に深く食い込んでいってはいる。継続的な痛みが痺れに変わり、俺はいつの間にか膝をついてしまっていた。
「くそ……」
「モノグ君ッ!!!」
サニィの声が聞こえた。しかし、今の彼女ではどうしようもないだろう。
今の俺はコモン・アントに絡みつかれた状態だ。普通に矢を放てばコモン・アントだけでなく、俺に当たる可能性もある。
サニィの普段の腕であればそんなこと全く問題にならないだろうけれど、今の彼女では――
(絶体絶命か……まさか、第1層で死ぬことになるなんて)
やがて俺の全身の肉は噛み千切られる。多量の失血か、はたまた痛みによるショック死か……それはそう遠くない未来に訪れるだろう。
後悔はある。未練もある。けれど……ほんの少し、仕方ないと思ってしまう自分もいる。
戦う力を持たず、仲間の背中に隠れ、依存して――そんな不完全な冒険者である俺には、第1層の雑魚相手に油断して殺されるというのはなんとも相応しい最後に思える。
それに、“あの人”と同じように、ダンジョンで死ねるのだ。できればもっと先に進んでみたかったが……その願いはサニィら、ストームブレイカーのみんなに託すとしよう。
俺はそう、“諦める理由”を浮かべたまま、意識を手放していった。
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