13 嵐の後の嵐
俺は腕の中で気持ち良さげに寝息を立てるスノウを見つつ、安堵の息を吐いた。
一瞬、こと切れてしまったかとも思ったが、規則正しい寝息からは体力や魔力の消耗以上の不調は見られない。
――ねぇ、モノグ……アタシ……アタシね……?
彼女が眠りにつく直前に言いかけた言葉。
その先に何が続くのかは、残念ながら分からないけれど、きっと目覚めたら教えてくれるだろう。わざわざ起こすほどのことじゃない。
なんたって、俺達は勝ったのだ。思わぬ大敵を前に、2人の力で――いや、スノウの力で乗り越えた。
きっと今日の経験は彼女により強固な自信を与えてくれるはずだ。
「い、ちち……」
俺は全身の痛みを感じながらも、スノウを抱き上げつつ立ち上がる。
正直俺だって今すぐここで眠ってしまいたいところではあるが、ここはエクストラフロアだろうがダンジョン、そのボス部屋だ。
通常のボス部屋は一定時間の経過でボスが復活する。どういう理屈なのかは定かでは無いが、事実としてそうなので、この部屋にも再びあの甲冑が現れる可能性は十分にある。
今この状態で戦えば僅かな抵抗も許されずに死ぬことになるだろう。それではあまりに間抜けだ。
スノウが起きていたら確実に怒られるであろう、通称”お姫様だっこ”スタイルで彼女を抱きかかえつつ、入口とは逆方向の、新たに開いた通路へと進む。
まさか、エクストラフロアは特別にボス部屋が2つあるなんて無いよな……と疑いつつ、それを口にしてしまうと本当になる気がしたので、黙って歩くことにした。
生憎、唯一の相棒は夢の中だ。気まずさからなにか会話をしなければという焦燥感に駆られることもない。
長い廊下の先にはまた、俺達が起きた時と同じような小部屋があった。
中にはゴールを示すようなワープポイントと……怪しげな箱が置いてあった。
「良かった……ここなら安心そうだな」
ワープポイントが設置されたエリアには魔物は現れない。肌感覚で、ここは安全なのだと染みついているのだ。当然これについても理屈は分からないが。
【ポケット】から毛布を取り出し、スノウを寝かせる。
今すぐこのワープポイントを通って外に出た方がいい気もするが、それでもダンジョンの入口に戻った瞬間倒れるなんてことがあれば騒ぎになってしまう。
俺もそろそろ限界で――
「っと、その前に」
半分意識を手放しかけたものの、すぐに気を引き締めスノウに近づき――彼女のボロボロになった右手に触れた。
尋常でないほどに冷え切った彼女の身体はすっかり通常の体温まで回復していたが、この手だけは生々しい傷を残している。
ワンドの爆発、そして甲冑を仕留めた最後の魔術――いや、おそらく“魔法”と呼ばれる奇跡の発動、それによる負荷で、なんとか右手としての形を保った程度にズタボロになってしまっていた。
さぞ痛かっただろう、苦しかっただろう。
彼女のこの細腕に、色々なものを背負わせてしまった。全て――なんていうのはおこがましいけれど、それでもその負担の多くは俺の弱さが引き起こしたものだ。
サポーターというのはその性質上、どうしても戦いの命運をアタッカーに託すこととなってしまう。
たとえ、アタッカーが傷ついていても、その背中を押すことはできても、敵を打ち倒す役目を代わることはできない。
サポーターがアタッカーに比べて軽視されている現状、パーティー追放される風潮――これらが全くの間違いだとは思わない。サポーターである俺からしても理や正義は感じている。
アタッカーはサポーターがいなくても成立するが、サポーターはアタッカーがいなければ成立しない。そういう根本的な違いがある以上、アタッカーの立場の方が上になるのは仕方のないことだろう。
「けれど、だからこそ、サポーターとしてやるべきことをやらないとな……【ヒール】」
俺は、集中力を高めた上で回復魔術【ヒール】を発動する。回復魔術も支援魔術の一種だから俺も当然使える。カテゴリーとしては独立して捉えられるので、これを専門とする魔術師は“回復術師”なんて呼ばれたりもするが。
俺の手が熱を放ち、スノウの右手へと伝わっていく。
ぼんやりとした光が右腕から全身へと広がっていき、腕を始めとする、身体に刻まれた傷を少しずつ癒していく。
少しずつ時間をかけて、けれどその分丁寧に、確実に……俺はスノウの傷を癒していった。
傷は戦士の勲章だ、なんていう主張もあるが、彼女は乙女だ。傷だらけの姿など当然嫌だろうし、特にパーティーメンバーの中に想い人がいる以上、余計気を遣うだろう。
同意は得ていないが……まぁ、これまで何度も傷を治してきて、いちいち許可も取っていなかった。今更気にすることでもないだろう。
「これで、良しと」
額に浮かんだ汗を袖で拭いつつ、すっかり綺麗になったスノウの姿を見て、安堵の溜め息を吐く。
中々に激しい戦いだったが、それがまるで夢だったかのように思えてくる。服を加味しなければ、だけれど。
「問題は俺の方、だな」
スノウの右手ほどではないが、他に関してはスノウに負けず劣らずでボロボロな全身を見る。
地面を転がり、大剣が掠り、時に無茶な体勢で躱したせいで変な捻り方をしたりと、軽いものをコツコツと積み重ねた結果、それなりに血が抜け、今もなおそれなりに痛みが全身を駆け巡っている。
生憎、支援魔術の殆どは術者本人には作用しない。そして、回復魔法もまた、その殆どに属するため……俺は【ポケット】から塗り薬を取り出し患部に塗り付けるという処置を取らざるを得ない。
「はぁ……不便ではあるけれど、町医者に診てもらうと無駄に金がかかるからなぁ」
そうぼやきつつ、スノウから離れて上裸になり、患部に塗り薬を塗っていく。
魔術ほど即効性は無いが、昔から信頼されてきた治療法だ。遠回りでもゴールへは辿り着くだろ……と、何故か言い訳じみたことを考えていると、なぜだか視線なようなものを感じた。
いや、視線のようなものというか視線。そしてその視線を飛ばしてくるのはこの場には1人しか候補がいなくて――
「随分早いお目覚めだな、スノウ」
「ひゃうっ」
「……ひゃう?」
俺が振り向くと、スノウは咄嗟に両手で自分の目を覆う――フリをする。
いや、明らかに指の間の隙間からこっちを見てるし……。
「なんだよ」
「なんだよって……あ、アンタ、裸、だし」
「上半身だけだし……初めて見るわけじゃないだろ」
「初めてよっ!!」
頬を真っ赤にさせ、上擦った声で怒鳴るスノウ。
しかし、別にダンジョンで怪我をすることは初めてじゃないし、その際もこうやって――あっ、そっか。
「悪い、勘違いだった。よくよく考えたら、普段怪我した時はレインに手伝ってもらってるから、お前たちの前で裸になったりはしないな」
「……………………は?」
長い間を経て吐き出されたたった一文字のリアクションはなぜか、先の甲冑と対峙した時と同じくらいの威圧感を感じさせた。
「アンタ、レインに傷薬塗らせてんの?」
「え? まぁ、たまにな。ほら、背中とか自分じゃ塗りにくいし?」
「へぇー……ふーん……」
俺、別に変なことを言っているわけじゃないと思うんだけど……いや、待てよ?
スノウはレインに気があるから……もしかして嫉妬してるのか!?
「ちょ、ちょっと待てスノウ! 変な誤解をすんなよ!? アイツから手伝うって言ってくるんだ! 無理やりやらせてるわけじゃない!」
「誤解ぃ……? むしろ、ちゃあんと理解が深まってるんですけど……?」
ゆらり、と幽鬼のように立ち上がるスノウ。
ギラリ、とその鋭い眼光が輝きを放ったような錯覚を覚えた。
「スノウ、落ち着けって! こんな些細なことに嫉妬してたら――」
「嫉妬?」
不自然なまでに口角を吊り上げつつ、一切笑っていない目を見開かせつつ、スノウはにじり寄ってくる。
「ふーん……嫉妬なんて、フフフ、よくぞ言ったものね……?」
「す、スノウさーん……?」
「ウガアッ!!」
まるで野生の獣のように吼えつつ、スノウが飛びかかってくる。ちょっと寝ていたからって流石に回復しすぎだろ……!?
当然一瞬たりとも休んでいない俺に抑えられる勢いではなく、硬い地面に叩きつけられることとなった。痛い。
「水臭いじゃない、モノグ。こんなこと黙ってたなんて。ほら、傷薬でしょ? 塗ってあげるわよ、レインの代わりにアタシが」
「い、いやぁ……自分でやれるから……」
「いいからいいから。アンタはどんと構えてなさい?」
俺に馬乗りになりながら、今度は目も含め100点満点の笑顔を作るスノウ。文句なしの笑顔の筈なのになぜか圧は強くなった気がした。
スノウは俺の手からいつの間にか奪っていた塗り薬の入った瓶に拳ごと突っ込み、べったりと傷薬塗れになった右手を向けてくる。
先ほど、あの甲冑を打ち倒した神の奇跡を放った右手が、あの時とは全く別方向に異様な姿になって、構えられていた。
「さぁ、お客さん? 痒いところはありませんかぁ?」
「お、お前、まさかレインと同じことをすれば、互いにやった気になる――間接キス的なもんだと勘違いしてるんじゃないだろうな……!?」
「キ……っ!? 何言ってんのよっ!!?」
これまた何かの琴線に触れたのか、スノウは塗り薬まみれの手を胸に叩きつけて来た。バチーン! と、軽快な音が部屋の中に鳴り響く。
「―――ッ!!?」
しっかりとスナップを効かせたその張り手の威力は尋常ではなく、俺は声にならない叫びを上げた。ついでに塗り薬が染みてヒリヒリもするし……!!?
「いいから塗らせなさい! アンタが怪我した原因はアタシにもあるんだし……」
「わ、分かった。分かりました。ぜひ、思う存分、お塗りになってください……!!」
「ふふん、分かればいいのよ」
ニッコリと120点の笑顔を浮かべるスノウは再び瓶に手を突っ込み、さらに自身の右手に塗り薬を纏わりつかせる。
俺、塗り薬そのものを“持っている”のを見るなんて初めての経験だぞ……。
思わず悲鳴を上げそうになるのをグッと堪えながらも、俺は先ほどまでの死闘とはまったく別種の、しかし同じくらい強い緊張感にただただ身を固くするのだった。
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