12 もう一度この手を繋ぐために

 【ダイヤモンド・ブレイザー】――とても完ぺきとはいえない見掛け倒しのレーザーが鎧の魔物の腹へと突き刺さる。

 鎧の金属板を数枚剥がせればいいだろう、という程度の期待しか持てていなかったが、しかし――現実はそんな予測とは遥かに異なっていた。


(――ッ!?)


 【ダイヤモンド・ブレイザー】は、まるで水が乾いた土へと染み込んでいくようにあっさりと、

 いくら見掛け倒しとはいえ、先の【ダイヤモンド・ストーム】よりは遥かに強い強度を持った魔術だ。それがこんなにもあっさり、何の影響もなく――ッ!?


(まさか……!?)


 鎧の魔物の向こうに見えた、モノグの姿。

 彼はこちらへと手を伸ばしていた――鎧の魔物を鋭く睨みつけながら。


「【アキュムレート】……!?」


 それはモノグが持つ切り札への布石。

 これまで何度も、何度もアタシ達を救ってきてくれた奇跡の支援魔術――その一端。


 でも、どうして……!?


 彼の【アキュムレート】は対象の敵にダメージを蓄積させる魔術。そしてその蓄積したダメージは、対となる魔術【バースト】によって爆発する。そのダメージはモノグ曰く、【アキュムレート】で貯めたダメージと【バースト】による起爆の一撃を掛け合わせたものだという。

 あまりに強力なその魔術は、アタシ達が到達した層の、さらに遥か下から這い上がってきた凶悪なドラゴンさえも一撃で屠ってしまうほどの力を秘めている。


 けれど、そんな強力な魔術、そう易々と放てるわけがない。

 実際、モノグも【アキュムレート】は簡単だけれど、【バースト】にはしっかり準備をする必要があるって言っていた。

 アタシ達に許された猶予はもう無い。


 【アキュムレート】によって、本来【ダイヤモンド・ブレイザー】で発生した筈のダメージは無くなっている。鎧の魔物は勢いのままこちらへとにじり寄り、そして今まさにアタシを磨り潰そうと大剣を振り上げていた。


 撃てて、一撃。その猶予しかない。その猶予だって無いかもしれない。モノグにも……アタシにも。

 モノグには【バースト】を練り上げるだけの時間が必要だ。

 そして、アタシは……そんなモノグの【バースト】を超えるだけの魔術を組み上げなければならない。


 モノグが【バースト】を使えば、鎧の魔物はモノグをターゲットにする。そのターゲットを上書きするならば、【バースト】以上の強度がある魔術を放つことが求められる。


 今のアタシには、無理だ。魔力も、気力も……殆ど奪われてしまったというのに。


「……あ」


 駄目だ、何を考えているんだ、アタシは!? よりにもよって敵の目の前で……!!

 鎧の魔人はもう、大剣を振り下ろし出していた。ゆっくり、ゆっくりとスローモーションになった視界の中で、それは確実にアタシの命を奪おうと迫ってくる。


 咄嗟だった。

 アタシは無意識に、ワンドを振るっていた。


 けれど、杖の先からは魔術は出ない。魔術の出ない杖なんて棒きれと同じで、鎧の魔物の持つ大剣と比べれば玩具にさえならない。

 それでも、振るわずにはいられなかった。最後の抵抗――身体が生を欲しがった。ただそれだけ……子どもが駄々を捏ねるみたいに振るわれたワンドは大剣にぶつかって――


――ドガァアンッ!


「ッ!!?」


 瞬間、視界を覆いつくす爆発が起きた。

 それを受けたアタシは軽々と吹っ飛ばされ、碌に受け身も取れずに地面に叩きつけられる。


「う、ぐぅ……」


 身体が痛い……何よりも、右腕が……!

 呻きながら目を開ける。ズシン、ズシンと鎧の魔物がこちらへと迫ってくる足音がしている。


 アタシは、まだ生きてる……立って、逃げなきゃ……!

 魔術……何か魔術を……抵抗できる力を…………あ。


「あ、あぁ……」


 ワンドが、無い。

 そうだ、アタシは咄嗟にワンドを振るって……壊した。

 それだけじゃない。ワンドにはおそらくまだ魔力が残っていたのだ。アタシが咄嗟に放出してしまった【ダイヤモンド・ブレイザー】の残滓が。

 それが、ワンドが大剣に破壊された衝撃で爆発を起こしたんだ。

 

 アタシは愛用していたワンドを犠牲にして生き永らえた。けれど、それも残りわずかだ。

 杖が無ければ戦えない。魔術を振るえない。


 アタシは、魔物の前に放り出されたただの無力な女に成り下がってしまった。

 腕力も無い、体力も無い。度胸も……闘争心も……全て、無くしてしまう……。


「あ……あぁ……」


 涙が零れ落ちる。


 何度も助けてもらったのに。モノグに自信を貰って、勇気を貰って……それでもアタシはことごとく勝機を零してしまった。立ち向かうための牙も奪われた。


 そもそも、最初からアタシがいけなかったんだ。自分の我儘にモノグを巻き込んでしまった……。

 きっとアタシがこの鎧の魔物に殺されたら、次はモノグだ。アタシが巻き込んだせいで、モノグまで……アタシが、アタシが弱いばかりに……!


「ごめんなさ――」

「【バースト】ォォオオッッッ!!!」


 広場にモノグの咆哮が響き渡った。

 すぐ近くまで来ていた鎧の魔物の足音が止まる。そして、遠ざかり始める。

 同時に、アタシの中に暖かな――いや、熱い何かが灯る。


「どう、して……?」


 【バースト】……あの鎧の魔物を倒すための切り札を、ここに来てモノグはアタシに託した。

 杖を失ったアタシなんかに。


 反射的に彼を見る。

 彼は、広場の壁に背をぐったり預けて、それでも右手をアタシに向かって伸ばしていた。

 そして……笑う。彼がよく浮かべる、悪戯を思いついた子どもみたいな無邪気な笑顔で。


 とても、今まさに敵に命を狙われている時に浮かべる顔じゃない。だって、アタシから見ても分かる……彼にはもう、立つ力さえ残っていない。

 体力、気力、精神力……その全てを無理やり魔力に変えて放ったのだ。【バースト】を。アタシなんかに使うために。



 どうして笑えるの?

 どうしてアタシなんかに期待できるの?


 どうして、どうして、どうして――――







――どうして、アンタは杖を使わないのよ。


 そう、アレは出会って間もない頃。

 アタシは初めて彼の魔術を見た時からずっと思っていた疑問をストレートにぶつけた。

 

 魔術師はプライドでできた生き物だ。一般論や魔術の専門的な知識による意見交換は行っても、相手から教えを乞うなんてことは、それこそ明確な師弟関係でも結んでいない限り有り得ない。

 アタシの質問も、見方によってはモノグに“杖を介さず魔術を行使する方法を聞いている”と捉えられかねない。

 

 アタシにだってプライドはある。魔術師として頑張ってきた日々と、成果が培ってくれた魔術師としてのプライドが。

 けれども、それよりも遥かに好奇心が勝っていた。



 モノグの支援魔術は美しい。完璧なのだ。魔力の運び、ロスの少なさ……そして、付与された時の暖かさ。

 まるで精巧に作られた芸術品のように染み渡るそれは、きっとレイン達には分からない、魔術師だからこそ分かる極地だ。


 それをモノグは手でやってのけている。魔術師の殆どが、魔術の発動には杖を使うというのにだ。

 当然、魔術師の殆どが杖を使っているという状況が示す通り、魔術を素手で操ることは非常に難しい。

 杖には魔術を使用しやすくなる素材や、細工がされていることが多く、また、“誰しも魔術師は杖を使っている”という固定観念が安定感を生んでくれる。みんなそうなのだから、正しいのだと安心させてくれる。


 モノグは、おそらくアタシが出会ってきた魔術師の中で唯一、素手で魔術を操ることを得意としている魔術師だ。

 普通とは違う、難しいとされる方法で何故、あれほど完成度の高い魔術を操れるのか。アタシはそれが無性に気になった。

 それこそ、プライドがどうとか忘れてしまうくらいに。



 モノグはアタシの質問に、一瞬きょとんと眼を丸くした。まさかアタシがそんなことを聞いてくるなんて思わなかったのだろう。そりゃあアタシはモノグ相手にも一切遠慮せず、居丈高(いたけだか)な態度を取っていたから。


『そうだな……まぁ、癖って言っちまうと身も蓋も無いけれどさ』


 モノグは何かを懐かしむように、自分の手の平を見て微笑む。

 そして、アタシの両手を、自分の両手で握ってきた。


『俺は、支援術師だ』

『知ってるわよ』


 モノグは優しく微笑む。まるで年下に対するような余裕のある態度に、アタシはちょっとムッとしてしまった。


『スノウの魔術は攻撃魔術。攻撃魔術が向くのは敵だ。少しでも強く、少しでも速く……獲物を仕留めるための力だ』

『むぅ……』


 なんだか怖い、嫌な言い方だと、その時のアタシは思った。

 けれど間違ってはいない。アタシの魔術は命を奪う力を持っている。魔物相手はもちろん――向ければ人のだって。


『けれど、俺の支援魔術が向くのは……殆どが仲間だ。お前たちだ』


 ぎゅっと、握る力が強まる。けれど痛くはない。むしろ、手のひらも甲も包まれて、暖かくて心地が良い。


『俺の仕事はお前たちを守ること。優しく、背中を押してやること。それなのに、この手に杖――武器なんて持ってたら、ちょっと無粋だろ?』


 モノグはおどけるように笑い、握った手を離してそのままアタシの頭に置いた。そして、子どもをあやすようにこれまた優しく、丁寧に撫でてくる。


『ほーら、よしよしーってな』

『ちょっ!? 子ども扱いしないでよっ!? アンタとアタシ、1個しか違わないのよっ!?』

『あっはっはっ! 悪い悪い!』


 アタシが怒ったのが面白かったのか、大きな声で笑うモノグ。

 そんな彼に余計に怒りを募らせながらも……彼に触れられた手は、頭はなぜか暖かかった。


『ま、今のはからかった俺が悪いけどさ……1つだけ、覚えておいてくれ、スノウ』

『……あによ』

『本当に大切なことはどうやるかじゃない。どうしたいかだ』

『え?』

『剣は敵を切るためにある。杖は支えるためにある。そしてこの手は……』



 モノグはアタシの右手をとって、自分の右手の指を絡めてくる。指と指の間にモノグの指が入ってきて……なんだか無性に熱い。


『こうやって繋ぐためにある』

『繋ぐ、ため……』

『なんて、殆ど師匠の受け売りだけどな』


 自分から繋いだくせに、モノグはこれまた自分から手を離してしまう。何故か、妙な寂しさが残った。


『いつか、お前が本気で守りたい……繋がりたいって思った相手がいたらさ。その時は杖じゃない。手を差し出してやれ』

『……アタシ、攻撃術師よ? アンタの支援魔術と違って――』

『関係無いさ』


 モノグは笑う。

 アタシを誰かと重ね合わせるように、優しく……けれど、熱い視線を無遠慮にぶつけてきながら。


『攻撃魔術だろうが、支援魔術だろうが……魔術は、俺達魔術師にとって心そのものなんだから』


 心臓がどくんと大きく跳ねた。

 

 アタシが初めてその高鳴りを感じた瞬間だった。

 そして――“今も”。






 こんな状況なのに、あの頃と同じ高鳴りがアタシの中で響いている。

 そうだ、あの時からアタシはモノグのことを魔術師としてだけじゃなく――


「手……」


 アタシにはまだ残されているものがある。

 いや、今まさに生まれ出ようとしている。


 まったく新しい、それでいて懐かしい、魔術と似ていて、どこか違う。

 そう、これは――


「まほう」


 ぎゅっと広げた手を握り込む。


――いつか、お前が本気で守りたい……繋がりたいって思った相手がいたらさ。その時は杖じゃない。手を差し出してやれ。


「うん、モノグ」


 想いが溢れ出す。

 もう何度も、何度も貰った。勇気も、自信も――そして愛も。


 アタシは弱い。魔力も殆ど使ってしまった。

 けれど、関係無い。


 アタシはモノグと、もう一度この手を繋ぎたい。

 だから――!


 手を伸ばす。遠く離れた、こちらに弱々しく手を伸ばしたモノグに合わせるように。


「…………」


 モノグは何も言わない。けれど、アタシを見て、笑みを深める。

 その瞳から伝わってくる。身体が張り裂けてしまいそうなくらい熱い信頼が。


 力が宿る。失ったはずの力が――ううん、失ってなんかいない。

 最初からずっと胸の奥にあって、たとえ抑え込もうとしたって溢れ出してくる。


 アタシの、想い。


「……ッ! こっちを、見ろぉぉおおッッッ!!!」


 右手に熱い光を宿らせながら、アタシは腹の底から叫んだ。

 冷静さの欠片も無い、剥き出しの本能をぶつける。そしてそれは――あの鎧の魔物を振り向かせた。


「我が心に宿りし熱よ……」


 口が勝手に動く。頭の中に言葉が――祝詞(のりと)が浮かぶ。


「我が身の冷気と合わさり――七色の輝きへと生まれ変われ……!」


 モノグに向かっていた鎧の魔物がこちらへと踵を返してくる。

 その胸に、モノグが仕掛けた爆弾が根付いていることなど気が付きもせず。

 そして、アタシの手に、その爆弾を爆発させる炎が宿っていることなど知りもせず。


「全てを燃やし、全てを凍てつかせるこの力は……!!」


 鎧の魔物が迫ってくる。けれど、怖くない。

 あれだけ恐ろしかった相手に対し、もう1ミリも負ける気がしない。


 だって、負けるわけがないのだ。ここにはアタシと、モノグがいるんだから――!


「喰らいなさい、氷結“魔法”ッ! 【セブンス・フリーズ】ッッッ!!!」


 アタシの右手から放たれた七色の光。

 人が編み出した魔術とは違う、神話の中の“魔法”。


 そうとしか表現できない力が、鎧の魔物を包み込む――そして、


『ミ、ゴ……――』


 鎧の魔物はそんな言葉を残し――消えた。

 跡形もなく、まるで最初からそこにいなかったかのように、あっさりと――この広場から消滅した。


「や……た……」


 倒した。あの化け物を、倒した。

 その事実が、アタシの身体から力を奪っていく。緊張が緩み、腰が抜けそうになる――けれど。


「モノグ……」


 今もなお、広場の壁に背中を預けて倒れるモノグの方に、アタシは一歩一歩、歩いていく。

 身体は倒れたがっている。もう、体力も、精神も、限界だ。けれど、それ以上に想いがどんどん溢れてきて、アタシを突き動かす。


「……よぉ」


 そうして、ようやく彼の傍まで来ると、モノグはやっぱり笑った。アタシを暖かく迎え入れるみたいに。


「やっぱりすげぇな、スノウ。なんだよ、最後のアレ。とんでもないもん隠してるじゃ――っと、オイ!?」


 アタシは倒れ込んでいた。モノグの腕の中にすっぽりと収まるように。

 もちろん、身体の限界が来た、緊張の糸が切れた――それらも関係している。


 でも一番は――抱きしめて欲しかった。


「って、お前……身体、尋常じゃないくらい冷たいぞ!?」


 焦ったような声を漏らしつつ、モノグはアタシを抱きしめてくれる。

 きっと、そこに特別な意味なんかなくて、ただ温めようとしてくれているだけだろう。


 でも、嬉しい。

 モノグは冷たいなんて言うけれど、アタシからしたら、熱い。熱すぎる。

 モノグの体温がアタシの中に染み込んできて……溶けてしまいそうだ。


「ねぇ、モノグ……」

「どうした、スノウ」

「アタシ……アタシね……」


 想いが溢れて止まらない。

 身体が熱くて、心も煮えたぎっていて、アタシは思いきりモノグを抱きしめた。


「アンタが、好き」


 結局のところ、そういうことになってしまう。ああ、なんて現金なんだろう。

 モノグ――アタシの一番尊敬する魔術師で、アタシの大好きな人。

 アタシを突き動かし、奇跡を起こさせたのは――そういう、きっと誰でも持っている凄くシンプルな感情だったのだ。


 そんなことを思い、つい頬を綻ばす。彼の胸に顔を押し付けてしまっているから、きっとモノグからは見えていないけれど。

 きっと今のアタシは、誰かに見られたら恥ずかしくて死んじゃうくらい、だらしなく頬を蕩けさせているに違いない。


 そんな、彼に抱き締められる幸福感と、全身を浮きだたせる熱に包まれながら、ずっとこうしていたいなんて思いながら……アタシはゆっくりと眠りの世界へ落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る