11 スノウ

 胸が苦しい。心臓がバクバクと今にも破裂しそうなほどに騒ぐ。

 身体の奥底から熱い塊が這い上がってきて、瞼の中で溶けて溢れ出そうとしている。


 アタシはそれらを必死に押さえつけながら、自分の中の魔力を練り上げていく。

 涙も、感情も、アタシのすべてをその一撃に変えられるように。

 ……なのに、どうしたって力が纏まってはくれない。溢れ出しそうな感情が暴れ邪魔をして収集がつかない。


――魔術師は常に冷静であれ。


 アタシはこの言葉が嫌いだ。アタシは冷静になって自分を見つめられるほど、自分が好きじゃないから。

 我儘で、居丈高(いたけだか)な態度ばかりとって……可愛げなんかまるでない。

 そして、そんな自分の更に奥には……いつでも立ち止まって蹲ってしまう気弱な自分がいる。


 だからいつも勢い任せに、魔術を振るってきた。

 魔術は術者の心を色濃く反映させる。アタシが自信満々で放てばそれだけ魔術も大胆になるし、心を揺らせばその分濁ってしまう。

 アタシはずっとその濁りを抱えていて、けれど、モノグがそんなアタシを救ってくれた。それなのに……!


「ぐっ……つぅ……!?」


 耳に届いた呻き声に、心臓が軋む。


 今、アタシの心は激しく乱されている。必死に、あの鎧の魔物の凶刃から逃れ続けるモノグの姿を前に。


 彼はサポーターだ。本来、アタッカーに守られるべき存在なのだ。

 それなのに、今、そんなモノグにアタシが守られてしまっている。

 その事実が、何よりもアタシの心をかき乱す。アタッカーとして失格ではないかと。


 分かってる。モノグはそれが一番“いい”と判断したのだ。だから、ここで迷ってしまうのは、間違っている。


 モノグはこれまで何度もアタシ達を救ってくれた。

 絶望的な状況、絶対に敵わないと思える強敵、突破不可能な現実……それらを前にしても、モノグはいつもアタシ達に笑いかけ、解決法を示してくれた。傍にいて寄り添ってくれた。サポーターだから当然、なんて言いながら。

 モノグがいなかったら今頃アタシ達はとっくに…………だから、彼の言葉に迷うことがどんなに愚かなのかアタシは身を以って知っている。


 けれど……それでも……この手は、身体は、その震えを止めてはくれない。

 守らなきゃいけない……ううん、アタシが誰よりも守り支えたい彼に、命を張らせてしまっているその姿が、アタシに自分の弱さをまざまざと見せつけてくる。


 そして、考えてしまう。きっとレインなら、サニィなら、サンドラなら、こんなことにはならないって……!


「スノウーッ!!」

「ッ!!」


 モノグの声が鼓膜を揺らし、アタシは反射的に顔を上げた。

 そして気が付いた。いつのまにか自分が顔を伏せてしまっていたことに。


「自分の力を信じろッ!!」


 その言葉には一切余裕は無かった。

 いつものような飄々とした無邪気な笑顔は付いていなかった。

 ただ必死に、不恰好に、剥き出しの感情を吐き出しただけのものだった。


 そりゃあそうだ。一撃でもまともに喰らえばそのまま命を奪われてしまうような状況で、形だけの余裕さえも見せられる筈がない。

 ましてやモノグはサポーターだ。普段魔物の前に出て命を張るなんてことはしない。そんな状況に慣れているわけがない。


 けれども、だからこそ伝わってくる。彼の思いが、必死さが……期待が。


「……ッ!!」


 鎧の魔物に向かってワンドを構える。そして自分の中にある魔力を更に練り上げる。もっと濃く、もっと厚く、もっと熱く……!

 魔術師は常に冷静であれ、だ。自分の未熟さも、拙さも、すべてを受け入れる。現実を受け止める。

 それでもアタシは、ストームブレイカーの攻撃術師……! モノグが認めてくれた魔術師なんだから!!!



 今になって気が付いたことがある。あの鎧の魔物がどうやってターゲットを決めているのか、だ。

 モノグとアタシに対し、不意にターゲットを切り替えてくる、そのロジッにクはおそらく――発動した魔術の強度が関係している。


 最初、あの鎧の魔物はモノグの【エンゲージ】に反応し彼を狙った。次にアタシを狙った際は【エンゲージ】が解除されてアタシの魔術が一番になったから。そして再度モノグが【エンゲージ】を発動すればまたモノグを狙った。

 次のターゲット切り替えはアタシがモノグと鎧の魔物に割って入った際に発動した【ダイヤモンド・ストーム】だ。しっかりと魔力を溜めて放ったあの一撃は、モノグの【エンゲージ】を超えていたのだろう。

 そして今、再度モノグにターゲットが切り替わることとなったのは、アタシに付与された支援魔術、アタシが感じる変化からおそらく【マインドアップ】だ。


 【マインドアップ】の強度でいえば、おそらく【ダイヤモンド・ストーム】よりは弱い。

 けれどもターゲットの上書きができた理由はおそらく【ダイヤモンド・ストーム】の発動が既に終了していたからだ。

 仮に【エンゲージ】の強度を50と仮定する。【ダイヤモンド・ストーム】は80くらいだろうか。


 【ダイヤモンド・ストーム】は発動を終え、結果アタシの使用魔術は0に戻り、【エンゲージ】の50は残ったまま……けれど、ターゲットはアタシに向いたままだった。

 おそらくターゲットの上書きは新たな魔術が発動されるごとに行われる。モノグの【マインドアップ】は【エンゲージ】より低い20程度の強度だけれど、それを発動した瞬間に鎧の魔物のターゲットは彼に向いた。

 つまり、次にアタシがあの鎧の魔物のターゲットを引き寄せ長ければ、強度20を超える魔術を放てばいい。そうすればモノグをあの凶刃から解放することができる。


(けれど、それじゃ駄目なのよね、モノグ)


 アタシに攻撃を引き付けたところで、戦いは終わらない。体力も魔力も、徐々に消耗させられていってしまい、ジワジワと追い詰められていく。


 それに、アタシには決定的なものが見えていない。どうやったらあの鎧の魔物へ効果的なダメージが入るか、が。

 モノグの反応から、アタシの攻撃魔術では鎧の魔物の“HP”を削れている時と削れていない時があるのだと分かる。けれど、その時々でいったい何が違うのか――正直全然分かっていない。


 アタシはモノグほど賢くない。魔術師のくせに頭は回らないし、直情的な感情で思考を放棄してしまうことも多い。

 きっとモノグにはアタシに見えていない色々なものが見えている筈だ。あの鎧の魔物を倒すための道筋が。

 

――溜めろ、スノウ! コイツをぶっ倒せるだけの一撃を!


 モノグはそう言った。一撃、それに全てを込めろって。

 きっと【ダイヤモンド・ストーム】くらいじゃ全然駄目だ。もっと、もっと……!!


 応えたい。彼の期待に応えたい。

 「自分の力を信じろ」という彼の言葉はまだ、アタシの頭の中に響き続けている。


 アタシは自分が弱いと知っている。情けないことでいつまでもうじうじ悩むし、細かいことも苦手。女の子らしい可愛げも無いし……欠点ばかりだ。

 それでも、悩んで、開き直って、それを行ったり来たりさせながら、毎日踏ん張って生きている。


 そんなアタシの心を映し出す魔術は、アタシ自身だ。自分の思い通りに、思った以上に魔術を放てた時、そこには理想の自分が見える。その魔術のきらめきがアタシに自信と希望をくれる。

 そして……そんなアタシの魔術を、モノグは真っ直ぐな瞳で「カッコいい」「キレイ」って褒めてくれた。アタシのことを「尊敬する魔術師だ」って。


 嬉しかった。たまらなく嬉しかった。

 きっと、今日もベッドの中で思い出して身悶えしてしまうだろう。何度も何度も、思い出すのだろう。


 アタシの強気は虚構――それは認める。

 けれども、信じたい。アタシ自身を――モノグが信じてくれた、攻撃術師スノウの力を。その可能性を。

 いつか、虚構でしかないアタシの仮面が、本物になるその日まで……!


「ふぅ……」


 目を閉じ、深く息を吐く。アタシの中の魔力が1つに編み込まれていくのが分かる。

 アタシにとって一番の経験は第18層最奥でのドラゴン戦……けれど、それも超えなくちゃいけない。

 大丈夫、きっとできる。モノグが信じてくれたアタシなら。


 冷静に、冷静に……失敗はできない。確実で、最強の一撃を……!


「ッ……!」


 目を開く――その瞬間、アタシは見た。見てしまった。

 鎧の魔物の大剣が、モノグの作り出した魔術の盾【シールド】を打ち砕く姿を。

 モノグの姿は鎧の魔物の影に隠れてしまって見えない……けれど!


 けれど、もしも、あの盾が敵の攻撃をいなすためのものではなく、咄嗟に自分の身を守ろうと作り出したものだったら……!?

 【シールド】は破られ、その刃はそのままモノグに……!!


「しまっ――!?」


 緩んだ。緩んでしまった――最後の最後で。

 あと一歩、足りない。まだもう少し溜める必要があったのに――その最悪を思い浮かべてしまったアタシは、中途半端な状態で折角溜めてきた魔力をリリースしてしまった。


 魔力はワンドの先から溢れ出し、もう――止められない。


「くぅっ……」


 視線の先、鎧の魔物の振るった大剣が途中で止まるのが見えた。

 そして、こちらを振り返る。ターゲットを切り替えたのだ。


 アタシのワンドの先では溜めた魔力が綻びながらも、魔術へと変換されていっている。

 やるしかない。全て崩れたわけじゃない。

 たとえ中途半端でも、もう、動き出してしまったのだから――今更迷うな。


 迷うな……迷うな……!

 迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うな迷うなァッ!!!!


「こんのぉ! 喰らいなさいッ! 【ダイヤモンド・ブレイザー】ッッッ!!!」


 アタシへとターゲットを切り替え、すぐさま高く跳んだ鎧の魔物の着地を迎え撃つように。

 両手でワンドを握りしめ、狙いを定め……解き放つ。


 【ダイヤモンド・ブレイザー】――あのドラゴンのブレスをイメージして作り上げた、極太の冷気のレーザー……全てを凍らし、破壊し尽くす、圧倒的な暴力。アタシが今放てる一番の攻撃魔術。

 けれど――


(これじゃあ、届かない……! 一撃では……!!)



 かつて、モノグが教えてくれたことがある。「魔物にはHPの減少に応じてその狂暴性を増すものもいる」と。


 特にボスに多いというその性質は、モノグが見ているHPが半分を切ったり、4分の1を下回ったりすると段階的に解放されていくというケースが多いらしい。

 だから、アタシ達ストームブレイカーの基本方針は”一撃必殺”。モノグの支援魔術を中心に組み上げた戦略で、一気にボスのHPを削り切る。

 それこそ、HP減少によるトリガーを引かせないために、確実に仕留め切る。


 けれど、魔術を放った瞬間、アタシの中の“冷静さ”が冷酷に告げた。

 この【ダイヤモンド・ブレイザー】ではあの鎧の魔物のHPを削り切ることが出来ない。アタシの焦りと恐怖で、綻び、濁ってしまっているこの攻撃魔術では……!


 今まであの鎧の魔物にぶつけて来た攻撃魔術の手応えと比較すれば、嫌でも理解できてしまう。アタシの魔術師としての経験則がハッキリと告げた。


(ダメージは確実に入る。けれども殺し切るには到底届かない)



 頭に過るのはある絶望的な状況だ。


 【ダイヤモンド・ブレイザー】によって、鎧の魔物は息絶えることなく、むしろHP減少によって狂暴化してしまう。

 対するこちらは、魔力の殆どを使い切ってしまったアタシ、そしてアタシが魔力を練っている間ひたすら鎧の魔物を引き付け続けたモノグだ。

 そんな2人で今以上の状況を作り出すなんてこと、できるわけがない……!



 永遠のように感じる一瞬の中で、アタシの中を後悔と絶望が埋め尽くし、アタシの心を、希望を、想いを飲み込んでいく。


 モノグが組み立ててくれた作戦を、稼いでくれた時間を――アタシは台無しにしてしまった。

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