14 誓いの指輪
あれから数分経ち……エクストラフロアの最奥には正気に戻って苦笑するスノウと、そんな彼女の手によって上半身を塗り薬まみれにされた俺がいた。
驚くことにスノウの奴、下半身にも手を伸ばしてきて、そっちにも塗ってこようとしたのだが――それは流石に死守させてもらった。
「でもレインにはやらせたんでしょ、だったらやる」という謎の意地を見せて来た彼女ではあったが、「男に下半身をまさぐられたくない」「下半身なら人にやってもらわなくても自分だけで十分手が届く」など、様々な理由で打ち返し、計8回の「でも」を撃退したところで待っていたのが、このヤケクソとも言える過剰な塗り対応だった。
おかげでそこそこ高い薬が1瓶丸ごと無駄になった。はぁ……。
「そんなに大きな溜め息吐かなくてもいいじゃない!? アタシだって悪気があったわけじゃないんだし……!」
「自分で言うな」
深々と溜息を吐きつつ、装備を羽織り直す。ベタベタに塗りたくられた塗り薬が服と肌をくっつかせて気持ち悪い……。
とはいえ、口調は相変わらずながりに反省を露わにし、いじけたように俯くスノウはらしくないし、このままにしておけば後でどんな反動が待っているかも分からないので、俺は早々に引くことにした。
「まぁ、俺に気を遣ってくれたのは嬉しかったよ。うん」
「え? そお? そうでしょ。えへへ……」
嬉しそうに鼻の下を掻くスノウ。きっとこの経験を活かしてレインにも同様のアプローチをするのだろう。ははっ、幸せ者だなぁ、アイツも(棒読み)。
無情にも空っぽになった薬瓶を拾い上げ【ポケット】に収納しつつ、治療を優先して放置していた、この部屋に設置された、赤ん坊1人が丁度収まりそうなサイズの箱へと目を向ける。
「ねぇ、モノグ。あれって多分、“宝箱”ってやつよね?」
「うーん、多分?」
宝箱というのはダンジョン内に設置されたアイテムの入った箱のことだ。
ただし、その存在は殆ど確認されていない。これもエクストラフロアと同じように都市伝説の一種というわけだ。
誰が何のために設置したのかは不明だが、宝箱の中には他では手に入らない、文字通りのお宝が隠されているとか。
どうにも胡散臭い話に思えるが、エクストラフロアという都市伝説のひとつが証明されてしまった今、別の都市伝説である宝箱が同じ場所に存在しているというのは中々にリアリティがある。
「ね、モノグ。開けてみましょうよ!」
「……そうだな」
一瞬、何か罠が仕掛けられているかもという考えがよぎったが、そんな不安を理由に宝箱を見過ごすのなら冒険者なぞにはなっていない。
俺達は互いに頷き合い、箱に手をかける。鍵の類は仕掛けられていないようだ。
「開けるぞ……」
「うん……!」
生唾を呑み込みつつ、宝箱を開く――と、
「……ん?」
「ねぇ、これって……指輪?」
ぽつんと、おそらく金属でできた指輪が2つ置いてあった。俺に関しちゃ、スノウと違って一瞬指輪とも分からなかったけれど。
「同じデザインの指輪が2つか……何か特別なアイテムなんだろうか。呪いの類は……無さそうだけど」
「でも、少し地味ね」
女子はこういうのには容赦がない。
無遠慮に指輪を取り、様々な角度から眺めだしたスノウに倣い、俺も観察してみる。
「まるでペアリングだな」
「へ?」
「おそらく、1人が2つ着けるんじゃなく、2人が揃って着けることを想定されてるんじゃないかな」
「ペ、ペア……ふぅ~ん……? そう思うと、ちょっと悪くなく思えるというか……」
何故か声を上擦らせつつ、先程よりも熱心に指輪を眺め出すスノウ。
「そういえば、魔術師の絆がどう、とか言ってたわよね。ほら、ボス部屋入ったとき」
「ああ、あれは――」
あの声は甲冑攻略のヒントを示していた。
特に甲冑へのダメージの入れ方だろう。
甲冑は強い魔術の発動に反応し、ターゲットを決める。そして、甲冑へダメージを入れれるのはターゲットにされ、かつ、初撃のみという制約があった。
つまりあの声が言っていた絆というのは、あくまで仮定になるが、攻撃術師2人でキャッチボールみたいに甲冑を攻撃し続けるという攻略法をぼやっと言い表したものだったのだろう。
引きつけ、攻撃、引きつけ、攻撃……正に一糸乱れぬコンビネーションが必要だったというわけだ。
これは俺が攻撃魔術を使えない支援術師だったという点で破綻していたわけだが。
「ふーん」
スノウは俺の解説を聞いて、興味なさげに相づちを打った。
そりゃあ確かにもう終わった敵のことだ。聞いたところで後の祭りではあるけれど、ちと酷い。
「でもさ、アタシは違うと思うな。もちろん、全部が外れってわけじゃないと思うけど」
指先で指輪を転がしながら、スノウは自分の考えを口にした。
「あの鎧の魔物をキャッチボールするだけで絆だーなんて、ちょっと間抜けじゃない。それに比べたらアタシ達のやったことの方がよっぽど……その……偉大だったんじゃない?」
いい言葉が浮かばなかったのだろう、最後の最後で少し迷った感じを見せてしまうスノウ。
けれども、そんなところもまた彼女らしい。
「……かもな。あくまで終わったこと、これは推測の域を出ないし、だったら少しでも“偉大”な形で捉えた方がいいかもな」
「むぅ……」
あえて、スノウが苦心して絞り出した言葉を繰り返す。
からかわれたとはっきり感じたのだろう、スノウは頬を膨らまし、露骨に不機嫌を表した。
「じゃあ、この指輪はそんな俺達の偉大な……いや、悪い。もう言わない。ええと……俺達の絆に対するご褒美ってところかもしれないな」
「ご褒美……」
途中、スノウから溢れ出した殺気に気圧されつつも、推測の対象を指輪へと移す。
よく見るとこの指輪、特殊な細工がされているようだし。
「スノウ、見てみろ」
「え?」
「この指輪の内側。かなり細かいが文字が彫ってある。多分現代のものじゃない」
2人で1つの指輪を覗き込みながら、確かに刻まれた読めない文字を眺める。
と、妙に強い視線を感じた。当然スノウからのものだが、彼女は何故か指輪ではなく俺を見ていて――
「ひうっ」
デジャヴとも思えるリアクションをしつつ、身体を仰け反らした。
「わ、悪い」
「あ、アタシこそ」
これにはさすがに俺も軽率さを覚えざるを得ない。
指輪を見るのに夢中で、肩と肩どころか、頬と頬がくっつきそうな距離に近づいてしまっていたし……。
「……続き、いいか?」
「……うん」
何故か、妙な気まずさを覚えつつ切り出す。スノウはこちらと目を合わせず、顔を逸らしたまま頷いた。髪の間から覗いた耳がほんのり赤らんでいた。
「この指輪、多分杖と同じ……いや、かなり強力な魔術補助効果がある」
「え?」
「それこそお前が眺めていたショーケースのロッドよりも遥かに上物だろう。まぁ、振ったときの手応えって点じゃ劣るけどさ」
指輪型の補助具ってのは随分と珍しい。
単純に製造が難しいという理由は聞いたことあるけれど、ちゃんと見るのは初めてだ。
「不幸中の幸いって言うべきか……壊れちまったワンドの代わりにはなると思う」
「あ……」
魔力爆発によって、完全に消滅してしまったワンドのことを思い出したのか、スノウは僅かに肩を落とした。
確か、彼女が冒険者になったその時から愛用していた物だったはず。抱く想いも相応のものなのだろう。
気持ちは分かる。俺は杖を持たないが……持たない理由の数パーセントくらいは、物への拘りが時にマイナスに働くことを知っているからだ。
「……ううん、大丈夫」
スノウは指輪をグッと握り混み、顔をあげた。
そしてこちらを向いたその顔に……一切悲壮感はなかった。
「道は前にしかない……そうでしょ?」
「……ああ」
そう、笑顔を浮かべるスノウに俺は頷きつつも、胸を打たれる思いだった。
魔術師にとって、魔術はすべて。だからこそ、杖もまた魔術師にとっては身体の一部と言っていい。
彼女はその一部を失った。そしてそれはもう帰ってはこない。
それでも、顔を上げた。切り捨てたのではない、割り切ったと言い表せるほど淡々としてもいない……多分、“弔った”というのが正しいのだろう。
多大なる感謝と、悲しみを胸に抱きながら――スノウは自身の一部だったワンドに別れを告げた。
「強いな、スノウは」
「ううん、全然よ。でも……強くなる。もっと、もっと……もう二度と、諦めなくていいように」
どちらかと言えば子どもっぽい印象を抱かせる彼女だが、今は余裕……いや、力強さを感じさせる。
数分前の彼女はまるで別人だと思えるほどに。
もうすっかり一人前の冒険者だな。能力だけじゃなく、心も――彼女は今日1日で大きく成長を遂げていた。
「ねぇ、モノグ」
「ん?」
「指輪、つけてよ」
そうはにかみながら左手を差し出してくるスノウ。
手の平に乗った指輪を取ると、彼女はくるっと手を返す。
「まるでなんかのお姫様みたいだな」
「そう?」
感想を呟いたつもりが、すこしからかった感じになってしまった。けれど、スノウは大して気を悪くした様子を見せず、むしろご機嫌そうに思える。
「つけるのはいいけれど、それなら右手の方がいいんじゃないか? ほら、杖代わりにするなら、利き手につけた方がいいし」
「むぅ……」
あれ……?
今度は真面目なことを言ったつもりだったのだけれど、何故かスノウは不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「アンタ、ワザと言ってんじゃないでしょうね……?」
「ワザと?」
「あーもう! そうよね、そんなことワザと言う厭味ったらしい奴だったらとっくにぶん殴ってるし!」
やはり、彼女の琴線に触れてしまっていたらしい。少し拗ねた感じでヤケクソ気味にボヤくスノウ。
しかし、俺の指摘も理にかなっていると思ったのか、差し出す手を右手に入れ替えた。
「ほら、さっさとつけてよ」
「わかったよ」
俺はスノウの右手をそっと握り、右手薬指に指輪を通す。
これは魔術師の中、ほんの一部に広まった、“異性の魔術師から薬指に指輪をはめてもらうと生存確率が増す”というジンクスにあやかったものだ。そんなジンクスが生まれた理由も、具体的な効果も知らないけれど、スノウがつけろと指示してきたのはきっと彼女もこの噂を知っているからだろう。
指輪はスノウの指に比べて一回り大きかったけれど、彼女の指に通るみ、ピッタリのサイズに縮んだ。魔術的な細工がされていたらしい。便利だなぁ。
「薬指……え、えへへ」
生存率が上がったのがそんなに嬉しかったのか、スノウは頬をニヤニヤと綻ばせながら指輪を眺める。
確かに先ほど死にかけたわけだし、生存率の上昇は一番嬉しいプレゼントかもしれない。あくまでジンクス、気休めだとはいえ。
「ね、ねぇモノグ。アタシもつけてあげるわよ?」
「いや……俺はいい。指輪とかも付けない主義なんだ。たとえ補助でも、俺にとっちゃノイズになるからな」
「そ、そお……?」
スノウは残念そうに肩を落とす。
厚意で言ってくれたのに……という罪悪感もあるが、パフォーマンスが落ちる可能性を加味すれば、つけないのが正解だということもまた、事実なのだ。
「せっかく同じのなのに……でも、身に付けなくてもいいから、ちゃんと取っておきなさいよ!? だって、その指輪は今日アタシ達2人で壁を乗り越えた記念のアイテムなんだからっ!!」
「念押しされなくてもどこかに捨てたり、売ったりなんかしないって」
俺は手で転がしていた指輪を【ポケット】に入れる。
【ポケット】は実に便利なもので、普段使いのアイテムを入れる場所と、そういったものとは区別した“大切なもの”を入れる場所を分けることができる。当然、指輪は大切なもの行きだ。
これならいつでも肌身離さず持っていられるし、無くさない。
「アタシ、今日のこと絶対忘れない。死んでも来世に持っていく自信が有るわ」
「ははは……ちょっと大げさだけど、確かに忘れようにも色々と強烈な出来事ばかりで――あ。そうだ、スノウ。自信で思い出したけれど」
「なによ?」
「メイジタートル、どうする? これから倒しに行くか?」
そういえばだが、そもそも俺達が2人でダンジョンに来たのはかつて辛酸を舐めさせられた第10層の雑魚モンスターがきっかけだ。エクストラフロアへと強制的に転移された関係で出会わず仕舞いだが――
「……やめておく。多分、今のアタシ達なら全然苦戦しないと思うけれど……でも、あの頃のアタシ達が苦戦したって事実は変わらないから。それを受け止めて、アタシは前に進む。もう、やり直そうなんて逃避はしないっ」
スノウは真っ直ぐな瞳を俺に向けてくる。最早、一切の迷いも無い。
彼女はいつかまた、同じような壁にぶつかるかもしれない。迷い、悩み、苦しみ――けれど、必ず乗り越えるだろう。
ダンジョンで生き残れる冒険者とはそういうものだ。奇跡のような道筋であっても、それは運命であり、必然。
彼女は今日、確かにそれになった。俺はスノウを見て、そんな確信を抱いた。
「ねぇ、モノグ。右手出して」
「なんだ、指輪は付けないぞ」
「それじゃないわよ。ほら、いいからっ」
突然のことに俺は少し首を傾げつつ、言われるがまま、右手を出す俺。
スノウはそんな俺の右手を、自身の右手で握ってきた――指と指を絡ませ合うようにしながら。
「す、スノウ?」
「モノグ。アタシ、誓うわ」
「え?」
「アタシ、もっと立派な攻撃術師になる。誰よりも強く、立派な世界一の魔術師に……! だから、ずっと傍で見てて? モノグと一緒なら、そんな荒唐無稽な夢も、夢じゃないって思えるの」
ほんのりと頬を赤らめながら、そして恥ずかし気に上目遣いになりながら、スノウははにかむ。
くっつけられた手の平が熱い。けれど、心地の良い熱さだ。その熱につい浮かされてしまいそうになるくらいに。
「ああ、誓うよ」
俺は彼女の手をしっかり握り返し、頷く。
同じストームブレイカーの仲間として、同じ魔術師として――尊敬する彼女だからこそ、俺もそうしたいと思える。
そんな俺達を見届けるように、スノウの右手薬指につけられた指輪が煌めきを放った。
暖かく、そして、美しく。
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