第2話
池のすぐ左手には膝丈ほどのたかさの木棚、そのうえに盆栽がならんでいる。
松ばかり小ぶりのが八ツほど、前後に四ツずつならべられている。どれも左右に横枝が伸びていて、葉が、雲かたばこの煙のように茂っている、あたりまえでつまらない盆栽である。ジイちゃんがひとから貰ったり、どこかの催事なんかでみつけてきたものだ。どうしてか枯れる気配もないから、あたしはもうずっと水やりもしていない。
その盆栽たちをおおうようにしてぶどう棚がたっている。そこにはいつでも蓑虫の数匹が垂れている。ジイちゃんがまだ元気だったころにじぶんの手で組みたてた自慢のぶどう棚。馴染みの大工から廃材を譲ってもらい、となりのしおちゃんの旦那さんに手伝わせて、何日もかかってつくりあげた。もう四十年もむかしのことだ。
いまはすっかりふるびてしまったぶどう棚の、天井部分、いくつも縦横に渡された梁に、ほそ長い蔓たちが絡みついている。実はない。まだ実をぶらさげるにはだいぶ早い。このぶどう棚に薄緑色のおおきな実が生るのは、まいとし八月ごろなのだ。
うねうねと伸びた蔓に混じって太さのある麻縄が一本垂れさがっている。ぶどう棚の下、盆栽をのせた木棚の足もとには、風呂椅子のような檜の踏み台がおいてある。ぶどう棚と盆栽の木棚がちょうど笠のようになってはいるが、野ざらしで何十年もおかれたままだから、檜の丈夫なつくりでもさすがにくたびれて黒ずんでしまっている。
この庭をたたえたちいさな一軒家、ここにあたしはひとりで住んでいる。今月で七十四になった。まだ歩くことはできるが、足腰がずいぶん弱ってきているのがじぶんでもよくわかる。近ごろはものわすれもひどい。まめに電話をよこしてくれる上の孫にも、
「バアちゃんそれ、何回もきいたよ」
と、冗談なのか本気なのかわからない口ぶりでそう言われることがふえてきた。去年のいまごろまでは三日に一ぺんは通っていた近所のスーパーにも、もうボツボツとしかいけなくなった。
すこしばかりさむい日になると膝や腰の関節がきしむように痛んで、とてもじゃないが外へなどでる気にもなれない。それでもむりをすれば、亀のようにのろまにやれば、いけなくもないのだろう。が、最近ではすぐ、
「あァ、しんどい……」
そう口にだすようになって、だせばほんとうにしんどくなってしまい、やっぱり、いくことができない。
「ひとりで住むにはこの家は、ちょっと広いねェ」
下の孫が、へ来るたびに言う。たしかにこうなってしまっては、あたしひとりで住むにはこの家は広すぎる。一階だけでもじゅうぶんだのに、我が家には二階もあるのだ。二階は和室と書庫と、その二間あるだけだ。
書庫はもともと、ジイちゃんがつかっていた書斎だったのだが、ジイちゃんが死んでからは物置部屋のようになっている。「書庫」などと呼んでいるのは、ふたりの孫が、いらなくなった本や雑誌を倉庫がわりにやたらとおきにくるようになって、あるとき、やっぱりいつものように古雑誌をおきにきた上の孫が、
「あの部屋は本だらけだね、ありゃァ、書庫だナ」
笑いながらそう言っていたからだ。和室のほうは寝室なのだが、二階にあがれなくなってからあたしは一階の居間に布団を敷いて寝ているから、いまは何にもつかっていない。
その、二階の部屋たちの光景も、あたしはもうしばらく目にしていない。あたまに思いうかべることができるあの部屋たちは、ずっと、ずーっと、むかしのもののようだ。からだのあちこちの関節がひどく痛むようになり家のなかを歩くのもつらくなってからは、二階にあがることなんぞとてもできず、もう三ヶ月も四ヶ月も、いやもっとだ、二階の部屋たちを、みていない。
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