極楽蓑虫
神谷ボコ
第1話
湯呑みにそそいでおいたお湯がいいぐあいに冷めたのをみはからって、あずき色をした急須のふたをはずす。
茶葉のにおいがたち、喉へ鼻へ、すーっと入りこんでくる。湯呑みを手にとって、急須の真上でかたむける。ほどよくい透明のお湯が、さーっと滝のように降り、急須のなかの茶葉をあらう。ぶわっと、しろい湯気があがる。
さっきよりも濃厚な香りが、台所じゅうにたちこめる。急須にふたをする。空になった、まだ熱い湯呑みとともに盆に載せ、居間をぬけて縁側へでる。
春らしい丸みのある日ざしが南の空からまっすぐ差しこむ二間ほどの縁側に、座布団がふたつおいてある。片方には歳のいったメス猫が、まえ足を胸の下へ折りいれてむっつりした顔で眠っている。
もう一方の座布団、施されたひまわりの花の刺繍が、空を仰ぎやわらかい日ざしを浴びている。ところどころ糸はほつれ、むかしはあざやかだった黄色い花びらたちは、いまは薄暗くくすんでいる。猫を起こさないよう、手にもった盆をそーっとおいて、あたしはくすんだひまわりの上に腰をおろした。
この縁側にこうして座って庭をながめるのが、ジイちゃんとチーコは好きだった。
八尺ちかくもある南天の生垣が庭の南側と西側とを、塀のように囲っている。東側は隣のしおちゃんの家の庭とを分かつお飾り程度の柵がたてられているだけだ。
南天は秋になると、まッ赤な、まん丸の実をこれでもかというほどに実らせる。庭のすぐむこうには、くるまは通れないがひとがふたりならんで歩ける程度の小径が走っている。その小径を挟んで、うちとおなじような、ちいさな一軒家がずらりとどこまでもならんでいる。だが背のたかい生垣のおかげで、小径を行き来する近所のひとたちを気にすることなく心穏やかにこの庭をながめることができる。
十坪にも満たないこの庭の、右半分にはひょうたん型の池が掘られている。いまは魚もいない、ものさびしいこの池にも、むかしは色とりどりのうろこを纏った鯉たちが鮮やかに遊んでいた。ジイちゃんが死んで、あの鯉たちはみんな知りあいの業者にやってしまった。
そうしてしばらくのあいだ池は、どろりとよどんだ水が張ってあるだけのまぬけにおおきな水たまりだった。夏になるとボーフラが涌いて蚊が霧のようにあたりを舞い狂うので、あたしは何度も埋めてしまおうと思った。
けれど冬のあいだに、どこから来たのか蛙が池の底へ卵を産みつけたらしく、春になって、数えきれないほどのおたまじゃくしがこの池にひしめいたのだ。うじゃうじゃ、うじゃうじゃと、池のなかを泳ぎまわるおたまじゃくしの大群はみていて気味がわるかった。
だがあるときだ。
ひょっと、手を池にいれて掬ってみた。あたしのちいさい手のひらにのったノロマは一匹だけだった。もう手足が生え揃っているその一匹、どうしてか妙になまなましくみえた。あたしは池を埋めるのが気の毒になった。
それからこの池にはまいとし、冬のおわりに親蛙が卵を産みにやってきて、あたたかくなると、あのなまなましいのが、ぴゅるぴゅる元気よく踊りまわる。
ぽかぽかとしたこの縁側に座って、その光景をぼけっとながめるのがあたしの楽しみになった。
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