第11話 薫子のお礼-2



今日は出張料理の日だったが、先刻薫子から連絡があって、約束はなくなった。そういえば前回もなかったんだっけ。忙しいとは聞いていたけど、あんなコンビニ飯ばかりの食事が続いて、薫子の健康は大丈夫だろうか。薫子からは、佳亮のご飯が食べられないことをしきりに残念がったラインが飛んできていた。


…お弁当、持って行ったらどうかな。会社だから嫌がるかな。


そう思って、薫子に打診してみると、是非食べたいという返事が返ってきた。


それなら話は早い。早速佳亮はタッパーに弁当を詰めると、薫子が寄越した勤務先に向かった。地図アプリに導かれて辿り着いた先は、高層ビル群の一角にあるガラス張りの建物。薫子はこの中の15階で仕事をしているらしい。エレベーターで目的階まで上がって廊下に出ると、何人かの女性が忙しそうに行き来していた。佳亮が通りがかりの人に声を掛けると、その人は笑顔で応対してくれた。


「大瀧さんに用事があってきたんですが、会えますか?」


「大瀧ですか? ご案内します。此方へどうぞ」


そう丁寧に案内された会社の室内は人で溢れていた。そして部屋の中には建物や部屋の模型がいくつもある。通された部屋の中央にしつらえられた大きなテーブルの上には、背の高い建物の模型と、簡単な作りの部屋の模型。その隣には何かのサンプルのファイルが山ほど広げられている。五人くらいの人がその模型を囲んで打ち合わせをしていて、その横をすり抜けていく。


(うわ、ホンマに忙しそう…。呑気にお弁当持ってきてもうたけど、失敗やったかもしれへん……)


先導してくれる女性について行くと、部屋の一番奥にある囲われた個室に案内された。女性が扉をノックすると、中から聞き覚えのある声。


「なに?」


「社長、お客様です」


女性と、部屋の中の人との会話を驚きいっぱいで聞く。扉が開かれ、女性に中へと促されると、部屋の奥の大きな机に座っていたのは薫子。しゃ、社長だったのか……。呆然としている視線の先で、薫子が人懐こい笑みを浮かべた。


「佳亮くん、無理言って悪かったわね。まあ、座って」


そう言って薫子は社長室にしつらえられているソファセットに座った。佳亮も座らないわけにはいかず、薫子の正面に座る。それでも何も言えない佳亮に、驚いた? と薫子はいたずらっ子のように笑った。


「今、リニューアルオープンの店舗の納期直前で忙しくて…。全然家にも帰れないし食事も不規則になるから、ほら、吹き出物も出ちゃって」


そう言って薫子が顎のところを指差す。本当だ。ぽつりと赤いものが顎に出来ている。よく見るとちょっとクマのようなものも出来ているだろうか。きれいな顔だけにやつれた印象になってしまって、目立つ。


「お弁当、楽しみにしてたのよ」


そう言われて、手に持っていた保冷バッグの中からタッパーに詰めた弁当を差し出す。


「ちょっと残り物で申し訳ないんですけど…」


こんなことなら、もっとちゃんと作ってきてあげればよかった。でも薫子は差し出された弁当に手を合わせて、早速箸をつけている。


「うん、美味しい。元気が出るわ。ありがとう、佳亮くん」


本当に美味しそうに食べるから、出来れば毎日お弁当を作って上げられたら良いのにと思ってしまった。せめて週末だけでも…。


「薫子さん。週末だけでも部屋に帰って来れませんか? 今までみたいに食事を一緒に摂ることは難しいと思いまけど、お弁当くらいやったら差し入れできます」


本当は持ってきてあげても良いのだけど、忙しそうなこの場所に部外者がのこのこと来るわけにはいかなさそうだ。そう言うと薫子は是非、と縋るような目で訴えてきた。


「もう何日もカップラーメンで、流石に飽きてたのよ…。部屋には帰れないけど、受付に託(ことづ)けてくれたら受け取れるように手配しておくから、佳亮くんの都合のいい時に食べさせてもらいたい。この忙しいのは春になれば終わるから」


薫子の言葉を聞いて佳亮は弁当を作ることを約束した。ありがたい、ごめんね、と言いつつ嬉しそうな薫子を見ると佳亮も安心する。


「ほな、僕は帰りますんで」


薫子から食べ終わったタッパーを受け取って席を立つと、薫子もソファから立ち上がった。


「ちょっと休憩ついでにコーヒーを買いに行くわ。お弁当のお礼」


そう言ってウインクを寄越してきた薫子に破顔する。こんな時でも約束を忘れないなんて律儀だなあと思った。


薫子は職場の一人に少し席を外す旨を伝えると、佳亮と一緒にエレベーターで一階まで下りた。ビルを出て駅の方へ向かいがてらコンビニを目指す。薫子は佳亮の隣で弁当の中身のリクエストなんかをつらつら話していて、それが楽しいと思った。その時。


「あ、ぶない!」


不意に両肩を抱き寄せられたかと思ったら、グイっと建物側に引き寄せられる。佳亮が立っていたそこを、後ろから無灯火の自転車がスピードを出して走り抜けていった。


「歩道は歩行者優先なのに、なんて自転車なの」


「あー、びっくりした…。薫子さん、ありがとう」


走り抜けていった自転車に文句を言いながら、大丈夫かと聞いてきたから、佳亮は謝意を伝えた。まさか事故になりそうなのを助けてもらうとは思ってなかったが、身長の高い薫子は佳亮とは見渡せる世界が違うのだろう。怪我に繋がらなかったのはありがたい。その余韻でか、そのあとは薫子が車道側を、佳亮が建物側を歩いた。


コンビニで缶コーヒーを薫子から受け取ると、二人はコンビニで別れた。缶コーヒーをひと口飲む。そういえば社長なんて仕事をしていたら金銭感覚はつくだろうに、どうして薫子はあんなお金の使い方をしたのだろう。佳亮の心に疑問が残った。



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