第10話 薫子のお礼-1


給料日。佳亮はいつも通りATMで給料の入金を確認して、目が飛び出るほど驚いた。給料の入金が記帳された通帳に一緒に記帳された一行。


―――『振込:3,000,000:オオタキカオルコ』


「か…っ、薫子さーーーんっ!」


佳亮は仕事が終わってそのまま薫子の部屋に直行した。チャイムを鳴らせば、まだ帰宅していないらしく応答がない。そういえば薫子は忙しいんだった。取り敢えず自宅に帰って、薫子の部屋に明かりが灯るのを待つ。


気分が落ち着かないので、お茶漬けだけを食べて薫子の帰宅を待っていた。深夜遅くになって、漸く低く轟くようなエンジン音とともに赤いフェラーリが走ってきて、そのまま道を挟んで向かいのマンションの駐車場に入っていく。薫子だ。佳亮はネクタイをしめたまま、家を飛び出した。


薫子が駐車場からエントランスに入ろうとする。道を挟んで薫子を呼んだ。


「薫子さん!」


こんな夜中に自分を呼ばれるとは思っていなかったんだろう。薫子が驚いたように振り返って、そして声の主が佳亮だとわかると、気安い笑みを浮かべた。


「佳亮くんじゃない、どうしたの、こんな遅くに」


佳亮は車の往来がないことを確認して道を横切って薫子の前に立った。


「かおるこさん、これ……」


佳亮は家から持ってきた通帳を見せる。丁度ページの切り替わった最初の行に印字された、振り込みの明細。


「あら、振り込めてたのね。良かったわ」


「ふ…っ、振り込めてたのね、じゃないです! なんですか、この金額は!」


「あら、足りなかった?」


きょとんと、薫子が瞬きをする。そうじゃない。そうじゃないだろう。


「一体、何のつもりでこんな大金振り込んだんですか!」


「え? だって、私この前聞いたでしょう? ご飯のお代を支払うから、口座教えてって」


確かに聞かれたとも! でも、こんな大金だなんて思わなかった。


「月にたった二回。それもごくありふれた普通のご飯を食べただけで、貴女はこんな大金を店に支払うんですか!?」


銀座の三ツ星レストランでも、こんなに取らないぞ。そう言うと、薫子はしゅんとした。


「ごめんなさい。相場が分からなかったの…」


相場が分からなくて…。それにしたって多すぎる。


「兎に角、これはいったんお返しします。こんなの受け取れない」


そう言うと、薫子が焦ったように言った。


「そんな…。困るわ、私、こういう風にしか、お礼が出来ないのよ……」


他に何もできないし…。


そう言って、また肩を落として視線を下げる。


高級車に乗っていたり、ブラックカードを持っていたり、ホテルのティーラウンジで黒服が挨拶に来たり、何処かのお金持ちかなとは思っていたけど、あの1Kの部屋と結びつかなかった。でも、これで分かった。薫子はれっきとしたお金持ちだ。それも、かなり世間知らずの。


佳亮は気持ちを落ち着けて薫子を諭した。


「…薫子さんに出来ること、あるじゃないですか」


佳亮の言葉に薫子が顔を上げる。


「私に…、出来ること?」


言われて、でも本当に思いつかないといった顔で佳亮を見た。ちょっと笑えてしまう。


「僕の料理、食べてくれるじゃないですか」


何時も恋人たちに嫌がられていた手料理。それを喜んで食べてくれたのは薫子が初めてだ。


「そんな……。でも、じゃあ、どうやって、ご飯のお礼をしたらいいのか、分からないわ……」


「良いんですよ、お礼なんて」


佳亮は微笑んで言った。最初は腕を買う、なんて言われたけれど、実際作り始めたら人の為の料理作りがこんなに楽しいんだって思い出した。それだけで十分すぎるお礼だ。


「困るわ……。そんなこと言われたら、私、本当に、どうしたらいいのか分からない……」


心底困ったように薫子が言うから、じゃあ、こうしましょう、と佳亮は提案した。


「料理が美味しかった時は、僕にコーヒーをご馳走してください。コンビニの缶コーヒーで構いません。僕はお酒をあまり飲まへんし、コーヒーは好きです。それに、薫子さんやってコンビニへ行くのは好きでしょう?」


佳亮が言うと、薫子は呆けたような顔をした、ぽつりと呟いた。


「そんなことで、良いのかしら……」


「良いんですよ。僕が、薫子さんに料理を作ってあげたいだけなので、本当ならお礼なんて要らないんです」


そう言ってもう一度佳亮が微笑むと、漸く薫子も少し困ったように微笑んでくれた……。




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