第12話 さくら、さくら


季節が移ろい、春になる。桜前線の話が頻繁に交わされ、中田原たちなんかは花見を何時するかで盛り上がっている。勿論、佳亮は参加しない。黙々と仕事をしていた、その時。


「杉山くん」


コーヒーのカップを手にそこに立っていたのは、四つ先輩の織畑(おりはた)はるかだった。彼女は佳亮と同じ総務部の一員で、一年目の時に業務を教えてもらった指導員でもある。未だにその感覚が抜けなくて、織畑に声をかけられるとぴしっと背筋が伸びる。


「はい。なんでしょうか、織畑さん」


「ふふ、変わらずだなあ。中田原くんたちがお花見計画してるけど、貴方は行かないの?」


「あー、僕は不参加ですねえ。僕、女性受けが悪いので、女性が同席の飲み会には出ないです」


織畑はふふふ、と人好きする笑みを浮かべて、なにそれ、と笑った。


「杉山くん、かわいい顔してるんだから、女の子受けは良いでしょう?」


「僕、料理男子なんで、料理する男って女の人は比べられるみたいで嫌がられます。経験上知ってるので、行かないです」


そう言うと織畑は、そうなの? そっか~、そういうもんか~、と顎に手を添えて考えるそぶりをした。


「ちなみに、お料理の腕前は如何ほど?」


料理に食いつかれるのは、あまりいい経験がない。でも尊敬している先輩だから、応えないわけにはいかない。


「…毎日の昼の弁当、自作です」


「すっごいじゃない! 何時も杉山くんのお弁当って彩りも良いし、食べ応えがありそうで、きっとお母様が息子さん思いなんだわって思っていたわ」


小声で言うと、思わぬ反応が返ってきた。あれっ、佳亮の料理を見て、けげんな顔をしなかったのは二人目だ。


「よし、杉山くん。中田原くんたちに負けずに、お花見行こうよ、一緒に」


「…一緒に?」


ちょっと待って。急に女の先輩に誘われても、心の準備が出来ていない。


「駄目かな。出来れば是非、一緒に行って欲しい」


そう言って織畑は「お願い」と小さくウインクをすると、カップを持っていない方の手を顔の前で垂直に立てた。先輩の頼みなら断れない。佳亮は二つ返事でOKした。



***



桜が満開になった週末、佳亮は織畑を駅に迎えに行った。佳亮のマンションの近くに、距離は短いが桜並木が見事な河川敷があって、織畑が有名どころの桜よりそういうこじんまりとしたところのほうが良いと言ったのだ。


「織畑さん」


電車を降りてきた織畑は大きな荷物を持っている。小さな織畑の顔が隠れてしまうような大きさで、銀色のそれはクーラーボックスのようだった。


「持ちますよ」


「あ、ありがとう」


織畑の荷物を持ち、河川敷の方へ歩いていく。天気も良く、河川敷に出ると丁度いい散策コースで桜並木が続いている。二人は桜の下を歩きながらまずは花見を楽しんだ。


他にも花見を楽しんでいる人たちが居て、中にはシートを敷いて宴会をやっているグループもあった。


佳亮と織畑は桜並木の真ん中ほどにしつらえられた幾つかのベンチのうち、空いているベンチに腰掛けた。


「それでね、これ…」


ベンチに下したクーラーボックスを織畑が開ける。保冷材の入ったそこには、お重が詰め込まれていた。




***



今日は佳亮の出張料理がない週末だった。薫子はコンビニでビールとおにぎりを買って、マンションに戻ろうとして、そういえば桜が満開だとニュースで言っていたなと思い出すと、マンションの近くにある河川敷に足を向けた。


コンビニで買ったビールを飲みながら河川敷の歩道を歩く。空が水彩絵の具を溶かしたような水色で、薄く雲がたなびいている。その下に満開の桜。とてもすがすがしい気持ちだった。


天気がいいのでビールが進んでしまう。もう一本買っておけば良かったと思い、自動販売機を探して視線を彷徨わせたその時。


向こうの方のベンチに座っている、カップル。佳亮くんだ。隣は誰だろう。佳亮くんよりも小さくて髪が長くて風にさらさら流れている。


二人はお重を取り出して、そこから何かを頬張っている。お弁当? 様子からして、彼女の手作りのようだった。


仲良くお弁当を囲む二人は、桜の背景も相まって、とてもお似合いのカップルだ。佳亮くんは最初に顔を見たときに思った通り、目が大きくて印象的なかわいい子だし、彼女は佳亮くんより小さくて、きっと佳亮くんの腕にすっぽり収まる。


(………)


うわあ、なんか見ちゃいけないものを見ちゃった気分! 今度、どういう顔で佳亮くんに会えば良い!?


薫子は混乱して、取り敢えずその場から離れた。


見ちゃいけない。あれは私が知らない佳亮くんの顔。佳亮くんにだってプライベートがある。そのことを、私たち二人は共有してきたし、これからも共有し続ける。


だから、また来週、佳亮くんがご飯を作りに来てくれた時、ご飯を美味しいって食べて、お礼にコーヒーをご馳走すれば良いんだ。


薫子はそう思ってマンションに走って帰った。




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