<TIPS3「あの日の全校集会」>

 忘れもしない、中等部2年のゴールデンウィーク。


 あの年は飛び石で転々とした休日が散らばっていた。前日は憲法記念日で休日。その日の夕方、詩織と偶然出会って、いつも通り別れた。

 その翌日の学校で聞かされた、詩織の訃報。

 丁度お昼休みだったと思う。担任の先生が突然やってきて、困惑と失意の見え隠れする表情で語った。それでも毅然と受け答えしている姿は印象的だった。

 午後からの授業は何も耳に入らなかった。

 何かの間違いだって思いたくて、午後の授業が終わったらすぐに教室を飛び出した。職員室で担任の先生を探す。……いない。どうやらまだ病院から帰ってきていないようだった。

 俺は先生が帰ってくるまで待ってようと思い、しばらく音楽室へ行くことにした。

 いつものような足取りで、ざわつく心を抑えながら音楽室へ入った。聞こえないピアノ……。

 教室のドアを閉めると、水を打つように静けさが広がった。足音がやけに響くタイル。蓋の開いていないグランドピアノ。体よく収まっている椅子。やけにくすんで見えるペダル……。

 窓を開けると、遠くの方で部活動に精を出す生徒の声が聞こえた。

「詩織……」

 俺の声は誰にも聞こえない。誰にも届かない。いつも座っている場所に行き、いつものように座り、詩織が座っていた椅子を眺める。

 不思議と、俺が音楽室に先に来て詩織を待っている時間というのは無かった。詩織は授業が終わると、部活動に行く生徒たちに交じって自分もこれから部活をするかのように音楽室へ向かっていた。

 俺は委員会の仕事がある時もあったが、大体はだらだらと帰り支度をしてトイレを済ませて、のんびりと音楽室へ向かうのが日課だった。

 ドアを開ける前から聞こえるピアノ。詩織の演奏を邪魔しないように、そろそろと音を立てないようにドアを開けて、足音も最小限にこの席に座る。

 「気にしないから」という詩織は言葉の通り、俺が来ても演奏を止めることなくピアノを弾いている。

 ひとしきり弾き終えると、たった今気づいたかのようにこちらを顔を向けるのだ。


『……あれ、結城君。今日も来たんだ』


 ああ、昨日も来たし、なんとなく。そんな連れない返事をして、また詩織はピアノを弾く。ほとんど会話も無く、一方的に詩織はピアノを弾いていて、一方的に俺は聞いているだけ。

 そんな関係だった。それが、いつからだろうな……。ピアノの魔法にかかっちまったのは……。

 俺は机に突っ伏して、ただ時間が過ぎるのを待った。



 下校時間のチャイムが鳴った時、ハッとして目を覚ました。

 職員室へ行こう。先生が帰ってきているかもしれない。もういつも通りなんて言ってられなかった。

「先生! 詩織は……!」

「……あぁ、結城君。まだ残っていたんですね。職員室だから静かにな」

 先生は場所を移そうと、応接室へ入れてくれた。来客用のソファーは俺の身体を包み込むように沈む。

「……それで、先生。詩織は本当に……いや人違いとか、よく似た誰かだったか……」

「結城君。残念だけれど、お昼に言ったことは本当だ。認めたくないのは分かるが、確かに石川さんは……亡くなってしまった。頭をやられてしまったようでね、もし意識が回復したとしても大きな後遺症を残していたかもしれない」

「うそ……だろ……。そんな、詩織が……どうして……」

「君は石川さんと仲が良かったと聞いてるよ。高等部の新任の先生なんだが、石川さんのことを気にかけてくれていて、よく放課後話をしていたそうなんだ。先ほども、病院まで来てくれて石川さんの死を悼んでくれた」

「……俺、昨日の夕方詩織と会ったんです。買い物の帰りだったみたいで、偶然。事故があったのはその直後なんですよね……。クソ……! 俺が家まで送ってあげてれば、こんなことには……」

「そうだったのか。辛いと思うが、あまり自分を責めてはいけないよ。君の心が潰れてしまう」

「だって昨日の今日ですよ!? また明日学校でって言って、いつもどおり見送って……。朝学校にきたら、詩織は来てなくて風邪かなって思ってたら……死んだなんて……そんなのって無いですよ!」

「無念だったろうな……。先生もこの歳で初めて、教え子を失う辛さを味わったよ。中等部の3年間誰一人欠けることなく、31人全員を高等部へ送り出してやりたかった。石川さんは、同性にも異性にも好かれる優しい子だった。あの子の元気な明るさは私のクラスのみんなに愛されるものだったと思ってるよ」

「俺もです……。これから先、詩織と一緒に進級していきたかったです……。約束……したのに……」

 もう憚らなかった。昼間は出なかった涙が堰を切ったように溢れ出して、顔を歪めた。柔らかいソファーに涙は沁み込み、俺の心は重たく沈み込んだ。

「結城君……。今日はもう遅いから、家に帰りなさい。明日は祝日だからゆっくり休むといい。辛いだろうが……明後日の金曜日は全校集会が予定されている。改めて今回のことをみんなに話すことになるから君にも、必ず出席して欲しい」

「はい……ありがとうございます」

 もう暗くなり始めている空を見上げながら、帰路に就いた。


 次の日は一日、家から出なかった。用意してくれたご飯を食べ、部屋にこもり、何をするでもなくまた眠った。もう何も考えたくなかった。

 失意のまま金曜日を迎え、全校集会に向かう。中等部は講堂に集められ、高等部は体育館に集められて詩織の死がこの学校に周知された。

 俺のクラスは、朝から重たい空気が漂っていた。開いている空席。それが誰のものか、皆知っている。講堂で教頭先生から不慮の事故として詩織が亡くなったことが伝えられた。

 これからしばらく中等部では夜間の出歩きの自粛や、通学路に補導員と教員の先生も立つという再発防止策が執られることが決まったという。

 くれぐれも、詩織の様に交通事故で命を落とすことが無いように……。

 不慮の事故ってのは、そんな備えがあったとしても起きてしまうことだ。そしてしばらくしたら解除される規制の様に、次第に亡くなったことは無かったもののようになってしまうだろう。

 それがどうしようもなく、辛かった。ふと、講堂の出口に目をやるとゆかり先生が通り過ぎた。

 確か高等部の先生だ。高等部の全校集会は終わったのだろうか。そういえば、ゆかり先生も詩織と仲良くしていた人だ。

 確かピアノが弾ける唯一の先生だと言っていた気がする。でもなかなか弾いてくれなくて、担当は現国。どうして音楽の先生になってくれなかったのかと残念がっていたっけ。

 俺も多少なりとも面識はある。新任の初々しさもありつつ、言うべきことははっきり言う先生だという印象を持っている。

 ゆかり先生か……。

 一昨日、病院にも行ったみたいだし話しを聞いてみようか。俺はお昼休みを待って、職員室に向かった。

 しかし、職員室に入ろうとしたとき、職員玄関にゆかり先生の姿を見つけた。


「ゆかり先生! ……早退、ですか?」

「あ……翔くん。ええ、もしかしたらしばらく休むかもしれない」

 すごくやつれた表情をしていた。声に覇気がない。放っておいたら倒れてしまいそうなほど、立っているのがやっとという感じだった。

「そうですか……。あの、俺も突然で詩織の死を受け止めきれてないんですが、先生も……詩織と仲良くしてたから、なんていうか……」

「そうね。ショックじゃないなんて言ったら嘘になるわ。……でもね、ひょっとしたら詩織さんはこうなることを……ううん。ごめんなさい、私も心の整理が付けられてないの。今のは忘れて」

 視線を遮るように下を向く先生。胸の前で抱えるように組まれる手を見たとき、詩織が印象的だと言っていたブレスレットが無くなっているのに気が付いた。

 俺も何度か見たことがある。友人とのお揃いの大事なブレスレットだと言っていたな。今日は付けるのを忘れたのだろうか?

「あれ、先生いつも付けてたブレスレット……」

「……外したの。あれは親友との大切な約束のブレスレットだから。だから……罪を犯してしまった私には、付ける資格が無いと思って……」

「罪……?」

「……翔くん、ごめんね。ごめんなさい……。私がもっとしっかりしてたら、こんなことには……」

「いえ、先生のせいじゃないですよ。俺も、詩織を家に送ってあげれば良かったんだって後悔してますけど、不慮の……事故ですから」

「……ありがとう」


 言葉とは裏腹に、ゆかり先生の声は消え入るように小さかった。

 ゆっくりとした足取りで校舎を出ていくゆかり先生の背中を見送ると、視界に見えていたはずの青い空が鉛色に変わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る