<TIPS4「さよなら世界、さよなら私」>

「もう、終わりにしよう……」

 この世界に未練は無いわ。

 私が生まれてから、この17年間。楽しいことなんて一つも無かった。散々笑われて、馬鹿にされて、叩かれて、除け者にされて……。

 痛かった。苦しかった。もう、これ以上耐えられない。

 いつもそう、私だけ除け者にされて、みんなは楽しそうに遊んでいるの。

 たまに優しくしてくれたかと思うと、からかわれるだけで遊びの道具としか思われなかった。

 私を話のネタにしたいが為に近づいてきて、事あるごとに馬鹿にされた。

 身体的特徴も、身振りも、仕草も、挙句には声までも。私の全てを否定される。

 こんな場所に、私はもう居たくない。

 こんな世界は、私の生きる世界じゃない。

 ええ、分かってる。世の中恵まれたことだけじゃない。時には身を粉にしてでも耐えなきゃいけない時だってある。

 でも、それはいつまで続くの? もう終わるの?

 明日には全部終わってて私はいつもの生活に戻れるの?

 ”いつもの”って何……。私にとって、いつもの生活なんてなんの魅力もないわ。

 ここは地獄? ここは奴隷国家? ここは弱肉強食の差別思想どもばかりなの?

 世も末だわ。虚偽と虚構が蔓延したこんな世界で、欺瞞と妄執を抱いて生きるなんて。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 学校だろうと社会だろうと、それは同じ。

 誰も私を気になんかしなかったし、冷たい目で見られ軽蔑された。一人ぼっちな私が居ても、見てみぬ振りで。まるで、そこに私なんか”居ない”かの様。

 私は何も、悪いことなんかしてないのに……。

 私は何も、気に障ることなんかしてないのに……。

 どうして、私ばっかり―――。

 よくテレビなんかで見るけど、自殺する人は靴を綺麗に揃えるじゃない?

 今、私もそうしてる。ここは、とあるビルの屋上。無用心に無意味な低いフェンスがあるところ。

 もうこんな夜中だし、人の往来は無い。それに路地だもの、人は来ないわ。

 あるのは、乾いた無慈悲な風だけ。

 私をあざ笑うでもなく、背中を押すわけでもなく、私の髪を揺らしている。

 この長い髪が恨めしい。こんなに長くしてなければ、引っ張られることだって無かったのに。もう何本無理やり千切られたのか……。

 痛い。……痛いよ。

 思い出したくないのに、感覚は苛烈なまでに憶えている。

 そんなに嫌なら切れば良かったじゃない。でも、……切りたくない。切ればあの思い出も、心から切り離されてしまいそうで……。

 遺書は書いていたけど、途中で辛くてやめちゃった。でも、遺書なんてなくても大体想像はつくでしょ。……ううん。分かっても誰も口にしないわ。

 だって私は、そこに”居なかった”んだもの。

 居ても居なくてもいい存在。だから私は最初から、居ないも同然。

 だから今日ここで、私が堕ちようと、ヤツらの日常は何も変わらない。

 ……いいよ、それで。それでいいの。私なんか記憶に残すくらいなら、せめて、跡形もなく消し去って……。

「ふぅ……」

 ここを一歩踏み出せば、逆さに落ちて死ぬでしょうね。この高さだもの。傷みなんか感じる間も無く死ねるはず。

 でも、死ねなかったら……。痛みが残るのかな。痛いのは嫌よ。私の腕や背中や頬は、赤くなって腫れている。

 足は……言いたくない。思い出したくないもの。

 この世界には何も残らない。何も残さない。

「さよなら世界、さよなら私」

 両手を広げたら、鳥のように飛べるかな……?

 ほら、昔話題になったFly症候群。こんなことを思ってしまうなんて、私も感染したのかな。

 でも、鳥になれたら素敵かも。自由に飛んで、自由に生きるの。

 ふふ、馬鹿ね。さぁ、夢を見るのは終わりよ。

 終わりにしよう全てを。終わりにしよう、私を。

「あ……羽根……」

 悪戯に私の髪を撫でていた風が、ふわりと羽根を運んできた。それはひらひらと舞い落ちる天使の衣。そっと手を伸ばして掴もうとした。

 でもそれは悪戯に、私の指の間をすり抜けて……。

 そして、私の身体は宙に舞う。支えのない人形のように、なんの抵抗もなく、私の身体は月に浮かんだ。

 羽根を掴んだ手ごたえは無い。時間が止まったかのように、視界から遠ざかっていく羽根。私は目を閉じて、身体の力を抜いた。


 私は……。


【目を開いた。】


「……あれ?」

 私は、頭を抱えてうずくまっていた。

 どうして私は、こんなところにいるんだろう? さっきまでビルの屋上にいて、飛び降りたはず……。

 しかし目の前には、灰色のコンクリートしかない。それはそうよ、下を向いているんだから。ここはどこかの路地。陽が沈もうかという、夕刻の時間だった。

 次第に目が慣れてくると、周りがはっきりと見えてきた。この場所、見覚えがある気がする……。でも、どこだろう。分からない。頭がボーっとする。

「大丈夫? 気分でも悪いの?」

 突然、声を掛けられた。

 心配そうに覗き込んできた男の子は、私と同じくらいの歳だろうか。落ち着いた物腰で、私なんかよりずっと大人っぽい。

 ……でも、私は知っている。

 こんな風に声を掛けてきても、本当に気遣ってなんかいないんだ。男なんて何をしてくるか分からないもの。どうせ私をからかうだけよ。

「立てる? ダメそうなら肩を貸――」

「触らないでッ!」

 私は不快感を露わにしながら叫んだ。男の子は気圧されて、一歩後ずさる。

「本当は心配なんてしてないんでしょ!? 私のことなんか放っておいて!」

「そ、そんなこと……」

「嘘よッ! どうせまた私をからかうおもちゃにするだけでしょ!? そうやって声を掛けてくる男なんてみんなそうよ! カケラも心配なんてしてないくせに、変な気遣いなんてしないで!」

 私は拒絶の意味を込めて睨む。肩で息をしながら吐き出す。

 彼は一瞬驚いたような表情をして、すぐに目を伏せた。落胆というよりは諦めの表情。俯いて薄く笑う彼は、いつも私が見てきた男の子とは何か違った。

「そう、だよね……。”みんな、そうだよね”」

 彼は悲しい顔をして、私に背を向けた。

「ごめん、恐がらせて。それじゃ……」

 一度も振り返らずに、彼は歩いていった。……これでいいのよ。もう、あんな思いなんてしたくないもの。私が心を許したばかりに、散々だったじゃない。男の子なんてみんなそう。私は男の子が、嫌い。この前だってこんな……。


 え? この前?

 以前にも、こんなことがあったっけ? 私は彼を知ってるの?

 ううん、そんなはずない。ありえない。


 そもそも、この世界がおかしいよ。私はビルから飛び降りたのよ。なのに、こんな所にいて……。

 ここは、4丁目の公園を過ぎた路地。あまり人は通らないから、私が遠回りして家に帰るルート。

 でも、どうして? なんで今、そんなところに私がいるの? もう、訳が分からない。

 私どうしよう……。


 私は……。


【彼を追いかけた。】


「待って!!」


 私の頭の中で何かが弾けた。そう、思い出したの。前にも同じことがあった。

 私は気分が悪くてしゃがみ込んで居たとき、同じように声を掛けてくれたんだ。

 だけど、斜な私はさっきみたいに怒鳴って追い払ってしまったのだ。私は同じことを繰り返そうとしていた。なんて馬鹿なの。

 以前犯した過ちを繰り返したくないが為に、私は踏み出した。

 でもどうして? 自分はもう死ぬつもりでいる。そんな時にこんな事をしたって……。

 そんなことはどうでもいい!

 何故、突然過去に戻ってきたのか分からないけど、確かに聞こえた。胸の中で、彼を追いかけろと叫ぶのだ。誰か分からないけれど……。

 だから私はその声にハッとして、駆け出していた。あの時、遠ざけてしまったから何も始まらなかったの。もし、あの時追いかけていたら……。そんなことを思ったこともある。

 そのチャンスが、今なんだ。この死の間際に、束の間の夢を見せてくれたことを、私は享受した。


「お願い! 待ってよ!」

「……ここにいるけど」

 道を右に曲がってすぐに彼はいた。

 あまり離されてなかったみたい。ちょっとだけ安心して、呼吸を整える。

「さっきは、その……ごめん。言い過ぎたよね私」

「いいんだ、分かってるから。誰も僕のことなんて見てないし」

「え……?」

 もしかしてこの子、私と同じ?

 その寂しそうな横顔は私と似てる。その悲しい瞳も私と似てる。勘じゃない、雰囲気。匂い。それらが全て、私と同じだと物語っている。

 きっと彼も、私と同じ境遇なのかもしれない。

「バカにされて、笑われて、殴られて、時には……思い出したくも無い。僕はこの世界が嫌い」

 やっぱりそう。私と同じ。彼なら、私のこと解ってくれるかもしれない。

「私も同じ。虐められて、馬鹿にされて、もうウンザリしてたの」

「……そうだったんだ」

 彼は私の前までやってきた。そして、綺麗な瞳を私に向けてくる。

「家まで、送ろうか?」

「……あ、ありがとう」

 先ほどまでの気分の悪さはなくなっていた。むしろ、突然走ったせいか息が苦しいくらいで。心臓の鼓動も心なしか、早い気がする。

「家の人には話したの? ……その、学校のこととか」

「ううん。お父さんはあんまり家に居ないし、お母さんは私のこと、どうでもいいみたいだし」

 本当のことを話したら何かが変わっていた……とは思わない。

 家族というのも、私にとってはテレビの向こうの世界でしかないから。

「あなたは……?」

「……うちは、父さんしかいないから」

 その言葉だけで、大体を察する。彼は、私より辛い境遇にある。

 いや、辛さの比較なんて無意味ね。お互いは、自分のことしか、分からない。

 私は問いかけた。

「あなたの、名前は?」

「僕は―――」

 ううん、知ってる。聞くまでもなく私は知ってる。彼の名前は……。

「祐だよ」

 そう、祐くん。

 何故なら彼は、同じ中学の子だったのだ。

「やっぱり……。あの、私は……」

「うん、もしかしたらって思った。長い髪が、綺麗だったから……」

 私の中の記憶が繋がった。

 壊してしまったカケラを紡ぐことが出来た。彼は初めて、私の髪を褒めてくれた人だったのだ。


 だから私は……。


【彼に近づいた。】


「っ……」

 私の視界に彼は居なかった。

 もの凄い速さで地面が迫ってくる。戻ってきたんだ、”今”に。どうしちゃったんだろう私……。おかしいよ。もしかして、これが死ぬ前に見る走馬灯? 過去に戻るなんて、しかも行動出来たなんて……。

 あぁ、あの時彼を追いかけていれば、何かが始まってたんだ。なのに、私はそれすらも気付けずに生きてきたんだね。

「私って、馬鹿だよね……」

 でも、もう遅い。私は後何秒もしないうちに、地面に叩き付けられる。……嫌だ。

 もう一度、彼に会いたい。謝りたい。そしたら、何かが変わる気がするの。

 死にたくないよ! 溢れる涙は風に切られて、天へと昇っていく。

 両手を広げたら飛べないかな……? もし飛ぶことが出来たら、死なずに済むのかな……?

 ううん、そんなはずないわ。この速さだもん。

 今考えている間にも、どんどん地面が迫ってくる。

 でも、でも……。


 私は……。


【両手を広げた。】


「……何してんの? あんた」

「へ?」

 私は両手を広げていた。一人で、部屋の真ん中で、ただじっと。後ろから声が掛かるまで気付かずに、私は目をパチクリさせる。

 あれ、ここはどこ? 学校の教室? 私はさっきまで、ビルの上から落ちていたはず……。どうして、こんなところに……?

 いや、それよりもこんな姿を見られたことの方が恥ずかしかった。顔から火が出そう。

「演劇の練習……とか?」

「ち、違うの!」

 私は両手で頬を押さえながら下を向く。目の前に居た彼女は、様子を窺いながらおずおずとしていた。

 ……この女の子、私は知っている。クラスメイトの子だ。私が虐められているときに、いつも見ている子。

 そう、見ているだけ―――。助けてくれたことは一度も無い。私と目が合っても怯えたような感じだった。

 終いには目を反らして、目を瞑ってしまう。その度に落胆した。だから私は、この子のことはあまり好きになれなかった。

「実は、あたし演劇に興味があってね……。良かったら一緒に――」

「いいの。もう全部終わりにするから」

「え?」

「もう、終わりだから。放っておいて」

 私は冷たくあしらった。助けてくれない子に、優しくされる云われは無い。またどうせ付き合ったところで、みんなの見世物にされるんだわ。

 彼女を一瞥し、立ち去ろうとする。

 しかし―――。

「放っておけないよ!」

 彼女が唐突に叫んで私を止めた。いつの間にか、彼女は私の手を掴んでいる。

「あんた、さっきから終わり終わりって何よ。全部ダメみたいに言わないで!」

「……あなたに何が分かるのよ。いつも見てるだけで、何もしてくれなかったくせに!」

「ど、どうしてそれを……」

 彼女はたじろぐ。まるで、私が知らないとでも思っていたように。

「白々しい。どうせ心配なんてしてないんでしょ? みんなそうよ!」

「違うッ!!」

 彼女は私の声を掻き消すくらい大きな声で言った。ぎゅっと握られた手から伝わる言葉の強さ。目には涙を溜めて、憤りとは違う意思が見て取れる。

 下を向いて言葉を続けた。

「あたし……すっごく後悔した。だから変わったの。虐められてた子が自殺しちゃって、どうして何もしてあげなかったんだろうって。……そう、あんたにそっくりな子だった! あたしは見てるだけで何もしなかった。だから、そんな弱い自分とは決別したの!」

 固く目を瞑り、頬を伝う涙が思いの強さを物語る。まさか、この子がそんなことを思ってたなんて……。

「ウソ……」

「嘘じゃない! だから放っておけないの!」

 虐められてた子が自殺しちゃったって……もしかして、私のこと?

 もしそうなら、ここは……私が死んだ未来? ウソ、信じられない……。

 おかしいよ、この世界……。

 私はビルから飛び降りたのに、気付いたらここに居て、ここが未来? そんな馬鹿な、そんな馬鹿な……。

 でも、そうならこの子は……。


 私は……。


【彼女を信じた。】


「うぅ、ごめんね、ごめんね……」

 目の前の彼女は、私にしがみ付いて泣いていた。今までの私なら、こんな涙ウソよと跳ね除けていたかもしれない。

 けど、過去を見てきた私には、嬉しさと安堵感の方が強かった。

「あたし、何で声掛けなかったんだろうって何度も思った。でも恐くて、勇気が無くて、あたしまで虐められちゃうんじゃないかって思ったの……」

「うん……うん……」

 誰だって、虐められている子に手を差し伸べたら、自分が標的になるんじゃないかって思うよ。

 恐いのは当然。それでも手を差し伸べることは、とても勇気のいることだよね。

 もし逆の立場だったら、私だって怖かったはず。

 この子のように見ることすら、怯えていたかもしれない。だから、今なら分かる気がする。この子は、私のことをずっと、見ててくれた。

「あたしね、何度も止めに入ろうと思ったんだよ。でも先生も見て見ぬ振りだし、男の子も怖いし、女の子たちには関わるなって言われてたの。でも、あたし言えば良かったんだよね……。もうそんなこと止めようって。あなたと目が合ったとき、いつも助けてって言われているの、分かってたのに……目を背けちゃってごめんね……」

 ……この涙は、ウソなんかじゃない気がする。本当に、私のことを心配してくれてたんだ……。

「本当に、そう思ってくれてたの……?」

「本当よ! 友達になりたかった、一緒に遊びたかった。でも、もう遅いんだよね。ごめん、ごめんね……」

「そっか……」

 私は、彼女の髪を撫でる。私はこの子のことを、大きく誤解していた。

 どうして斜に考えると、私はあんなにも悪く捉えてしまうんだろう。自分が情けない。

 何度も謝り続ける彼女を、私は抱きしめた。

 こんなにも私を心配してくれて、ずっと見ててくれた。初めてだよ。私の為に、泣いてくれる人なんて……。この子となら、いい友達になれそうな気がする。

 彼女も私を抱きしめてくれた。泣きじゃくる、子供のように。私は、初めて心を許した彼女の名前を呼んだ。

「ありがとう……奏恵」

 彼女の髪に鼻をうずめる。

 いい匂い。茶色で長い、綺麗な髪。本当はこれはありえないカケラ。垣間見るこの許されないカケラ。

 それを私は見つけ、紡いだ。


 私は……。


【強く抱きしめた。】


「っ……」

 私の腕の中に、彼女は居なかった。何も掴むことすら出来ず、何も感じなかった。

 だから私は、自分の肩を抱いた……。あったのは、丸くて赤い月。あれ、月って赤かったっけ……?

 そっか……私、死んだんだ。視界のそれは、どんどん深紅へと染まっていく。もう、手も足も動かない。瞬きすら出来ない。

 いや、全ての感覚は無かった。ああ、今度こそ終わりなんだね……。だんだんと目の前が赤から、黒へと変わっていく。

 私は動けないけど、もがいた。叫んだ。

 待って、嫌だよ! 恐いよ、寒いよ……! けれども、その虚空は掴むことすら出来ず、私は暗い暗い闇へと吸い込まれていく。

 舞い降りてきたのは、白い羽根。ただここに、在った。その羽根に二人の温もりを感じ、私は、私を抱きしめた。

 私ってなんて馬鹿だったんだろう。祐くんと出会って、あの時追いかけていれば違う未来があったかもしれない。さっきだってそう、私が追いかければ私たちはお互いを理解し合えたじゃない。

 奏恵のことだって、信じてあげればよかった。私から声を掛ければ何かが変わっていたかもしれない。現に、奏恵は私のことを心から想ってくれていたんだもの。

 こんなにも近くに、大切なものがあったのに……。

 こんなにも近くに、幸せがあったのに……。

 私はそれすらも気付けずに、掴むことが出来なかった。あれは走馬灯なのか、私の妄想なのか分からないけれど。それを見せてくれた幸せと、気付けなかったことの後悔が交差する。

「うぅ……うっく、うぅ……」

 泣いたって、もう遅いのは分かってる。けど、泣くしかなかった。

 涙が出てるのか分からないけど、きっと止まることなく流れていたと思う。

 何も残らないと思ったけど、奏恵の中に私が残ってる。何も残さないと思ったけど、私の祐くんへの気持ちを置いてきてる。

 ああ、ごめんね。二人とも……。ごめんね、私……。

 もう、終わりだね。


「さよなら世界、さよなら私……」


【-Epilogue-】


 もしも、こんな世界があったらいいなって思った。だから、想像してみたの。

 私は毎日、祐くんと登校するの。あの日のわだかまりも解けて、お互いに辛い過去を分かち合った。

 自分のことを理解してくれる人が、一番の支えよね。そして、途中から奏恵も合流して、三人で登校する。

 奏恵とは仲良しで、私のことを慕ってくれる最高の親友なの。

 私がいつも祐くんと一緒だからって、茶化したり、祐くんの顔を窺ってみたり、時には奏恵が攻撃されて、混乱するのが見てて面白い。

 初めはやっぱり辛かった。クラスメイトに受け入れてもらえないことが。

 でも奏恵が矢面に立ってくれた。祐くんは自分の殻を破って見せた。

 だから私は、二人を誇りに思うことにしたの。わだかまりや今までの空気は、きっと時間が掛かるだろうけれど解かれるはず。

 私には二人がいる。だから寂しくないし、辛くない。そう思えたの。それから私たちの時間は、かけがえのないものになっていく。

 そんな、ささやかで慎ましやかな三人の関係がずっと続いていく……。もしかしたら、私と祐くんは付き合ってるのかもね。

 あは、それはちょっと出来すぎか。でも、そのくらい望んでもいいよね……?

 私はよく卑屈になるけれど、少し周りを見渡してみれば、たくさん幸せはある。

 それは、散らばる小枝のように。私たちは、その枝を一つひとつ拾っていくの。拾い集めて、束にしていく。

 一本ではか細い枝だけど、あの雄大な大木だって枝があるからあんなにも素敵になるのよ。

 ほら、よく考えてみて? ”辛い”ことだって、一本の枝を見つけるだけで”幸せ”に

なるんだもの。

 その枝が、本当の幸せ。私はそれを知っていたはずなのに、どこで忘れちゃったんだろうね。虐められて、卑屈になって、いつしか何もかも諦めるようになってた。

 あの日、祐くんが私に手を差し伸べてくれたように。奏恵が、私をいつも見てくれていたように。

 今度は、私が二人を幸せにしてあげたい。

 大丈夫、今度はきっと、頑張れるから。だから二人も、あたしを受け止めて欲しいな。

 あは、ちょっと甘えすぎだよね。私も頑張るから、みんなを幸せにしたいから。

 なぜなら私の名前は―――。

「早く行こうよ」

「ほーら、何してんのさ。早く行こっ」

 あ、二人が私を呼んでるわ。

「うん!」

 二人が手を伸ばしている方へ、私は駆け出して行く。そして、私の名前を呼んだ。

「「……行こう、さち幸枝!」」

 ありがとう、みんな。

 ありがとう、私。

 そろそろ行かなくちゃ。


 もう、この世界とはお別れだね。


【-さよなら世界、さよなら私-】

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