優也編 3日目

 翌朝。ゴールデンウィーク3日目。

 ソファーの上に美笑ちゃんの姿は無かった。変わりにテーブルの上に、置き手紙があった。……美笑ちゃんからだ。


〝色々ありがとうございました。楽しかったです。

 またカレー作ってくださいね。美笑〟


 今日も変わらず、曇り空が朝を知らせてくれていた。

 天気予報によると、午後から本降りになるという。昨日は降らずに祭りを終えることが出来たが、今日ばかりは傘を持っていかないといけないだろう。

 ……ん? みずがめ座流星群……? 

 見慣れない単語が出てきて、無関心に付けていたテレビを思わず二度見してしまった。どうやら今夜はみずがめ座流星群が極大になる日らしかった。本降りになる雨で、ずっと曇り空だったから期待値は薄そうだ。

 まぁ、もしも雨が止んで雲の切れ間でも出来るようなら見てみよう……。

 降水確率80%。

 昨夜腰かけた縁側の窓を開けると、霧雨が頬を叩くのだった。


 ―――。

 自然と足は、学校へ向いていた。


 学校に行けば、美笑ちゃんに会えるかもしれないと思ったからだ。

 こんなにも彼女に毎日会っていると、追っかけのように思われてしまうかもしれない。

 初めて見たときの涙が気になって、それで始まった関わり。笑顔こそ出来なかったものの、昨日のお祭りを楽しかったと言ってくれた。

 だから、初対面の頃の警戒心は無くなったと思いたい。だから……門を入って、教室の窓に目を向けた時。

 窓から美笑ちゃんが、手を振ってくれていた……ように錯覚してしまった。


 ――美笑ちゃんは、居なかった。


 よく学校に来ているとはいえ、毎日来ているとは限らない。……そんな日もある。

「あら。優也君……? 今日も来たんだ。こんにちわ」

「あ……先生。こんにちわ。先生こそ、毎日出勤なんですか?」

「ううん。ちょっと調べたいことがあってね。……優也君、少し時間ある?」

「はい。何ですか?」

 ゆかり先生は、ここだとマズいからと言って校庭のフェンスのところまで行った。

二人してフェンスに寄りかかる。

「実はね、私なりに色々調べてみたの。離婚とか、法律のことを」

「……美笑ちゃんのこと、ですか?」

「そうね、間接的にはそういうことになるわ。実はね、美笑ちゃんにはお姉さんがいたの」

「……はい。昨日それとなく、美笑ちゃんに聞きました。この大変な時期に、お姉さんは一体どこに行ってしまったんですか?」

「……亡くなったわ」

「え……?」

「そう……3年前、交通事故で亡くなってしまったの。丁度、優也君が3年生の時かな。当時中等部3年生で、この学校の生徒だったのよ」

「そう、だったんですか……」

「うん。覚えてない? 緊急の全校集会が開かれた朝、交通事故で亡くなった生徒がいるって校長先生からお話があったの。石川詩織さん……妹想いのしっかりしたお姉さんだった。美笑ちゃんの旧姓は石川なの。再婚して名字が変わったけれど、結城さんと呼んでも本人はあまりピンときていないみたい。だから私はずっと下の名前で呼んでいるんだけどね。詩織さんはとてもピアノが上手で、コンクールでも賞を受賞していたの」

「……そうだったんですね。美笑ちゃんもお姉さんのピアノが好きだって言ってました。そういえば、全校集会ありましたね。交通事故で亡くなった生徒がいるって、なんとなく覚えてます」

 その時の僕は、中等部の知り合いもいなかったことから自分たちも気を付けようという気持ちはあったが、そこまで故人に対する関心は薄かった。

 ましてや名字が違うとなれば、美笑ちゃんと関係があるなどと思うはずはなかった。

 確かに昨夜、美笑ちゃんの語る言葉のニュアンスに違和感を覚えた。

 あの時は花火に驚いて思考は途切れてしまったけれど、今ならはっきりと分かる。今は亡きお姉さんを、美笑ちゃんは拠り所にしている。

 それだけ大きな存在だったということだ。亡くなってしまった後でも、あの旋律を胸に抱いて――。

「それでね、その後ご両親は離婚してしまったの」

「どうしてッ! 確かに不慮の事故でしたけど、それが理由で離婚なんですか!」

「……察して、優也君。ご両親も、詩織さんの無念を晴らそうと訴えた。でも、それは裁判では覆らなかった。そのうち、疲れてしまったのね……。人は誰もが、死を乗り越えられるわけじゃない。受け止められるわけじゃない。最愛の娘の為とはいえ、奮起出来る人ばかりではない」

「それでも……。残った美笑ちゃんに愛を注ぐことだって……」

「……先に心が折れてしまったのはお父さんの方だった。あ、順を追って説明するね」

 ゆかり先生は持っていたバインダーを開くと、調べた内容を確認しながら続けた。

「ちなみに、昨年度の離婚件数ってどのくらいか予想出来る?」

「え、いや……想像もつかないです」

「約22万7000件。これは厚生労働省の統計情報だから信用出来るデータでしょう」

「そんなに……」

「そして、離婚全体の87.2%は【協議離婚】が占めていて【調停】まで進むのは約10%くらいなの。つまり殆どの夫婦が合意の上で離婚届を出して、それでおしまい。裁判まで持ち込むケースは数%ね。美笑ちゃん家の場合は、稀なケースではあったんだけど、詩織さんが交通事故で亡くなって加害者と裁判をして、疲れてしまったのね……。加害者にどれだけの判決が下されたのか、慰謝料はどのくらい支払われた

のか詳しくは分からないんだけど、旦那さんも人が変わってしまったそうよ。美笑ちゃんがいるにも拘わらず、ずっと上の空みたいになってある日突然、離婚届を……」

「分からない……分かりません。どうしてその結論に至ったのか、全然……」

「そうね。もちろんお母さんも、反対したでしょう。仮に離婚するとしても、まだ美笑ちゃんは未成年だし親権の問題もある。親権は大体9割型母親が取ることが多いのだけど、美笑ちゃんのお母さんは心臓を患っててね、満足に働けない身体だったの。じゃあ、養育費とか親権は旦那さんの方でも、監護権だけでも取って一緒に暮らしたい……そう思って、第三者を交えての調停まで進んだ。けど……そうはならなかった。調停の最中に、体調を崩して入院。詩織さんが亡くなって、離婚届まで突き付けられて心労が重なってしまったのね……。結果、満足に育児が出来る身体ではないと判断されてしまって……」

 どうしてここまで、美笑ちゃんを突き落とすんだ……。

 それで美笑ちゃんは、お母さんとは離れ離れになり、上の空の父親と住むようになったのだ……。

「その後、どうやら旦那さんはどこかで縁があって再婚したんだけど、その結婚生活もしばらくして瓦解。どうもソリが合わなかったのね。離婚のケースで多い理由って何だと思う? 金銭トラブルや、暴力、浮気とかが目立つけど一番は〝性格の不一致〟っていう曖昧なものなの。もちろんこれは、調停や裁判までいったら第三者を納得させられる理由にはならないわ。だからこそ、協議離婚が多い……とも言えるわね。まるで仮初めみたいに……。丁度その頃、旦那さんの転勤が決まってたらしくてこの街を離れる直前だった。当然転校ってことになるんだけど再婚相手の奥さんにね、お子さんが居たの。それも詩織さんと同い年でこの学校に通ってる子がね。本当のお母さんとも離れたくない美笑ちゃんの気持ちとか、将来的なことも考えて、今度の親権は母方へまた移り変わってしまった……。ただ、あの様子だと今のお家でもうまくはいかなかったようね……」

 うまくいくはず、ないんだ……。

 親権が枷のようにたらい回しにされて、唯一、美笑ちゃんがこの街を離れたくないという要望が汲み取られ、今に至る。

 なんて、残酷なんだろう……。どうしてこんなにも美笑ちゃんが貶められなきゃいけないんだ。

「その後のことは、今の美笑ちゃんを見ての通り……。今日までに最愛のお姉さんを亡くして、離婚と再婚を繰り返して、義理の親御さんの所にいる。あの子は生まれてから15年の間に、誰よりも哀しみと寂しさを、知ってしまったのよ」

「そして、笑顔を忘れてしまった……」

「きっかけは、詩織さんの死だったのか……。それとも、ご両親の離婚だったのか。美笑ちゃんは、不遇な人生を歩むことになってしまったのね……」

「もしも、詩織さんが亡くならなければ、美笑ちゃんは笑顔のままでいられたんでしょうか……」

「もしも……それを考えてはダメよ。それが許されるのは、美笑ちゃんだけ……なんだから」

 なんて……残酷なんだろう。

 まだ15年しか生きていないのに、哀しみや寂しさとずっと闘っていたんだ。物心ついた頃からだとしても、まだ数年じゃないか。美笑ちゃんの人生の半分は、辛い出来事に浸食されていく……。

 それは、この先の人生も全て……。お姉さんとの死別や、温かい家庭が崩壊するのが美笑ちゃんにとっての悪夢なら、醒めない夢をずっと見ていかなくちゃならないんだ。

「……初めて美笑ちゃんを見たとき、虚ろな表情で涙を流していました。〝もしも〟……〝どうして〟……それを美笑ちゃんは何度も考えていたと思います。でも、起こってしまったことは変えられない。それが叶うなら、きっと世界中の誰もが願うはず……。だから美笑ちゃんは、一人で、涙を流すしかなかった……」

 悲愴という涙を、誰にも頼ることの出来ない美笑ちゃんは、自分の心に浸していく……。

 そしてそれは、深く悲しい傷をつけてしまった。その代償は、笑顔――。

「お姉さんの詩織さんはとても元気な子だったんだけど、美笑ちゃんはね、あまり身体が丈夫ではないの。小学校も、時々休むくらいにね。だから、あまりクラスの子達とも馴染めなくて、友達は作れなかったみたい」

「小学校の頃が、一番残酷な年頃かもしれません。若さ故ではなく、幼さ故に……」

「そんな時、頼るべきご両親も傍に居なくて……。美笑ちゃんは幼くして孤独を強いられてしまったのね……」

 それは、どんなに寂しい世界なのだろう。

 陽の当たる、ごく普通の家庭環境、交友関係を築いてきた僕には想像することすら、美笑ちゃんには失礼かもしれない。

 いや、普通という言葉すら適当ではない。何が普通で、何が普通ではないのか……。美笑ちゃんの強いられてきた世界を、僕が想像することなど、出来はしないのだ……。

「心の安らげる場所は、どこにあるんでしょうか……」

「こころ?」

「……美笑ちゃんは、詩織さんのピアノを今も大事にしていて、聞きながら安心していると言っていました。それでも、涙を流すんです。寂しさを埋められなくて。それじゃあ美笑ちゃんは……美笑ちゃんの心は、どうすれば癒せるんでしょうか」

「心の在り処……。昔、優也君言ってたね」

「僕は、いえ僕たちは人コミュニティの中に生きていて、人の中に在り処を探します。そして、心の在り処も人の居る場所にあるものだと思ってきました。でも……美笑ちゃんの世界は違う……。遠いんです、遠過ぎるんです……。昨夜、美笑ちゃんの優しさはひしひしと分かるのに、どうしてもあの子の心が分からないんです……」

 僕は目頭を押さえる。いや、涙を流しているわけじゃない。まるで自分のことのように、人の不遇を感じてしまう。

 分かってしまう。……いや、分かっていないのかもしれない。ずっと陽の当たる世界に居た僕に、美笑ちゃんの何が分かるというんだ……。

「……ありがとう、優也君」

「え……?」

「私からもお礼が言いたい。こんなにも身近に、美笑ちゃんの

ことを考えてくれる人がいたんだもの。先生もちょ~っとだけ、

妬けちゃうなぁ」

「い、いや。僕は美笑ちゃんをそういう目で見てるわけじゃ……」

「ふふ。美笑ちゃんも言ってなかった? 優也君に、

ありがとうって」

「あ……はい」

「女の子にとって〝ありがとう〟って言葉はね、単純じゃないんだよ? 本当の本当に、嬉しいなーって、感謝を伝えたいなーって人にしか言わないものなんだから」

「そう、なんですか?」

「そうそう。それが分からないうちは、まだまだ人生経験が足りないぞー。いや、女性経験が足りないっていうのかな?」

「ちょっと、変な言い方しないでくださいよ……」

「私は教師です。決してみだらな意味で言ったんじゃありません。女の子とも友情を育みなさいってこと。なぁにと勘違いしてるのかなぁ優也君?」

「ぅ……」

 小悪魔の角を生やして僕を茶化す先生。こういう所は、昔から逆らえないんだった……。

 いや、それこそ、その例えのせいでサキュバスの角に見えるのは気のせいか……。

「……あ、降ってきたね」

 パラパラと振り出してきた雨。傘を持ってきてはいるが、これ以上は身体も冷える。

「戻りましょうか」

 色々話を聞くことが出来た。

 美笑ちゃんとは会えなかったけど、もう今日は頃合いだろう。家に帰って思考することにする。

 職員室の前まで傘を差してあげて、先生と別れることにした。

「優也君」

 ふいに、先生に呼び止められた。

「笑顔笑顔!」

「あ……はは」

「そうそう、うふふ」

 頷いてみせると、先生は満足したように頷き返してくれた。

 もう一度、教室を見上げてから美笑ちゃんが居ないことを確認して踵を返した。



 時刻は夜の7時を過ぎた頃。

 雨はいよいよ本降りで、雨音は家の中でも聞こえていた。美笑ちゃんに傘を貸しに戻った日も、こんな本降りだったっけ……。

「そんなわけ、無いよな……」

 まさかとは思う。

 今日もあの時と同じように、傘を忘れた美笑ちゃんが学校で雨宿りをしているのではないか。

 ……なんて、自分がここまで心配性になってるなんて、自分でも驚きだ。

 でも、そう思ってしまったら居てもたってもいられなくなってしまった。杞憂でもいい。居なければ居ないで、夜の散歩ということにしよう。

 僕は、軽く急いている気持ちを抑え夜の学校へと向かった。


「……あ」

 校庭の校旗を揚げる支柱の下。人影が一つ。傘も差さずに雨に打たれていた。今日は座っていない。空を見上げたまま、立ち尽くしていた。

「美笑……ちゃん……?」

 美笑ちゃんは振り向かない。

 ずっと空を見つめ、あの日と同じ虚無な表情で佇んでいる。雨に濡れて、涙を流しているのかどうか判別は付かない。

 まるで泣いているのは、美笑ちゃんを中心とした世界であるかのように。

 僕はすぐにでも駆けつけて、傘を掛けようとした。しかし、足が動かない……。

 どうして……!

 この世界が僕の介在を拒むかのように、僕に金縛りを与えていた。

 いや、それは僕自身が躊躇っているからなのか?

 この世界へは入れないと決め付けている?


 違う! この世界もあの世界も無いんだ!

 僕と美笑ちゃんは同じ世界に住んでいるはずなんだ。今こうして目の前にいる美笑ちゃんを、どうして放っておける?

 今それを払拭しなくて、いつ美笑ちゃんを救えるというんだ!

 僕は駆け出す。美笑ちゃんのもとへ……。


 辺りは真っ暗で、校庭だってライトで照らされているわけでもないのに、なぜか美笑ちゃんの姿はハッキリと認識出来た。

 それは不思議な、眩い何かが校庭のその場所だけ照らしていたからだ。動かない美笑ちゃん。そこに向かいながら、段々と不思議な光の中に僕は踏み入っていった……。

「……優也、さん」

 ゆっくりと、だけれどもしっかりと僕を捉える。そんな目を、僕は逸らさない。

「優也、さん……ゆう……ゃさん……」

 美笑ちゃんは次第に、大きな目を細めて涙を零す。それは雨に打たれていても分かるくらいに大粒で。

 それがもう抑えられなくて……。嗚咽を漏らしながら、両手で顔を覆う。

 しきりに、僕の名前を呼んでいる。かすれて、雨音にかき消されそうなほどか細い声で……。

 それでも僕の耳には届く。車の騒音も、雨音も、その他の雑音も全てなくなり――。美笑ちゃんの嗚咽と声だけが、僕の耳に注がれていく……。

「私は、もう……嫌なんです……。もう嫌……」

 まだ年端もいかない美笑ちゃんは、肩を小刻みに震わせて、

両手で顔を覆いながら嗚咽を漏らしている。

 僕はただ、美笑ちゃんの肩を抱くでもなく、頭を撫でるでもなく、

どうすれば少女の心を癒せるのかと、言葉を捜していた。


 ……見つからない。


 涙を止めるだけでは駄目なのだ、少女は救われない。

 涙を拭いてあげるだけでは駄目なのだ、少女は救えない。


 あと一歩が踏み出せない。

 あと1歩近づけば、傘を掛けられるというのに。

 あと1歩近づけば、手が届くというのに……。


 僕は、何を勘違いしていたんだ……。

 美笑ちゃんと会話が出来るようになって、浮かれていた。美笑ちゃんと祭りに行けて、心を軽くしてあげられた気になっていた。

 楽しかったといわれて、美笑ちゃんが安心してくれたと思った……。

 美笑ちゃんはもう、擦り切れる寸前だったのだ……。

 追い詰められていたんだ……。それをほんの少し一緒に居ただけで癒せるほど、心は軽くない。

 心は癒せない……。


「……でも、最後に優也さんと出会えて嬉しかったです。すごく……楽しかった……。パチパチのわた飴、美味しかったです。お祭りのゲーム、楽しかったです。優也さんのカレー美味しかった。辛いのも、食べてみたかったなぁ……。花火、綺麗でした……。特等席はひみつの場所です。……こんな私に、優しくしてくれてありがとうございました」

 最後って……え……。

「私にとって優也さんとの思い出は、2番目の宝物です」

「……美笑、ちゃん……?」

「優也さん」

「……」

 美笑ちゃんはじっと僕の目をみつめる。……見るだけなら長すぎる、何かを伝えるような目。

 そして、一度目を伏して、また開かれた目は真っ直ぐに僕を見つめていた――。

「本当に、ありがとう……。さようなら――」


 その時、世界は静止した――。

 同時に、舞台のライトが突然消えるかのように眩い何かは爆ぜて霧散した。僕の視界にはまだ、美笑ちゃんのシルエットが残る。

 グラウンドの砂の上を叩く雨音と、遠くの方で無関心に聞こえる車の騒音が、どこか別の世界のことのように感じた。僕は美笑ちゃんの言葉で金縛りを受け、声を出すことも、手を伸ばすことも出来なかった。

 音もなく背を向けた少女は、空を見上げた。ショートカットの髪に伝う雨水は、どれだけの長い時間、少女を打ち付けていたかを物語る。

 止めどなく滴る雫は華奢な背中を濡らし、無気力に下ろされた腕の先は握力の伴わない手のひらが、すべてを投げ出したかのように垂らされていた。


 瞬間、右手の正門の方から眩しいライトとクラクションが1回。

 砂利をタイヤが擦る音を響かせて、僕の意識を連れ戻した。

「そこにいるのは、誰だい?」

「……あ、すみません。教頭先生、ですか?」

 ドアを開けて、傘を差しながら聞き覚えのある声の方を見やる。ライトの眩しさを腕で遮りながら、問いかけた。

「君は……。あぁ、縁先生から聞いているよ。久しいね。ただ、こんな雨の中どうしたんだい?」

「いえ……」

「まぁいい。足はあるのかな? 家まで送るよ」

「あ、すみません。そしたらこの子も……あれ」

 そこに美笑ちゃんの姿は無かった。

 最後の言葉を反芻し、このままでいいのかと自問をするが僕は美笑ちゃんの家を知らない。

 探そうにも美笑ちゃんの行くところは聞いていなかった。つまり、もう探せない……。

「いえ、申し訳ありません。よろしくお願いします」

 僕は釈然としない気持ちのまま、学校を後にするのだった……。


 突然姿を消してしまった美笑ちゃん。

 あれは本当に、最期の言葉のようで……。僕は諦めて、また明日会えることを祈るしかなかった。

 家に着くころには、あれだけ降っていた雨は一時の鳴りを潜め、雲の切れ間が出来るようになっていた。

 そういえば、今日は何の日だっただろうか……。

 星が見えたらなんか良いことがあると、ニュースで言っていた気がする。


 でも僕は、星を見る気分にはなれず早々に就寝することにした。

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