<TIPS2「いつかの全校集会」>

 この日はいつもと変わらない朝だった。

 いつもの時間に起床して、いつもどおり母親が作る朝食をとって、ボサボサになった寝癖を整えて歯を磨き、制服に着替えて登校する。

 学生であればなんてことはない、毎朝のルーティーンをこなし、いつもの通学路を歩き校門に入った。ただ一つ、教室で見たゆかり先生の表情を除いて違和感を覚えることはきっと無かった。


 この日からゆかり先生はトレードマークともいうべきブレスレットを外してしまったのだ。

 初々しさの残る担任の先生が初めて挨拶してくれたときに教えてくれたブレスレットのお話。大事な約束を秘めたブレスレット……。

「皆さんは、大事な約束をしたことがありますか? これからの長い人生できっと多くの人と大なり小なり約束をして、時には守り、時には破ってしまうこともあるかもしれません。けれど、どうしても叶えなければならない約束が出来たとき、それを依り代としてアクセサリーに宿すというおまじないがあります。ミサンガ、アンクレット、ピアス……何でも構いません。約束は心を豊かにします。皆さんもどうか、卒業までの3年間で大事な約束を見つけて下さいね」

 そう言って左手首に掛けられたブレスレットに、右手を添えた。

 あの日から2年間、ゆかり先生があの約束のブレスレットを外したことは一度もない。しかし僕は、その大事な約束について知らなかった。

 どんな想いがあったのか、誰との約束だったのか……。

 当然、大事な約束が秘められていると思うが、一度聞いたことがあったけれど「内緒」といって教えてはくれなかった。

 そんなゆかり先生が、ブレスレットを外した日。


 それは、僕にとってはなんの変哲もない普通の日だった。いつもと変わらない、優しさを探していた日々。

 違和感として変化があったとすれば、そんなゆかり先生と急な全校集会があったことだ。

 体育館に呼ばれた高等部の生徒たち。壇上では校長先生が話をしていた。どうやら中等部の生徒は講堂に集められていて、教頭先生が話をしているようである。

 校長先生は神妙な面持ちで、言葉を選ぶように口が重かった。

「……ゴールデンウィーク中の出来事で状況がまだ整理出来ておらず、これから親御さんや警察の方との話を通して理解しなければなりません。なので生徒の皆さんには事実のみを伝えるに留めます。3日前の夕方、我が校の中等部の生徒である石川詩織さんが、交通事故でお亡くなりになりました。これから詳しい話を警察の方と……」

 祝日だった日か。石川さん……? 

 当然、僕の知る子ではなかった。中高一貫とはいえ、大きな行事でもなければ中等部の子と話す機会もそうそうない。

 部活に入っていたら多少は違ったかもしれないが、僕は帰宅部。風紀委員ではあったけど、特に役職もあるわけではないので末席委員だ。

 中等部の方では通学路に先生たちを立たせたり、補導員を増やすことが決まっているらしい。

 高等部では自衛と交通意識を中等部の子たちの模範になるようにと言われた。同じ学校に通う生徒が事故にあって亡くなってしまうのは悲しいことだけれど、やはり僕にとってもテレビの向こう側の世界と思ってしまった。

 身内でなければ別世界の出来事で、クラスメイトたちの反応も大して変わることはなかった。ただ残念だったのは、ゆかり先生は体調不良でお昼ごろに早退したことだ。朝から気分が悪そうにしていたし、なぜかブレスレットもしていなかった。


 6時限目が終わると、副担任の先生がやってきてゆかり先生は数日休むかもしれないと告げ、皆も交通事故には十分気を付けるのだと注意喚起を呼び掛けていた。

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