恐怖の兄弟

 

 その顔を見た龍牙は田中たちを連れて、そそくさと離れていく。ちらりと先輩の肩越しに四男の兄の表情が見えたが、まさしく牙を向いた獣のようだった。田中たちを離れさせたのは顔を見せないようにするのも1つだが、近くにいれば巻き込まれかねない。特に今は制御する三男の龍がいない。こういう日に限って先生から呼ばれたりしていた。

 

「……ほんとタイミング悪い」


 整理券を出していた店の人に田中が聞いている隣で、龍牙は横目で兄の様子をうかがっていた。


「彼がちゃんと並んで生徒手帳を提示していたよ」

「うん。間違いないね」

「ほらな!」


 腰に手を当て、ふんぞり返っている。正しかったことが証明され、言い合いをしている2人を見ると、怒声と低く唸るような声でまだ口喧嘩をしていた。口喧嘩ならまだいいが、手が出し始めたら三男以外はもう止められない。普段慶と喧嘩している龍牙でさえ。


「あ、まずいかも」


 苛立ちが頂点に達した先輩が慶の頬を殴り、顔を少し外にらしたまま慶は固まった。その姿に顔を青める龍牙。三男との約束で、口は悪くてもいいがなるべく穏便に済ますようにと言われているのだが、相手から殴ってきた場合、それは喧嘩を売ったと慶の中で決められていた。今回もそれに値する。こうなってしまえば最悪の結果となる。

 顔をゆっくりと戻し、先輩を睨みつける慶。その目の瞳孔は猫のように細くなり、虹彩も茶色から黄色へと変化し始めていた。


「お、おい、龍牙」


 走って慶の所に行く龍牙を止めようとするも、陸上部の足を止めることが出来ず、手を伸ばしたまま固まる田中。

 

「止めなよ、バカ!」


 先輩の顔に当たる直前で間に割り込み、そのまま殴られて口の端から血を流れている。龍牙だったからふらつきだけで済んだが、先輩に当たっていたら頬骨が砕けるほどの威力だ。それでも慶は殴ろうとするのを止めない。身長が少しばかり足りないが、つま先立ちになって何とか三男の腕を押さえているが、簡単に抜けられてみぞおちに肘を当てられ、うめくも、龍牙はすぐ立ち上がる。


「人が吹き飛ぶような威力で殴るとか馬鹿じゃないの。力加減考えなよ」


 声を荒げながら文句を言うも、言われている本人は何も発しない。普段なら龍牙の言葉に反応して言い返してしてくるのだが、終始無言だった。それだけでどれだけ苛立っているのか分かってしまう。ずっと口をつぐんでいる慶に、龍牙の背に汗がにじむ。霊を喰らっている龍牙がおびえてしまうほどに今の慶は恐ろしかった。

 

「どした? なにがあった?」

「……にい、さん」


 秒針の音すらも聞こえなくなってしまうほどの静寂を破ったのは、三男の龍だった。先生からの用事が終わり、昼食を買いに購買へ来ていたのだ。龍牙達がいるところは入り口から見えるところで、人だかりが出来ていたから何事だろうかと見たら、無言の慶と口から血を流している龍牙を見つけ、近づいてきた。龍の姿を見た龍牙は安心したのか、息を吐き出して床へとへたり込んだ。


「怪我、大丈夫か?」

「無言で立ってる馬鹿兄貴に殴られただけだよ」

「慶」


 龍牙の傷口に水で濡らしたハンドタオルを渡し、慶を抱きしめながら頭をゆっくりと撫でている。荒ぶる獣をなだめるかのように。少しずつ怒りが収まってきたのか、龍の肩に顔をうずめる慶。


「龍牙、いったい何が遭ったんだ?」

「僕の友人の田中が取った整理券をこいつが奪って、騒ぎを収めようとした兄貴と殴り合いの喧嘩に発展しそうになった」

「……なるほど」


 いつのまにか気絶している先輩を見下ろす龍。その目は冷たく、人として見ていないような視線に、龍牙は二度も背筋を凍らせた。無言で怒る慶も怖いが、普段から物静かで、誰にも対しても優しくする龍を怒らせることがどれほど恐ろしいか一番知っているのは龍牙だけだろう。


「昼食買って教室戻ろうか」


 無言で頷く慶の手を引き、購買に行ってパンやら飲み物を買っていく龍。その間も慶はずっと龍の背中に引っ付いていた。

 

「ほら、ひっつき虫さん移動するよ」


 引っ付いている慶を引きずるように龍は出ていき、購買内は静寂に包まれた。


「はぁ、疲れた」


 立ち上がり、固まったままの田中と坂口の肩を龍牙が叩くと、肩を跳ね上がらせて驚き、腰が抜けたのか床に座り込んだ。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫なわけあるか」

「お、お前らの兄弟どうなってんだよ」


 立ち上がれないと手を差し出す2人の手を掴み、一気に立ち上がらせて腰を支える龍牙。

 

「どうって……。怒らせたらめちゃくちゃ怖いだけの普通の兄弟だよ」

「あれは普通じゃねぇ」

「怖すぎの次元が違い過ぎる」


 盗った盗られたでパンを買うことを忘れていた龍牙達は、今誰も並んでいない隙を狙って欲しいものを買うと、教室へと戻っていった。


 一年の教室に戻った龍牙は、2人を椅子に座らせ、遅い昼食をとることに。クラスメイトは先に食べ終わり、談笑していた。


「食べられる? 介抱してあげようか?」

「いらねぇ」

「必要ないぞ」


 2人の先程までの恐怖がまだ抜け切っていないと考えた龍牙は、冗談で和ませようとし、突っぱねられる。


「言い返せるなら大丈夫そうだね」

「それくらいの元気はあらぁ」


 安心した龍牙はほっと息を吐き、自分たちが買ってきた食べ物の袋を開けて昼食を取り、先程までのことを話しながら昼休みを過ごした。

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