二、優越感

昭和61年、1986年。


わたしが電話級アマチュア無線技士の免許を取得したこの年からのちにバブル景気と呼ばれる時代に突入し、岡山の片田舎でも景気は浮き足立ちはじめていた。


わたしの記憶では、とにかくどこもがきれいになっていった。

岡山駅前周辺はこれから先何年も道路と歩道整備でずっと工事中になる。道幅が広くなった国道などの幹線道路は、今でこそ当たり前の右折レーンや左折優先の道などが新設されていった。

家から学校までの通学路も岡山市の東の端とはいえ、まだまだ砂利道だったり舗装されていても穴ぼこだらけだったのが、この頃から舗装された道になり、他にも広い農道ができたり、田んぼが区画整備されていった。地元の有力者である県議会議員はまあまあ力や発言力がある人物で、他の地域と比べると道路や河川、農地の整備は早い方だった。


さて、大きな穴ぼこだらけの道、自転車で通学するのは結構大変である。

晴れている日はそれほど問題ない。避けて通ればいいだけだ。問題なのは雨の日である。降った雨がアスファルトの大きな穴に溜まり、どこに穴があるか分からなくなる。そしてその穴は一つだけではなく連続していたりする。雨がザーザー降りつつカッパを着て視界の悪い中、道全体が水たまりになっていて穴ぼこを見つけられずに自転車で突っ込むと、その穴に自転車のタイヤがハマってしまうその衝撃はかなりひどいものである。最悪な時はタイヤがパンクしてしまう。器用な祖父にパンクを修理してもらうことが自然と多くなった。部品が足らない時は、バタバタで自転車屋に買いに行ってくれた。ちなみにバタバタとは原付バイクのことである。まだ百均などの店はない頃の話である。


同じクラスに同じ電話級アマチュア無線技士の免許を取った女子が一人いた。何がきっかけでそのことがわかったのかは思い出せないが、その子と時々話をするようになった。彼女は名を美子よしこといった。美子は父親の影響で免許を取ったと言った。テニス部に所属していて、ショートカットが似合う彼女は実は喘息持ちで、授業中に度々発作を起こして保健室に行くことがあった。ある時、美子は、発作を起こすと友人と遊ぶ約束をしていてもそれができなくなるという理由で、自分はいじめられたり嫌われてしまうとわたしに告白した。美子が活発で友達や部活仲間と仲良くやっているように見えていたのは、実はかなり無理をしていたのだった。しかし、その当時わたしは美子が無理をしているということが理解できなかった。いじめに遭っていることも、ほんとかな?というぐらいであった。あまりつるむことを好まず、一人行動が多い、休憩時間ごとに図書室に通うわたしには、見えていないことが多かったのである。


そんなわたしが、自分のことを話し仲良くなることが必須のアマチュア無線で出会ったのは、歳が2〜3つ上の人たち、それも男子校や工業系の男子高校生たちであり、それは当然のことでもあった。

しかし、そんな出来事をわたしは学校でほとんど話さなかった。美子にもあまり言わなかった。誰かさんと誰かさんがつきあっているとか、誰かさんが誰かさんを好きだとか、そんな話を聞いても、ひとり蚊帳の外でも平気だった。

『わたし、大人しいように見えて、実は歳上の高校生の男の子たちとつるんで遊んでるだもんね』

そんな優越感を密かに味わっていたのだから。


ちなみに、美子は高校卒業後、岡山県警の外郭団体である交通安全協会に事務職で就職した。

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