06 ラストダンス開演
「その顔を見るに、どうやら飛鳥さんは助けられてしまったようだね。任務は失敗か」
マンションのエントランスに着くと、まるでSPのような格好をした忍さんが僕達を出迎える。隣を見ると、あの長身で軽薄な男も同じ格好をして立っていた。
「わざわざ着替えたんですね。あの、コートにガスマスクっていうミスマッチな姿も似合っていたのに」
「ふふ、口が上手いな龍生くんは。だが、これが私達の本来の正装なのだよ」
下宿ですれ違う、人の良さそうな忍さんからは到底感じることのないどす黒い殺気を肌で感じとり、足がすくみそうになるのを必死に堪える。
ついさっき男らしいところを見せようと意気込んだばかりなのだ。ここで尻込みしていてはあまりなも情けない。
「今さら隠し立ては意味が無いから白状しよう……もう分かっているとは思うが、私達に与えられた任務は威々野飛鳥の殺害だ」
「嘘だ」僕は、まだ続きそうな忍さんの言葉を遮るように言った。
「結果的にそうなったことは否定しません。けれど、あなた達は最初に僕と飛鳥を襲った時に、飛鳥や僕は殺さないという旨の発言をしたはずだ。あれはあの場限りの嘘だったんですか?」
「そう、嘘だよ」
忍さんも僕の言葉に食い気味で言い捨てた。
「君は人嫌いの傾向があるのに、どうにも人を信じやすいな……それは愚かとも言える」
「…………」
「私はあのアパートに越してから、君のことをずっと観察していたよ。お嬢様のお気に入りで、いつか壊すことになる相手だからね。何に強くて何に弱いのか、2年をかけて徹底的に調べさせてもらった」
忍さんはその2年間を思い出すような、少しだけ遠い目をして言った。
「結果……何に強くて何に弱いのかは、分からなかった。無理矢理言葉にするならば、『人間に強く、人間に弱い』。矛盾しているがそれが君を表す際の最適解だろう」
忍さんは分からなかったと言うが、正解だ。
僕は他人に対してめっぽう強く、同時にめっぽう弱い。それは、僕の『他人を信じようとするが、最終的に信じることが不可能』という、決して覆らない人間性を端的に表現している。
無理に信じようとするあまりに防御が脆くなり、だがどこかで切り捨ててしまえる準備が整っていることによって隙が減る。
「そんなこと……あの2年間で、料理を振舞ったり振る舞われたり、廊下で挨拶する程度の2年間でよく分かりましたね」
「いや、正直これが完全な正解とは言い難いところがあるんだ。君はそれだけじゃない……もっと内に何かを秘めている。私の経験と勘がそう言っている」
「それは買いかぶりというものです」
そう、買いかぶり。
僕はそんなに大層な秘密は抱えちゃいない。
ただの人間不信と、人の気持ちが分からない欠陥。それだけだ。
「話を戻しますけれど、飛鳥の殺害が目的だったのなら、なぜあの場で殺さずに誘拐という形をとったんですか?」
「それは、簡単な話……お嬢様からの命令さ」
命令。お嬢様というのは、言うまでもなく榎本モノエのことだろう。
あいつからの命令。任務。
「溺死」
ずっと傍観していた男が言った。
「お嬢からの命令は、彼女の溺死だよ。きっと、お嬢の計算では君が妹さんが溺死する瞬間を……正確には、俺が妹さんを川に沈めている瞬間を見るように仕組んでたんだろう」
色々邪魔が入って計算通りにいかなくなったけど、と頭をポリポリと掻いた。
なるほど……それであの時は気絶をさせるに留めていたのか。そして連れ去って、僕が追いつく頃に川で溺れさせる。
僕の心を痛めつけ、殺す為だけにそのような惨い計画を実行した。
「君の左腕を折ったのと頭を殴ったのは私のアドリブさ。如月様の猛獣のような気配を感じたのでね。あれで時間稼ぎをさせてもらった」
よく見ると、長身の男の方はSPの制服から覗く至る所に包帯をしているようだった。中には赤黒く血が滲んでいる箇所もある。
長身の男は僕の視線に気づいたのか、袖を捲って包帯を見せるようにする。
「まさか如月様がそちらにつくなんて思わなかったぜ。お陰でだいぶ失敗しちまった。外傷はご覧の有様だし、肋や腕も何本かイカれちまってる」
如月様から人間1人抱えて逃げ切るなんてムリムリ。とおちゃらけた大きなジェスチャーをしている。確かに……僕ではたとえ靴以外素っ裸だったとしても逃げ切ることはできないだろう。
つまり、このような怪我で飛鳥と取っ組み合いをして、最終的にあそこまで持っていったことになる。とんでもない胆力……とんでもないプロ根性だ。
「あのよー」
今までずっと黙っていた如月さんが口を開く。
「正直その辺はどうでもいいんだよ……不思議なのはタっくんの妹さんの件だ。あれはどういうつもりだ?」
如月さんの、まるで槍のような眼光は長身の男へ向いている。
飛鳥の心肺を止めて、肺に水が入らないようにした理由――あれではもし飛鳥が助からなかったとしても、最早溺死とは呼べない。恐らく窒息だ。
「あー、あれは……。まあなんつーか、気まぐれだよ。あんまし大きな意味はない」
「だがよ、タっくんの前で言うのは正直悪ぃが、直で川に溺れさせて殺す方が早いだろうが。なぜわざわざ1度絞めてから沈めるような真似をした。しかもわざわざ浮かぶようにしてだ」
男はバツが悪そうにわざわざ頭を掻き続けている。忍さんは意識をこちらに向けつつも、「お前のせいか」とでも言わんような視線を男に向けている。
「あー、ったく。絶対にお嬢には言うなよ……確かに、俺らふたりはお嬢のクレイジーな部分を背負うためにいる存在だ。だがよ、まさか殺人までしろと言われるたァ思ってなかったわけだ。救われてくれとまでは思わなかったぜ。実際に窒息させてるしな。助かるとも正直思ってなかった。だが――」
男は如月さんを見る。
「そっちにはなんでも屋がいる。もしかしたら……運命の神様がトチ狂って何億分のもしかしたらが起きたら――、とは思っちまったのよ。そういう事だクソッタレ。マジで助けちまうとはな……これは減給どころじゃ済まされねえな」
なるほど、そうか。
この2人も、恐らく榎本モノエの付き人とはいえひとりの人間。僕と榎本モノエとは違い、人を想いやる気持ちがある。
仕事に徹しきれない部分があったとしても不思議ではないだろう。プロとしては失格だが。
「はっ、あんたも大概だな。タっくんタイプとみた」
その言葉に忍さんが賛同する。
「確かにそうだな。お人好しが出てしまって結局自分が損をすることになるタイプだ」
「うるさいな!」と、僕と男がハモった。クククと笑う忍さんと如月さん。
「ま、流石に雑談にも飽きたろう? いっちょ仕事の続きといきますか」
男はそう言ってゆらりと脱力し、それから空手のような構えをとる。
「うむ、そうだな。龍生くんに関してはエレベーターで屋上へ行ってくれ。そこでお嬢様が待ってる」
けれど。
「けれど、如月様は通すわけにはいかない。貴女が行けばお嬢の計画も、全てのバランスも崩れてしまう」
忍さんはどこから出したのか、釘バットならぬ有刺鉄線バットを取り出し、まるで侍が抜刀したかのように身体の正面で構えた。
「ははっ、そうこなくっちゃな。私は、なんでも屋と言っても基本はバトルフリークだ……さあ、あの雨の戦いの続きと洒落こもうぜ」
隣の如月さんから殺気……血のように紅い殺気が激しく飛んでくる。
前のふたりもそれに気づいたようで、ぐっと身構える。それを見ただけで、この2人のパートナー歴が長く、絆が強固であることが感じられた。
「ほう……いいな、いいぜ。ひとりの時とは訳が違うってか。かははっ……行けよタっくん。もしかしたら追いつけねえかもしれねえが、必ず追いついてやるからよ」
依然針のような強烈な殺気を放ちながら、如月さんが言う。
「言ってること無茶苦茶ですよ……でも、榎本との決着は1人でつけます。なのでゆっくり来てください」
僕はエレベーターの方へ駆け出しながら言うのを聞いた如月さんは、もう一度大きく邪悪に笑った。
忍さんと男の間を通り抜け、扉が開いていたエレベーターに飛び乗る。
そして、ゆっくりと閉まったのと同時に、如月さんの大きすぎる高笑いと、バトル開始を告げる金属音が扉越しに聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます