05 悪意以外の何か
結論だけ先にいうと、飛鳥は息を吹き返した。
人工呼吸と心臓マッサージを数度繰り返したのちに、正直拍子抜けするくらいにあっさり自発的な呼吸を再開した。
意識は取り戻していないが、自力で呼吸するところまでは回復してくれた。これも
なんでも屋は伊達ではない……僕はてっきり破壊することに特化したのが如月さんの仕事なのかと思っていたのだが、もしかしたら医学的な知識や技術も会得しているのかもしれない。
「こんなもん、自動車免許の教習でもやるような内容だろが。それくらいは実行できる備えをしとけ」
とは、本人の弁だ。
確かにその通りだし、僕も教習で習った覚えはあるが、いざという時に完璧に実行できる人の割合は果たして全体のどれくらいなのだろうか。
そこが、何もできずにいるだけの僕と何もかもをこなしてしまう如月さんの差のように思う――とは言っても、ビル群を飛び抜けたり、水深100cmはあろうかという川から跳躍するなど普通の人間にできるはずがないのでなんとも言い難いところだ。
「しかし、本来なら粘膜同士の接触は避けにゃならんのだけどな。緊急事態で道具を用意してる暇がねえというのもあったし、肌を舐めた感じ大丈夫そうだったんでそのままいかせてもらったぜ」
は、肌を、舐め……?
そんなことでわかるのか?
まあ、相手は如月さんだ。ツッコミを入れるだけ無駄というものだろう。だからそれは置いておいて――。
それにしてもまた、僕は何もできなかった。お荷物どころの話ではない。
このような超人的な能力を有している如月さんの前ではどんな天才も凡人と化してしまうだろうが、僕のような元が凡人以下の人間はさながらミジンコといったところだ。
「……あんま深く考えんなよ。タっくんはいるだけでいい。それだけでいいんだぜ」それに被害者だしな、と如月さん。
「その……いるだけでいいというのは」
「いや、まあ確かに実益はないんだがよ。観客がいたほうが気分が盛り上がるっつーの? ま、そういう感じだ」
なるほど……納得できるような、できないような。
飛鳥が落ち着いた呼吸を取り戻してくれているのもあって、興奮が抜けてきたのか飛鳥を抱き上げた際の左腕の痛みがぶり返してきている。疲れのままに河原に座り込んで気が抜けてしまっているが、このままでは何も進展しない。まずは病院に連れて行くのが先決だろう。
「如月さん、僕はこいつを近くの病院まで連れていきますけど……」
「乗りかかった泥舟だ、最後まで付き合ってやるよ。それにあんま無茶するとその腕引っ付かねえぞ」
如月さんは「かはは」と快活に笑った。
「……ありがとうございます」
僕が飛鳥を片手で支えて背負い、如月さんがそれに並んで歩くという形で病院へ無事に到着し、諸々の事情は説明して病院へ引き取って貰うことができた。
僕たちがずぶ濡れなのは飛鳥を助けた時に通るが、僕の左腕を始めとしたあまりに不自然な点はどう誤魔化すかと道中思案していたが、如月さんの「バカ院長と久しぶりに喋ってくるぜ」というセリフに全て持っていかれてしまった。
どういうことなんだ。
どういう人脈なんだ?
そして、飛鳥が滞りなく呼吸できていることと深夜ということもあり、入院手続きや詳しい検査結果報告はまた朝――着替えや生活用品を届けるのと同時に行うということが決まった。
飛鳥がベッドに寝かされるのを見届けてから、僕たちは病院を出て榎本のマンションへ向かうことにした。
「榎本の仲間……飛鳥を襲ったやつは何を考えていたんでしょう」
「あん?」
「いえ、例えばもし飛鳥が水中で暴れていたとしたら、こうすんなりとはいかなかっただろうということです」
「あー、なるほどそれか」
如月さんは両手を上げ、そのまま後頭部へ回す。
「確かに、明らかに上手いこと処理されてたな」
もしも飛鳥に意識があったとしたら、いくら如月さんとはいえここまで完璧に処置を行うことは不可能だっただろう。もしも飛鳥を襲った人間が、飛鳥の意識(この場合は呼吸と言い換えることもできる)を残したまま溺れさせていたのなら。
もし肺に水が入っていたら。考えるだけでも恐ろしい。
「一度意識を落としてから、もっと言ってしまえば、心肺機能を停止させてからわざわざ川へ入れたということになりますよね」
「ああ、その上きっちり浮かべといてくれたときた。モノエの目的が妹さんを殺すことだったのは間違いないだろうが、もちろん実行犯もそうだったんだろうが、この辺は悪意以外のものが見え隠れしてるよな」
ま、考えるだけ無駄だ。と言う如月さん。
僕は忍さんともうひとりの長身の男の顔を思い浮かべる。決して堅気ではないが、残虐そうには見えないあの目。
飛鳥を襲ったのが誰なのかは定かではないが、なんとなくあいつのような気がした。
そう、考えるだけ無駄。それもこれも、榎本の元へ着けば全てわかることだ。とにかく今は、榎本のマンションへ向かうしかない。
もしかしたら、榎本がまたどこかに身を隠しているという可能性もあったが、不思議とそんなことはないという確信があった。あいつはあのマンションで、僕と如月さんを待ち続けているだろうという予感が。明確な理由があるわけではないが、またあのマンションへ向かえばそれが最後だという予感が。
榎本、待っていろ。
あまりにもしてやられてばかりで、情けない僕だったけれど、最後くらいは立派に男らしいところを示してみせよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます