02 非通知設定

「あなたのことは、まるで自分のことのようによく分かるのよ」


 依然榎本モノエは、楽しそうに口元を歪ませている。


「もちろん、飛鳥ちゃんを心配しているのはきっと本音でしょう。たった1人の家族だものね。ただ、心配しているのであって愛してはいない」


 こいつのこういう所が……こういう所が嫌だから、僕は極力こいつと話すのを避けていたんだ。こいつは僕の触れられたくない部分に素手で触れてくる。


 普段は鍵をかけて閉め切っているドアを、合鍵で簡単に開けてするりと中に入りこんでくる。


 僕の弱点を突くのが上手いのは当たり前だ。なぜなら、自分の弱点など自分が一番解りきっているからだ。


 逆に言えば僕も、こいつの弱点はわかっている。けれど……それをしてしまえば自傷行為をしているのと変わらない。誰もが思わず踏みとどまってしまう、自己防衛という名の絶対的なライン。


 榎本モノエはそのラインを軽々と飛び越える。


 自傷行為というより、自殺行為といった方が近い。


「家族という枠組みに嵌められた彼女を、あなたは心配せずにはいられない。その上たった1人の肉親だものね……本来なら木で出来ている枠組みが、『たった1人の』という言葉によって鋼鉄になっているようなものよ」


「……そんなことは、断じてない」


 横目で如月さんを見ると、紅茶を飲みながら心底つまらなさそうにしている……が、一応会話には意識を傾けているらしい。


「彼女を心配しなければ、それはもうあなたが言うところの人間ではないものね」


 完全に感情が無いわけじゃないというのが、辛いところよね、と榎本モノエが言う。


 全く辛くなさそうに、心底楽しそうに言う。


 だが、今でこそこうだが、こいつだってそれなりに辛い時期はあったはずだ。自分の欠陥に気付いて、自分が異端だと知ってしまって、1人で深く暗い沼の底に身を投げてしまった日があったはずなのだ。


 僕のことに関して正直に言えば、全て言い当てられている。


 言い逃れは無駄だ。これは、自分のことなのだから。


 でも、それでも僕は言わなければならない――


「お前と……、お前と僕を一緒にするな。僕はあいつを、飛鳥を大切に想っている。だから、さっさと居場所を教えろ」


「ふうん……そう、そうなのね」


 今まで余裕綽々という様子だった榎本モノエはこの時初めて不快そうな表情を見せた。しかしそれも一瞬……吹けば消えてしまうような些細なものだ。


「妹さんのことなら、もう少し待っていなさい。もうすぐ連絡があるわ」


 連絡……連絡と言ったか?


 連絡がある、というのは恐らく携帯電話ということだろう。つまり、あの長身の男と今目の前にいる忍さん以外にも動ける人間がいるということか。もしくは、あの長身の男が直接動いているという可能性も有り得る。如月さんが相手をしたと言ったが、実際どの程度行動に制限を負わせたのかはわからない。


 僕があれこれと思考を巡らせていると、突然僕のスマホの着信音が鳴った。


 まさか自分のスマホが鳴るとは思っていなかったので少しの間呆気にとられてしまう。


「どうしたの? 電話が来てるみたいだけれど、出なくていいのかしら?」


 非通知設定だ。


 嫌な予感が拭えず、背中に冷や汗が伝うのを感じながら、僕は恐る恐る通話ボタンを押す。


 ゴソゴソという何か物が擦れるノイズの後に、「もしもし、おにぃ?」という飛鳥の声が聞こえた。


「飛鳥! 無事か……?」


「う、うん……」


「今どこにいるんだ?」


「わ、分かんない……公衆電話から掛けてるんだけど」


 飛鳥は何かに怯えるように声を震わせている。焦燥に駆られているのか言葉もたどたどしく、呼吸も激しい。


「落ち着いて、周りに何が見える?」


「えっ……と、周りに……き、来た、きゃぁっ!」


 ギギギと恐らくボックスの扉が開き、直後に暴れているような音。ボックスの壁にぶつかり、電話機にぶつかり、受話器にぶつかる激しい音。


「や、やめ……っ! いや、いや! やめて!」


 飛鳥の錯乱したような声が聞こえる


「あ、飛鳥! どうしたんだ! おい!」


 返事はない。飛鳥には受話器に耳を当てている余裕なんてないだろうことはすぐにわかるが、僕は自分のスマホを握り続ける事しかできない。


 激しい取っ組み合いは未だに続いているらしく、ガタガタ、ガシャンと音が断続的に流れ続けている。


 僕は必死で頭を回転させる。


 この街に公衆電話が残っている場所はそう多くはないはずだ……。しかもボックスとなると、尚更数が限られる。


 だが、なぜ肝心な時に僕の脳は正常に作用しないのか。


 日常的に見ているはずの公衆電話も、いざ場所を思い出そうとすると上手くいかない。


 くそ……くそっ。全く光の差さない真っ暗な部屋の中で、飛鳥の悲鳴や抵抗の音だけが響く。頭がおかしくなりそうだ。


 暫くの雑音の後、料金が切れたのか無情にもプツンと電話が切れてしまう。


 最後に、電話が切れる最後に飛鳥が言った言葉が頭にこびりついている。


「たすけて、お兄ちゃん」


 僕は自分を落ち着けるために深呼吸をする、が。こんなことで落ち着けるわけがなかった。


 未だに僕は頭に血が上っているのかクラクラとした感覚が抜けない。


「榎本、お前は僕に顔色を変えないと言ったが、残念ながらそれは自分のことに関してだけだ。あいつのことなら僕は、鬼にでも悪魔にでもなれる」


「…………」


 榎本が如月さんに依頼した僕の半殺しは、一体いくら掛かったのだろうか。もしかしたら、僕では到底払えない金額なのかもしれない。


 それもそうだ、代理とはいえ、法の外側へ出る行為には大きなリスクが付き纏う。いくらなんでも屋でかなり快活な如月さんとはいえ、このリスクは無視できないだろう。


 高いリスクには、高いリターンが必要だ。


 僕は立ち上がって、改めて隣に座る如月さんを見据える。


「如月さん」


 紅茶のカップをことりと置き、脚を組みかえて僕を見上げる。


「あん? なんだ、タっくん」


「如月さん、依頼です」


 僕のその言葉を聞いた如月さんは、ニカッと歯を覗かせる。最高に悪い笑顔だ。


「へえ、タっくんから依頼とはな。いいぜ、内容を言ってみろ」


 これからどんな負債を背負ったとしても、僕は、僕は――


「飛鳥を、助けてください」


「はっ、高くつくぜ?」


「いくらでもお支払いします。僕ができることならなんでもする。だから、お願い――、」


「いいぜ」


 どうやっているのかは分からないが、突如如月さんからギラギラとしたオーラが発散され、それを肌で感じとる。


 そして、ギラギラとしたオーラを発しながら、ニカニカと最高で最悪な笑顔を浮かべながら、僕に向けて言った。


「御依頼、承りました。わかったぜ。タっくんの妹さんを助けてやるよ。完膚なきまでにな」

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