08 榎本モノエは僕を殺したいらしい
高級タワーマンションの一室。
床は見たことのない木材でできたフローリングが張られており、窓辺へ行けば街の灯りが星の光のように煌めく様子を一望できる。
僕と如月さんは榎本モノエのマンションに来ていた。
ここに来るのは2度目。前は、如月さんに悪戯に連れてこられたのだが、今回は違う。
「えっと……なんの話しだったかしら」
「とぼけるなよ。わかってるだろ?」
僕は榎本を半ば睨み付けるようにして言う。普段の目つきが最悪といっても過言ではないので、更にそこから睨むという行為を付与した場合、どのくらい凶悪な人相になっているか鏡を見てみなければわからない。
「……そう睨まないで、威々野。ちょっとした冗談よ……ちゃんとわかってるわ」
妹さんのことよね、と微笑みながら言う。
「こんな時に、冗談なんて言うな。金属バットと長身のあの2人……遣わしたのはお前だな」
「……ええ、認めるわ。認めるわ、というか普通に私しかありえないものね。ええ、2人は私が派遣しました」
部屋には、僕と榎本モノエと如月さんともう1人――金属バットの人物の4人がいる。長身の方は如月さんがボコボコにしたらしいのでここにいないのは病院へ行ったということか……。
部屋には、と言ったが、正確には金属バットの人物は僕と如月さんに紅茶を出し、それからまたキッチンへ戻ってしまった。
意外なのは、この金属バットの人物が恐らく金で雇われたプロではないらしいということ……そして、レインコートの代わりにトレンチコートのフードを被り、ガスマスクという完全防備を決め込んでいることだった。
「本題に入る前にひとついいか? 榎本」
「ええ、どうぞ」
戻ってきた金属バットの人物が丁寧な所作で机の上に置いてくれたプリンを見ながら言う。
恐らく手作り。プルプルと揺れるようなタイプではなく、卵の比率を多めにして固めに作られたイタリアンプリンというものだろう。上品な、バニラビーンズの甘い匂いが鼻腔をくすぐってくる。黄色いプリンの上には、いい色味をしたカラメルソース。
僕はプリンから、榎本モノエの傍らにそっと移動した金属バットの人物へ視線を移す。
飽くまでダンマリを決め込むその人物に若干の呆れを感じ、口を開く。
「もう……いい加減そのマスクとったらどうですか。雨宮忍さん」
忍さんはピクっと、顔が見えずとも驚いていることがわかるであろう反応をする。
榎本モノエは全て予定調和とでも言うような微笑みを浮かべていた。
少しの間忍さんは榎本モノエと顔を見合わせていたようだが、榎本モノエがゆっくり頷くと、フードを脱ぎ、ガスマスクを外した。
「いつから、気付いていたんだい……龍生くん」
「最初から……って言えればかっこいいんですけどね。残念ながら骨を折られた時です」
今に思えば、ヒントは昨日の昼にもあった。
飛鳥と共に部屋を出た僕達に対して、忍さんは「久しぶりに会うというならば」と言った。
飛鳥のことを妹以外だと勘違いした忍さんが、僕達兄妹が久しぶりの再会だということを知り得るはずがない。
とはいえ、あの時僕は全く気が付かなかったのでここで自慢げにそれを言ったところで逆に滑稽というものだろう。
「なるほど……香水か」
そう、香水。甘いような酸っぱいような、不思議な香り。
「ええ、だからそんなたいした推理なんかじゃなくて、ただ嗅ぎ覚えのある匂いがしたので直感しただけです」
「正直、バレてもいいという気持ちだったんだ。だが同時に君を嘗めてもいた。すまない、謝罪しよう」
「そんなの、いいですよ。遅かれ早かれ気づくことにはなったでしょうし……」
「……自分をぶった人間に対しての物腰とは思えないな……全く、龍生くんは格好いいよ」
「それ、骨をぶち折られる前に聞きたかったですよ」
忍さんはどことなく寂しそうに微笑んだ。
ホントのとこを言えば僕は忍さんに落ち着きを覚えていたし、彼女もそうであったと信じたい。ただ、もう隣人には戻れない。
忍さんは僕の骨を折り、金属バットで殴り、そして僕の妹を担いで
「なあ、それはいいけどよ、タっくんの妹どこにやったんだ?」
如月さんはプリンを食べながら言った。
この人……敵地に来て、敵から出された食べ物に躊躇なく手を付けやがった。毒――というと大袈裟だが、睡眠薬が盛られているとかそういうことは考えないのだろうか。
「ビクビクすんなよ。私レベルになると青酸カリくらいなら余裕で無効化できるっつーの」
嘘だよな……? さすがに嘘だよな?
それができてしまったら最早人間とは呼べない。
「で、実際どうなんだよ。無事なのか?」
それ、僕のセリフなんだけど……。
いやでも、僕はどうにも本題をかなり遠回りしてしまうきらいがあるので如月さんくらい直接的に物事を進めてくれる人がいてくれた方がちょうどいいのかもしれない。
「如月さん、貴女ほどの方ならわかっているでしょう? 私がどういう人間か」
「…………」
黙ってつまらなさそうにしている如月さんに代わって僕が口を開く。
「僕の妹をどこにやった、榎本モノエ」
「威々野、あなたの悪癖ね。どんな時でも余裕でいられてしまうというのは」
榎本モノエは微笑んでいる――。
しかし、これを、僕はこれを、微笑みと称していいのだろうか。わからない。
確かに微笑んでいる。嫋やかに口元を緩ませている。
「私は今までに見たことがないわ」
さらに口元を緩ませる。
「力づくで骨を折った相手を、金属バットという凶器で自分を殴りつけた相手を」
さらに、さらに口元を緩ませる。いや、これは緩ませるというより――
「たった1人の肉親を拐った相手を前に、そこまで顔色を変えられずに自分を保てる人間を、私は見た事がない」
歪ませている――口元をぐにゃりと歪ませて、僕を見る。
「あなたは最高よ、威々野龍生」
「お前からの賛辞なんて、いらない」
「いいえ、なんと言われようが私はあなたに賛辞を送るわ。あなたのその目……初めて見た時から直感したわ」
口元をぐにゃりと歪ませ、しかしその瞳はきらきらと宝石のように輝かせている。
「これ以上、本題以外のことは喋るな。榎本モノエ」
僕の静止を無視して榎本モノエは喋り続ける。
「ああ、やっと見つけたって――私の求めた人はここにいたって」
「…………」
「私の同類は……生まれながらにして欠陥を背負った、愛すべき同類はここにいたって……!」
同類。その言葉が僕を重く重く縛り付ける。
「だから、威々野。私はあなたを殺すわ。身体だけでなく、心もね」
榎本モノエは今にも立ち上がりそうな勢いで僕に語り掛ける。
「私は、あなたのことが大好きよ。殺したいくらい」
「僕は、お前のことが大嫌いだ。それこそ、殺したいくらい」
ついにここまで来たか、という感情が僕の中で膨らむ。
いつかは来ると思っていた、正面きっての衝突。榎本モノエが僕に歪んだ好意を抱いているというのは、なんとなくだが察していた。
その度に、その事を実感する度に僕の中で榎本モノエに対しての嫌悪や憎悪が大きくなっていくことも、また感じていた。
そして、僕らはそれをぶつけ合った。これは宣戦布告だ。
今までのようなぬるま湯ではないぞという、榎本モノエからの宣戦布告。
「さあ、殺し愛ましょう……威々野龍生」
この物語を語るのに、一番重要なモノローグをついに語る時が来た――どうやら、榎本モノエは僕を殺したいらしい。
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