06 誘拐
「それにしても、あいつらなかなかのやり手だぜ。1人潰すのにだいぶ時間食っちまった。そのせいでタっくんの妹さん担いだ方を取り逃しちまった」
すまねえなと、全くすまなく思ってなさそうに、僕を見ずに言った。
「いや、如月さんはこの件にはなんの関係もありませんし。助けていただいただけでも嬉しいですよ」
「あー、なんつーか、通りがかりっつーか、タっくんとこに遊びに行く途中だったんだよ。せっかくのルンルン気分が台無しだってんだ。あーあ、久しぶりに失敗こいたなぁ」
如月さんは恐らく相手の顔を思い浮かべているのだろう。心底憎そうに言った。
「しかし、バトル自体は楽しかったぜ。あのデけえ男……妹さん担いで逃げた方もだが、多分プロなんだろうな。プロと
プロ。
その言葉を聞いてやはり、と思う。如月さんがプロ判定したのならそれは間違いなくそうなんだろう。金を払えばどんな依頼も受け、どんな雑用でも、どんな戦場にでも赴くなんでも屋。その如月さんが言うのだから信憑性は高い。
「お前も一応は応戦したみてぇだが、ありゃお前の手には余るわな」
「……手に余るどころか、殺されかけましたよ」
「ありゃ本気じゃないぜ。タっくんを殺す気なら最初の一手で撲殺されてるだろうよ」
「…………」
恐ろしいことを平気で言う如月さん。
僕はあの時のことを思い返す。確かに、後ろから来た長身の軽薄そうな男は、僕のことを殺すなと金属バットを持った方に忠告をしていたみたいだけれど……。つまり、2人とも最初から殺す気はなく襲いかかってきたというわけだ。
ということは。ということは、だ。あちらの目的が僕の殺害じゃないとするならば、それは飛鳥の誘拐だったということになる。
僕を殺す気はないということは、飛鳥のことも殺す気はないだろう。
これはただの推察だが、あちらの出方を考えるとそれはまず間違いないと思われる。
あちらの本当の目的はただひとつ――。
「向こうさんの本当の目的は、きっとお前を苦しめることなんだろうよ、タっくん」
僕を苦しめること。
僕を傷つけて、虐めて、いたぶって、痛めつけて、一方的に叩きのめすこと。
「憎しみでもなく、恨みでもなく、怒りでもない。あいつの様子を見るにこれは求愛なんだろうな。いや……ちょいと違うか。求愛ではなく……」
「愛情表現」僕は、沈んでいる心にぷかりと浮かんだ言葉を呟く。
「へぇ、タっくん分かってんだな。そう、これは愛情表現。あいつなりの、歪んで歪んで歪み切った愛情表現だ」
迷惑なんてものじゃない。
一方的に向けられた好意ほど気持ち悪いものはないっていう言葉は誰の言葉だったか――いや、まあそれとは若干異なるが、とにかく愛情表現が暴力や苦痛だなんて、そんなことがあってたまるか。
「愛情がキスやハグじゃなく、暴力や苦痛でしか表現できないっていう異常者だって、そらいるだろうよ。そういう歪んだやつは私の周りにもいる」
「確かに世の中には一定数そういう人たちがいるでしょうが、それを向けられる当人になった僕の気持ちは如月さんにはわからないですよ」
「いーや、余裕でわかる。その手の輩には結構好かれんだよ」
「……如月さんも苦労されてますね」
「ああ。それに私もどちらかといえば甘やかすよりいじめたい側だ」
「…………」
ノーコメントで。
というか、
「何やってるんですか如月さん」
「あん? 見てわかんねえのかよ。柔軟だ柔軟」
なぜこの人は下着姿で、それでいて僕の机の上で意味不明な柔軟体操をしているのだろう。
こんな珍妙な絵面ではそこそこ真面目なことを思案しようと思っても、あまりにも緊張感に欠けてしまう。
それに、僕の目の前で繰り広げられている柔軟体操は、果たして本当に柔軟体操なのだろうか……。明らかに人間の可動域を遥かに超えるような動きをしているように見える。まるで可動式のフィギュアやプラモデルの手足をむちゃくちゃに動かした時のような、若干の気味悪さ。
今、肩が360゜回転したし、つま先立ちでバレエのように脚を広げて、その足先で自分の顎を撫でてている。
まあ、世界は広いので探せばこれくらいの芸当ができる人はいるのかもしれないが、それが目の前で、僕の自室で行われているという事実に物凄く頭が揺さぶらているような気持ちになる。
「というか服を着てください」
「嫌だよ、汚れちまってるし。というか、洗濯回しちまってるしな」
いつの間に!?
僕が目覚めた時は服を着ていたし、僕が如月さんから目を離していたのはリビングで水を飲んでいた時くらいだ。帰りにバスとトイレを確認したが洗濯機が回っていた様子はないし、一体どういうことだ……?
「嘘だ」
なんで、そんな嘘をつく。
「だが、洗濯カゴには放り込ませてもらったぜ」
それは全く気づかなかった……。
「にしても、お前ら変な関係だなー。どうやったらそこまで拗れんだよ」
敵であり、愛情表現をする相手。
そんな拗れた関係、僕には言葉で説明することは不可能だ。なぜなら僕にも全くもって理解不能だからだ。
「分かりませんよ。僕はあいつのこと嫌いですし……まあ、強いて言うなら」
如月さんは柔軟体操もどきをこなしながらも、僕に視線を向ける。まるで、値踏みするような視線。
「強いて言うなら、同族なんでしょうね、きっと。僕とあいつは」
如月さんは「へぇー」と言った。出会った時と同じ。口から空気と一緒に漏れ出たかのような「へぇー」
僕は思い返す。
桜が舞い散る構内の、体育館前に佇んで黒髪をなびかせている女性。
その女性は僕に気がつくと、ゆっくりと、淑やかに微笑みを浮かべた。
僕はそれを見て、この女性には、榎本モノエには今後一切関わらないようにしようと決めた。
僕がこの大学に入学して、1日目。入学式終わりのことだった。
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