02 ため息
「そういえば」下宿に無事到着し、飛鳥の着替えや宿泊セットが入ったキャリーケースを僕の部屋の角においてからコーヒーを二人分出したタイミングで飛鳥が言った。「顔ひどいね。青タンできてるよ」
……駅で再開してから、実に45分になる。
「遅くねえか……」僕はわかりやすくジト目をして、多分できているはずだが、飛鳥に言う。
「いやー、うん、あはは。でも正直、おにぃがそうやって傷を作るのも慣れっこだし、またかぁと思ってさ。むしろ呆れたよ、こっちに来てもまだやってるの? そろそろ成長しなよーまったく」
わかりやすくジト目で、僕を揶揄するように言う飛鳥。
……まぁ、そうだよな。向こうにいる時は、傷がない日なんてほぼなかったんだし、傷が治る頃には新たな傷を作っていたんだし、呆れられても反論はできない。むしろ変われていない僕のほうがなんとも阿呆というか、良くないんだろうな。
とはいえ、断言しよう。
今ある傷については僕の責任ではない。
ちなみに、よく傷を作っていたというのは、別に喧嘩に明け暮れる不良だったから、というわけではない。どちらかといえば向こうにいた頃の僕は――教室の隅で読書をしているようなタイプだった。友達がいなかったわけではないが、1人でいるのがなんだかんだ心地よかったのでそういう時間を多くとっていた。それは今も変わらない。
単純に、巻き込まれ体質だったのだ。
喧嘩に巻き込まれ、事故に巻き込まれ、言いがかりをつけられ、難癖をつけられ――
まあ、思い返すと、というか現在進行系でこれは僕の性格に問題があるのではないかとも思うのだが、スパッと自分を変えるというのはいかんせん難しい。
しかし、河川敷でキャッチボールをしている少年たちのボールが飛んできたこともあるし、散歩中の犬に噛まれたこともあるのは、流石に性格の問題ではないだろう。
そういう星の下に生まれたんだろうな、僕……一生このままなのかな……。
「はぁ……」
大きなため息を一つ。
「ため息、幸せが逃げるんだよ」と飛鳥。
それを無視して、思い切り伸びをしてから時計を見る。時刻は11時を回ろうとしていた。
「飛鳥、昼ごはんは外食にするか?」
「うーん、それもいいけど久しぶりにおにぃの手料理が食べたいな」
「うい、了解」
となると買い出しに行かなければ。
僕はよいしょと立ち上がり、玄関へ向かう。帰ってきたばかりなので出かける準備は必要ない。
「買い出しにいくけど、どうする? 疲れただろうし残っててもいいぞ」
「私も行く!」飛鳥は立ち上がりながら言った。
飛鳥が先に出て、僕がそれに続いて鍵をかける。すると後ろから妹と誰かのこんにちわーという挨拶が聞こえた。
見ると、ちょうど買い物から帰ってきたのであろう忍さんがビニール袋を提げて立っていた。
「あ、忍さん。おかえりなさい」
平日のスーツ姿とは違い、私服姿だった。ヘアピンは変わらないが、ゆるっとしたTシャツにタイトな黒いデニムパンツを履いている。いつものかっこいいイメージの忍さんとは違い幾分親しみやすい印象を感じるが、肝心のTシャツにはデカデカと『非常事態』とプリントされている。字体のせいか中高生の部活着を思い出すようなデザインだが、非常事態とは一体……?
端的にいえば、ものすごくダサかった。
「えっと、ただいま龍生くん……このお嬢さんは?」
「そいつは僕の妹です。この休みを利用して僕のとこに来たみたいです」
飛鳥は自分の名前を名乗り、にこやかな笑顔でぺこりと頭を下げる。
「なるほど、飛鳥さんか……私の名は
「忍さん……かっこいいお名前でですね!」
「そうかな? ありがとう」
ふふんと嬉しそうにする忍さん。ダサいTシャツのせいでどことなくおマヌケな雰囲気があるが(これでもかなり言葉を選んだ)、とても美人なのでそれすらも味になっている気がしてくるのが不思議だ……。
「それにしても、威々野くんが女の子を部屋につれてくるのを見たことがないから驚いたよ。私はてっきり」
その勘違いは――あまりされたくない類のものだ。まあ、されたい勘違いなんてなかなかないけれど。
「いや、すまん龍生くん、飛鳥さん。ふたりがその……あまりにも似ていないものだから」
「あはは、兄に似なくてよかったです。見ての通り目つき最悪なので」
「うるせえよ」
目つきのことは言うな。コンプレックスなんだ。
「ふふ、これからおでかけかい?」
「ええ、手料理が食べたいみたいなんで、その買い出しに」
「確かに、龍生くんの手料理は絶品だものな。久しぶりに会うというならば尚更か。よければ今度私にもごちそうしてくれないか? お礼には、そうだな……美味しいお酒でも持っていこう」
「もちろん、ぜひご馳走させてください。お酒も楽しみです」
「ああ、とびきりのを用意しよう。それでは、ふたりとも気をつけて」
「ありがとうございます、忍さん! 行こう、おにぃ」
僕は飛鳥に頷き、それから忍さんに会釈した。忍さんは微笑みながらひらひらと手を振り、自室に戻っていった。
玄関から出ると、さっきまで晴れていたのにぽつぽつと雨が振り始めていた。玄関に置いてある僕の折りたたみ傘を飛鳥に手渡し、僕はもう一本の普通の傘を手に取る。
この時、間抜けな僕が違和感に気づいていれば――おそらく物語は違う結末を辿ったのかもしれない。でも、やっぱりそれは……なんの関係もないのだろう。気づけたところで、迎えた結末は変わらないのかもしれない。でも僕は、この僕だけは。後悔せざるを得ない。後悔しなければならない。
僕たちは並んで、スーパーへ歩き出した。
スーパーへの道のりは無言だった。
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