07 天敵

「それにしても……ひどい顔ね。傷だらけじゃない、威々野」


「どの口が言ってるんだよ、榎本」


 時刻は12時を回ろうとしていた。


 如月さんはかなりの量のお酒を飲んでいたはずだが、全く顔色を変えることなく、全くふらつくことなく、来たときと変わらない足取りで出ていった。少しの量で酔っ払ってしまう下戸な僕からすると、彼女の酒豪っぷりは羨ましいものがあり、ほぼお酒が飲めない自分が些か情けなくも思える。とはいえ、お酒が飲めないと情けないがイコールでつながらず、前時代的な感性であるのも理解しているので、あくまで些か、だ。


 それにしても、「後はお熱いおふたりで、ごゆっくり~」と言われてもなぁ……。


 僕は榎本のことを敵として認識しているし、榎本も僕のことを敵として認識しているだろう。そんな2人がお熱くというと……僕のたいして立派ではない頭脳と器量から導き出される答えはまあ、戦争しかない。


「その怪我で大学に行くの? あなた普段から真面目なんだし、今日くらいは休んだら?」

 嫌な、如月さんのそれとは比べ物にならないほどの嫌な笑顔を浮かべて言う。


「それ、全く同じことを隣人にも言われたよ。でも、生憎と僕は面倒くさいことは先に終わらせておきたい性分だから」


「まあ、そうよね。あなたはそういうタイプよね」


 そこから5分ほど沈黙が続き、お互いがどこを見るでもなくぼーっとしていた。じっとり張り付くような沈黙に若干の居心地の悪さを覚え、そろそろお暇しようとした時、榎本のほうから沈黙を破った。


「ねえ、妹さんどうしてる?」


 あまりにも脈絡がないので一瞬ぽかんとしてしまうが、僕は肩をすくめる事で返事をする。


「……そう」と榎本は微笑みとともに目を伏せた。


 ――僕には1人、妹がいる。今は地元にいて、両親がおらず、身寄りのない僕たちを拾ってくれた叔父叔母の家でお世話になっている。


 僕が大学に進学するために引っ越すと言った時は大事件だった。ついてくると言っていたのを無理矢理宥めた時の取り乱しっぷりは今でも鮮明に覚えているが、それを語ることは……うん、よしておこう。


 とはいえ、兄の引っ越しに対して取り乱す気持ちはよく理解できる。原因はもちろん両親がいないことだ。たった1人の肉親を自分の元から離れさせたくないという気持ちは、誰にも否定することはできないだろう。もちろん、僕にも。


 まぁ、無理矢理ひっぺがしてここに越してきた僕が言うのは、なんとも最低な話。


 両親を亡くした経緯いきさつは僕としてもあまり思い出したいものではないので、本当に簡単に説明するならば、不慮の事故だ。


 僕も妹もそこに居合わせた。


 そして、助かった。


 僕でさえそのショックは大きかった、当時まだ幼かったとはいえ妹のショックは計り知れないだろう。


 だが、それは過ぎた話。それよりも――


「どうして、榎本が僕の妹のことを知ってるんだ?」


「え、それはあなたが教えてくれたんじゃない。妹が一人いて、今は叔父さんと叔母さんにお世話になってるって」


 ……果たして、そうだろうか。いや、否定はできない。榎本とは出会って3年経つ。もしかしたらどこかでそんな話もしたかもしれないが――。


 なんだろう。


 この感覚は。


 不安と言うべきか、不安定と言うべきか。今地震が起きていると言われても納得してしまいそうな、感覚の揺らぎ。


 いや、考えすぎだ。いくら目の前にいる人間が榎本モノエとはいえ、こいつが僕の敵とはいえ、僕がやられっぱなしのヘタレとはいえ、これは考えすぎだ。経験則を、してやられてばかりの人生を当てはめてしまっているだけ。


「ねえ、威々野」榎本が僕を見る。


「うん?」

 僕はなるべく平常心を保って返事をするが、それが意味を持っているかはわからない……いや、きっと何の意味もないだろう。これは僕のささやかな見栄だったが、直後の榎本の言葉でそれは水泡と帰すことになった。


「妹さん。きっとそろそろあなたに会いたがっている頃じゃない?」


 ……意味がわからない。なんだよ突然、僕が口を開こうとした瞬間、ジーンズのポケットに入っているスマホが着信音である「ゴールドエクスペリエンス!」というボイスを鳴らす。


 嫌な予感が脳髄を走り、脊髄を下り、指先に届く。くそ……くそったれ、何が僕の『敵』だ。これでは天敵と言った方が正しいじゃないか。


「あら、ジョジョの奇妙な冒険第五部黄金の風とは、趣味が良いわね」


 ジョジョのことをサブタイトルまでフルで呼ぶやつはいねえよ、なんていうツッコミも咄嗟には口に出ず、僕は黙ったままスマホを取り出す。


 オーケイわかった。こいつは……。


 スマホの着信画面には、案の定『妹』という文字が映し出されていた。

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