04 人喰い鮫

 家を出た僕は、昨日如月さんに襲われたのと同じ道を歩いていた。


 少し歩くとちょうど如月さんと遭遇した場所へ差し掛かり、恐らく僕のものであろう血痕を発見する。ふと周りを見渡すと、朝の通勤通学時間と被ったのも相まってかそこそこの人通りがある。


 ガシャガシャとランドセルを揺らしながら走る子供たち、スポーツバッグを背負って自転車を漕ぐ高校生、スーツを着た中年男性、大学生と思われる若者と、多種多様な人たちがそれぞれの生活に準ずるために歩いている。


 ここで補足を一つ。

 昨日、それなりに長い間行われていたであろうと思われる如月さんの暴行をなぜ誰も止めに来なかったのか、という疑問が生まれるがこれの答えは単純明快で、昨日の人通りが純粋に少なかったことにあるだろう。少なかった――ということはもちろん多少なりとも人はいて、ガランとしていたというわけではなかった。しかし、特に不思議はない。この現代社会において見ず知らずの人間と関わるのはあまり賢い選択とは言えないし、大抵の人は見知らぬふりをする。その選択は正しい――、それに加えあんなゴリラじみたパワーで人をいたぶっている人間に近づこうと思う変わり者は、そうそういるまい。僕が通行人の立場だったとしても同じことをする。


 警察が来なかったもの同じ理由だ。もし人通りが今と同じ程度であれば1人くらい通報する人がいるのかもしれないが、あの場に居合わせた少人数は我関せずを貫いた、ということだろう。


 隣を歩く如月さんを横目でちらりと見る。


 身長は女性としては少し高めで、僕と同じくらいに見える。昨日着ていたものと同じ細身のスーツを着ており、胸元には細かいバラの刺繍が施されいてる。髪は恐らくショートボブくらいなのだが、それを後ろで一つにまとめている。しかし、元が短いので毛先がホウキのようになっておりなぜそうしているのかはわからない。


 僕が如月さんをまじまじと観察していると(バレていない自信はあった)、「まじまじと観察してるんじゃねえ。握り潰すぞ」と脅された。握り潰すって……圧死させるということか……? 21年間の人生の中で一度も言ったことも言われたこともない脅し文句だ。


「なあお前、あの家から出てきたべっぴんさん、お前のコレか?」


 なんの前触れもない話題転換に少し戸惑いつつ、わざとらしく立てられた小指を見る。


「違いますよ。もしそうなら……まあ、嬉しいですけど、ただのルームシェアです」


「へえ、なんだ。でも珍しいな」


「え、何がですか?」


「何がですかってお前、普通ルームシェアって同性同士でするもんだうが」


 確かに。言われてみればルームシェアの物件は普通、不動産屋が住む人間を同性に絞るもんだ。


「せっかくひとつ屋根の下なんだから一発襲っちまおうとか思わねえの?」


 ツッコミ待ちなのかと思ったが、如月さんの顔を見ると「人喰い鮫って人を喰うんだぜ」くらいの、さも当然のことを言ったという顔をしていたので驚いてしまう。


「忍さんを襲おうだなんて、そんなこと思いませんよ」


「おいおい、女々しいヤツだな。私なら一気にこう、ガッ! と、抱いちまうんだがな」


 首がもげそうな衝撃。数秒遅れて、如月さんが僕の肩を掴んで抱き寄せてきたことを理解する。……いや、抱き寄せるという表現では事実との齟齬が生まれてしまうだろう。正確には『抱きしめる』だ。


 暴力の嵐――僕は何度か彼女をそんなふうに表現したが、やはりその認識は間違いではないことを再認識する。暴力という部分に入る言葉はその都度違えど、一般人から見て少々激しすぎるそれは、彼女の所作や言葉の一つ一つから吹き飛ばされそうなほど如実に表れている。出会った当初から痛いほど実感していることだが、やはりというべきか、段々と如月さんのことがわかってきたような……。


「いたた……。……た、確かにとても美人ですし、いい匂いがするし、スタイルもいいし、作ってくれる料理も絶品と呼んで差し支えないほどの腕前ですけれど、それでも僕は襲おうだなんて思いませんよ。というか常識的に考えて思わないでしょう、そんなことは。人間として」


「……ふーん、お前という人間がわかってきたような気がするぜ。下衆だな。イタオソウジ」


 うるせえよ。それに僕の名前は威々野龍生だ。


「というか、今更ですが如月さん。一体なんの用です? 僕に用事があってきたんじゃないんですか?」


 掴まれてじんじんと痛む肩を擦りながら僕は如月さん見た。もしかして、昨日生ぬるく終わらせてしまった半殺しの依頼の続きだろうか。


「いーや、今日はオフ。お前についてきてんのはただの興味、気まぐれだ。嘘じゃない。おいおい、距離を取るんじゃねえ、半殺しにするぞ」


 瞬きする隙に再度距離を詰めてきた如月さんは、またもや勢いよく僕の肩を鷲掴みにした。


「あ、なぁなぁ、話は変わるけどよ」


「は、はい……?」


「知ってるか? 所謂いわゆる人喰い鮫っているじゃねえか。あれってよ、実は雑食なんだぜ? 意外と海藻なんかも喰いやがるのよアイツら。腑抜けてると思わねえか? 貫き通せって話だよな、人喰いを名乗るならよ」


「……?、……………………」


 僕は一体何の話だとぽかんとするが、すぐにその発言の真意を察した。


 如月さんを見ると、嫌な笑顔で僕を見ている。


 下手すると昨日よりも……本当に半殺しにされそうな雰囲気を肌でビリビリと感じ取り、今日も僕に平穏はないなということを朝から悟ることになった。

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