03 待ち伏せ
目を覚ますと、まず目に入ったのは見慣れた天井だった。
僕は時計を確認する……7時ジャスト。今日は3限からなのでこんなに早起きする必要はないが、大学生活が始まって早3年、完全に体内時計がロックされている。眠りに就いたのは昨夜……というか今日の午前4時なので、睡眠時間は3時間ということになる。どうりで体がいつにもなく重いわけだ。
「……よし」
まだ寝ていたいと叫びを上げている身体にムチを入れて勢いよくベッドから飛び起きる。
まずはカレンダー。昨日の日付になっている日めくりカレンダーをペリペリと剥がし、今日の日付が4月27日月曜日だということを確認する。昨日は日曜日……本来ならしたかった買い物を済ませて、あとはカフェにでも入って優雅にアフタヌーンティでも楽しむつもりだったのだが、ハプニングが起こって予定が全て潰れてしまった。
湿布が貼られた右頬を優しく撫でる。
「いてっ」
昨日の今日なので当前だが強烈に痛む。
昨日の出来事をすべて吐き出すように特大のため息を吐き、洗面台へ向かう。
僕が住む下宿は一軒家になっており、僕を含めた3人の学生と1人の社会人が住んでいる。バス・トイレ、ダイニングキッチンは共有で、個室は1人ひと部屋が充てられている。
僕は、月曜日はまだ寝ているであろう学生たちを起こさないようにそっと自室を出て、向かった洗面台の鏡に映る自分の顔に絶句した。あまり描写しても気持ちいいものではないので、ここでどんな様子か語ることはよしておくとする。
「龍生くんかい?」
自分の顔をまじまじと見つめていると、こんこんとドアが優しくノックされて透き通った女性の声が聞こえた。
「はい、そうですよ」
僕は応えながらドアを開けて顔を出す。「おはようございます。
「うん、おはよう」
そこには白いワイシャツにスーツのジャケット、その上に薄い水色のスプリングコートを羽織ったまさに清廉という言葉が相応しい女性が立っていた。青みがかった長い髪はポニーテールできれいに括られており、左側の前髪には『ゆるみちゃん』という巷で女性に人気のキャラクターがあしらわれているヘアピンを着けている。
出掛ける直前のようでメイクはバッチリ整えられ、おそらく香水の、なんだか甘いようなあま酸っぱいような……表現し難いとてもいい香りが漂っている。
「顔の腫れ、まだ全然ひいていないね……」
と、心配そうな顔を僕に向ける。
「えぇ、まぁ昨日の今日ですので、仕方ないですね」
「大学には行くのかい? 今日くらい休んだって誰も文句は言わないと思うが……普段真面目に出席はしているのだろう?」
「まぁ休んでもいいかなとは思ったんですが……、家にいても暇なので」
僕は朗らかにはにかんだが(多分はにかめているはず)忍さんは依然心配そうな顔を崩さない。
「君がそう言うなら。いやしかし、今朝ボロボロで帰ってきたときは驚いたよ。ところどころ服も破れていたし、過去一番じゃないかい? あそこまでぼろぼろになったのは」
僕は昨日のことを思い返す。
嵐に見舞われ半殺しに遭った僕は、あのファミレスの後もなんでも屋――如月綺羅莉さんにいろいろな場所に連れ回された。
僕としては怪我をした部分がとにかく痛むし、服も破れたり黒く汚れていたりで悲惨な状態だったので早く家に帰りたかったのだが、それを言い出すと「あぁん? なんだって?」と昔のヤンキーのような凄まれ方をしてしまって帰るに帰れなかったのだ。
どうやら最悪なことに僕は彼女に甚く気に入られてしまったようで、さながら某ロールプレイングゲームのパーティーメンバーのように彼女の後をくっついて回ることになった。
服のセレクトショップに始め、噂のタピオカ店、レジャー施設、カラオケ、終いには居酒屋を3軒ほどハシゴし、開放されたのは午前3時を回ってからだった。
「そこそこ楽しかったぜ。じゃあな、また遊ぼうや」と、如月さんは快活に笑った。
これだけ連れ回しておいてそこそこか。と心の中で悪態をつくと、「もう1軒行っとくか?」と睨まれてしまったので勘弁してくれと逃げるように帰路につくことになった。
恐ろしいまでの自己中心。僕はあそこまで自分中心に世界を回している人を今までに見たことがない。まるで地球の自転の中心は私だと言わんばかりの傍若無人っぷりには驚きを通り越して、呆れを通り越して、感心を通り越して、ただ単純に怖いという感情だけが残る。
「それにしても、今朝はありがとうございました。まさか4時まで起きていてくださるなんて……」
「そりゃ起きてるさ。ルームシェアとはいえ同居人が帰ってこなければ心配にもなるものだ」
僕が痛む足を引きずって帰ると、リビングの、テーブルを挟んでふたつ置いてある二人がけソファに座って、読書をしながら僕のことを待ってくれていた。普通の大学生なら朝まで飲み明かして帰ってこないなんていうことは日常茶飯事のような気がするけれど、僕に限ってそれは有り得ないという忍さんの判断なのだろう。忍さんは、僕が大学生になってここに越してから1年経った頃に越してきたので、2年の付き合いになる。
そう言っている最中にもずっと心配そうな顔をしてくれている忍さんを見ると、なんだか自分がとてもひどいことをしているような錯覚に襲われてしまうので若干いたたまれなくなってくる。
「でもまぁ思ったより痛みも平気ですし大丈夫ですよ。それより忍さん、会社に遅刻してしまうんじゃないですか?」
「ああ、たしかに少し急がないといけないな……では私はもう行くとするよ。君は無茶だけはするんじゃないぞ?」
僕の真意を見抜いてか見抜いていないのか、忍さんは心配そうにしてくれていた今までとは対照的にそれだけ言って少しだけ早足で家を出ていった。
「いい人、だよな。いろいろ含めて」
いい人。いい人過ぎて、僕には栄養過多だ。癒やしを通り越して甘すぎる。
「さて」
僕は痛む口内に耐えつつ歯磨きを済ませ、普段着に着替える。
講義は3限からなのでまだ早いが、日課の散歩をしたいし駅前の本屋にも用事があるので家を出ることにする。
部屋を出て鍵を締めると、向かい部屋の学生の強烈ないびきが聞こえてくる。また朝まで飲み明かしたらしい。
リビングへ行き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しコップ一杯を一気に飲み干す。毎朝のルーチンワークで、この冷たい水を飲むとなんとなく気合が入るのを感じるのだ。
家を出ていつもの散歩コースへ向かおうとした時、後ろから「よう」と声をかけられた。いや、まさか――
「うっそだろ……。おい」
わざと声に出し振り向くと、そこには昨日僕を襲った嵐、如月綺羅莉が立っていた。
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