第798話 静かな戦闘 (2)

「はぁ…はぁ…」


私が駆け付けたのを横目に見たエフが、再度相手に視線を向け直す。


どうやらまだ戦闘続行の意思はあるみたい。逃げるよりも、ここで決着をつけたいと考えている間は、私も全力で援護しよう。


「………………」


私がエフと合流したタイミングで、イー達の手が止まり、私とエフへ交互に視線を向ける。


「はぁ……はぁ……」


エフの呼吸は少し落ち着いたけれど、これ以上休める時間は与えてくれないはず。


イーが私達に視線を送った後、サッと手を横へ伸ばす。

その瞬間に、周囲の者達が一斉に散開し、私とエフと取り囲まんと動く。

部隊としての練度は当然ながら高い。一つの合図でここまで足並みを揃えられるなんて…


私は取り囲まれないようにエフとの距離を取る。最終的には取り囲まれてしまうとは思うけれど、この人数相手にまとまって戦うと危険。エフの援護が出来る範囲内で、極力相手の陣形を縦に伸ばすような形にしないと。


私達が居るのは屋根の上。足場が広いとは言えない。そうなると、相手の陣形もある程度決まってくる。私に動かれて嫌な位置を見分けて、確実にその位置を陣取る。


足音も無く屋根の上を走って移動する黒犬部隊。正直、一人でこの連中と相対していたら即時逃げていたと思う。やはり魔王様が信頼する部隊というだけのことはある。


ヒュッ!

「っ!!」


側面から飛んで来る矢を避け、体勢を立て直す。これだけ陣形が伸びていても、的確に隙を突くように矢が飛んで来る。


ピュン!


ビュッ!


移動し続けている私に対し、次々と近付いて来ては攻撃を仕掛けてくる黒犬部隊。しかも、攻撃を外したと思えば、即座に後ろへと下がっている。私に反撃させない為の動きだというのは分かっているけれど…鉤爪を伸ばしてもギリギリ届かない位置を常に維持しているのが厄介過ぎる。しかも、その距離だと魔法を使おうとした瞬間に相手の攻撃が届くという遠くも近くもない絶妙な距離。これではエフの援護をしようにもなかなか難しい。


「っ!!」


ヒュッ!ヒュン!


横目でエフを見ると、先程までと変わらず多人数相手にギリギリの状況。

多少無理をしてでも援護をするべきか…とも思ったけれど、それで崩せる程甘い相手ではない事くらい既に分かっている。


ヒュン!

「ッ!!」


左腕に走る鋭い痛み。先程までは三人を相手にしていれば良かったけれど、今はエフに対応していない者達全員が私を狙っている。隠れている連中を含めると、私とエフに対して丁度半々となるような形。互いに七人程を相手にしなければならないという事になる。

流石に手数が違い過ぎるし、全て避け切るのは難しい。私は吸血鬼族で、毒に対しては耐性がある程度有るから大丈夫だけれど、エフと同じく大量に受けた時に耐えられるかは自信が無い。


正直…かなり厳しい状況。


私もエフも攻撃を避けるだけで精一杯。こんな状態はそう長く続けられるものではない。

早々に何とかしなければ、こちらが消耗し切って終わりになってしまう。


ヒュッ!


ヒュン!


暗闇の中、僅かな光源から受けた光を反射させ、刃が右に左にと走る。


流石に、シンヤさんやニルちゃんの様な戦い方は出来ないわね…


ヒュッ!


何度か攻撃を避けつつ、私とエフの距離が離れたタイミングで、私は攻撃を避けつつエフの方へと一瞬だけ視線を向ける。


満身創痍…とまではいかないけれど、エフの全身は細かく浅い切傷で埋め尽くされてしまっている。それでも、その瞳には戦意が残っており、私の視線に気付いて、エフも一瞬だけこちらに視線を送った。


ここしかない。


私とエフが動き出す合図としては悪くない。


「「「っ?!」」」


私が攻撃を避ける最中に、準備しておいた魔法の一つを発動させると、周囲に突如として現れる赤黒い蝙蝠。

吸血鬼魔法、ブラッドバット。

蝙蝠の攻撃力は皆無であり、戦闘力など無いけれど、私の狙いはそこではない。現れた蝙蝠達は、私とエフを中心にするように集まり、黒犬の者達との間を飛び回る。

しかし、突然の魔法で驚かせる事は出来ても、それが決定的な隙に繋がるわけではない。多少攻撃の手が緩む程度のもので、私がこの状況を打破するには至らない。

けれど、まずはそれで良い。


ザッ!ザクッ!


飛んでいる蝙蝠達が鬱陶しいらしく、目の前に飛んで来る蝙蝠を薙ぎ払う黒犬部隊。

その間、私とエフは若干の猶予を得る。と言っても、相手は警戒しているし、ほんの数秒だけ。猶予と言うには短過ぎる時間。それでも猶予は猶予。


私は蝙蝠の影に隠れたまま、次の魔法を発動させる。


相手に攻撃されながらではなかなか難しいけれど、数秒でも時間が出来れば発動くらい出来る。


イーは私の動きに気が付いて、即座に合図を出したけれど、もう遅い。


私が使用したのはフロウダーク。黒く細かな粒子が私を中心に五メートルの範囲に拡散し、滞留する。

この魔法自体は索敵魔法の一種なのだけれど、今回は目眩しの意味で使っている。目眩しという意味ならば、フェイントフォグという黒い霧を発生させる魔法も有るのだけれど、こちらは霧自体に吸血鬼族の血から来る毒が含まれている為、エフにも効果が出てしまうから使えない。他にも目眩しの魔法は有るけれど、私とエフの視界を遮り過ぎるのも良くないし、今回はこの魔法が適切なはず。


ブラッドバットとフロウダーク。この二種の魔法が発動した事で、相手から見ると、私とエフの姿は瞬間的に死角に入る状況になる。相手にとっては敵の使った魔法である為、簡単に近付く事は出来ない。その上、遠距離攻撃で狙おうにも、魔法が邪魔をして狙いが定まらないという状況になっているはず。そして、私は続け様に次の魔法を発動する。


使う魔法はダークイリュージョン。


相手に認識阻害の効果を与える魔法。


ダークイリュージョンは、視覚的に相手を騙すものだけれど、それ単品では黒犬相手に使っても大きな期待は出来ない。黒犬の、しかも暗殺を得意とする部隊なのだから、視覚以外の感覚も恐ろしく発達しているはず。けれど、この戦闘の最中、ブラッドバットとフロウダークを発動させた上でのダークイリュージョンならば…?


「………………」


私の使った最後の魔法。その正体が分からないイーは、何が起きたのかを理解する為に周囲を一通り見渡している。効果を知っている魔法ならば、対処は容易いだろうけれど、吸血鬼魔法は知られていない魔法も数多く存在している。

黒犬の連中が、私達吸血鬼族の魔法をどこまで網羅しているのかはエフから聞いてある程度把握している。

部隊が違う事で、注意するべき魔法が異なるから、イー達がどこまで知っているのか詳しい事は分からないけれど、それ程大差は無いはず。


こうして三つの魔法を発動させた私は、ゆっくりとブラッドバットの群れから離れて行く。


当然、エフも同じように動いている。


これで私達から目を逸らす事が出来れば良いのだけれど…


「ッ!!」


私とエフが蝙蝠の群れから抜け出ると、イーが鋭い目付きで視線を向けてくる。


どうやら…これだけでは彼女の目を誤魔化す事は出来なかったらしい。


ヒュッ!ヒュン!


「「っ!!」」


彼女の視線の先に向け、周囲の連中が攻撃を仕掛ける。


ザシュッ!!


「っ!!!」


その内の一つ。イーの攻撃がエフの左腕に当たる。


その一撃はこれまでとは違い、深くエフの腕を切り裂く。

血が飛び散り、返り血がイーの頬に当たる。


ヒュヒュッ!ヒュン!


ザシュッ!ザッ!ザシュッ!


その一撃を切っ掛けに、次々と周りの連中がエフに向けて走り込み、刃を何度もその体に突き立てる。


ここまでに何度も攻撃を受けていたけれど…流れ出た血はその一瞬の方が圧倒的に多い。


手や足、腹部…とにかく大量の血が吹き出し、エフの体は見る見る真っ赤になっていく。


「これで終わりだ。」


「ぐっ………がっ……」


ここまで無言だったイーが、エフに向けて言い放つ。


冷たい声。なのに、どこか悲しさを含んでいるような声……


ザシュッ!!


イーがエフの懐に走り込み、刃をエフの首元へと突き立てる。


刃は首へと深く刺さり、エフが大きく目を見開く。


「………っ?!!?!」


しかし、イーの突き立てた刃の先から、先程まで血だらけだったエフの姿が消える。


ドサッ……


「何がっ?!」


イーが周囲に視線を向ける。やっと、部隊の半数以上が屋根の上に倒れているのが理解出来たはず。


「一体…何が……」


イーが驚くのも無理は無い。この魔法は吸血鬼族しか知らない魔法の一つなのだから。


イリュージョンアバター。それがこの吸血鬼魔法の名前。

正確に言うと、これは単体の魔法ではなく、シャドウアバターとダークイリュージョンを複合させて編み上げる魔法で、複合魔法と呼ばれる類の魔法。シンヤさんとニルちゃんが普通の魔法を重ねて強力な一つの魔法にするのと同じようなもの。ただ、こちらの吸血鬼魔法による複合魔法は、魔法陣から二つの魔法を複合させる為、より複雑な効果を発揮する事が出来る。

効果としては、媒体によって作り出された自分の複製体が、まるで生きているかのように動く…というもの。

勿論、ここまで効果の高い魔法となると、その分必要となる媒体や、発動条件は難しくなるけれど、準備さえしておけば問題は無い。ただ、発動させてから複製体が動き出すまでの時間や、相手に悟らせないタイミングを読むのはなかなかに難しい。特に相手が黒犬だから、少しでもタイミングがズレてしまえば即座にバレてしまっていたはず。割と紙一重な作戦ではあった。素直に、上手くいってくれて良かったと思う。


私がした事を詳しく説明すると、ダークイリュージョンを発動させた時、私は自分達の姿を偽ると同時に、このイリュージョンアバターを発動させた。イーの狙いはエフだということは分かっていたし、イリュージョンアバターはエフを型どったものにして、媒体はエフに持たせておいたから、後は私が魔法を発動させれば、媒体がエフの形を取ってくれる。

そして、エフは複製体が動き出すと同時に別方向へ姿を隠す。ダークイリュージョンが発動している中、複製体が本体よりも気配を消す事が出来るはずもなく、微かな気配を感じ取ったイーは、それを本体だと錯覚する。


私とエフは、その間に二手に別れ、私は遠距離を行っている者達を探し出し無力化。エフはイーの近くの者達を可能な限り無力化した。そして、イーがエフの複製体に刃を突き立てたと同時に魔法が消え去り、今に至るという事。


「……これが吸血鬼の魔法か……してやられたな……」


悔しそうな言葉を吐いているのに、どこか安心したような声色のイー。


「……………」


それに対し、エフは無言で、無表情でイーを見詰める。


「はー………この人数だと私に勝ち目は無いね。」


諦めたように溜息を吐くイー。


口調がこれまでの堅苦しいものから変わっている。


「………上からの命令に背く事は出来なかったか。」


「…………私達は黒犬だよ。」


答えとしては不完全なものに感じるけれど…その答えで何が言いたいのかは全て分かる。


「お前の事だ。自分なりに調査はしたのだろう?」


「……ええ。当然よ。まあ、調べるまでもなく、おかしな状況である事くらい分かっていたけれどね。」


「……そこまで分かっていても……」


「命令に背けばその時点で私達は殺されていたわ。従う以外に道は無かったわ。」


「……………」


イーの言葉に対し、エフは苦い顔を見せる。


イーは部隊長であり、部隊の者達を危険に晒すと分かっていて自分勝手な判断が出来なかったのかしら…?

エフの場合、自分以外の者達が居なくなっていたから、思い切った判断が出来たのだろうけれど…イーはそう出来なかった…?


「……エフ。分かっているとは思うけれど、私達の上にも相手と繋がる何者かの手が入っているわ。気を付けるのよ。」


「……そこまで分かっているなら……」


「もう遅いわ。私達はこちらの道を選んだのよ。今更引き返す事なんて出来ないわ。」


イーの言葉を聞いて、エフはギュッと拳を握る。


私には詳しい事なんて分からないけれど、きっと彼女達の中で決定的な瞬間は通り過ぎた後なのだという事だけは分かった。


「……一つだけ。私の首は置いていくわ。だから、他の子達は見逃してあげて。この子達は逃げられるように準備を整えてあるの。」


「……馬鹿が……」


「……そうね……ありがとう。」


自分達が負けた場合、自分の首一つで全て終わりにしてくれと…最初からそう頼むつもりだったらしい。そして、そう頼めば、エフが頷く事も分かっていた…


エフが静かに刃を持ち上げる。


それを見て、イーは黙って瞼を閉じる。


ヒュン!!


暗闇の中で振り下ろされる刃は、真っ直ぐにイーの元へと向かう。


バシッ!!


「っ?!」


そんなエフの腕を止めたのは、私の手だった。


「まったく……これだから犬は駄目なのよね。」


「何を?!」


「エフ。このイーって子はそもそも他の道を選べなくてこうなったのよね?そして負けた。

多分、シンヤさんやニルちゃんなら同じ事をしていた思うわよ。」


自分を殺そうとして失敗したイーに対し、エフがその命を取って終わりとする。


この考え方は分かる。強者こそ正義の魔族にとって、互いの命を懸けた勝負で、どちらも生き残るという結果だけは有り得ないから。


でも、それだけが絶対的な結果でない事を私はもう知っている。


誰よりも強いのに、誰よりも優しい人達を見てきたから。


「しかし…」


「はぁ……少しはまともになったかと思ったけど、まだまだね。こんな事ならエフじゃなくて犬で十分よ。」


「ぐっ……犬犬と何度も…」


「黒犬で覚えた事が全てだと思ってそれを盲信している今のあんたが犬じゃなきゃ何なのよ。」


「言わせておけばっ!」


イーとの関係性は私に理解出来る事じゃない。エフがイーの命を奪うと決めた瞬間、それなりの覚悟で刃を振り上げた。それは分かっている、でも、ここでイーの命を奪う事が絶対に正しいとは…もう私には思えない。


反論しようとしたエフの手首を強く握り、動きを止めさせる。


「イーとか言ったわね。」


「??」


状況が掴めずにキョトンとしているイーに視線を向ける。


「そこまでの覚悟が有るなら、今からエフと一緒に魔王様を助ける手伝いをしなさい。」


「い、いや…私は負けて…」


「負けたなら勝者の言う事を聞くのが当然よ。そして、今回は私も勝者の一人よ。

命を捨てる覚悟が有るなら、ここからエフと一緒に死ぬ気で戦っても問題無いわよね。」


「何を勝手な事を?!」


私とイーの話に割り込むエフ。


「犬は黙ってなさい。」


「なっ!この!!!」


私の手を払い除けるエフ。


「何よ?勝者の特権を行使しているだけよ?何が問題なのよ。」


「貴様はいつもいつもそうやって!この……蝙蝠め!」


「馬鹿な犬より賢い蝙蝠の方が百倍マシよ。」


「こっ…のっ!!」


珍しく本気で怒っているエフ。


全身傷だらけな上、体力を消耗したエフなんてまるで怖くないわ。


「こんな犬の言う事なんてどうでも良いわ。それより、分かったのかしら?」


私はエフから視線を外してイーに向ける。

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