第787話 イェルム-パウンダ(2)
イェルムの魔法は、一つ一つを取るとそれ程脅威となるものではない。しかし、魔法の使い方が卓越しており、初級の魔法一つで俺とニルの動きを完全に止められてしまう。
俺もニルも強くなったと思っていたのだが…どうやら井の中の蛙だったらしい。魔法を極めるというのがどういう事なのかというのを見せられた気分だ。
愚痴の一つや二つ出したくなるところだが、全く勝ち目が無いというわけでもないはず。確かにイェルムの魔法を使う技術、戦闘術はかなりのものだ。魔女族の中でも名家の当主と言われるだけの事は有るし、ミネリュナの連中に対して恐れを見せない理由も分かる。
しかしながら、近接戦闘という一点において言えば、俺やニルも負けてはいない。勿論、魔法という意味ではなく、剣術という意味で。
イェルムの方はあらゆる手を使って俺達を近付かせないようにしつつ、こちらへ攻撃を当てたい。これに対し、俺とニルは攻撃を避けつつ、刃の届く距離に近付きたい。という構図になっている。
俺の場合、神力が有るから多少離れていても斬撃を当てる事が可能だが…それを当てると考えたとしても、少し遠過ぎる。チャンスが来た時に確実な一撃として放つ為にも、乱発せずに温存しておくのが良いはず。
ただ…相手も場馴れしているからか、そう簡単にチャンスは訪れない。
ガンッ!
「っ!!」
ズガガッ!
「!!」
地面から突然現れる石の槍。それに合わせてイェルムから飛んでくる炎の玉。しかも、避け辛いタイミングをよく知っていて実に厄介だ。
体勢を立て直すためにテンポが一つ遅れ、その遅れはイェルムの次の攻撃を許してしまう。
またそれの対処に回るしかなくなり…というループだ。
ニルも俺も何とかそのループから抜け出そうとするが、イェルムの攻撃はそれすらも予想してくる。手玉に取られるというのはまさにこの事だろう。
ここまで相手の動きを読み切る者を見たのは、オウカ島の盲目の女剣士ランカ以来初めてではないだろうか。俺はともかくとしても、ニルとの読み合いにも勝っているのは驚愕だ。
ニルは、オウカ島から戻ってからというもの、読み合いに対してはかなり修練を積んでいる。単純な読み合いであれば、俺よりも上だと思う。そんなニルの更に上を行くという事は、最早化け物と呼べるクラスではないだろうか。ランカと同等レベルの相手となると、流石のニルも読み負けるらしい。
ゴウッ!
「くっ!」
「……………」
手玉に取っているのはイェルムであるのは間違いない。しかしながら、余裕綽々かというとそうでもない。
俺とニルの動きの良さを見て、もしも一度でも読み間違えてしまえば、自分が一瞬にして死の危機に陥る事を理解しているようだ。勿論、そうならないように何か仕掛けてはいるだろうが、近付かせないのが一番勝率が高いのは言うまでもない。そして、俺とニルにとっては、それが不可能でない事をイェルムは感じ取っている。故に、隙が無い。
「厄介な…」
ニルもイェルムの攻防の上手さに厄介さを感じている様子だ。嫌な相手だということは間違いない。俺とニルとしては、ここで戦う意味は既に無くなっているのだから、逃げてしまいたいところだが……
ズガガガガッ!
「っ!!」
イェルムの攻撃は殆ど休みなく続いており、逃げ出すタイミングが無い。
聖魂魔法を使って無理矢理離脱する手も有るには有るが、聖魂魔法は俺にとっての切り札の一つ。それも、最大級の切り札だ。ポンポン使ってしまうと、相手に聖魂魔法への対処をされてしまうし、切り札は切り札として可能な限り隠しておきたい。何より、スー君がここでイェルムを捕縛するのではなく、一度引いて情報を共有しようと考えていた事から、単純にイェルム-パウンダを捕縛して情報を引き出せば終わる話ではないという事だ。事態は俺が想像しているよりも複雑だったとなると、ここで彼女を殺すのは愚策となる可能性が高い。もし、彼女を殺せば終わる話ならば、スー君がそれを狙っていただろうし。
ただ、当然ではあるが、こちらが命の危険に晒された時は迷わず使うつもりだ。しかし、現状イェルムは俺達を殺そうとしているというよりは捕縛しようとしているらしく、殺傷力の高い魔法は殆ど使っていない。魔法での戦闘をこれだけ上手く行えるイェルムならば、初手で中級や上級の魔法を使い一気に…という事も可能だったはず。それをせずに姿を現した事からも、殺すつもりが無いと分かる。
この戦闘が長引いてしまえば分からないが、イェルムが捕縛を狙っている間ならば、聖魂魔法を温存しつつ退却する事も可能なはず。
まあ…可能というだけで確実に出来るわけではないし、最悪の場合は使うつもりだが…
ズガガガガッ!!
タンッ!
イェルムに近付いては離れ、近付いては離れを繰り返したが、決定的な瞬間というのが無く、俺とニルはイェルムの隙をひたすら探し続けている。
「これ程私の魔法を避けられたのはいつぶりかしらね!」
ゴウッ!!
半笑いの顔で炎の玉を撃ち出すイェルム。
自分の攻撃が当たらない事を、どこか楽しそうに感じているように見える。
ビュッ!!
ギィン!
「…………」
ニルがそんなイェルムに向けて投げナイフを投擲するが、イェルムはそれを見切って手元の魔法を発動させ、石の礫で投げナイフを撃ち落とす。
ニルは無表情でそれを見ていたが、内心は舌打ちでもしたかった事だろう。飛び道具も無理となると、いよいよ打つ手が限られてくる。
使えそうなのは、まだ見せていないカビ玉等のアイテムによる奇襲。視界を奪うか攻撃の手を止めさせるか。どちらかが成功した時点で離脱出来る。
もう一つは先も言ったように俺の神力を使った中距離での斬撃攻撃。神力での攻撃はそもそもが特殊である為、流石のイェルムも予想は難しいはずだ。
後々の事を考えると神力の方も温存しておきたいところだが、そうも言っていられない相手である事は分かっている。アイテムを使っての離脱が無理ならば、その時点で神力を使って逃げる事まで考えるべきだろう。
それにしても…難易度の上昇と通知が来たように、情報収集をするだけでこれだけの相手と戦闘になるとは…先が思いやられる…
俺がそんな愚痴を心の中で吐いていると、ニルがほんの一瞬だけこちらへと視線を送ってくる。
長引かせると危険度が増す事はニルも分かっているのだろう。そろそろ仕掛けるという合図だ。
「ここまでの手練は魔界を探してもそうは居ない。聞かなければならない事が次々と増えていくわね。」
そう口にしたイェルムが、ニヤリと口角を上げる。
話を聞く…と言うよりは、自分の知的好奇心を満たしたいという欲求を感じる顔だ。マッドサイエンティストとでも言えば良いのだろうか…とにかく、捕まれば色々とタダでは済まないだろう。最悪、解剖とかされそうだ。
「こちらに話す事は有りません。ご遠慮させていただきます。」
「そう連れない事を言わないで欲しいわね。折角こうして仲良くなれたと言うのに…ね!!」
ガガガガッ!!
喋りながらも魔法陣を完成させ、石の槍を床から出現させるイェルム。
自分の館が破壊されていくのをまるで躊躇っていないが…根っからの金持ちとはそういうものなのだろうか…?
「……それだけの力が有るというのに、自分達の事しか考えられないというのは、何とも悲しいものですね。」
石の槍を避けて後ろへと跳んだニルが、イェルムを睨み付けるように視線を投げて言う。
「魔女族というのはそういう種族なのよ。」
「種族という理由を付けて納得しているだけでしょう。自分の欲求を満たす事しか考えられないのであれば、それはその辺の獣と何も変わりません。」
「言うに事欠いて獣とは…」
知的好奇心を満たす事に全力を注ぐ魔女族。その彼女達が獣のような知的な存在とは真逆の存在と同列だと言われれば、神経を逆撫でするようなもの。
ニルの挑発スキルがグングン上がっている気がするのは俺だけだろうか…末恐ろしい…
「言うに事欠いてではありませんよ。事実を述べたまでです。現在の魔界の状況を考えれば、その力を持っていて何もしていないのは怠惰を通り越して反逆と言っても遜色無いはずですが。」
「……何も知らぬ小娘が…知った口を!!」
ゴウッ!
イェルムの手元が緑色に光ると、風の刃が放たれる。これまでと違い、多少殺傷力の上がった中級の魔法だ。五体満足でなくても捕えられれば問題無いと判断したのか、ニルの言葉を聞いてそう決断したのか…どちらにしても、イェルムの攻撃が激化してしまった。
先程までとは違い、ニルは冷静に状況を見ているし、敢えて挑発している。その理由は、恐らくイェルムに中級魔法を使わせる事に有るのだろう。
初級魔法は、殺傷力が低い代わりに魔法陣を描く速度が速い。手数を増やしたいのならば初級魔法が最も効率的。それ故に、俺とニルがイェルムに近付けずにいた。それを打開するには、どうにかイェルムの攻撃の間隔を広げる必要が有る。やり方は色々有るだろうが、イェルム相手の場合そのどれもが失敗に終わっている。
そうなると、イェルム自身に中級魔法以上を使わせる事で、その時間を作り出すしかない。そう考えたニルが、イェルムを挑発したに違いない。
風の刃は、床や壁を削り取るようにして進行し、ニルはそれを避けるしかない。
イェルムはその避けた先に向けて再度魔法を放とうとしているが、それをさせるわけにはいかない。
タンッ!!
俺は、一気にイェルムの元へ向けて踏み込む。
タンッ!
ズガガガガッ!!
イェルムに近付こうとした俺の足元に設置されていたトラップ型の魔法が発動し、床から石の槍が突き出してくる。
それを空中へ跳んで避け避けつつ、更にイェルムへと近付く。
「チッ!」
ガギィン!
イェルムは、ニルへ攻撃しようと作った魔法陣を俺へ向け発動。俺はイェルムから放たれた闇魔法の鎌と刃を合わせ、反動で後ろへと戻される。
中級魔法となると事で、描かねばならない魔法陣の複雑さは先程とは比べ物にならない。先程までよりも魔法を放つ間隔に幾分かの差が生じている。
とは言え、普通ならば初級魔法で十数秒、中級魔法で数分必要なところ、イェルムは初級魔法で二、三秒。中級魔法でも三十秒無い程度で完成させている。間隔と言うにはあまりに短いが、初級魔法を連発されるよりは動き易い。
俺もニルももう一つ押し切れないところで足を止められているものの、これならば……
タンッ!!
俺が後ろへと飛ばされ、着地の瞬間にニルがイェルムへ向けて走り出す。
「遅い!!」
ガガガッ!
ニルが走り出したとほぼ同時に、イェルムが魔法を発動。初級魔法で素早さを重視したらしく、ニルの走り出しを止める形で地面から木の根が生え出し、ニルの足を絡め取ろうとする。
中級魔法に拘らず、初級魔法も織り交ぜる辺り、やはり戦闘に慣れている。
その上、ニルの動きやその狙いを的確に読み取り、それに適した魔法を選び取っている。
ニルが走り出したのは、俺が着地するタイミングを狙った攻撃を阻止する事もそうだが、それを狙う為の魔法ならば、ある程度離れた位置を狙える魔法のはずと考えての事。離れた位置へ届く攻撃魔法となると、射出型の…例えばファイヤーボールのような攻撃を放つと考えるのが普通だ。その類の魔法であれば、ニルは見てから避ける事も可能。俺に放とうとした魔法を自分に狙いを切り替えさせた場合、それを避けて肉迫出来ると結論付けたのだ。
しかし、イェルムはそれすら読み、自分と相手の距離を詰めさせない、範囲型の魔法を使った。これでは避ける為に一度下がるしかない。
正直、ここまで魔法の使い方に差が有るとは思っていなかった。
魔法陣を描くスピードだけならば、鍛錬を行う事で少しずつだとしても速くする事が出来るだろう。しかし、この読みから来る魔法の選択というのは経験とセンスが要求される。
どちらも一朝一夕では身に付かないものだが、特に後者は戦闘経験が大きくものを言う。俺やニルも、剣術を使わず魔法だけでの戦闘を行っていれば、もう少し通用したのかもしれないが…いや、今更考えても仕方の無い事か。俺達に出来ることを駆使して退散する事だけを考えるとしよう。
「……………」
ニルが集中力を高め、イェルムの一挙手一投足を見詰めている。アイテムを使った目眩しを行う為、そのタイミングを見計らっているといったところだ。
俺は俺で、ニルの動きに合わせて臨機応変に動けるよう心の準備を行う。
「神聖騎士団のように数の暴力だけが戦法の連中とは全く違うな。そうなると、ますます何が目的なのか気になる。しっかり全て吐いてもらわねばな。」
「……………」
イェルムの口振りからするに、神聖騎士団との戦闘も経験済みの様子。魔族は神聖騎士団とも長らく戦争しているという話だし、人族で言うところの貴族のような存在であるパウンダ家が戦争に出ているのは不思議な事ではない。寧ろ、魔族は強さが全ての種族なのだから上流階級の連中は嬉々として戦争に赴くはず。戦争で武勲を立てれば更に一目置かれる立場となるのだから。
そう考えると、やはりそういう大規模な戦闘を経験しているか否かというのは大きいのだろう。
「そろそろ大人しく捕まってくれると助かるのだがな。」
「そういうわけにはいきません。」
「だろうな。このまま互いに牽制し合っていても時間の無駄だ。そろそろ決着といこうではないか。」
「それにはこちらも同意しますよ。」
ここが戦いの場でなければ、和やかに女性二人が話している…と勘違いしてしまう程に穏やかな会話だ。しかし、その中身はまるで逆。正直…会話に参加するのは不可能だ。怖い。
そんな会話をしている最中、ニルが盾の後ろで手を動かしているのが横目に見える。
互いの手が泊まるタイミングを待っていたのだろう。
「それでは行く」
バァンッ!!
イェルムが魔法陣を描き出したその瞬間を狙った閃光玉。ニルは自分の足元に投げ付け、イェルムの視界を奪う。
タイミングは最高。イェルムからすれば最悪のタイミングと言える。
「なっ?!」
ガガガッ!
視界を奪われ、イェルムは直ぐに手持ちの魔具を展開する。
イェルムを囲うように床から石の壁が現れ、イェルムの全身を完全に隠してしまう。
視界を奪われてしまった状態では、相手の攻撃を避ける事も防ぐ事もままならない。その状態での最善は、自分の身を守れる魔法を展開する事だろう。
やはりと言うのか…魔具を隠し持っていたらしい。当然と言えば当然なのだが、上手く近寄れていたとしても、こうして攻撃を防がれていた。恐らくは他の奥の手も持っているだろう。もし次に戦う事が有るならば、色々と気を付けなければならないだろう。
バリィン!!
「っ?!」
ニルと俺は、イェルムに手を出す事無く、窓ガラスを割って外へ飛び出す。イェルムも俺達が逃げようとしている事に気が付いたようだが、もう遅い。
宵闇の中、俺とニルはそのまま屋敷を抜け出し、街の中へと姿を消す。
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