第773話 潜入
俺達は潜入をしに来た為、当然寮に泊まる事になる。
ここで気になるのは、メイド達の寮という事は、つまり女性のみの寮という事になる。俺とスー君は魔法で化けているとはいえ男だ。
女性のみの寮に入るのは…と思ったのだが、潜入というのはそういうものだと言われてしまった。
命のやり取りが発生するかもしれないという状況なのに、変な考えを持つ余裕など無い…というのがスー君の意見なのだが……本当に大丈夫だろうか…色々な意味でヤバい気がするのだが…
なんて俺の心配など届くはずはなく、流され流されてメイドの寮へと辿り着く。
屋敷や敷地の大きさから分かっていた事だが、パウンダ家はやはり相当な金持ちで、メイド寮も綺麗で且つデカい。メイドになるだけで、そこらのお高いホテルに泊まるより圧倒的に良い寮に住む事が出来る。
石造りで当然のように魔具の証明が取り付けられており、二階建て。部屋は数え切れない程あるし、なんとお湯の出る浴槽も完備されているらしい。俺は男だから入るわけにもいかないが…
「ここがメイド達の住む寮です。朝、昼、夜と料理人が食事を作って下さいますので、交代で食べる形になります。」
「こ、こんな場所に住めるのですか…?」
合格者の一人が信じられないと口に手を当てて驚いている。それくらい一般人には…いや、メイドをしている者にとっても驚くべき生活なのだ。
「驚くのも無理はありません。私達もここへ来た時は同じように感じましたからね。」
寮へ案内してくれたのはメイド長。話によると、寮長も兼ねており、基本的に屋敷の事はメイド長に聞けば殆ど何でも分かるらしい。
試験が終わって寮へ着いたのは夕方。外からの日差しが赤く染まっている。
寮内には当然ながら女性しかおらず、先輩メイド達が忙しそうに駆け回っている。
「この時間帯は屋敷の方の仕事が主になるので、ここに居るのは一部のメイドだけです。皆の仕事が終わって戻って来た時にでも皆に貴女方の事を紹介すると致しましょう。
部屋は……」
次々と慣れた様子で説明するメイド長。実に素晴らしい働きぶりだ。
兎にも角にも、一通りの説明を聞き終え、部屋に案内されたが、メイド長の優しさか、俺とスー君、そしてニルは同じ部屋となった。どうやら三人一組で部屋に割り当てられるらしく、過人数としても丁度良かったようだ。スー君が二人と言ったのは、三人部屋という情報をしっていたから…だろう。
魔女族の街の、しかもパウンダ家の情報などそう簡単には手に入らないはずなのに、よくもそこまで調べたものだ。吸血鬼族は黒犬と犬猿の仲と聞いたが、肩を並べられるだけの情報収集能力と隠密術を持っているという事だろう。
「まさか、この部屋に三人で割り当てられる事も知っていたのか?」
部屋の中へ通され、魔法で防音を施せるようになった俺は、やっと喋る事が出来るようになり、スー君に聞いてみる。
「確証は無かったよ。ただ、多分そうなるだろうとは思っていたよ。」
それがスー君の答えであった。恐るべし吸血鬼族である。
「ご主人様。寮に入れたのは良いのですが、話を聞く以上、やはり体を洗ったりというのはこの部屋で行うのが良いかと思います。」
ニルが提案してくれたように、俺とスー君はこの部屋での生活が基本となるだろう。
浴場は在るのだが、所謂大浴場のようなもので、メイドだけではなく、料理人等の屋敷で働く者達も入りに来るそうだ。
浴場など普通はなかなか入れないものだし、通いの者達でも、家に帰る前に浴場へ寄る事は多く、加えて昼夜関係無く人が来るらしい。
衛兵のような仕事も有るし、夜間の仕事も存在するから当然と言えば当然だ。
「そうだな。お湯でも貰って体を拭く程度が限界だろうな。まあ、井戸で水浴びって話じゃないだけマシだ。
それより、ここからはどうするつもりなんだ?」
潜入に成功したのは良いが、パウンダ家のあれこれを調べるとなると、ボーッと仕事をこなしているだけというわけにもいかない。女性の振りをする生活というのも早く終わらせたいし…
「一先ずはここの人達と仲良くなる事だね。喋れないシンちゃんには難しいかもだけど…」
「喋れないなりに頑張ってはみるが…」
「その辺は私にお任せ下さい。なるべく多くの方々から話を聞けるように頑張りますので。」
「男の俺達より、ニルの方が絶対良いだろうしな。まあ、スー君は嫌いじゃなさそうだが。」
「慣れているって言って欲しいねー。」
「慣れているってのも微妙な気がするが……と言うか……本当にこれを着なきゃダメなんだよな…?」
俺はベッド上に広げられたメイド服を見て目を細める。
分かってはいた事なのだが…俺がメイド服を着てルンルン…とか想像しただけでゾッとするのだが…
「ふふふ。ご主人様であれば、メイド服もきっとお似合いですよ。」
「勘弁してくれ…」
ニルの笑みに溜息を吐いたのは、その時と翌日の朝だった。
何はともあれ、こうして俺達は無事にメイド審査を通り抜け、パウンダ家のメイドとなる事が出来た。
ただ、ニルとは違って給仕に違和感の残る俺とスー君は護衛本職のメイドという事になり、基本的には護衛を仕事とする役割を担う事となった。
ニルについては普通のメイドとしても最高の腕を持っている為、どちらも期待されての立ち位置になった。採用時点から両方の役割を期待されるというのは、メイド長以来初めての事らしい。
そうして始まったメイド仕事は、俺の予想を超える忙しさだった。
「そっちをお願いします!」
「はい!」
「次はそっちの部屋です!」
家主の見ていない部分でも手を抜く者は全くいない上に、それぞれの仕事は完璧。
大きな屋敷を一日で全て回って掃除したり洗濯したりしなければならない為、とにかく忙しい。
幸いな事に、俺は護衛が仕事だから、その中に入らず買い出しのメイド等について行く事が多く、屋敷の掃除洗濯等の仕事はほぼゼロ。家主への給仕なんて全く触れる事は無かった。
因みに、屋敷には家主含め大勢の者達が住んでいるのだが、その殆どが女性であり、男性は門番や家主の護衛等、限られた人数しかいない。
それ故にか、家主のお手付きになる…なんて事は一切無いらしい。寧ろ、そういった事が起きないように配慮しているらしく、男子禁制…ではないのだが、男性諸君はかなり肩身の狭い思いをしているようだ。
「ふぅ。これで一先ず大丈夫そうだね!」
俺は本日も通常業務として、メイドの一人と共に街へ買い出しへ来ていた。
そのメイドの名はエーメル。 魔女族の女性で、肩くらいまでの長さの緑髪。緑色の瞳に背は低め。パッチリした目をしたニルと同年代の女の子だ。非常に明るくて口数が多い子だが、護身術程度の戦闘が出来るが、戦闘力は高くない為、よく俺がエーメルの護衛として街へ出向いている。
「……………」
俺に話し掛けているのか分からないが、どちらにしても俺は返答出来ない。
しかし、その代わりに、俺が重そうな食料の入った袋を持ち上げる。
「い、いつもごめんね?私力が無くて…」
最初に護衛としてエーメルに同行した時の事。
護衛として動くわけだから、何か有った時に直ぐ動けるよう、手には何も持たないのが基本と言われていた事も有り、彼女の買い物を見守るだけにしていたのだが……大きな袋をもってフラフラ歩くエーメルを見て、流石に見ているだけとはいかず俺が荷物を持ってやったのだ。
それから、彼女と街へ出る時は、荷物は俺が持ってやる事にしている。最初はエーメルも慌てて断ろうとしていたが、無言で運ぶ俺を見て、遠慮はせずに任せるようになったのだ。まあ、自分で持って歩くと倍以上の時間が掛かると分かっている為、何も言えないというのも有るだろう。
こうして街へ何度か出掛ける事はあったが、メイド長が言うような危険には今のところ出会っていない。そこまで治安が悪い場所ではない上、パウンダ家のメイドとなるとかなりの覚悟が無ければ手を出せないというのも有るだろう。それ故に、気を付けてさえいれば荷物運びくらいは出来る。
ただ、メイド長も多少大袈裟に言ったところは有るだろうが、絶対に無いとは言えないし、恐らく過去に何度か起きている事なのだろうとは思う為、常に周囲への警戒はしている。
「……………」
俺はエーメルの荷物を持ち上げ、謝られた事に対して首を横へ振る。
喋る事の出来ない者という設定だが、意思の疎通は出来る。その為、簡単な質問に対してはジェスチャーで何とかやり取りしたりしている。
とは言っても、やはり喋れない相手とわざわざ仲良くなろうとする者はとても少ない。何とか頑張って情報を得ようととはしているものの、質問出来ないのだから得られる情報は殆ど無い。
そんな中で、このエーメルというメイドは、何かと俺に対して話し掛けて来たり世話を焼いてくる。他のメイド達に虐められているという事は無いし、明るい性格だから皆からも好かれている方だろう。なのに、手が空くと敢えて俺の所へ来ては、返事も無いのに独り言みたいにずっと話している…変わった女性だ。
最初は喋れない俺を可哀想と思って世話を焼いているのだろうと思っていたのだが…そうではないかもしれないと感じ始めていた。
その理由は、明るくて社交的な彼女だが、時折自信が無さそうな表情を見せたり、言ったりするからだ。
「はぁ…私って、やっぱりダメダメだなー…シャスタリーヌ様にも怒られてばかりだし…」
シャスタリーヌというのは、メイド長の事だ。長い名前なので、心の中ではメイド長と呼んでいる。
「…………」
反応に困る独り言に返せず、俺は黙って歩く。
「ご、ごめんね。こんな話聞かされても面白くないよね。」
「……………」
眉を寄せ、眉尻を下げ、俯くエーメル。
俺はまたしても首を横に振る。気にするなという意思表示だ。
こういう感じで、エーメルは時折ネガティブな発言をする。ニルやスー君の話を聞くに、他の者達と話す時はそんな事無いとの事なので、恐らく俺の前でのみ見せる姿なのだろう。
喋れない事が、寧ろ彼女を喋り易くしているのかもしれない。
「シーちゃんはいつも優しいね。ありがとう。」
シーちゃんというのは俺の事だ。メイドなのにシンヤという名前はおかしい為、シーという名前にしてある為、エーメルは俺の事をシーちゃんと呼ぶ。因みにスー君はスーという名前だ。
「………」
エーメルの言葉に、俺はもう一度首を横に振る。もう一度、気にするなという意思を表現したつもりだ。正しく伝わっているのかは分からないが…
スー君とニルも他のメイド達と仲良くなりつつあり、色々と話を聞いたりしているみたいだが、俺も俺なりに頑張らねばならない。
仲良くなれる…というか、喋れない設定の俺と好んで付き合おうとするのはこのエーメルだけみたいなものだ。彼女から何とか色々と話を聞きたいところ。故に、可能な限り仲良くなろうという努力はしている。
何かと話し掛けてくれるエーメルが、買い出しの帰り道で色々な話をするのが殆ど日課のようなものになっていた。
「……私ね。魔女族のくせにそんなに研究が好きじゃなくてね。」
「………」
いつものようにエーメルが話を始める。
いや、いつもならば、あのメイドはどうとかこのメイドはどうとか、屋敷内の事を話すのだが、この日は違った。
「皆が言うには研究したい事が見付かっていないだけらしいけど、私としては、こうして誰かの役に立てる仕事が出来たらなって昔から考えていたの。」
エーメルは、自分が着ているメイド服のスカート部分を摘んで微笑を浮かべる。
「だからね。パウンダ家のメイドに合格した時は本当に嬉しかったの。お母さんは普通に研究していて、お父さんもそれの手伝いをしているけど、私にはこれが一番合ってるって思ってる。ううん…思ってた……
でも、いつもいつも失敗ばかり。ほんと、呆れちゃうくらい酷くてさ。皆まだ若いんだからメイドを辞めて研究する対象を探してみろって言うんだよね…」
「……………」
職業…という話になると、世界が変わっても悩みは同じらしい。
自分が今の仕事を本当にやりたいと思っているのかとか、自分に合っているのかとか…そういうのは誰にでも有るような悩みだ。
俺の場合は選ぶ権利なんて無かったし、スラたんは猪突猛進で進み続けて手に入れた職だったから、そういう悩みは少なかったとは思うが、そういう者はかなり少なかったはずだ。
俺だって、もし自由に何でも出来るのならば、興味の有る仕事をしてみたいと考えた事が何度も有る。スラたんだって、本当は医者になりたかったはずだ。自分の仕事は天職だと言える者は極々限られた者達だけだっただろう。
俺は、俯くエーメルの顔を見て、首を横に振る。
「…??違うって事?」
「………」
俺の反応を見て言うエーメル。その言葉に対しては首を縦に振る。
「でも……私、上手くメイドの仕事が出来ないよ…?」
「……」
俺はもう一度横へ首を振り、荷物を片手で持った後、エーメルの頭を撫でる。
「………シーちゃんは本当に優しいね…」
俺の意図が全て伝わったのかは分からない。だが、少なくとも何かは伝わったはずだ。
「…そうだよね。こんなところで諦めちゃダメだよね!よーし!頑張るぞー!」
エーメルは暗かった顔を明るく戻し、拳を握って空へ向けて突き上げる。
空元気なのかもしれないが、それでも暗くなって俯いているよりずっと良い。
「ふふ。シーちゃんと話せて良かった!シーちゃんって凄いね!」
別に俺は何もしていない。首を縦に振ったり横に振ったりしているだけだ。
「私もシーちゃんみたいな大人な女性を目指さないと!むむむー…こうかな?」
大人な女性…と言われてかなり複雑な気分である。
それに、エーメルにとっての大人な女性のイメージは表情なのか…?独特過ぎる感性だぜ…
俺は苦笑いを返し、明るくなったエーメルの後ろをついて行く。
そこから数分後。
「あらあら。お嬢さん達。可愛いメイド服ね。」
帰りの道中、俺とエーメルに話しかけてくる女性が現れる。人通りも少なくなる道で突然声を掛けられ、怪しい事この上ない。魔女族は頭の良い種族だと聞いているが、全ての者達が例外無くという事でもないらしい。
ただ、パウンダ家に手を出す輩だし、単身でというわけではないようだ。俺には正確な位置など分からないが、少なくとも数人の放つ殺気が近くから感じられる。
恐らく、護衛を殺せばもう一人は簡単に捕らえられると考えているのだろう。つまり、俺の事は殺すつもりという事だ。
「……………」
俺は手に持っていた荷物をエーメルに手渡す。
彼女も、今何が起きているのかは理解しているらしく、怯えた表情で荷物を受け取る。
「流石に警戒されちまうか。だが関係無い。」
目の前に居た女が、懐から短剣を抜き取る。
メイドも狙われる対象と言われてはいたが、まさかその現場に立ち会う事になるとは思っていなかった。
相手はパウンダ家。無謀にも程があるという話だが…それを知っていても尚、パウンダ家を狙う輩はいるらしい。
見たところ、目の前の女の持っている武器や身なりからするに、金に困って…なんて理由ではなさそうだ。魔女族という事を考えると、研究に関する事でパウンダ家の者を狙っていると考えるのが妥当だろうか。
まあ、どちらにしても、ここでしっかりとした働きを見せなければ、生き残れたとしてもクビになってしまうのは確実。
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