第770話 道中
サイレントフォレストを出て二日。
「取り敢えず、今は私達を監視する目は無さそうだ。」
サイレントフォレストを出てからひたすらに歩き続けたが、その間、特にこれといった出来事は無かった。
誰かに追われる事も無く、監視されている気配も無い。
エフが少し離れて周囲の確認を行ってくれたが、それでも敵影のようなものは見えなかったとの事。
てっきり黒犬あたりが監視しているものだと思っていたのだが…ホーローの用意したホバークラフトでの大ジャンプで見失ってくれたのだろうか…?それとも、エフの言葉が届いたのか…
いや、希望を持った推測はやめておこう。それで動いても良い事は無い。エフの索敵も完璧ではないと自分で言っていたし、隠れているのを見つけ出せていないだけだと考えて注意しておこう。
「何かしらの妨害が有ると思っていたんだけど、何も無いから予想より早く着きそうだね。」
今は三日目の昼過ぎ。天気は良く、太陽は高い為周囲は明るい。しかし、俺達が進んでいるのは街道とは別の道無き道だ。そんな場所を通る者などいない為、昼夜問わず進み続けている。
「このままのペースで行くと後どれくらいだ?」
「そうだね……あと二日ってところかな。」
「二日分早く着くって事か。かなり良いペースだな。」
「良いどころか異様とも言えるペースだよ。本来なら、歩きで進むとしたら十日はみないとだからね。このメンバーだから一週間で着くって言っただけさ。」
「その道程を半分で…か。確かに異様なペースなんだな。」
「オイラ達みたいに身体的に他の種族より強い種族だったり、黒犬みたいに日頃からそういう訓練を受けている者ならば、こういう道を進む事にも慣れているし、このペースで進めるけど…一冒険者がこのペースで走れるなんて驚きしか感じないよ。
シンちゃんは昔から体が強かったから分かるけど…」
「私は平気ですよ。」
スー君の言葉に対し、強がりでも何でもなく答えるニル。
「ニルは毎日鍛えているからな。この程度なら余裕だ。」
「どんな鍛え方したらそうなるのか…相変わらずシンちゃんは飽きないねー!」
「別にスー君を楽しませたくてやっているわけじゃないし、そもそも俺じゃなくてニルの方だろ。」
「そんな事ないよー。オイラは魔界の外の事についてもそれなりに知っているけど、その枷を付けられた者が、その権利を持っている者にこれ程の信頼を寄せているのは見た事が無いよ。」
奴隷が居ない魔界では、奴隷がどんな扱いを受けているのかを知らない者も多い。酷い扱いを受けているだろう事は想像出来るだろうが、その想像より遥かに酷い扱いを受けているのが現実だ。それをスー君は知っているらしい。
ニルが奴隷だという事に触れてこなかったスー君が、それでも敢えて触れる程に驚いたという事に違いない。
「そうですね。私は本当に恵まれていると思っていますよ。」
恥ずかしげもなく、いや、寧ろ誇らしそうにそう言うニル。その顔を見て、スー君は眉を上げて笑う。
「毎日体を鍛えているのも、シンちゃんが居るからこそでしょ。つまり、シンちゃんが面白いって話になるのさ。」
「そうなならない気がするが…まあ、その話は後にしよう。」
「…だね。」
ズンズン進み続けていた俺達だったが、三日目にしてその足を止める事になる。
「…あれは何をしているんだ?」
俺達が道無き道を進み続けていると、進む先に人影が見えて足を止めた。
周囲は鬱蒼と背の高い草が生い茂る湿原地帯。
足元は
草の背丈は胸の辺りまで有り、しゃがむと完全に隠れられるが、立っていると肩から上が出てしまう。歩く度にピチャピチャと音が鳴るし、足を取られるし、歩き辛いことこの上ない。
こんな場所に用が有る者などそうはいないはず。つまり、こんな場所に人影が有るというのはなかなか有り得ない状況と言える。
そして、その人影は、草を掻き分けながら棒のような物を振り回している。人数は…大体二十人程だろうか。
「恐らくオイラ達の捜索隊だろうね。あの棒みたいな物は魔具で、近くに居る熱を持った物を感知してくれる物だよ。」
「熱を感知…」
サーモセンサーというところだろうか。振り回しているところを見るに、感知出来る範囲はそれ程広くはないだろうが、平坦な地形が続く湿原ではそこそこ厄介だ。
「魔界にはこんな場所だとしてもモンスターは居ないからね。人サイズの熱源を持っているものとなると、それは大体人なんだ。」
野生のモンスターが少ない魔界だからこそ使える魔具という事なのだろう。
「無力化した方が良いか?」
エフが俺に向けて聞いてくる。
「可能なら避けて通りたいな。ここで見付かるとナボナボルの警戒が強まる可能性が有るからな。」
「……それは難しそうだな。」
そう言って草から僅かに顔を出したエフが小さな声で言う。
「何か居るのか?」
「あの連中以外にも、湿原の草に隠れて動いている連中が居る。かなり大きく広がっているから、迂回する前に見付かる。」
スー君もエフの言葉に頷いているし、迂回するのは難しそうだ。
「上手く切り抜ける方法は?」
「オイラの魔法を使えば、こちらの姿形を変えられるけど…」
スー君はそこまで言って言葉を切る。
「こんな場所に居る時点で、変装だと直ぐにバレるよな…」
人気の無い場所を選んで進んで来た事が裏目に出てしまったらしい。
街道を堂々と歩くのも危険だし、結局こうなる事は避けられなかっただろうが…
「そうなると、静かに素早く何人かを無力化して突き抜けるしかなさそうだな。」
「極力目立たないようにして、こちらの姿を晒さないようにして…って事だね。」
「誰にやられたのか分からないとなれば、俺達だと予想するだろうが…確定した情報を渡すよりは警戒もマシになる…よな?」
「そうなってくれたら嬉しいけど…それは上手くやれるか否かだね。攻撃だと思わせないような方法で無力化するのが望ましいね。」
「だよな…まったく…難易度が高過ぎるな…」
何度も思っている事だが……こちらは一手でも失敗した時点でゲームオーバーな上、毎度の作戦が高難度。たまには優しいミッションでも良いのではないだろうか?俺に厳し過ぎではないだろうか。システムさんよ。
多少の愚痴は出てしまったが、やらねばならない事が変わるわけもなく…
「エフ。どうにか出来るか?」
「あの魔具が有る以上、近付いての攻撃は不可能に近い。攻撃と気付かせずに無力化するとなると尚更だ。
使える魔法はいくつか有るが、私が使うより…」
「オイラが使った方が良さそうだね。」
エフの言葉を引き継ぐようにスー君が申し出る。
「分かった。最終的な無力化の魔法はスー君に任せよう。」
「無力化する人数は最低四人。最も近い四人を無力化出来れば、通り抜けられる穴が出来る。」
「だとするとあの魔法を使った方が良さそうかな……シンちゃん。狙う四人の気を引けるかな?」
「気を引くだけなら。ニルとエフに手伝ってもらえば四人なら何とかなるはずだ。」
「それなら、オイラの合図でお願いしても良いかな?」
「ああ。」
俺はニルとエフに気を引く為の方法を説明し、スー君の合図を待つ。
吸血鬼魔法は即時の発動が難しい物が多く、準備に多少の時間が掛かる為、その準備待ちである。
数分待つと、スー君から合図が来る。
因みに、俺達も草に隠れてしまうと互いの位置が分からない為、予めスー君と俺の間に糸を張り、それを引っ張られたのが合図としておいた。
俺がニルとエフに目で合図すると、二人はゆっくりと左右に広がって動き始める。
注意を引くべき相手が、確実に俺達のする事に気が付けるよう、少し広がって動き出す為だ。
二人が動き始めてからきっちり三十秒後。まずはエフが動く。
バシャッ!!
草の中で水音が鳴り、その響きは周囲に居た狙いの四人の耳に届く。
「何だ?」
音の聞こえた方へと魔具を向ける四人。
エフ自身は音を鳴らさず、四人に聞こえるよう物を投げたのだ。
当然四人は音の方向へと注意を向けるが、湿原地帯には小動物や昆虫のような生き物は生息している為、そういう音が鳴るのは珍しい事ではない。魔具に反応が無いとなれば、四人は何かの生き物が跳ねたのだろうと考えるはず。
つまり、それだけでは注意を引くには弱すぎる。
そこで、続いてニルが動く。
「……なんだ?水温が下がったように感じるが…」
「ああ…俺も感じたぞ。」
四人の中で、ニルに近い方の二人が何か異変が起きているのではと警戒する。
ニルが行ったのは氷魔法を使い、周囲の水温を下げるという行動だ。
氷魔法というのは、一般には知られておらず、魔族にも氷魔法について知る者はいない。それはハイネ達やスー君にも確認を取っているから間違いない。
その上で考えると、水温が下がるという現象を魔法に結び付ける者はいないだろうと考えられる。
俺やニルの事を綿密に調べていて、その情報がここへ来ている者達にも共有されているとすれば、ニルが氷魔法を使うと知られている可能性は有る。しかし、その可能性はほぼゼロだろうとスー君とエフが言い切った為、この作戦にした。
因みに、情報が共有されていないと言い切った理由は、氷魔法という世界的にも稀有な魔法属性の事を敢えて末端の者達に共有するとは考え難いから…らしい。
相手側の行動やら何やらから推測したらしいが…まあ詳しい事は分からない。とにかく、二人がそう言い切った為信じたという事だ。
エフの出した水音に続き、水温の急激な低下。
何が起こっているのかは分からないだろうが、何かが起きているかもしれないという思考を持ったはず。
ここでダメ押しに俺が動く。
ザザザザザッ!!
曲線的に草が揺れ、その曲線は四人から離れる方向へと向かう。
「何だ?!」
四人は驚き、魔具をそちらへと向ける。
俺達からは見えないが、草の中に隠れている連中もその動きに目を奪われているはずだ。
ここまで立て続けに何かが起きると、人は色々と想像してしまうものだ。もし、それが本当に偶然が重なっただけの現象だったとしても…である。
幽霊の正体見たり枯れ尾花…ではないが、人の想像力というのは以外に大きいものなのである。
「「「「……………」」」」
俺達の目の前にいる四人は、色々な想像を働かせ、
ここで、その場に居る者達の殆どが一点を注視する。
そのタイミングでスー君が吸血鬼魔法を発動させる。
「っ……ぁ…?」
スー君が魔法を発動させた後、数秒後、俺達の事を警戒していたはずの者達の様子がおかしくなる。
眉を寄せて警戒心を見せていたはずの者達の目が、突然焦点を失ってボーッとしたような顔付きに変わる。
スー君が使ったのはダークローズという吸血鬼魔法だ。
これはハイネ達の使うダークローズイヴィという魔法とは少し違う。ダークローズイヴィは、生成された蔦が毒を持っており、それに触れると痺れてしまうという魔法だが、その魔法の上位互換の魔法らしい。
ダークローズという吸血鬼魔法は、名前の通り黒い薔薇をいくつも咲かせる事が出来て、その黒い薔薇が咲くと、目に見えぬ程に小さな花粉が飛び出す。そして、その花粉を吸い込むと意識が
俺達はその効果範囲に入らないように離れている為影響は無いが、花粉を吸い込んだ者達の目を見れば、それがどれ程強力な効果なのかが分かる。
ダークローズは、残念ながらハイネ達に使う事は出来ず、純血種とアリスにのみ使える魔法との事だ。
明らかに焦点の合っていない目を見た俺達は、ダークローズの効果範囲に気を付けてその間を抜けるように静かに移動する。
途中、草に隠れていた者達も見えたが、同じようにダークローズの効果によってボーッとしている様子だった。
そうして穴を作り抜け出した俺達は、少しの間静かにした後、脅威が去った事を確認して肩の力を抜く。
「あの魔法の効果はどれくらい続くんだ?」
「ある程度調整したから数分で元に戻るよ。多分、意識が戻っても何があったのか理解出来ないんじゃないかな。」
「なかなかに恐ろしい魔法だな…吸血鬼族が仲間になってくれて本当に良かったと思ったな。」
殺傷力は高くない魔法ではあるが、気が付いた時には意識が朦朧としているなんて厄介過ぎる魔法だ。目の前に黒い薔薇が咲けば注意もするだろうが、先程のように草に囲まれて視界の悪い中だとそれにすら気付けないだろう。
「アハハ!オイラ達はこういう魔法については得意だからね!」
「ハイネ達も吸血鬼魔法を使っていたが、純血種の魔法は威力やら何やら段違いだな。」
吸血鬼族にとって、血の濃さがそのまま強さに直結するという話だったが、それがここまでのスー君の魔法を見てよく分かった。
「一応オイラも純血種だからね!」
胸を張って鼻高々なスー君。今回ばかりは素直に凄いと褒めておこう。心の中で。
「先程の連中は黒翼族の多い編成だったな。」
そんなスー君の話を切るようにエフが話題を変える。
「ですね。あれは魔女族とは関係無く、派遣されて来た者達と考えても良さそうですね。」
「俺達の動きが読まれている…って事か?」
ナボナボルへ行く道中に居た事を考えると、俺達がナボナボルへ行く事を警戒して…と考えるのが普通だろう。
「いや。それは無いだろう。もし読まれていたならば、あの人数で捜索隊を組むとは思えない。恐らく、行きそうな場所を手当り次第に探しているのだろう。」
「…人数差が嫌になるな。」
人海戦術の基本に忠実と言えばその通りなのだろうが…どこへ向かってもあちら側の網に掛からないよう気を付けなければならないのは気が休まらない。
「相手が相手だからねー…」
「それを覆す為にも、さっさとナボナボルまで行くしかない。」
「それもそうだな。」
エフの言葉に全員が頷き、俺達はナボナボルへの道を再度進む。
そんな事が有りつつも、俺達は五日でナボナボルの街へと辿り着いた。
ナボナボルは魔界内でも有数の大きな街。門構えもそうだが、街の規模がかなりのもの。
どの程度かと聞かれても、一体どのくらいの広さなのか分からない大きさの街でありながら、街を取り囲むように巨大な塀が建造されている。
話によれば、その塀には魔石陣が埋め込まれており、通常の塀の何倍もの強度を持っているとか。加えて、対空兵器やら何やら、とにかくかなり強固な街となっている。
当然、侵入しようとしても到底不可能と言えるもので、正面から堂々と入る以外に街の中へ入る手段は無い。
「ほ、本当に大丈夫なんだよな?」
ナボナボルの街を目にした後、エフと別れ、その後スー君が魔法を展開。
使った魔法はブラッドイリュージョンという吸血鬼魔法。
ハイネ達の使ったダークイリュージョンの上位互換となる吸血鬼魔法で、これも純血種以上しか使えないものらしい。効果としては、自分達の姿形を偽るというもので、純血種の血液を使った特殊な魔法である為、魔法感知にも引っ掛からないとの事。どの程度効果が有るかは聞いたが、変装とは違って自分達の姿形は変わらない為、相手が誤認してくれるのかどうかが心配になる。
「大丈夫大丈夫!」
「なら良いんだが…」
「喋るのはオイラがやるから、シンちゃんは静かにしていれば余裕だって!」
「わ、分かった。」
ナボナボルの街に居るのは、殆どが魔女族なので、当然俺達も魔女族と誤認させる。つまり、俺もスー君も女性の姿に見えるわけだ。スー君は魔法を使って変声も行うらしく、女性の声を再現出来るみたいだから喋るのも問題無いらしいが、その魔法は自身にしか効果を発揮出来ないので俺の声は変えられない。女性の姿で男性ボイスになってしまう為、俺は喋れないという設定で押し通すしかない。
一応…ニルに女性らしい体の動かし方とかは教えてもらったが…正直自信が無い……というか、俺自身は変装していないので、いつも通りの格好で女性を演じるという摩訶不思議な状況になってしまうのが……どうにも……
なんて思っていたが、スー君はズンズン門へと向かって歩いて行ってしまう。
「え、ええい!ままよ!」
俺は呪文を唱えてスー君の後に続く。
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