第758話 真祖アリス(3)
「スラタンとやらもその気のようじゃし、ワシとしては応援しておる。しかしじゃ…吸血鬼族の女と結婚するというのは、想像以上に大変な事じゃ。子はどう足掻いても一人しか成せぬ上、寿命は長い。力も魔法も強く、人族の女とは似ても似つかぬ。それを踏まえた上で、お主にその覚悟が有るかの?言っておくが、ワシにとって吸血鬼の皆は一人残らず全て家族だと思っておる。泣かせる事が有ればワシが出向いて直々に
幼じ……もとい、真祖アリス様が直々に折檻とは…色々な意味で想像したくない。
「…………………」
「……………………」
アリスの言葉に、その場の全員が静まる。
その静かな空間に、スラたんの声が響く。
「覚悟の上です。」
短く、単純な言葉。
そんなたったの一言だが、その言葉の重みは何よりも重い。
ピルテはスラたんへ視線を向けて目を見開き、ハイネは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
スラたんは、その言葉を口にした後、ゆっくりとピルテへ向き直り、ゆっくりと近付いて行く。
「皆にここまで言われないと踏み切れないなんて、僕は本当に軟弱者だな…」
「そ、そんな事有りません!」
自虐的な言葉を吐くスラたんに対し、ピルテは否定の言葉を返す。
すると、スラたんが大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
おっ…これは?!この流れは?!
「……僕は、ピルテさんを世界一幸せにしたい。その為にも、僕の人生全てをピルテさんに捧げるよ。だから、ピルテさんの人生を、僕にくれないかな。」
これぞプロポーズ!
腹を決めたスラたんが、ピルテの赤い瞳を見詰めて、最高の言葉を贈る。
「………はい……はい……」
ピルテは、スラたんの言葉を聞いて、目から大粒の涙を流しながら何度も何度も『はい』と呟く。
「いやったあぁぁぁぁぁっ!!!」
最初に、そして盛大に喜んだのは言うまでもなくハイネ。最大級のガッツポーズに、淑女らしからぬ叫び声。それくらい嬉しいのだろう。
ニルも嬉しそうに笑いながら拍手を送っている。
まさか、こんな場所に来てこんな事になるとは微塵も思っていなかった。進展どころかプロポーズまでしたのだから、もうゴールだ。
俺も二人に拍手を向ける。
実の所、スラたんには何度かピルテの事で相談されていた。ピルテの事を好いているが、自分は別の世界から来た渡人であり、どうすれば良いのか分からないと。
俺も同じ立場だし、気の利いた事は言えなかったが、俺なりにスラたんの相談に乗っていたつもりだ。
それがこういう形で実を結んでくれて本当に良かった。まあ…単純に喜んで祝うには状況が複雑なのが残念だが、それは今回の件が片付いた時のお楽しみという事にしておこう。その為にも、迅速に事を運ばなければならない。
「ほっほっほっ!実にめでたいの!これぞ若き物の特権じゃの!」
アリスは、本当に嬉しそうに二人を祝福する。
後にハイネから聞いたのだが、真祖アリスという存在が一個人の結婚を祝ってくれるなど普通では有り得ない事らしい。
政治的な問題とか色々と考えての事も有るだろうが、そもそも真祖アリスにお目通り出来るのは純血種の中でも一部の者達のみで、アリスの眼前で薄血種の者が話を出来る事など万に一つも無い程の事らしい。
アリスの反応を見るに、彼女自身は本当に吸血鬼族は皆家族だと思っているだろうが、彼女の個人的な感情とは裏腹に、吸血鬼族は成り立っているのだろう。
何ともやるせない話ではあるが、多数が集まって出来た集団では寧ろ当然の事だろう。
「実にめでたい事ではあるが……残念ながら、このタイミングで祝っておる時間は無い。
どうするのかはお主達で決めるのじゃ。もし、ここに残る者が居るとなれば、ワシの名で保護する事を約束する。」
この先、アリスが言ったように戦いは更に激化するだろう。そして、俺達が万事上手く事を進めたとしても、分の悪い戦いである事は間違いない。
当然、その戦いの中で命を落とす者が現れる可能性は高くなる。それが今回の件で中心になって動く事になるであろう俺達の中の誰かになる可能性は…更に高くなる。
そして、その誰かがスラたんやピルテになってしまう事だって十分に考えられる。
二人が今後幸せな人生を送るであろう事は先程のプロポーズを見れば誰にでも想像出来る。そんな幸せな二人にいきなり不幸が訪れるなんて誰も望んではいない。それに対して、二人をここに残していくのであればそうしてくれても構わないとアリスが言ってくれているのだ。しかも、自分の名前を使ってでも守ると宣言してくれた。
吸血鬼族にとって、アリスのその言葉がどれ程の重みなのか、その正確な感覚は俺には分からない。しかし、とてつもなく重いという事だけは分かる。
「スラタン。ピルテ。ここはアリス様のお言葉に」
「お母様。」
ハイネが二人に向けて言葉を紡いでいたのを、ピルテが断ち切る。
「お母様も分かっていますよね。私も、スラタン様も、安全を取ってここに残るなんて選択肢を取るはずがないと。」
「でも……」
ピルテがハイネの返しに対して無言で横に首を振る。
ピルテはそこから言葉を続ける事は無かったが、その表情が何を言いたいのかを全て伝えていた。それは隣に居るスラたんも一緒だ。
「間違いなく危険な戦いになるのよ?」
「分かっています。」
「……どちらかが死んでしまう事だって有るかもしれないのよ?」
「はい。」
ハイネの言っている事が現実になる可能性は十分に有る。それをピルテもスラたんも分かっている。それでも二人は一切引かない。
「……はぁ……ピルテは本当に私に似て折れない時は折れないのよね……スラタンも意外と頑固だし…」
「ほっほっほっ。母親というのは辛いものじゃの。」
「ア、アリス様…申し訳ございません。お見苦しい所を…」
ハイネが我に返りアリスへ向けて頭を下げる。
「良い良い。それでこそ母娘というものじゃ。
実は、お主達母娘の事をアラボルの奴に頼まれておっての。何か有れば助けてやってくれと。」
「アーテン-アラボル様が…?」
「あれもなかなかに不器用な奴じゃったからの。突然魔界を出る事になってしまったが、それ以前にお主達の事を見てやってくれと頼まれておったのじゃ。
結局、お主達母娘を守るどころか送り出す事しか出来なかったがの…」
アリスはそう言って少し暗い顔をする。
「そ、そのような事は!我々がただ思うままに飛び出してしまっただけの事!アリス様には何の非もございません!」
アリスの言葉に対し、焦ったように返答するハイネ。
「そのような事は……いや、せっかくの明るい気分を台無しにしてしまうの。この話はここまでにしておこう。
それよりも、二人は本当にそれで良いのかの?」
「「はい。」」
スラたんとピルテは、息の合った返事をする。
スラたんから相談を受けていた時から思っていたが、遅かれ早かれスラたんとピルテはこういう関係になっていたと思う。外から見ていて二人が惹かれ合っているのは一目瞭然だったし。
けれど、俺達の旅は危険と隣り合わせであり、いつどうなるか分からない。それがスラたんの迷っている部分であり、踏み切れなかった理由なのだが…スラたん達は二人でその先へ歩むと決めた。そう決めたのであれば、互いに相手を失いたくはないはずだ。
それでも、スラたんとピルテは、それと同じくらい、俺達の事も失いたくないと思ってくれているのだ。だからこそ、命を懸けてでもここから先の戦いに参加すると言っている。いくら頭の悪い俺でもそれくらいは分かる。
二人の決意に、ハイネとしては少し複雑な気持ちだろう。俺もニルも複雑と言えば複雑な部分もある。だが、それよりも泣きそうなくらい嬉しく感じた。
自分の為に命を懸けてくれる友が何人居るだろうか。少なくとも、日本に居た時、そんな人は両親以外には一人も居なかった。口だけでなく、本気で命を懸けてくれる人など。
それが今はこうして皆が同じように命懸けで行動を共にしてくれている。
「ほっほっほっ。お主達も即答とはの。」
「「…………」」
「分かった。ワシも出来る限りの…いや、それ以上の事をすると約束しよう。
良いか。必ず成功させるのじゃ。あの馬鹿魔王の奴を叩き起して横面に一発ぶち込むまで死んではならぬぞ。」
「「はい!」」
ピルテとスラたんが一緒になるというのであれば、スラたんはこのシーザレンに住む事になるだろう。つまり、他の吸血鬼族の皆と同じように真祖アリスを仰ぎ見る民の一人となる。スラたんもその事が分かっているからか、ピルテと同じようにアリスへ向け跪き、頭を下げる。
「ほっほっほっ。うむ。良い返事じゃ。
今日は色々と疲れさせてしまったからの。この城に泊まっていくが良い。」
「そ、そんな事は…」
アリスの城に泊まるなど滅相も無いとハイネが両手を横に振るが…
「皆を騙したワシの詫びじゃ。受け取ってくれぬと困ってしまうの。」
「うっ…」
そう言って泣きそうな顔でハイネの方を見るアリス。見た目が小学生くらいだからか、悪くないはずなのに罪悪感を掻き立てられてしまう。
「しょ、承知致しました……」
ハイネがそんなアリスの言葉に逆らえるはずなどなく、俺達はアリスの城へ泊まる事が決定した。
その後、アリスが呼び出した執事のような身なりの男が、俺達を泊まる部屋へ案内すると現れ、俺達はアリスの眼前から下がる事になった。と思ったのだが…
「シンヤとニルと言ったかの。二人は少し残ってくれぬか。」
「「??」」
部屋を出ようとした俺とニルを呼び止めるアリス。
俺とニルだけを引き止める理由に心当たりは無かったが、俺とニルはその場に残りスラたん達を見送る。
「疲れているところを呼び止めてすまぬの。」
「いや。大丈夫だ。それより、俺達に話でも有るのか?」
「……うむ。」
アリスは返事こそしているが、どこか言葉を出し辛そうにしている。そんなに言い辛い事なのかと身構えて待っていると、アリスは意を決したように目に力を込めてから口を開く。
「お主達は、オウカ島へ渡ったと聞いたが…それは本当かの?」
「オウカ島…?ああ。確かに俺達はオウカ島へ渡ったぞ。」
何故このタイミングでオウカ島の話が出てくるのかと疑問に思ったが、俺は正直に答える。
「やはりそうじゃったか……」
「何か問題が?」
「いや。お主達に問題は無い。寧ろ、問題は魔族に有る。」
「??」
アリスの話の先が見えず、俺は頭を捻る。
「…お主達は、オウカ島に住む鬼人族が、元々魔族の傘下に在ったという事は知っておるか?」
「そう言えば…そういう話をオウカ島で聞いたな。」
詳しい話は聞けなかったが、元々オウカ島だけでなく、魔族が技術的にも魔法的にも全世界のトップに君臨しており、あらゆる種族に手を差し伸べていたという話を聞いた。
「ふむ……昔色々と有っての、オウカ島に住む鬼人族の者達とは離れ離れになり、その後は接点が持てずにいたのじゃ。」
「あー…そうか。アリスは当時の事を知っているのか。」
人族にとっては途方も無い程昔の話だが、数千年を生きているアリスにとっては、それもまた昔の出来事でしかない。
「うむ。鬼人族の連中は気の良い奴等ばかりでの。ワシも何人かの鬼人族と仲良くしておったのじゃ。まあ、その者達は遠の昔に死んでおるじゃろうが、鬼人族という種族には思い入れがあっての。話を聞きたいのじゃ。」
「恋人でも居たのか?」
「ほっほっほっ。そのような綺麗な話ではないの。どちらかと言えば戦友とか腐れ縁のような泥臭い関係じゃよ。」
当時のアリスの事は分からないが、話をしている視線と表情から、その時の彼等を思い出して懐かしめるくらいには仲の良い友人達だったようだ。
「戦友…ね。俺達が見てきた限り、今の鬼人族は、魔族に対して嫌なイメージを持っているとか、恨んでいるみたいな事は一切無いはずだぞ。吸血鬼族の事については何も話していないから分からないが、もしかするとオウカ島に在った神殿みたいに何かが残っていて、代々言い伝えられているかもしれないな。」
「神殿じゃと?!」
「え?あ、ああ。」
予想外の部分に強い反応を示され、俺は驚きながらも反応する。
「まさか…あの神殿が今も残っておったとはの…」
「俺が出てくる時点で、東の神殿は完全に消し飛んでいたがな。」
「東の…他の神殿には寄ったのかの?」
「ああ。三つ全て足を運んだぞ。」
「……もしかすると……北の神殿へ行った時、これくらいの小さな箱を見なかったかの?」
アリスが手で示したのは、十センチ程度の四角形。
「箱……って、もしかして
北の神殿で偶然見つけた立方体。何故かニルの魔眼に反応して黒い霧を吸い込む物だ。ニルが黒い霧を制御する為の練習に使っていたりしたが…
「っ?!まさか持っておるのか?!」
「え?まあ持ってるが…」
「本当か?!」
アリスの様子が明らかにおかしい。それまでの冷静な立ち居振る舞いとは真逆だ。
「あ、ああ。」
アリスの反応がおかしいのは見て分かる。永久の箱が、アリスにとって何か特別な物なのだろう事も分かる。そこで、俺はインベントリから永久の箱を取り出す。
永久の箱は、金色の金属で出来た、幾何学模様が刻まれている十センチ程度の立方体だ。
それ自体を見て箱だと思う者は少ないだろう。俺も鑑定魔法が無ければただの金属の塊だと思っていただろう。
一応…鑑定魔法の結果が、【永久とこしえの箱…特定の紋章眼にのみ反応して開く箱。】となっているのは確認した。しかし、開く事が間違いないとしても、中に何かが入っている確証は無い。
中の物に期待を寄せる気も無かったし、せいぜいニルの紋章眼の制御練習くらいにしか使えないと思っていたのだが…まさかこんなところで話が持ち上がるとは…
「まさに…まさにこれこそ永久の箱じゃ…」
俺が渡した永久の箱を手に取ったアリスは、驚愕したような反応で手の上の物を見ている。
「何か良い物なのか?」
「うむ。ワシにとっては何の意味も無い物じゃが、これを開ける事が出来れば、ニルにとって重要な意味を持つ物が手に入るじゃろう。」
「私にとって…ですか?」
「うむ……そもそも、この永久の箱がどういう物なのか、知っておるかの?」
「いや。本当に偶然手に入れただけの物だし、開けられた事も無いから何が入っているのかは分からないんだ。」
「ふむ。であれば、少し昔話をするとしようかの。」
そう言って、アリスの語ってくれた話は、永久の箱がどのような物なのかを教えてくれる内容だった。
話の始まりは、まだ魔族が他の種族との垣根を設けていなかった時にまで遡る。
当時、魔族はどの種族よりも長けた魔法能力を持っている種族が集まって構成されており、その技術力は群を抜いていた。
しかし、魔族にそれを独占するつもりはなく、数多の種族に分け隔てなく技術を提供していた。世界に戦争という戦争は無く、魔法の適性が低い種族も、魔族から与えられる技術力によって安全が確保されており、全てが上手く回っているように思えた。
しかし…そんな平和な世界にも、欲の強い者達は居るもので、魔族の技術力を独占しようと考える者達が現れた。その代表的な種族というのが、後に神聖騎士団となる人族の一部であった。
一部でありながらも、魔族と同等の数が揃う人族は、魔族から技術力を奪おうと戦争を仕掛け、世の中は戦乱の渦へと飲み込まれてしまう。
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