第755話 シーザレン (2)

「これで一先ず馬は大丈夫だな。」


ハイネ達の案内で馬車を預けたのは宿屋ではなく馬房。


シーザレンには他種族があまり入らない事から、宿屋というのが極端に少ないらしく、無理に宿屋を探すよりも、馬房を見付ける方が早いらしい。


宿屋も無いわけではないが、俺達がこれから向かう純血地区への出入りを考えると、ハイネ達の案内してくれた馬房を使うのが最も効率的との事。


俺達はハイネとピルテに言われた通り馬車を預け、早速純血地区へと向かう。


純血地区へ入る時に壁のような物が見当たらないのは聞いていた通りだが、混血地区から薄血地区へ入った時とは違い、純血地区へ入った事は直ぐに分かった。


それまではどちらかと言えば煌びやかな街というイメージが有ったのが、純血地区ではそのイメージをまるで感じさせない街並みになっている。


灯りは必要最小限で、煌びやかとは真逆の薄暗い街並みという印象だ。その上、街中を歩いているだけでそこかしこからピリピリとした空気が漂って来る。純血地区に住む者達がそれだけ強者揃いだという事だろう。何となく、俺達を品定めするような視線も感じる為、薄暗い街中のどこかからかこちらを観察しているのではないだろうか。

普段は他種族があまり入って来ない街という話だし、純血地区に混血種と薄血種の吸血鬼が入る事も少ないという話だし、俺達が珍しいのだろう。殺気のような冷たい感じはしないから物珍しくて観察している程度だと思う…思いたい。


「皆。ここから先は下手な動きをすると私達ではどうする事も出来ない地区だから、下手な事はしないようにね。」


「ああ。大人しくしているから安心してくれ。というか、災難に巻き込まれたくて巻き込まれているわけじゃないんだが…」


「それはそうかもしれないけれど、シンヤさんは巻き込まれ体質なのよねー…」


「そんな体質嫌過ぎるぜ………ん?」


ハイネ達と話しつつ、純血地区を進んでいると、突然俺の体に進む方向と逆の方向に微かな力が働く。


「ご主人様。その女の子は…?」


自分が服の裾を掴まれているのだと気付き、後ろを振り返ると、そこには年端もいかない小さな女の子が立っていた。


黒髪、赤眼の少女で、端正な顔立ちをしている。どれも吸血鬼族に特徴として挙げられるもので、彼女が吸血鬼族の一人であるという事は見て分かった。


ただ、その女の子はどこか悲しそうな、暗い顔をしているのが誰にでも分かる。


「どうした?迷子になったのか?」


「……ぅ…うぅ……」


俺が聞いた途端、女の子はうるうると瞳に涙を溜め始める。


「へぁ?!あ、わ、悪い!」


相変わらず子供を泣かせる俺。そんなつもりなんて全く無いのだが…俺まで涙が出そう…


「大丈夫ですよ。私達が居ますから怖くありませんよ。」


そう言って笑顔でしゃがみこみ、女の子に話し掛けるニル。


「うぅ……うん……」


今にも泣き出しそうだったはずが、ニルの笑顔一つで落ち着く。異種族の子供にさえ効果覿面こうかてきめんなニルの笑顔。ハンパねぇ。


「ご主人様…」


ニルは子供から俺へ視線を向け直し、困ったような顔を浮かべる。


「そんな顔をしなくても、この子を助ける時間くらい有る。先にこの子の両親を探そう。」


ここに居る者で、吸血鬼族だからと迷子の子供を見捨てるような薄情な奴は居ない。そもそも、吸血鬼に偏見など無いのだから当然の事だ。


「お母さんと一緒に出掛けていたのですか?」


「うん…さっきまで一緒に居たんだけど…うぅ…」


またしても泣き出しそうな女の子。


「大丈夫ですよ。私達がお母さんを探しますから。それより、あなたのお名前は?」


「うん……私は、シラって言うの。」


「シラですか。可愛い名前ですね。私はニルバーナ。ニルと呼んでください。」


「ニル…お姉ちゃん?」


きゅるんとした目でニルを見上げて言うシラ。顔立ちが端正だからか、とてつもなく可愛らしい。


「はぅっ!!何この可愛い生き物!!」


そんな超可愛い生命体に我慢出来ずに反応したのはハイネ。


「ふ、ふぇ?!」


ハイネは満面の笑みを浮かべながら、女の子を抱き抱える。


「私はハイネ。あなたのお母さんではないけど、頼ってくれて良いのよ。頑張ってお母さんを見付けましょう。」


「う、うん。」


突然抱き上げられて戸惑っているみたいだが、女の子はハイネの言葉に笑顔を見せてくれる。


しかし、この地区に居るという事は、この女の子もまた純血種。小さな女の子で力もまだ弱いみたいだが、それでも人族から見れば十分に高い身体能力を持っているはず。そんな女の子がお母さんとはぐれるという事が有るのだろうか?

いや、実際今はぐれているのだから有るという答えになるのだが…母親は成人した吸血鬼で、純血種ならば、はぐれても直ぐに見付けられそうなものだと考えるのは俺だけだろうか。


「純血地区には、純血種の人が薄血種以下の者をめとって住まわせる事も有ります。ですから、全ての人が純血種ではないんですよ。」


俺が疑問に思っていると、横からピルテがその疑問に答えてくれる。


「中には混血種の者も居るって事か。それなら納得だな。」


母親が混血種だった場合、人族と変わらないとすれば、はぐれる事も有るだろう。


「そんな事より、この子の母親を早く見付け出すわよ。子供が悲しい思いをしているのは耐えられないわ。」


「ああ。そうだな。」


ハイネの言う通り、今は女の子の親を見付けるのが最優先だ。

こんな所で足を取られている場合ではない事は皆分かっている。だが、この子を見捨てられるような者ならば、俺達と行動を共にはしていないだろう。


「お母さんはどんな見た目なのかしら?」


「とっても綺麗なの!美人だって有名なの!」


顔立ちが端正な吸血鬼の中でも綺麗と言われる人とは…余程綺麗な人なのだろう。


「ご主人様?」


「な、何も言ってないぞ?」


ジト目で俺の事を見てくるニル。本当に何も言っていないのだが…


「来ている服とか、綺麗って事以外に何か特徴はあるかしら?」


「うーん……今日は黒い服と赤い靴を履いてたよ!」


「ふふふ。シラとお母さんはお揃いだったのね。」


ハイネが言うように、シラの服装は裾にフリルの付いた黒のワンピースに赤くて小さなリボンの付いた靴。


「うん!今日はお出掛けなの!」


「ふふ。じゃあ早く見付けてお母さんとお出掛けの続きをしないとね。」


「えへへ。うん!」


ハイネとニルのお陰で、女の子は元気な笑顔を見せてくれた。これで一先ず安心だ。とは言え、シラのお母さんも彼女を探しているに違いない。急いで見付けてあげなければ。


という事で、俺達は急遽シラの母親探しを始める事になった。


純血地区はそれまでの街の様子とは打って変わって静かだ。要するに外へ出ている者が極端に少ない。故に、シラの母親を見付けるのもそれ程難しくないだろう。まあ、少ないというだけで人通りはそれなりに有るし、主要な大通りともなればかなり居る。簡単ではないだろうが、母親もシラを探しているのならば大丈夫だろう。


という事で、シラがはぐれた辺りを探しに行く。予想通りと言うか、彼女が母親とはぐれたのは大通り。一人になった事が怖くてその場から移動してしまったのだろう。その場から動かないのが最善ではあるが、こんな小さな子にそれを説くのは違うというものだ。


「お母さんとはこの辺ではぐれたのね?」


「うん…」


「大丈夫よ。お母さんもシラの事を探しているから、きっと直ぐに会えるわ。」


「うん…」


ハイネがシラを抱き抱え、ニルやピルテが気を逸らすように話をし続けている為、また泣き出しそうになるという事は無いみたいだが、かなり不安そうな顔をしている。きっと、もう二度と会えないかも…なんて考えているのだろう。


そんな事はないと証明する為にも、俺達はシラの母親を探し続けた。


しかし……


「なかなか見付からないわね…」


俺達の予想とは違い、シラの母親はなかなか見付からない。

吸血鬼族の女性は生涯でたったの一人しか子供を産めないと聞いているし、母親は必死に子供を探しているに違いない。

そんな母親を見れば誰の印象にも残るだろうし、大通りを探し回っていたとすれば、何人かに話を聞けば分かると思っていたのだが…


これだけ探しても見付からないとなると……探す場所を間違えていたのか、もしくは母親に何か有ったのか…考えたくはないが、母親がシラの事を探していない…いや。それだけは無いと信じたい。


未だに見付からないシラの母親を探しつつ、俺はシラに聞こえないようピルテに話し掛ける。


「吸血鬼族の間で、血の濃さによる差別ってのは無いんだよな?」


「はい。それについては間違いなく無いと断言出来ます。アリス様が禁じておられますから。血の濃さに関係無く、吸血鬼族は皆家族だと。」


「だとすると、母親が何か事件に巻き込まれたって可能性は無い…か?」


「そう…ですね。純血地区で事件を起こすなんて馬鹿な真似をする者は吸血鬼族には居ないと思います。それに、外から来た者が、敢えてこの純血地区で騒ぎを起こすというのも考え辛いかと。」


「だとすると…何か事故に巻き込まれたって可能性は?」


「それは…無いとは言い切れませんね。純血種の方々が住んでいるこの地区では、事故という事故も少ないですが、ゼロというわけではないので…」


事件の可能性が低いのであれば、事故の可能性を考えてしまう。何事も無ければ良いのだが…


「…シラもそろそろ疲れているみたいだし、今日はこの辺で切り上げよう。母親が探しに来た時の為に、この辺りの人達に俺達が泊まる場所を伝えておけばすれ違う事も無いはずだ。」


「そうですね…見付けられなかったのは残念ですが、明日また探せば大丈夫ですよね。

シラさん。今日は見付かりませんでしたが、きっと明日には見付かりますから、今日は私達とお泊まりしましょう。きっと楽しいですよ。」


「うん…」


シラは不安そうではあるが、ニルやハイネが自分の味方だと判断したのか、素直に小さく頷く。


「それじゃあ、ハイネとニルはシラを連れて宿に向かってくれ。俺達はこの辺の人達に話を通してから帰る。」


「ええ。分かったわ。」


一番懐いているハイネとニルにシラを任せ、俺達は周囲を巡って話を通しておく。


そうこうして宿に戻ると、シラは疲れたのかベッドの上で眠りに落ちている。因みに大部屋を借りてそこで全員が泊まる予定だ。


「お母さんとはぐれて不安な中、あちこち歩き回って疲れてしまったのね。可哀想に…」


眠っているシラの頭を、優しく撫でるハイネ。こういうところを見ると、やはりハイネは母親なのだなと感じる。とても優しく、苦しそうな表情だ。


「迷子を届ける場所とかは有るのか?」


「純血地区で迷子になるなんて滅多に無い事だから、それ専門の場所は無いわ。一応、街の警護に当たっている人達は居るけれど、皆強面の男性ばかりだから、シラちゃんには少し怖いと思うわ。

少し戻れば、薄血地区と混血地区にはそういう場所も在るけれど、それも殆ど使われていないわね。今も在るとは思うけれど、人が居るかは微妙な所ね。」


「五感が鋭い故の弊害ってところだね。」


「そうね…」


シラの状況が苦しいのか、ハイネは一層苦しい顔をする。


「……俺達も早く寝よう。明日に備えてな。」


「ええ。そうね。」


心苦しいのは皆同じだ。それを解消する為にも早く寝る事にして、俺達はベッドへ入った。


そうしてベッドに入ったは良いものの、周囲が常に暗く夜のような街だからか、時間感覚がおかしくなり、なかなか寝付けない。


何度も寝返りをして眠りに入ろうとするが、眠ろうと考える程眠りから遠ざかっている気がしてならない。なんて事を考えて少しだけウトウトし始めた頃。


「ふむ。やはりミヒリスターの言っていた事は本当だったというわけかの。」


ウトウトした頭に、少女の声で雰囲気の全く違う口調の声が聞こえて来る。


「……??」


よく分からない状況に頭が追い付かなかったが、回らない頭で考え、やっとおかしな状況である事に気が付く。


「……シラ…?」


俺は無理矢理体を起こしてボヤける視界の中にシラを映し込む。


先程までは、どこか不安そうにしていた表情はどこにも無く、大の大人でもゾクリとするような目付きになっている。顔立ちが端正である事が、逆にその視線の鋭さを際立たせているかのようだ。


「ふむ。起きておったのか。」


まるでシラの体に別の魂が入ったかのような違和感が眠さを振り払う。


「……シラ…ではないのか?」


「まあ、そう感じるのが普通じゃの。じゃが、ワシはシラではない。シラはワシが演じておった架空の人物じゃ。」


「架空の……」


俺は自分の武器が手元にある事を視線を送らずに確認する。


「安心せい。別に取って食ったりせんわい。お主達がどういった存在なのかを確かめる為に演じておっただけの事じゃ。」


俺の僅かな手の動きを見て、俺の思考を読み取ったらしいシラ者は、俺に両手を挙げて敵意が無い事を示す。

見た所敵意は本当に無いらしく、まるで警戒心が無いようだ。


「……だとしたら、何故俺達を試したんだ?」


「ふむ。そうだの…それを話すのは良いが…」


「…ご主人様…?」


「ん…どうしたの…?」


俺が誰かと話しているのを聞いて、皆が起き始める。


「……シラちゃん…?」


「残念ながら、彼女はシラではないみたいだぞ。」


「え?えーっと……ん?」


ハイネだけではなく、全員が状況を把握出来ずにいる。


「すまんな。ワシはシラという名ではない。お主達がどういった人物かを知る為に一芝居打たせてもらったのじゃ。」


「えっ?えーっと……あれ?じゃあお母さんは?」


「すまんな。それは嘘じゃ。」


「そうだったのですか?!」


「お主達の事を知る為とはいえ、騙すような事をしてすまんな。」


「騙されたのには思う所は有るけど、取り敢えず良かったよ。お母さんに何か有ったんじゃないかって気が気じゃなかったからね。」


「騙されたというのに、最初に出てくる感想がそれとは…お主達は本当にお人好しなようじゃの。」


「誰かから聞いたような口振りだな?」


「うむ。スカルべという者を知っておるじゃろ。」


「スカルべ……って、の事か?」


他の皆はスカルべという名前を知らない様子だが、俺は知っている。


俺は吸血鬼族がこの世界に居るというのをハイネ達に会う前から知っていた。それはこのスカルべ、俺がスー君と呼ぶ存在が居たからだ。

ゲームとして楽しんでいた時、俺が出会った唯一の吸血鬼族である。

ゲームの時は一種のシークレット系のイベントかクエストだと思っており、そこで出会った男の吸血鬼。自分の事をスー君と呼んでくれなんて言っていた変わった吸血鬼である。


は誰にでもそう言っておるのじゃな。そのスカルべじゃ。」


「もしかして……スカルべって、スカルべ-アルダ-ミヒリスター様の事?!」


「そんな名前だったような気がするな。俺の中ではスー君だから名前は覚えていなんだが……様って事は純血種なのか?」


「純血種も純血種!アリス様に直接血を注がれた人の一人よ!」


「そうなのか?!なんかノリの良いイケメンとしか思わなかったが…」


「アリス様の側近中の側近よ!シンヤさんはそんな方とも知り合いだったの?!」


「た、ただの偶然だがな。」


ハイネの驚き方を見るに、本当に偉い人だったらしい。

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