第745話 脱獄

「ま、まあそう怒らないでよ!ね?!私の事好きにして良いからさ!」


スローターナイトが死んだとほぼ同時に、ブラッドデビルは両掌をこちらへ向けるように挙げて理解不能な事を言い始める。


俺がそんな言葉に気を散らすと本当に思っているのだろうか。極悪人な上に共に戦おうとしていた者を平気で後ろから突き刺すような相手だ。女とさえ思えない相手に何を感じろと言うのだろうか。


当然、俺はブラッドデビルの言葉など聞こえていないかのように刀を構える。


「な、何よ?!ちょっと自由になりたかっただけじゃない!」


「…………」


ブラッドデビルの言葉に対して、反応を返す気は無い。ブラッドデビルのような極悪人にまで情を移す程俺は能天気ではない。この女がちょっと自由になりたかったから。ちょっと機嫌が悪かったから…そんな理由で何人の人を殺めてきたのだろうかと考えると、同情など微塵も湧かない。


「クソがぁぁっ!!」


ギィンッ!!


ブラッドデビルの持っている大鎌は、遠心力を上手く扱う事で大きな力を発生させる。小さな力で大きな力を生み出すのに適した形をした大鎌は、慣れていないと厄介な武器である。ただ、原理を理解し、相手の動きが見えていれば対処は難しくない。

遠心力を利用するという事は、大鎌を大きく振る必要がある。勢いを付ければ付ける程に先端に伝わる力が大きくなるからだ。逆を言えば、勢いを付ける前に弾いてしまえば良い。剣や刀とは違い、内側にしか刃が付いていない大鎌は、突いたり斬り払ったりという攻撃が出来ない。それは近接戦闘において大きなデメリットだ。それ故に使う者が少ないのだろう。当然、それを補って余りある程の技量と実力差が有れば話は違うのだろうが、ブラッドデビルは正式に武器の扱い方を学んだとは言い難い粗雑なもの。

武術や剣術というのは、幾人もの先人が試行錯誤を重ねに重ねて積み上げたもの。たった一人で独自に身に付けた戦闘方法とは比較にならない。だからこそ、兵士や騎士は剣術を学ぶのだ。それが出来ていないブラッドデビルに、俺が剣術で劣る理由は無い。


振り回そうとした大鎌を、振り回す前に弾いた事で、ブラッドデビルは弾かれた大鎌の重さに負けて体勢を崩す。


「ぐっ!!」


ザシュッ!!!


何とか大鎌を制御して俺の一撃を防ごうとしたブラッドデビルだったが、そんなブラッドデビルの首を無慈悲に紫鳳刀の刃が走る。


ガランッ!

「ガッ……ゴボッ……」


大鎌を手放し、切り裂かれた喉元を両手で抑えるブラッドデビル。

しかし、喉をパックリと切り開いたのだ。両手で抑えた程度では流血を止める事など出来ない。口と鼻。指の隙間から大量の血液が漏れ出している。息をしようにも流れ出る血が気道を塞いでしまってゴポゴポと泡の音を鳴らすのみ。


ドサッ……


程なくしてその場に倒れたブラッドデビルの目から光が消える。


「………す…凄いな……たった一人でこの六人を制してしまうとは…」


ニルの横で俺の立ち回りを見ていたセレーナ姫が驚いて口を開く。


「互いを信頼し合い、上手く連携を取られていれば危なかったかもしれないが…」


「最後は意外と呆気なかったな…スローターナイトは元騎士で剣術を習得していると聞いたが…」


「悪人に堕ちた後はろくな修練も行っていなかったのだろうな。確かに剣術の基礎は出来ていたみたいだが、その程度止まりだ。」


「その程度とは言うが…その程度の者に何人も殺されたと聞いたが…いや、志無き者の剣に光が宿るはずも無し…か。」


「それより急ごう。こいつらに随分と時間を取られてしまった。」


「う、うむ。」


ここで悠長に話をしている間も、スラたん達は橋を守ってくれているはず。その負担を減らす為にも、急いで地上へ向かわねばならない。

という事で、俺達は直ぐに中央へと向かう。その間に今後の動きについて軽く確認しておく。この先は落ち着いて立ち止まる暇も無いだろうから。


「……随分と騒がしいですね。」


中央へと近付くにつれ、剣戟や人の放つ大声が雑多に聞こえて来る。


「鱗人族が協力してくれているが、魔王…の後ろに居るであろう連中もかなりの数の者達をここへ派遣しているみたいだからな。中央は戦闘が激化しているのだろう。

それに、抜け出した囚人はあの六人だけじゃないだろうからな。」


「急ぎます。」


俺の言葉を聞いたニルは、走るスピードを一段階上げる。


ギィンッ!


「おい!そっちだ!」


「殺して構わん!誰一人としてここから出すな!」


ザシュッ!

「ぐあぁっ!」


中央に近付くと、雑多であった声が明確に聞こえるようになる。

どうやら中央部は想像以上の乱戦状態らしい。


「そっちから来ます!」


「おおぉぉぉっ!」

ガンッ!!


「もう少し耐えて下さい!」


中央が見える位置まで到達し、上を見ると、ハイネやピルテ、ギガス族の皆が橋を封鎖するように戦ってくれているのが見える。


「誰か来たぞ!!」


「通すな!」


俺達が中央の螺旋階段へ向けて走っていると、目の前に居た守衛達がこちらに気付いて剣を向ける。


「こっちだよ!!」


そんな守衛達の向こう側。橋の行き着く先には手を振っているスラたんが見える。


「一気に突破するぞ!セレーナ姫!」


「承知した!!」


ニルが先頭、セレーナ姫が中央、俺が最後尾となり、橋へと一直線に走り込む。


「通さんぞ!!」


「止まれぇ!!」


俺達に気が付いた内の何人かが同時にこちらへと走り出し、剣を振り上げる。


「押し通ります!!」


ギィンッ!ガギィン!!


ニルはアースドラゴンの小盾を構えながら敵陣へ突っ込む。相手の攻撃を受け流しながら、一気に肉迫する。


「多少の傷は我慢して下さいね!!」


ザシュッザシュッザシュッ!!


「「「ぐあっ!!」」」


ニルが蜂斬を横へ振ると、目の前に居た三人の手や足を僅かに傷付ける。致命傷には程遠いかすり傷のような小さなものだ。しかし…


「ぐっ…なんだ……力が……」


蜂斬は魔力を流し込む事により、少量の痺れ毒を発生させるという能力を持つ。小さな傷でも毒さえ効けば相手の無力化が可能だ。毒を与える為には、刃で相手を傷をつける必要が有り、ここまでは峰打ちや殴打で何とかしてきたが、流石にこの乱戦ではそうも言っていられない。刃を向ければ、相手を殺してしまう可能性は跳ね上がるが、今のニルならばそんな間違いは起こさないだろう。


「姫様を援護しろ!!」


「「「「「おおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」」


セレーナ姫の姿を見たギガス族の者達が数人、物凄い形相で橋の前を押し広げる。


「姫様!!ウオオォォォォッ!!」

ガンガンガンッ!!


「なんだこいつは?!」


「クソッ!押し負ける!!」


そんなギガス族の中でも、一回り体のデカい男が無理矢理俺達に向けての道をこじ開ける。


俺とニルも相手をいなしつつ前に進んでいたが、鬼の形相で道をこじ開ける男はそれ以上。

恐らく、この男がエフの言っていたサーヒュ隊長だろう。


「姫様!!」


サーヒュがセレーナ姫に手を伸ばすと、セレーナ姫はその手を掴む。

グッとセレーナ姫を引っ張り、ギガス族の作る円陣の中に入り込むと、周囲からの圧力が消える。


「サーヒュ隊長!!無事だったか!!」


「姫様もよくぞご無事で!」


「ははは!サーヒュ隊長に鍛えられたのだぞ!この程度どうという事は無い!」


「くっ…姫様…」


セレーナ姫の言葉に感極まったのか、サーヒュ隊長が目頭を押さえる。


「サーヒュ隊長。泣いている暇は無いぞ。ここはまだ監獄内。彼等がいくら強いとは言え出口を塞がれてしまえばそれまで。さっさとここから出るべきだ。」


「くぅっ……姫様…ご立派でございます!お前達!上へ向かうぞ!姫様をお守りしろ!戦える者は前へ!!」


「「「「はっっ!!!」」」」


これまでもギガス族の者達は率先して戦ってくれていた。しかし、セレーナ姫の姿を見た瞬間から、その顔に生気が戻ったと言うのか…寧ろやる気が溢れて止まらなくなっているような顔だ。何と言うのか…最早嬉々として戦っているようにさえ見える。

こういう相手は敵になるとかなり厄介だ。そもそもが鍛え抜かれた兵士である上に、姫という守るべき相手が居る事で団結力が更に強固となり、波に乗った集団の攻撃力は一撃で全てを粉砕する。並大抵の攻撃では針の穴をこじ開ける事さえ難しく、並大抵の防御では紙のように吹き飛ばされてしまう。

ここからは俺達の出番など無いかもしれない。


「サーヒュ…隊長だったか。これを。

ギガス族が使うには少し頼りないかもしれないが、無いよりはマシだろう。」


俺はインベントリの魔法を使い、鋼鉄製の大剣を取り出す。大剣等の使わない武器はインベントリの肥やしになっている為、大量に入っているのだ。鋼鉄製の大剣はギガス族の力で振り回すには頼り無いが…それ以上の性能の大剣となると、基本的に渡人族専用となってしまう為彼等には使えない。


「良いのか?」


「性能は良いとは言い難い。過信するなよ。それと、ここの職員はなるべく殺すなよ。」


「分かっている。種族は違えど我々も兵士。彼等が仕事をしているだけだということは理解している。それは部下達も同じだ。」


「分かっているのならば良い。セレーナ姫も救出出来た事だし、さっさと地上に」

ガガガガガッ!ガガガガァァァン!!!


「「「「っ?!」」」」


突然、鼓膜が破れるかと思う程にけたたましい音が周囲を支配する。


ガガガガガガガガガガッ!!ガガゴォォォォォン!!


あまりの音の大きさに耳を塞ぎ上を見ると、上層から金属の塊…正確に言うのならば、が落ちてきているのが見える。


ズガガガガガガガガガカッ!!


落ちてきた橋が目の前に有った橋に当たると、その橋ごと更に下の階層へと落ちていくのが見える。


ガガガガガガガガァァァン………………


暫くその音を聞いていると、やっと音が鳴り止む。どうやら落ちてきた橋が最下層に到達したようだ。


「何が…」


キィィィーーーン……


耳鳴りが酷い。


上へ向かおうとしていたタイミングだったからこちらに被害は無さそうだが…


橋の在った場所に目を向けると、対岸となる階層の方に守衛達の姿が見える。どうやら橋が落ちてくる前に避難出来たらしい。いや、元々橋を落とす事を分かっていて、そのタイミングで引いたのだろう。

この監獄の構造は、囚人達が逃げ出しそうになった時、橋を落として階層と中央の螺旋階段を隔離出来るように作られていると聞いた。それがこの状況の答えだろう。唯一上へ繋がる最下層には、落ちた橋が重なり合い、崩れ、螺旋階段へ入る事が出来なくなっている。そういう構造に造られているのだろう。


「……ま……ご主人様!!」


耳鳴りが少し弱まり、ニルの声が聞こえる。


「お怪我はありませんか?!」


「ああ。大丈夫だ。ニルも無事か?」


「はい。それにしても…凄い事になってしまいましたね…」


「だな…囚人も逃げ出そうとしていたし、監獄側としてはこうしないと対処出来なくなったのだろう。悪い事をしたとは思うが…」


「今は上へ戻る事だけを考えましょう。」


「そうだな。」


ざっと見た感じ、スラたんやギガス族の者達に怪我は無い。


「サーヒュ隊長。監獄側が橋を落としたとなると、出口を固めている可能性が高い。時間が経てば監獄の外に人も集まるし、中にも入ってくるだろう。急いで上へ戻ろう。」


「ああ。分かっている。お前達!急いで上へ向かうぞ!」


「「「「「はっっ!!」」」」」


サーヒュ隊長は俺の言葉を聞いて、直ぐに上へと向かう為動いてくれる。


最終的にはかなりの数になってしまったが、これでようやく上へ戻れる。


上に居たハイネ達も、俺達が戻った事を知って既に上へと向かっているはず。


橋の落ちた向こう側から魔法やら何やらが飛んでくるものの、ギガス族の者達が板や鉄板等を使って防御しつつ上へ向かう。

途中、螺旋階段に倒れている者や死んでいる囚人が転がっているのを見るに、先に向かったハイネ達が対処してくれたのだろう。


俺の考えていた通り、ハイネ達は既に上へ向かって移動を開始しており、俺達後続は特にやる事もなくすんなりと上へ向かって進めた。

暫く螺旋階段を昇って行き、俺達が最上階に戻ると…


「戻って来たわね。」


最上階にはハイネ達が待っていた。数人が倒れているのを見るに、出口に待っていた者達との戦闘が有ったらしい。まあ、既に制圧済みの様子だが。


「無事で良かった。クルードとシュルナも。」


エフやハイネ、ピルテが無事だったのもだが、シュルナに関しては戦闘能力が無く心配だった。しかし、クルードが守ってくれていたらしい。


「出口の確保は既に出来ているわ。ただ、外にも敵が待っている可能性は高いし、不用意に出る事は出来ないわね。クルード達の話では、ここまで辿り着けたのは私達が最初みたいだし、外の状況は全く分からないわ。」


「そうか……ここからは鱗人族の手助けが必要だし、出来る限り外の安全を確保してから出たいが…」


監獄内に居た正確な時間は分からないが、外はまだ暗い。ただ、もうそろそろ太陽が出てきてもおかしくはないはず。

明るくなれば、当然俺達の姿が見付かり易くなり、逃げるのもその分難しくなる。そうなる前にここから離れたい。


「来たか。」


悩んでいる俺達に向かって、声を掛けてきたのはキャリブル。このアンバナン監獄の管理者である鱗人族だ。


「待っていてくれたのか?」


「管理者たる者が逃げ出すわけにもいかないからな。疑われるのは遅い方が良いだろう。」


キャリブルの言う事は確かにその通りなのだが、逃げ出すタイミングが遅れれば遅れる程危険となる。騒ぎが始まる前に抜け出していれば、危険はほぼ無い。それくらいは分かっているはずだし…恐らく、敢えて俺達の事を待っていてくれたのだろう。


「目的は達成出来たようだし、後はここから抜け出すだけだな。」


「簡単に言うが、来た時のように船で出たとして、敵が待っていた場合良い的にされるぞ?」


「ああ。だからこれを使うんだ。」


そう言ってキャリブルが指で示したのは、船に蓋を取り付けたような物。それ以外に説明のしようが無い物。


「これは?」


「ちょいとばかし強引だが、これにあんた達を乗せて一度沼に沈める。そこから俺達が引っ張って沼の端まで連れて行くんだ。一応、魔石が使ってあるから中で息をする事は出来るが、沼の広さを考えると結構苦しいだろう。だが、これが最も安全な方法だ。」


キャリブルの話を聞くに、潜水艦のような物と考えるのが良さそうだ。潜水艦と呼ぶには木造だし脆そうだし色々と不安な気はするが…沼の中を移動するのであれば、外に敵が待ち構えていても気付かれる事無く突破出来るかもしれない。


「一応全員乗せられるはずだが…ギガス族の連中は体がデカいからな。少し窮屈かもしれねぇ。」


「大丈夫だ。そのような事を気にしている状況ではないからな。」


キャリブルの提案に対し、即座に反応するのはセレーナ姫。男らしいと言ったら怒られるかもしれないが…反応が男らしい。


「それじゃあ、これを使って出るって事で良いか?」


「ああ。俺達もそれで問題無い。」


俺がキャリブルに返事をする。これで良いと言うより、これ以外の選択肢は無いと言った方が良い状況だ。贅沢を言っている場合ではない。

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