第738話 サーヒュ隊長

テュプレとお母様の間に流れる静かな時間。それが五秒という時間に到達した時、テュプレが動き出す。


通路の壁方向へと走り出したテュプレが、お母様の側面を取る。これに対し、お母様は動きを目で追うだけで動いていない。


「かはは!まずは動けなくしてやるよ!!」


どこから来るのか分からない自信を持って、テュプレがお母様に襲い掛かる。


吸血鬼族というのは、見た目には人族と殆ど変わらない。お母様や私を見て、力の無い女に見える人もいるとは思う。実際に、見た目からは考えられないようなパワーを持っているのが吸血鬼族だから、そう見られる事も一度や二度ではなかった。ただ、吸血鬼族の事を知らない人はいないというくらいには認知されている種族だし、恐らくテュプレも私達が吸血鬼族である事を理解しているはず。

それなのに…


ギィンッ!


「っ!!」


テュプレは手に持っていた小さなナイフもどきをお母様の左腕辺りに突き出そうとした所で軌道を変え、脚部辺りに向けて突き出した。けれど、お母様はそれを難無く弾く。


何故単純なフェイントだけの攻撃をお母様に繰り出そうと考えたのだろう?本当にそれがお母様に当たると考えていたのだろうか?それとも、この攻撃自体がフェイントで、ここから奥の手か何かで攻撃して来るつもりなのだろうか…


私はあらゆる可能性を考えつつ、テュプレの動きを注視する。


「なかなかやるじゃねぇか。だが、それもここまでだ。悪いがここからは俺の独壇場だ。」


お母様は一歩たりとも動かず、一言も発していない。

そんなお母様の周りを回るようにゆっくりと動き出すテュプレ。


「かはは!いくぜ!!」


手に持ったナイフをクルクルと回し、テュプレが真っ直ぐお母様に突っ込む。


「かはは!オラァッ!!」

ギィンッ!


テュプレの切り札だったのか、手に持った粗悪なナイフとは別の武器をどこからか取り出す。

と言っても、その武器も粗悪な物で、テュプレが手に持っていた粗悪なナイフを大きくしたような物。長さで言えば短剣程度の物である。


ギィンッ!!

「なっ?!」


不意打ちにしてはあまりにも工夫が無い。正直、ヒヤリともしなかった。お母様も、危なげなく隠し持っていた大きめのナイフを鉤爪で弾いている。


「こんな奴に殺されてしまった人達の無念を思うと……最悪の気分だわ。」


「クソッ!」


やっとお母様との差を感じ取ったのか、テュプレはお母様から離れようとする。


ザクッ!!

「ぐあああぁぁぁっ!!」


しかし、そんなテュプレの足の甲にお母様が鉤爪を刺す。爪は足を貫通し、床に到達しているのが見て分かる。


「この程度で叫ぶなんてみっともない。」


軽蔑の目付きでテュプレを見るお母様。何があったのかは詳しく知らないけれど、余程テュプレに対して苛立っているみたい。


「ぐぁぁっ!このクソ女がぁっ!」


ザシュッ!!


足に鉤爪を刺されたままナイフを振ろうとしたけれど、お母様はそんなテュプレの喉元に抜いた鉤爪を走らせる。


「がっ…あっ……」


自分の喉元から溢れ出る血を両手で抑えているけれど、そんな事で止まるようなものではない。


「アンバナン監獄での脱獄は、その場で殺しても良いとされているのを知らなかったのかしら。」


目を充血させてお母様を見ているテュプレに対し、お母様は冷たく言い放つ。


「さようなら。二度と生まれ変わったりしない事を切に願うわ。」


ドサッ……


あっという間に血の気が引いたテュプレは、そのまま倒れ込み、動かなくなった。


お母様がここまで怒りを表すのは滅多に無い事だから、私も驚いている。テュプレという男の被害者は……かなり悲惨な状態だったのかもしれない。


「………感情的になってしまったわね。ごめんなさい。

この男が叫んだから直ぐに守衛達が来るわ。この男と違って真っ当に生きる彼等とは出来る限り戦いたくないから急ぎましょう。」


「はい。お母様。」


テュプレが死んだと同時に、お母様から殺気が消え、いつも通りに戻る。最初から怖いとは思わなかったけれど、お母様が落ち着いてくれて良かった。


カシャン!


お母様がエフさんから聞いた牢の小窓を開く。


「助けに来たわよ。」


中を確認したお母様が、中に向けて声を掛ける。

一言二言会話が有ったみたいだけれど、まずは、牢からギガス族の人達を助け出さなければならない。


私は用意していたスラタン様特性溶解液を取り出し鍵穴付近に掛ける。


溶解液は音も無く金属製の扉を溶かし始め、直ぐに鍵穴付近が完全に溶けて無くなってしまう。

改めて、スラタン様の作り出す物がどれだけ凄い物でどれだけ危険な物なのかが分かる。正しい扱い方をスラタン様が口を酸っぱくして言っていた理由がまさにこれだと思う。


ギィィ…


鍵穴周辺が完全に消え去った金属製の扉は、強い力など入れずとも簡単に開いた。


「あなたがサーヒュ隊長ね。」


「ああ。本当に来てくれるとは…本当に有難い。」


サーヒュ隊長は、聞いていた通り茶色い髭、茶色い髪。ギガス族の中でも体が大きく、茶色の瞳と鋭い目付き。耳も鼻もボテっとしていて野太い声の男性だった。


「礼は後で良いわ。今はとにかくここから離れましょう。直ぐに追手が来るはずよ。」


「分かった。」


最初に話をしていたエフさんとは違う者達が来て不審に思っている人達も居たけれど、サーヒュ隊長が直ぐに返答してくれた事でスムーズに事が運んでいる。


サーヒュ隊長率いるギガス族の人達を連れ出し、私達は中央に向けて引き返す。勿論、看守の人達から離れるように動く。

私もお母様も、聴覚には自信が有るけれど、こういう密閉された空間内、複雑な構造の建物内だと音が反響して正確な位置を把握出来ない。けれど、前から来ているのか後ろから来ているのかは分かる。それを頼りに私達は中央への道を進む。


「流石にこれだけの大所帯となると、見付からずに行くのは無理ね。多少強引にはなるけれど、なるべく傷付けないように押し通るわよ。」


「はい!」


ギガス族の人達を引き連れて動くと、人数だけでも目立つ上に体のサイズが一回り大きいから余計に目立ってしまう。魔法を使って多少は見付かり辛くなっているはずだけれど、それも気休め程度のもの。

そして、目の前には十人近い看守。中央の螺旋階段に続く道はこの先のみ。戦闘は避けられない。


「だとしたら、武器になるような物を持っていた方が良いな。おい!」


「はい!」


サーヒュ隊長が部隊に声を掛けると、各自がどこかに隠し持っていた武器を取り出す。武器と言っても、金属の棒だったり鉄パイプだったりと武器と言うより鈍器ではあるけれど、何も無いよりはマシと言える。

監獄生活の中でどうにか手に入れた物で、サーヒュ隊長達は既に逃げ出す為の準備を始めていたという証。大人しく捕まっていたのは、この場所から外に出る方法が無い事と、外に出されていた仲間の事を思ってだと思う。

外に出された仲間達は、今頃ドワーフ族の街で牢獄…ある意味街の中で一番安全な場所に居る。不本意だとは思うけれど、あのドワーフ族の人達ならば、事情さえ知れば悪いようにはしないと思う。


「これで俺達も何とか戦える。」


「助かるわ。ただ、ここの人達は上から命令されてやっているだけだから、極力殺したりしないようにお願いするわ。」


「……思う所は有るが、こちらは助けられた身。そちらの要望に出来る限り応えると約束しよう。」


サーヒュ隊長の言葉を聞いて、部下の人達も小さく頷いてくれている。


「それじゃあ行くわよ。」


「おう。」


気合いを入れたサーヒュ隊長の声を聞き、私とお母様は準備していた魔法を発動させる。


相手を極力傷付けずに制圧しようと思うと、普通の魔法より吸血鬼魔法の方が効率が良い。しかし、吸血鬼魔法は、媒体に吸血鬼の血を必要とする物が多く、その血は吸血鬼族以外には麻痺をもたらす毒となる。

フェイントフォグはこういう場合に相手を昏倒させるのに良い魔法だけれど、それはギガス族の皆にも効果を及ぼしてしまうから使えない。そうなると、効果は少し劣るけれど、ブラッドバットを使うのが良い。ブラッドバットならば、味方を攻撃する事は無いし、目眩しの効果も有る。それに、私一人でブラッドバットを使うのではなく、お母様も使えばそれなりの数になるし、同時に私達も攻める事で全ての攻撃を防ぐのは極端に難しくなる。


「なんだ?!」


「蝙蝠?!クソッ!吸血鬼族か!」


吸血鬼魔法の内容は、あまり多くの人達には知られていないけれど、知っている人は知っている。特に、ブラッドバットやフェイントフォグのようなよく使う吸血鬼魔法は、見た事が有るという人が多い。ただ、吸血鬼魔法は普通の魔法と違って対処が難しい。何故なら、普通の魔法のように明確な弱点となる魔法が無いから。吸血鬼魔法だと分かったとしても、それに対処出来るかは別の話という事。


数十匹に及ぶ数の蝙蝠が看守の人達目掛けて飛んで行き、それに続くように私とお母様を先頭にギガス族の皆が続く。


「脱獄だ!ここで止めるぞ!」


「絶対に通すな!」


看守の人達は槍と細剣を構え、迫り来る蝙蝠を各自落としている。

ブラッドバットを簡単に落としているのを見るに、ブラッドバットのみでの制圧はやはり難しいみたい。彼等が優秀である事は分かっていたし、そもそもブラッドバットのみで制圧出来るとは思っていない。


ギィンッ!

「くっ!!」


前を走っていたお母様の鉤爪が看守の一人に到達する。


お母様の突き出した鉤爪を槍で横へと弾く看守の一人。しかし、お母様の攻撃は元々そうして弾かせるのが目的。


「なっ?!」


お母様の攻撃を弾いた瞬間、お母様の背中側に隠れていたブラッドバットが飛び出し、看守の懐に入り込む。

お母様の攻撃を弾いた事で、蝙蝠に対処する術は絶たれ、ブラッドバットが看守の腕を噛む。


「っ!!クソッ!この……」

ドサッ…


抵抗しようとしたみたいだけれど、ブラッドバットから注入された吸血鬼の血が体の自由を奪う。死にはしないし暫くすれば動けるようになるけれど、暫くは何も出来ないはず。


「チッ!このっ!」

ギャリッ!


その光景を見たもう一人の看守が、お母様に向けて槍を突き出す。

しかし、それを黙って見ている私ではない。


鉤爪を使って槍の先端を絡め取り、攻撃を逸らす。

そして、私もお母様と同じように、足元後方からブラッドバットを突撃させる。


「っ?!」


足元を進んだブラッドバットは、看守の左足に食い付き、その微かな痛みに看守が反応する。


「クソッ!しまっ……た……」

ドサッ…


何とか吸血鬼の血に抗おうとしたみたいだけれど、吸血鬼の血が与える麻痺効果は、体を鍛えるとか魔力を鍛えるとか、そういう類の効果ではないから抗うのは非常に難しい。不可能と言っても良いくらい。それは元人族であった私も知っているから、耐えられない事は分かっていた。だから、それ以上の追撃は加えずに倒れるのを見送る。


「退けぇぇぃ!!」


ドガッ!

「ぐあぁっ!」


私やお母様とは違い、サーヒュ隊長は大きな体とパワーを活かし、相手を殴打で倒していく。

体格に恵まれているギガス族ならではの戦い方で、私やお母様には真似出来ない。かなり豪快な戦い方で、派手だけれど、派手にしようとしてやっているのではなく、そうなってしまうといった印象。それに、私やお母様が出来ない事をやってくれるから、看守の注目をかなり集めてくれている。今回の場合相性が良かったのか、私達はそこまで苦労する事なく看守の制圧に成功した。


「何とかなったか…」


サーヒュ隊長は、所々小さな切り傷を負っているものの、大きな怪我は無い。それは部下の人達も同じで、こちらに被害はほぼ無いと言える。


「休んでいる暇は無いわよ。」


「ああ。分かっている。」


一休み…といきたいのは私達も同じだけれど、そうは言っていられない。看守全員を制圧した後は、螺旋階段を守らなければならないのだから。


私達は制圧した看守の人達を置き去りにして、そのまま螺旋階段へと向かう。


私達が必ず通る橋には、当然のように他の看守が立ち塞がっている。しかし、先程かなりの数を制圧したからか、橋に居るのは十人にも満たない数。


「一気に橋を取るわよ!」


「「「「おおぉぉぉっ!!」」」」


お母様の掛け声で、ギガス族の人達が橋の上に押し寄せる。


「く、来るぞ!構えろ!」


橋の上に居る看守の人達は、その光景を見て焦ってしまったのか、予想より反撃が少ない。


ギィンッ!ガァンッ!


「ぐあぁっ!」


「ぐはぁっ!」


ギガス族の人達は、看守の人達を殴り飛ばしてはいるけれど、殺してはいない。お母様の言葉を守ってくれている様子だ。この調子ならば橋は直ぐに取れるはず。


「ここから先は中央の螺旋階段を守るわ!下にいる仲間が上がってくるまでの間、中央階段を死守するわよ!」


「おう!!」


私達は、中央階段までの道を確保。そのまま防衛戦に入る。

下からも戦闘音が聞こえているし、スラタン様とエフさんも中央階段に到着したみたいだ。


「お母様!私は一つ下に行きます!」


「俺達も分かれて中央階段を守るぞ!散れ!」


「「「「はい!!」」」」


私が下に向かう意味を即座に理解してくれたサーヒュ隊長は、自分の部下達も動かしてくれる。

サーヒュ隊長含め、セレーナ姫の護衛部隊はかなりの精鋭部隊らしく、練度も高い良い部隊だ。それは、ここの看守の人達も手強いはずなのに、ここまで難無く来られた事が証明してくれている。


「おい!囚人も来たぞ!」


「囚人は絶対に通してはならないわ!最悪殺してでも止めて!」


私が下へ向かう途中、上からお母様の叫ぶような声が聞こえて来る。


螺旋階段から橋の向こう側を見ると、各階層に脱獄した囚人がちらほら見えている。


当然だけれど、脱獄している囚人達と看守の人達も戦闘している。監獄内はかなりごちゃごちゃした状態になっており、そこら中から戦闘音が聞こえて来る。

ただ、囚人の殆どは看守の人達に抑えられているか殺されており、橋に辿り着く者達は殆どいない。


「お、おい!助けてくれ!俺も出たいんだ!」


「退けっ!俺はここを出る!」


看守の手を逃れた者達が、橋を渡ろうと必死になっているが、そもそもギガス族の人達には罪が無い為助け出しただけ。真っ当な理由で監獄に収容されている者達を逃がすなんて事は絶対にしない。


「ぐあぁっ!」


ドチャッ!!


無理に橋を通ろうとした囚人の一人が、私の目の前…つまり、橋の無い空中を落下。最下層に叩き付けられた音が聞こえて来る。

ギガス族の人達も囚人を逃がすつもりは無いのか、手加減などしていない。これならば暫くは大丈夫だと思う。ただ、今は監獄内が混乱状態だから何とかなっているだけで、時間が経って看守の人達が集まり始めると辛くなる。その前に脱出したいけれど…シンヤさん達にはいつもいつも辛い役割を押し付けてしまっている。だから、泣き言なんて言っていられない。


私はセレーナ姫を助け出しに行ったシンヤさん達の方を一度見てから、下の階層の橋へ向かう。


「何時間だって耐えてみせます。」


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