第737話 テュプレ

「止まれ!」


「動くな!」


私とお母様が牢を目指して走っていると、目の前に三人の守衛が槍を持って立ち塞がる。


ここまでのように戦闘を回避しようとしたけれど、後ろからも人の気配がする。戦闘を回避しようとする場合、上手く逃げ道を作って魔法を使用。相手がそれに気を取られている間に逃げてしまわなければならないけれど…ここで逃げようとしても後ろから追ってくる気配に当たってしまう。


言葉を交わさずとも、お母様は当然その事に気付いているし、どうすれば良いのかも私と同じ考えだと私には分かる。


私もお母様も、同時に武器を構える。


深紅の鉤爪。


私とお母様にとってとても心強い武器。ただ、吸血鬼族は武器を使うのは軟弱者のする事だという風習がある。魔界へ入る時、私はそれを考えて深紅の鉤爪を使うかどうか迷っていた。

魔界外ならばいざ知らず、魔界内では吸血鬼族を知らない者の方が少ない。そんな中で武器を使えば、たちまち吸血鬼族の間に噂が広まり、今後色々な面で支障が出る可能性が有る。そう考えていた。

けれど、お母様はそんな私を見てこう言ってくれた。


「折角貰ったものを使わないのは失礼よ。それに、他の人の言葉なんて気にする必要無いわ。そんな風習を守って死ぬより、生きるのに必死になるべきよ。」


私は、元が人族だったという事が、未だに心のどこかに引っ掛かっていて、吸血鬼族らしい事というのに敏感過ぎたのかもしれない。

誰が何と言っても、思っても、私がどうするべきなのか、そして、どうしたいのかが最も重要な事だと気付かされた。

だから、もう迷ったりしない。


ビュッ!


私は正面の一人に向けて鉤爪を伸ばす。魔力で伸縮する深紅の鉤爪は、暗器として優秀だけれど、構えている相手にはそこまでの驚異とはならない。単純に剣で突かれているのと何も変わらないから。

それでも敢えて鉤爪を伸ばしたのは、私に相手を殺す意思が全く無いからである。

つまり、私のこの攻撃は、弾かせる為のものということ。


ギィン!


私の考えている通り、槍を持った守衛は、私の伸ばした鉤爪を槍先で横へと弾く。


私やお母様は、薄血種であり、戦闘能力で言えばそこそこ。正面切っての戦闘はあまり得意ではない。しかしながら、それはシンヤさん達のような人を基準に考えた場合という意味であり、吸血鬼族である事に変わりはない為、戦えないわけではない。つまり、正面からぶつかっても、彼等を制圧する事は可能だと思う。

ただ、最短時間で…となると、やはり正面でのぶつかり合いは好ましくない。そこで、私の行った弾かせる目的の攻撃に繋がる。


私やお母様は、正面でのぶつかり合いを苦手としているけれど、それはぶつかり合いが出来ないという事ではない。寧ろ、そういうぶつかり合いをするつもりの相手と戦う場合にこそ、私達の使う搦手は活きる。


例えば、今回のように、何気無く攻撃したように見える私の一撃には、攻撃という意味の他に私へ注目を集めさせるという意味が含まれている。寧ろそちらの方が大きい。


単純な攻撃で、相手にとっては脅威にならない一撃。しかし、相手としては攻撃されているのだから防がなければならない。当然、私がされたように相手は攻撃を弾く。でも、その攻撃は誰に向かっているのか、誰が防がなければならないのかを見極める為、三人は一瞬だけ私の攻撃にのみ集中する。時間にして一秒にも満たない時間だけれど、私とお母様にとっては、その一瞬さえ有れば十分。

確か、この技術の事をミス…ミスディレクション?とシンヤさん達が言っていたと思う。


私が攻撃を仕掛けた事で生まれる一瞬の間隙。それを逃さず動くのがお母様。

僅かな、細い糸のような隙を狙って移動したお母様は、三人の視界の外側へ動く事で更に僅かな時間の隙を作り出す。


「っ?!」

ガンッ!!

「がっ!」


相手からすれば、お母様が唐突に消え去り、気付いた時には真横に居た。そんな感覚だと思う。

当然、攻撃を避ける事も、防ぐ事も出来ず、お母様の繰り出した一撃が綺麗に直撃する。

相手は罪人ではない為殺す必要は無く、攻撃を当てて気絶させるに留めている。


「いつの間に?!」


ガンッ!!

「グッ!」


続いては、真横に現れたお母様に注意を向ける二人。そうなれば後は難しくない。

相手の意識が逸れたタイミングで私も近付き、一撃を入れる。これで残りは一人。後は挟み込んで処理するだけである。


行動だけを見れば大した事はしていないし、圧倒的に見えるかもしれないけれど、少しでもタイミングを間違えてしまうと寧ろこちらが危険となってしまう。それを容易く行えたのは、全てお母様の動きが完璧だったから。

私は、お母様の実子ではないけれど、普通の親子以上の絆が有ると思っている。実際、私とお母様は何の打ち合わせも無く、これだけの連携を取れる。それは、これまでに過ごしてきたお母様との時間が有ったから。息を合わせるのなんて朝飯前。


ガンッ!

「ぐあっ!」


時間にして十秒程で正面の三人を制圧する事に成功。


私とお母様は、そのまま言葉を交わす事もなく後ろから近付く気配から大きく離れる。


そこから、更に二度程交戦が有ったけれど、問題無く対処し、いよいよギガス族の人達が囚われている牢の近くまで来た。


「「………………」」


私とお母様は、牢の近くに異様な空気を感じ取り、その場で足を止める。


この気配は、守衛のものでは無い。何故それが分かるかと言うと、その気配は殺気をまるで抑えようとしていないから。


守衛の人達は、私達を捕まえようとしているけれど、殺そうという意思は殆ど無い。つまり、守衛の人達からは、殺気という殺気を感じない。これに対し、今現在感じている気配の主は、周囲に殺気を垂れ流している。まず間違いなく守衛の一人ではないと思う。

そして、私達でも守衛の一人でもないとなると……この監獄内において残される可能性は一つ。囚人しかない。


「どうしますか?」


ここに来るまでに、守衛の者達はある程度撹乱した為、直ぐにここへ守衛が押し寄せるという事は無いはず。牢の目と鼻の先まで来ているし、気配が消えるのを待ってからギガス族の人達を助けても問題は無いように思う。

囚人が独房の外に出ているのはおかしな話ではあるけれど、それをどうにかするのは守衛の仕事。私達が敢えて問題に首を突っ込む必要は無い。


「気配が無くなるまで待っても良いとは思うけれど……この感じ、恐らく私達を待っているわね。」


「待っている…ですか?」


お母様の言葉に首を傾げる。私やお母様を待っているというと、少なくとも私やお母様を知っている人物という事になる。元々私やお母様は、罪人を捕まえたりする事も有ったし恨みを買っている可能性は有る。けれど、アンバナン監獄に入れられるような極悪人ともなると忘れはしない。しかし、そこまでの極悪人に恨みを買った覚えは無い。


「正確に言うと、私やピルテを待っているのではないかもしれないわね。」


「…??」


「とにかく、先へ進まないとこの気配は消えないと思うわ。行くわよ。」


謎掛けか何かかと思うようなお母様の言葉。

何を言いたいのか理解出来なかったけれど、その答えは直ぐに分かった。


私達が、目的の場所に向かって歩き出すと、直ぐに気配の元となる人物が見えてくる。


見た目は人型でボサボサの長い黒髪の男。頭頂部付近には黒い毛の生えた三角の尖った耳。右耳は欠けている。腰の後ろには黒い毛の長い尻尾。全体的に薄汚い印象の格好で、黒い瞳の目には大きなくまが見える。そして、黄色の囚人服。

獣人族にも見える特徴だけれど、この者は狼人ろうじん族。


同じような名前の人狼族という種族が存在するけれど、この二つの種族は全く別の種族として存在している。

人狼の方は、狼の姿だけれど二足歩行で人の言葉を扱うのに対し、狼人族は人の姿が基本形となっている。

また、人狼族は数が多いのに対し、狼人族は数が少なく、魔界内でも見るのは珍しい種族の一つである。


狼人族については、身体能力が高く魔力は低いという事しか知らない。これは知らないのではなく、狼人族については詳しく分かっていないという意味。


「やっと来たか。」


私とお母様が姿を見せると、狼人族の男がボソリと言う。

そこで、私はお母様の言っていた事を理解した。


この男の声は聞いた事が有る。


先程、私達が監獄内を調査していた時、自分が道案内をするから出してくれと言っていた男の声。最後には、殺すぞとか喚いてシュルナちゃんを怖がらせたあの声と同じ声だ。


つまり、この狼人族の男は、私達の起こした騒ぎに乗じて牢屋を抜け出し、わざわざ階層を下り、そしてギガス族の人達を助けようとしている私達に会いに来たという事になる。

この男の言葉を無視して去る時、後悔させてやるだの何だのと叫んでいたのを覚えている。という事は…この男は自分を逃がしてくれなかった私達に後悔させようとしているのだろう。

わざわざそんな事の為に…と思うけれど、こういう類の罪人は、私達とは思考回路がまるで違う。考えるだけ無駄というもの。


お母様が、自分と私を待っているのではないかもしれないと言ったのは、正確に言うと、私達一行の事を待っていたのであり、私とお母様という特定の人物を待っていたのではないという言葉だった。


「ここで待っていれば必ず来ると思ったぜ。

後悔させてやると言ったよな?実行しに来てやったぜ。」


狼人族の男は、黒ずんだ唇を舐め回し、私とお母様を凝視している。


何とも気色の悪い男だ。


出来る事ならば、同じ空気も吸いたくない。


「……聞いた事が有るわ。確か赤口しゃっこうのテュプレ…だったかしら。」


「へぇ。よく覚えていたな。」


赤口のテュプレ。私も聞いた事は有る。


記憶では…十数人を殺した殺人鬼だったはず。魔界内で起きた連続殺人事件の中でも異様な殺害方法で、被害者は全員急所を食いちぎられていたという話で、そこから赤口のテュプレという名前が付けられたはず。

事件自体は知っていたけれど、犯人が狼人族というのは知らなかった。恐らく周知されていない事だと思う。お母様が知っていたのは、その当時からそれなりの地位に居たからだと思う。私がまだ小さかった時の話だから、私が詳しく知らないのは当然と言える。


「まさか、まだ死んでいなかったとはね。とっくに死刑になっていると思っていたわ。」


「ここはアンバナン監獄だからな。ここに入れられるって事は死んでいるのとそう変わらねぇとでも考えているんだろうな。

それに、ここには俺よりもヤバい連中が収容されている。死刑だからといって連れ出そうとしても、逆に殺されるって事を知っているんだろうよ。」


ニヤリと笑うテュプレ。


死刑を執行するには、罪人を牢屋から出して死刑を執行しなければならない。しかし、あまりにも凶暴で凶悪な連中は、そうやって連れ出す事すら難しい。死刑も簡単には執行出来ないみたい。


「それを聞いて安心したわ。もし、ここで殺してしまっても、死刑執行を代行しただけとなるなら、遠慮なく息の根を止められるわね。」


「かはは!言うじゃねぇか。それが出来るなら俺はとっくに死んでいるだろうよ。

俺が後悔させてやると言ったんだ。後悔するのは俺じゃなくお前達の方だ。」


まるで自分が神にでもなったかのような言い方だ。


確かに、こういう極悪人というのはそれなりに強い。特に何人もの人を殺めたような連中は、他人の殺し方を学んでおり、躊躇が無い。

戦闘を得意としないような者にとってはかなりの脅威となる。


「ふふふ。それはどうかしらね。」


お母様とテュプレが言葉を交わしてしいたけれど……それが止まる。


互いの気配を感じ取りつつ、戦闘に入る準備をしているのだ。


「かはは!オラァ!!」


テュプレは、黄色の囚人服以外の物を持っていなあように見えた…いえ、実際に手には何も持っていなかった。

しかし、いつの間にか取り出した暗器…と言ってい良いのか分からないけれど、金属を叩いて刃を付けた小さめのナイフのような武器を右手に持っている。


そでの中にでも隠していたのだろうか。


テュプレは、私達の目を欺き、完璧に騙したと思っていた。赤口のテュプレという言葉を聞いていたし噛み付いてくるかもと思っていたけれど、それらを裏切ってのナイフ攻撃。確かに相手の裏をかく攻撃としては悪くない。しかし、私やお母様にとってはあまり意味を成さない。


キィンッ!


テュプレが騙したと思っていたはずのお母様が、手に持つナイフに対して鉤爪を当てる。

粗悪な武器に刃が当たった事で火花が散る。


狼人族というだけはあって、テュプレの動きはそこそこ速い。けれど、私やお母様は、テュプレの動きなど止まって見える程速い人を知っている。


「っ?!」


今のを受け止められるとは思っていなかったらしく、テュプレは目を軽く見開いて後ろへと下がる。


私やお母様は、エフさん程ではないにしても、強い相手と戦う為に工夫を重ねてきた。特に、シンヤさん達と出会ってからはあらゆる方法を試してきた。つまり、騙し討ち程度、私やお母様にとっては珍しい事ではないという事。

粗悪なナイフ一本を隠し持っていた程度で私やお母様をどうにか出来ると思っていたなんて、呆れてしまう。


「初撃を弾かれた程度で表情に出るなんて…やはり訓練を受けた者とは雲泥の差ね。」


「なんだと?!」


「赤口のテュプレが殺害した人の数は十二。その被害者は全て女性。しかも一般人の女性。」


お母様が、赤口のテュプレという殺人鬼についての情報を口にする。


「かはは!そうさ!俺は女を殺すのが好きでな!あの柔らかい肉に歯が突き刺さる感触が……思い出すだけでゾクゾクするねぇ…」


ウットリという言葉がピッタリな表情を見せるテュプレ。下衆な奴。


「ふふふ。滑稽ね。」


「何っ?!」


そんなテュプレに対し、お母様は小馬鹿にしたような笑いと共に侮辱の言葉を吐く。


「結局は、自分よりも弱い女性にしか手を出さず、自分より強い相手からは逃げ回っていたというだけの話でしょう。何が赤口のテュプレよ。片腹痛いわ。」


お母様が怒っているところは久しぶりに見た。


お母様は他人より長く生きているからか、怒るよりも叱るという意味合いが強い言い方は多いけれど、怒る事は殆ど無い。エフさんと仲が悪かった時でさえ、お互いに嫌味を言っていたけれど、本気で怒ってはいなかった。

そんなお母様が本気で怒っている。


私の推測では、赤口のテュプレとやらは、お母様の知る誰かに関係する人を殺したのだと思う。テュプレに向ける怒りが直接的だから分かる。


「てめぇ……楽には殺してやらねぇからな。」


テュプレは、侮辱された事で怒り、お母様に向けて強い殺気と視線を向ける。


「…………」


「………………」


二人の間に静かな時が流れる。


最初は、私も参加して終わらせようかと思ったけれど、お母様は一人で片付けたい様子。それを見て、私は黙って後ろに立っている。勿論、お母様が危険な時は援護するけれど…恐らくその必要は無いと思う。


テュプレとお母様の動きを後ろで見ながら、周囲から人が来ないかを確認する。どうやら、まだ私達がここに居る事に気が付いていないみたい。とは言っても、同じ階層を複数人で探し回っているのだから、この辺りに人が来るのも時間の問題だと思う。それはお母様も分かっているはず。焦らず、しかし確実に素早くテュプレを処理してくれるだろう。

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