第736話 極悪人 (2)
「何故こうなったのか、分からないって顔だね。」
僕は、身動きの取れなくなったヤンバに淡々と言葉を掛ける。
「君の敗因は、自分が相手より優れていると思い込み、僕を見下していたからさ。
僕には、スピード以外にも出来る事が有ってね。それを使って罠を張ったんだよ。」
僕がやった事を詳細に説明すると…僕は、まず戦闘が始まる前に一匹のスライムを懐に忍ばせた。そのスライムの名前は、アドゥヒーシブスライム。一般にはあまり知られていないスライムの一種で、非常に強力な粘着液を分泌してくれる。大きさはかなり小さめで、人の拳程度。普通のスライムは水色だけれど、アドゥヒーシブスライムはそれよりも濃い水色、青に近い水色をしている。
アドゥヒーシブスライムは、粘着液を分泌する事しかなく、危険はほぼ無い。小さい体である事と、危険性の少ないモンスターである事、そして、目撃情報も極端に少ないからか、モンスターとしてのランクは定められていない。敢えてランクを付けるならば、普通のスライムと同じDだろうか。
けれど、その粘着液は使い方次第でかなり有用な物になる。勿論、普通に粘着液として使っても良いけれど、その粘着性の強さから、戦闘にも応用出来る。
特に、アドゥヒーシブスライムを直接使役出来ると、粘着液の加工が容易に行える事が大きい。アドゥヒーシブスライムから採取した粘着液は、粘着液としてしか使えず、加工には限界が有る。しかし、アドゥヒーシブスライム自身が加工する場合、多種多様な形状の粘着液を作る事が出来る。
例えば、粘着液を暗がりでは見えぬ程に細い糸にして吐き出させ、気が付くと相手を
今回は、アドゥヒーシブスライムに細い糸状の粘着液を吐き出させて、壁や天井を使い、ヤンバを糸で固定した。ただ、アラクネの糸を使ったトラップのように、一瞬で相手の動きを止められる程糸に強度が無い為、相手が動けなくなるまで…となると時間が必要になってしまったのである。
ただ、アラクネの糸を使う場合は、予めトラップを設置しておかなければならないのだけれど、アドゥヒーシブスライムの場合は、僕がやったようにその場で同じようなトラップを作る事が出来る。要するに、準備無し、即興でトラップを作れてしまうのが利点である。
という事で、罠に誘い込んだと言うよりは、下がりながら罠を張ったのだけれど…細かい事をヤンバに伝えるつもりはない。この男が、僕の罠に綺麗にハマったという事実こそが重要なのだ。
「ふざけんな!正々堂々勝負しろ!」
一度動けなくなるまでアドゥヒーシブスライムの粘着糸に絡め取られてしまうと、そう簡単には抜け出せない。アラクネの糸は強靭だが、アドゥヒーシブスライムの粘着糸は粘着性に優れている。寧ろ、動けば動く程、もがけばもがく程、糸は絡まり合い、ヤンバの体を強固に拘束していく。
「正々堂々とは…どの口が言っているのかな。最初に奇襲を仕掛けてきたのはそっちだと記憶しているけど。」
「黙れ!こんな方法で勝って嬉しいのか?!」
「僕は戦闘に勝って嬉しいなんて感じた事は一度も無いよ。そもそも、出来れば戦闘なんて一生経験しない方が良いと考えているくらいだからね。」
「スピードで勝負すると言っただろう!」
自分の言っている事が自分の行った事と大きくズレている事を、ヤンバは分かっている。それでも、自分が負けた事を認められず、命を取られたくないという思いが、これらの言葉を発しているのだろう。そもそも、僕はスピードで勝負するなんて一言も言っていない。
どれだけヤンバが言葉を尽くしたとしても、僕は彼を許すつもりなどない。
「自分が手も足も出ずに負けた事を心に刻むんだね。」
そう吐き捨てて、僕は右手の短剣を振り上げる。
「や、やめっ!」
ゴッ!!
鈍い音と感触が手に伝わる。
身動きの取れなくなったヤンバは、立ったまま…正確にはアドゥヒーシブスライムの粘着糸に吊られたまま気絶する。
彼のような、快楽的に殺人を犯す類の犯罪者は本当に嫌いだ。考え方も、する事も、精神も…全てが嫌いだ。でも、ヤンバは捕まり、囚われ、罰としてここに居る。ならば、僕がヤンバを殺すのは筋違いだ。それに、このヤンバという男には、生きる死ぬよりも、生かされたという事実の方が苦痛なはず。
僕は、立ったまま頭を垂れ下げるヤンバを一瞥してから中央方向へと向かう。
ヤンバのせいで時間を食ってしまった為、後ろから追い掛けて来ている守衛の人達がそろそろ僕に追い付いてしまう。急がないと。
囚人の脱獄は予想外だったけれど、僕が対処出来る程度の相手ならば、他の皆なら余裕だと思う。
問題は、僕達の中でも一番下の階層を担当してくれているシンヤ君とニルさん。この監獄は下に行く程危険な囚人が捕まっているらしいし、ほぼ最下層と言える階層を担当してくれているシンヤ君達の前に、危険な囚人が脱獄して現れなければ良いのだけれど…
心配するのならば自分の心配をしろ…なんてシンヤ君には言われそうだけれど、やはり心配にはなる。
「気を付けてね…」
聞こえるはずなど無いのに、僕はシンヤ君達に向かっての言葉を呟いた。
そんなこんなで暫く走ると、やっと中央に辿り着く。
ギィン!カァンッ!
曲がり角の先からは、甲高い金属音が聞こえてくる。
戦闘音が聞こえてくるという事は、エフさんが一人で戦っているという事。
タンッ!!
僕は出来る限りの力を足に込めて一気に曲がり角を抜ける。
中央の螺旋階段に続く橋。その前に何人かの守衛が立っており、細剣を抜いている。橋を渡らせないようにと陣取っていた人達だと思う。
その前では、武器を構えてギガス族の皆を守っているエフさん。勿論、ギガス族の人達は大した武器など持っていない。
階層内や他の階層からは集まって来ていないみたいだけれど、それも時間の問題。早く螺旋階段側に渡り、他の皆の援護をしないと。
「遅いぞ!」
僕が到着した事を察知したエフさんが大声で叫ぶ。
「ごめん!」
「道を開いてくれ!」
エフさんの声を聞き、僕は両足に力を込める。
ダンッ!!
地面を蹴り、僕はギガス族の皆とエフさん、そして橋を守らんとする守衛の人達。その全てを跳び超える。
唐突に現れた新手が、目にも留まらぬ速さで自分達の真上を跳び超えるのは、守衛の人達も予想していなかったらしく、僕の事を見守るだけで何も出来なかった。
タンッ!
「……っ!!しまった!逃がすな!」
僕が着地して数秒。彼等は唖然として反応出来ていなかったけれど、直ぐに二人程が後ろを向いて対処しようとする。
「僕に目を奪われていて大丈夫?」
しかし、僕の派手な動きはただの目眩し。エフさんから目を離す人を一人でも増やす為の動きだ。
ガンッ!!
「ぐあっ!!」
僕に目を奪われてしまった人の一人が、後ろから素早く迫ったエフさんの一撃を後頭部に受けて目を見開く。
エフさんも、可能な限り相手を殺そうとはせず、殺傷能力の高い攻撃は控えているように見える。本当に余裕が無くなれば、相手を殺傷するかもしれないけれど、現状は大丈夫みたい。
ガッ!
「ぐっ!!」
当然、僕も同じように殺傷しないよう攻撃を加える。痛いのは痛いだろうけれど…そこは我慢してもらうしかない。
僕が相手を挟み込むように陣形を取った事で、橋を封鎖していた人達はあっという間に制圧。全員気絶か動けない状態になった。
「行くぞ!」
「お、おう!」
ギガス族の人達は何か言いたそうにしていたけれど、今はとにかく螺旋階段へ向かう事が重要だ。
橋を
僕達の侵入した階層以外にも守衛は居るから、上に下にと封鎖しなければならない橋は多く、かなり大変だけれど、何時間も封鎖しろという話ではないから、何とか持ちこたえるしかない。
「エフさん!僕は下に行くよ!」
「分かった!上は任せろ!」
「俺達も手伝うぞ!」
助け出したギガス族の人達も手伝ってくれるらしく、エフさんに指示を仰いでいる。武器は無いに等しいけれど、その辺の壁から剥がした鉄の棒みたいな物を持っている人達もいる。それでどうにか相手の進行を止められれば良いのだけれど……ギガス族の人達は護衛部隊の人達みたいだし、戦えない事はないはず。何とか抑えてくれると信じて、僕は下の階層へと向かう。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
時は少し遡り、ギガス族同時救出作戦開始前。
「ピルテ。魔法を準備しておくわよ。出来る限り戦闘は避けるように。」
「はい。」
お母様の指示に従って、私は吸血鬼魔法を準備しておく。
普通の魔法とは違い、吸血鬼魔法は準備に時間が掛かる。ここから先、どのような状況になるかを読み、的確な魔法を準備しておくのは非常に難しいけれど、上手くいけば吸血鬼魔法だけで全ての戦闘を避け、ギガス族の人達を救出する事が出来るはず。勿論、そこまで上手くいくとは思っていないけれど、私やお母様の使う吸血鬼魔法は、相手を混乱させたりする能力に長けているし、上手く使えば状況をコントロール出来る。
カラーンッ!
「合図よ。」
シュルナちゃんの合図で、私もお母様も同時に橋を渡り出す。
一先ず、合図が来る前に、吸血鬼魔法、ダークイリュージョンを使っておいたけれど……ダークイリュージョンは、一定の範囲内で、私やお母様の姿を視認し辛くするという魔法だから、この範囲内から出てしまえば効果は消えてしまう。
階層を渡る際に、私達は必ず橋を渡る。合図の音はかなり響いたから、何人かは中央に目を向けているはず。橋を渡る段階で見付かるのだけは避けたかった為、橋と、その先にダークイリュージョンを掛けた。
そのお陰で私とお母様は橋を渡り、その先の通路へ簡単に侵入出来たけれど、問題はここから。
既に、合図の音で何かが起きている事は察知されているはず。隠密術で見付からずに動く事も必要だけれど、あまり見付からずに居ると他の階層で動いている人達の方へ人が流れてしまう可能性がある。そうならないよう、私とお母様の姿はある程度見せておく必要が有る。しかしながら、私もお母様も、この階層に居る守衛の人達全てを相手にするのは厳しい。
つまり、それなりに姿を見せつつ、上手く隠れて見付からないように動かなければならないという事。
幸いな事は、この階層に居るギガス族の人達の囚われている牢への道順はそれ程難しくないという事くらいだろうか。
「ピルテ。まずは私達の存在を認識させるわよ。」
「はい。」
お母様の落ち着いた声。
私も、元々は部隊長だったからお母様が何をしたいのか、何を狙っているのかは分かる。でも、こうして一声掛けられるだけで、私はお母様の声に安心し、平静を保つ事が出来る。お母様の行動一つ一つが、私にとって学びになっている事を実感する。お母様が、こうすると良いわと私に向かって教えてくれているように感じる。ううん。お母様の事だから、間違いなく敢えてそうしてくれているのだと思う。
「フー……」
細く息を吐き出し、自分の体に残る緊張を解く。
「準備は良いわね?」
「はい!」
お腹に力を入れて返事をすると、お母様は一度頷き、隠れていた通路の角から走り出る。
「っ?!何者だ!」
「動くなっ!」
気付いていたけれど、通路の先には守衛である二人の男性黒翼族が立っており、お母様の姿を見るや手に持っている槍を構える。
守衛の人達とは出会って数秒だけれど、立ち居振る舞い、武器の構え方を見れば、この人達が優秀な人材である事がよく分かる。
正面切って守衛の人達全員と戦ってしまうと時間が大量に必要。少なくとも夜明けまでは掛かってしまう。そうなっては困るので、この階層に見知らぬ何者かが居ると認識させ、後は戦闘を避けながら先へ進みたい。それを実現する為、手始めにお母様の目の前に居る二人には私とお母様を見失ってもらう。
「……………」
フードを被り、顔を隠したお母様は、無言で二人の前に立っているだけ。言葉を交わそうとはしない。
言葉を交わすというのは、それだけでこちらの情報を相手に与えてしまう。例えば、それが男なのか女なのか、聞き覚えの有る声なのか無い声なのか。そういった相手にとって得となる情報を敢えて渡す必要なんて無い。それが許されるのは、それでも尚有利が揺るがない程の実力者だけ。
私もお母様も、魔界を出た時より強くなったと自負している。それでも、どうしても抗えない力を持った相手が居る事、思い上がれば足元をすくわれるという事を知っている。
「捕らえろ!」
黙って立っているお母様に向け、二人の守衛が走り寄る。
そのタイミングで、通路の角に隠れていた私が魔法を発動する。
吸血鬼魔法、ブラッドバット。吸血鬼の血を媒体にして作り出された
蝙蝠自体の戦闘力は殆ど無いけれど、噛まれると吸血鬼の血の効果によって麻痺を引き起こす。
「っ?!なんだ?!」
「こんな所に蝙蝠?!くっ!邪魔だ!」
蝙蝠達が二人を襲い始めると、お母様は直ぐに踵を返して走り出す。
相対していた二人の守衛は優秀。恐らく蝙蝠も簡単に落としてしまうはず。でもそれで良い。お母様が姿を見せた事で、この階層に怪しい何者かが居るという事を見せられた。
お母様が走り出し、別の通路へ入るのに続き、私も通路へと走り込む。
吸血鬼魔法というのは、こういった立ち回りをする際には特に役立ってくれる。元々吸血鬼魔法は、戦闘を補助するような魔法が多く、相手を直接攻撃するようなものは少ない。その為、モンスターとの戦闘や、抗えない程の強者に対してはあまり意味を成さないけれど、足止めや邪魔をする魔法としては普通の魔法よりずっと優秀。使い所と使い方さえ知っていれば、私とお母様は夜明けまでだって逃げ回る事が出来ると思う。今回の場合、出来るだけ早くギガス族の人達を助け出し、中央階段へ向かわなければならないからそんな事はしないけれど、それくらい有用な魔法という事である。
「上手くいったわね。次からは戦闘を回避するように動くわよ。」
「はい!」
定期的に姿を見せる必要は有るけれど、基本的には隠密行動。見付からないのが一番安全で確実に先へ進めるから。
ギガス族の人達が囚われている牢までは、まだ少し距離が有るけれど、順調に進む事が出来れば十分程度でギガス族の人達を助け出す事が出来るはず。
私とお母様は、そのままギガス族の人達が囚われている牢に向けて進んで行く。
何度か守衛の人達が近付いて来たけれど、魔法や吸血鬼魔法を駆使して回避した。しかし、全てが上手くいく…という事にはならず、避けられない戦闘が起きてしまった。
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