第735話 極悪人
「へー。今のを受け止めるんだ。凄い反射神経だね。」
武器とも呼べない不格好な凶器を見ていると、曲がり角から一人の男が姿を見せる。
黒翼族の男である事は一目で分かるが、守衛陣の一人には見えない。ボロボロで頭だけを隠すローブ…と言うより
看守の人達は、黒いピシッとしたスーツのような服を着ているのに対し、彼は真っ黄色の薄い服一枚。檻の中の者達が皆着ている服。一言で言うならば囚人服と言うやつだ。
つまり、彼はここの囚人。
「騒ぎを起こしてくれてありがとよ。お陰で楽に抜け出せたぜ。」
自分の手に持っている凶器を眺めながら喋り掛けてくる。
「……分からないね。」
慎重に言葉を選びながら言葉を返す。
「脱獄するつもりならば、何故まだここに居るのか…か?」
「…………」
彼はやっとの思いで檻から抜け出したはず。それなのに、何故かこの階層に留まっている。さっさと上へ向かえば良いのに、敢えてここに留まる理由が分からない。
「その答えは簡単だ。俺達は檻から抜け出せても、このアンバナン監獄からは抜け出せないのさ。」
「……なるほど。それで僕達を人質にして抜け出そうという考えなんだね。」
「お前達はどう見ても中に居る奴じゃない。外から来たという事は、あの底なし沼を通る術を持っているはずだ。」
このアンバナン監獄は、単純に檻から抜け出しただけでは意味が無い。最難関である底なし沼を渡れるか否かが最も重要。
その手段を僕達が持っていると察した彼は、僕を人質に取り、その手段を奪って逃げようという考えらしい。
その考え方は間違っていない。もし脱獄出来るとするならば、彼の方法が唯一ここから脱獄する事の出来る方法だと思う。でも、僕を含め、僕達のパーティにそれを良しとする者は一人も居ない。
彼等はここに収容されるだけの事をした。それがどんな凶悪な事だったのかは分からないし、それが僕達の常識に当てはまる罪なのかは分からないけれど、魔界では一生をこの監獄で過ごさせるのが適していると判断されたのだ。それだけの事をした者を助けようとは…天地がひっくり返っても思わない。
故に、彼がこうして僕に凶器の矛先を向けているのは正解だと言える。しかし…それが出来るかどうかはまた別の話。
「その手段を簡単に渡すとでも?」
「思わないさ。だからこそ、こうして出向いた。簡単な話だ。」
「確かに簡単な話ではあるよね。まあ、言うは易し行うは難しだと思うよ。」
挑発的な言葉を吐き、相手の出方を探る。
「言うねぇー。しかし、良いのか?仲間を助けに行かなくて。俺と同じように考える奴は沢山居るぞ。」
「だろうね。」
こういう奴は一人や二人じゃないだろうし、恐らく他の皆も絡まれているはず。それは分かっているけれど、僕は心配などしない。心配する必要など無いから。
ここに収容されている者達は、極悪人であり、油断出来ない存在である事は確かだし、油断は出来ない相手ではあるけれど、シンヤ君達が負けてしまうビジョンが全く思い浮かばない。
ただ、その理由は相手が弱いからというものではない。相手が力の使い方を間違っているからである。
僕の持論ではないけれど……人を傷付けるという行為は、思っているよりずっと簡単に行える。そして、それは決して難しい事ではない。何故ならば、自分の持っている力を振りかざせば良いだけだから。
でも、守るという力の使い方は、その何倍も難しい。力を振りかざすだけでは当然誰かを、何かを守る事など出来ない。しかし、力が無くては誰も守れない。しかも、ただ振りかざすだけの力の何倍もの力を持っていなければ、守る事など出来ない。それを通し続けてきたシンヤ君達は、ここで捕まっている…力を振りかざすだけの者達の何倍も強い。それを僕は近くで何度も見た。今更その強さを疑うなんて事は有り得ない。
「チッ…つまらない奴だ。もっと怯えさせて泣きながら命乞いをする奴を殺すのが楽しいというのに。」
それがまるで常識だと言いそうな程、男は当たり前のように最低な発言をする。
「悪いけど、僕が命乞いをするなんて事は起きない。」
「大した自信だな。そういう奴の精神をへし折るのが、俺は大好きなんだ。」
気持ちの悪い笑顔で笑う男。
顔はハッキリ見えていないのだけれど、どういう顔で笑ったのかが容易に想像出来る。
この男は、どうやら自分の腕に自信が有るらしく、自分が負けるなんて考えてもいないというのが感じられる。
今居る場所は、僕のスピードを活かしきれない狭さ。無理にスピードを上げて戦えば、壁に激突して自爆してしまう。だとすると、スピードだけに頼った戦い方では危険。勿論、相手がそれでも簡単に倒されるような腕ならば問題は無いのだけれど、見た限りそこまで弱い相手ではないはず。となると、上手く工夫して戦う事が鍵となるはず。
「趣味が悪いね。僕には一生理解出来ないよ。まあ、理解したくもないけどね。」
「理解して欲しいとも思わないさ。俺の楽しみをお前が理解出来るとも思わないしな。」
僕は挑発的な事を言って、男の言葉を待つ。
その辺のチンピラみたいに、簡単な挑発で怒り狂ってくれればもっと楽だったのだけれど、どうやらそう上手くはいかないらしい。その辺は流石極悪人と言うべきなのだろうか。戦闘…と言うより、殺しに慣れている感じを受ける。
僕が常に挑発的な言葉を発し、それに過剰な反応を見せた所を狙っている…というのを分かっていて、それでも尚、まるで会話を楽しむように返答してくる。勿論、僕への警戒心を解く事はなく、寧ろ僕が痺れを切らして襲い掛かる瞬間を狙っている。
「楽しみ…ね。」
会話の内容、目付き、男の持っている雰囲気。それらからこの男が誰かを楽しむ為に殺したという事が分かる。憶測でも推測でもなく、それは確実だというのがヒシヒシと伝わってくる。
こんな男の楽しみの為に殺されてしまった人達は、さぞ悔しかった事だろう。ううん。遺族の人達はこの男が今も尚生きている事に耐えられぬ苦痛を感じているはず。
僕も理不尽な暴力は嫌いだし、こういう男は本当に…虫酸が走る程に嫌いだ。出来る事ならば、一秒でも早くこの男に生きている事を後悔させたい。でも、焦って動けば相手の思う壷。こんな相手に殺されるなんて御免だ。
「それにしても、どうやらお前はスピードに自信が有るらしいな。」
特に戦闘の話はしていないし、今のところ初撃を避けただけ。スピードに自信が有るという話はどこからきたのだろうか…?と思っていたけれど、僕の装備は軽装中の軽装。これではスピードに自信が有ると言っているようなものだ。
元々馬鹿な奴だとは思っていなかったけれど、それなりの観察眼も持ち合わせているし、油断は出来ない相手だ。
「…だったら何だって言うんだい?」
「奇遇だな。俺も雷光のヤンバと呼ばれるくらいに自信が有ってな。」
僕はずっと森に引きこもっていたし、元々この世界の情報はあまり持っていない。加えてここは魔界。そんな二つ名を自慢されてもピンとくるはずがない。
「雷光とは…大きく出たものだね。」
「俺が付けた二つ名じゃないさ。俺の動きを見た奴が勝手に付けただけ。余程俺の動きが速かったらしいな。」
自慢げに言うヤンバという男。こういう連中は、どうして自分達の自慢話を他人に聞かせようとするのか…一応、薬学に携わるものとして、精神的な面での治療についても学んだから、机上での理由は分かるけど……そもそも、このアンバが言っている事は、別に自慢にはならないと思う。それを敵の僕に話してどうしたいのだろうか?黙って攻撃した方がずっと有利なのに…まあ、僕としては準備の時間が取れるから嬉しいのだけれど。
「つまり、スピードでは誰にも負けない…って言いたいのかな。」
「それはやってみないと分からない。まあ、お前に俺の動きが見えれば、自分との差を痛感するだろうさ。」
「なるほどね…」
自分が相手よりも圧倒的に上回っているという自負。隠す気も無い自信がヤンバから滲み出ている。
自分が、相手よりも圧倒的に上回っているという自信は、一体どこから、何を根拠に持っているのだろうか?
僕なんて、基本的に相手が自分を上回っていると考えて動かないと怖くて仕方が無い。自分の方が勝っているから、自分の方が速いからなんて考えで動けば、その隙に付け込まれるとは考えないのだろうか?
勿論、それなりの力を持っていれば、それなりの自信を持つものだし、僕だって、僕なりには自分のスピードに自信を持っている。
けれど、それに酔いしれる事は決して無い。何故なら、そういう連中の隙を的確に突いてしまう人が僕の周りには沢山居るから。それを見ていると、多少の自信は必要だけれど、それに酔いしれるのは危険な事だと直ぐに分かる。
見たところ、ヤンバは僕よりもずっと戦闘経験は豊富だ。それなのに、そんな事も分からないなんて……それに、ここに居るのだって、その自慢のスピードを攻略されたからだと思うのだけれど…
ヤンバの事を考えれば考える程に理解不能になってしまう。育ってきた環境が、力こそ全て!という魔界の中だから、大きな違いが有っても不思議では無いけれど…きっと、僕とは根本的な部分で違う生き物なのだろう。
「さてと。お喋りはここまでだ。聞いてもここから出る手段を吐かないと言うのならば、死ぬ手前まで痛め付けてから聞き出すとしよう。」
「……………」
ヤンバは、自分の手に持っている凶器を軽く握り締める。
ヤンバの持っている凶器は、お手製で不格好ではあるけれど、一応凶器としての役割は果たす。
ただ、素人が叩いて伸ばしただけの鉄にそこまでの切れ味は出せない。つまり、刀や剣のような切断するような斬撃は出せないはず。しかし、突きのような攻撃は、先端さえ尖っていれば効力を発揮する。要するに、僕が気を付けなければならないのはヤンバの突き攻撃。勿論、他の攻撃も気を付けるべきだけれど、最悪斬撃を生身で受けてでも、突きの攻撃は避けなければならない。
戦闘へ入る前に、注意点を洗い出し、頭の中に並べていく。
戦闘全体で言うのならば、やはり気を付けるべきはスピードだと思う。ここまでの自信を持った相手なのだから、スピードを活かした戦闘を行うはず。相手が自分を上回るスピードで動いた時、どう対処するべきか…
僕は頭の中でそう考えながらもヤンバの動向を凝視する。
「さてさて……行きますか…ね!!」
タンッ!
僕の気が抜けているであろうタイミングを見計らって、ヤンバが地面を蹴る。
速い。
それがヤンバの初動を見た時の感想だった。
一足で僕との距離を半分に縮めた。
ギィン!
しかし、ヤンバの繰り出した攻撃は、僕の持っている短剣に弾かれる。
確かにアンバの動きは速い。僕のようなスピード極振りのプレイヤーでなく、普通の戦闘員であれば、そのスピードに翻弄されていたかもしれない。それだけ彼のスピードは速いと言える。
ただ…残念ながら、彼のスピードは、僕よりも遅い。
「やるじゃないか!よく防いだ!それじゃあ次行くぞ!」
タンッ!タタンッ!
ギィン!ギィン!
何が楽しいのやら、ヤンバは笑い声をあげながら、軽快なステップを使いつつ、僕に向かって凶器を二度、三度と突き出す。
僕はその攻撃を両手に持っている短剣で受け流す。その度、目の前に火花が散り、薄暗い通路が明滅する。そして、僕はその度に一歩ずつ後退していく。
スピードに差が有る事は分かったけれど、だからといって突っ込んだり回り込んだりはしない。自分のスピードを上げるという事は、その分もしもの時の反動が大きくなるという事。特に、こういった狭く動き辛い場所では、そのもしもが生じ易い。可能ならば、無理な突撃などせずに戦いたい。
僕は、じっくりとヤンバの動きを見続ける。
時折、薙ぎ払うような攻撃や、振り下ろし、振り上げの攻撃を繰り出すけれど、やはり基本的に突き攻撃が多い。
タンッ!
ギィン!ギィンギィィン!
「どうした?!攻撃しないと俺は倒せないぞ!」
距離が近くなった事で、ヤンバの顔が今はハッキリと見える。
右の顎に古傷。切り傷のような跡が見える。
無精髭が生えており、目はギラギラと怪しく光っている。口角は吊り上がり、嫌な笑みを浮かべながら凶器を振り下ろす。
こちらの世界へ来る前ならば、この状況、その表情に背筋を凍らせていたと思う。
タタンッ!
ギィン!!ギィン!
何度も何度も、ステップと攻撃を繰り出すヤンバ。しかし、その全てを受け流し、一歩ずつ下がる僕。
シンヤ君達と行動を共にするようになってから、そして、共に戦闘を行うと決心した時から、僕は欠かさず剣術の練習をしてきた。
流石にシンヤ君が使っている天幻流剣術は習得が難し過ぎて無理だったけれど、ニルさんが使っている柔剣術は、簡単な部分だけならば真似る事が出来た。だから、毎日ニルさんに教わった事を真似て、ある程度相手の攻撃を受け流せるようになったのだ。まあ、ニルさんのように華麗にとはいかないし、護身術程度だけれど、出来ないよりはずっと良い。事実、今現在ヤンバの攻撃を受け流せているのは鍛錬の賜物だと思う。
ニルさん程の技術が有れば、もっと簡単に隙を突いて攻撃出来るのだろうけれど、僕にその技術は無いし、受け流すだけでやっと。まあ、僕の作戦はそれでも成り立つように考えているから問題は無い。
僕は冷静に、そして確実にヤンバの攻撃を受け流していく。
「良いね!最高だよお前!盛り上がるぜぇ!」
タンッ!!
ギィン!ギィン!!
「っ!!」
一人で興奮し、先程までより一層激しく打ち込んでくる。ステップもより軽快に、素早くなっている。
僕の技術では、受け流すのが難しくなり、攻撃の衝撃が手に伝わり始める。
「おいおい!スピードはどうしたんだ?!えっ?!逃げてみろよ!」
タンッ!
ギィン!ギャリッ!
やはり、付け焼刃の技術ではここまでが限界らしい。でも、悪くない。
「何かしないとこのまま死ぬぞ!ハハッ!……っ?!」
かなり楽しんでいたみたいだけれど、唐突に足を止めるヤンバ。
「やっと止まったみたいだね。思っていたよりも時間が掛かるし、使い方をもう少し考えないとかな。」
「な、何をしやがった?!」
自分の体が唐突に言う事を聞かなくなったのが不思議なのか、僕に疑問をぶつけてくるヤンバ。別に説明する必要は無いのだけれど…この男には少しでも後悔して欲しい。だから、自分の浅はかさを知る為にも、僕はどうしてこうなったのかの説明をする事にした。
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