第733話 護衛部隊隊長

コツ…コツ…


私が正面の通路に入ると、早速通路の奥に黒翼族の見張りが見える。


聞いていた話よりずっと見張りが多い気がする。いや、間違いなく多い。

私達が魔界へ入った事は伝わっているだろうし、最近になって見張りを増やしたのだろうか…まあ理由は何であれ、数が多いのは間違いない。私が進むのに邪魔である事は変わらない。

邪魔ではあるが…ニル様の仰られた通り、彼等を殺してはならない。気絶させるか素通りするか。気絶させる場合は、暫く見付からない場所へ隠したりと手間が必要になる。自分が通る為だけであればその方が圧倒的に早いだろうが、結果的には素通りした方が早く事が進むに違いない。


頭の中の地図と、目の前の光景を照らし合わせ、自分が通るべき道を模索する。


目の前の通路に一人。微かに聞こえてくる地面と足の擦れる音を聞くに、通路の先、左へ曲がった所に一人。他の道はどこも道幅が狭く透明になっても通り抜けるのは難しい。


目の前の通路を通り抜けるとするならば……一人目と二人目の間隔が最も離れた時を狙うしかない。透明ローブを使っている場合、全身を隠すとなると、私も視界を確保出来ない為、慎重な行動が要求される。


光の入らない地下。音は周囲に反響し、少しの物音で気取られる。


私は少しだけ深く息を吸って吐いた後、ゆっくりと歩き始める。


自分の足音は完全に消せている。本来ならばここに風魔法を重ねて音を遮断するのだが…密閉された空間では空気の流れが敏感過ぎて使えない。勿論、相手がそれに反応出来ないような程度の低い者達であれば、魔法を使う使わないなど関係の無い話ではある。しかし、魔王様が手配した者達の程度が低いというのは考え辛い。

不意打ちや闇に紛れて相手を気絶させる事ならば容易いが、正面切っての戦闘となると一気に厳しくなる。そもそも私は暗殺部隊の一人であり、正面切っての戦闘は苦手な部類だ。私にとって、というのは、得意分野であると同時に生命線でもある。

つまり、本物の実力者相手に見付かれば、ただでは済まないという事だ。


「まったく…ここは暗くて気が滅入るぜ。」


正面の通路を歩いていた黒翼族の男が、天井を見上げてボソボソと呟いている。


見たところ、男は中年と言える歳だ。ここに居るという事は、魔王様に任命された信頼出来る優秀な者である可能性は高い。高いが…彼等も生きているのだからこういう場所の勤務は気が滅入るだろう。愚痴の一つや二つ出るというもの。

だが、そのが今の私にとっては実に好都合であった。


独り言の時間はせいぜい二、三秒。その瞬間だけ、彼の周りに有る小さな音は声に消される。私はその瞬間を逃さず、彼の横を足早に通り抜ける。

足音を消し、彼に気取られない距離を的確に保ち、通り抜けた先で一度止まる。独り言が終わったのに通り抜けたからと油断して先へ進めば音を聞かれる可能性が有るからだ。

また、私自身も視界を確保出来ておらず、予想外の何かが起きる可能性が有る。故に、時間が掛かるとしても、見付からない事を優先して考えているのである。


独り言を呟いていた男は、私が横を通り抜けた事に気付かず、そのまま後方へと歩いて行く。


十分に距離を取れたと判断した後、前方を確認。足を前へと進める。


ゆっくりと前方を目指すと、目の前にはT字路が現れる。ここを左へ曲がるともう一人の見張り。そして右に曲がると行き止まりが待っている。要するに、もう一人を上手く通り抜けなければならないという事だ。


先程は偶然独り言を喋ってくれたお陰でどうにか抜けられたが、今回は先程よりも道幅が狭く一筋縄ではいかない。


T字路の角から奥の様子を伺うと、通路に立っている者が見える。人狼じんろう族の男性のようだ。人狼族は人型の狼という姿で、より獣に近い見た目通り耳と鼻が利く。利くと言っても本物の狼程ではない為、この距離で気付かれる事は無いし、体臭には気を使っているから近付いても気付かれる事は無い。暗殺部隊にとって臭いというのは周囲の状況を確認する上での重要なものの一つである為、常に無臭である事に気を使っている。


「……………」


タッ…タッ…


黒翼族の足音よりもずっと軽い足音がこちらへ向かって近付いて来ている。まだ距離は有るが、この辺りを巡回している事は分かっているし、程なくして私の近くまで来るだろう。幸い、独り言を言っていた者とは徐々に距離が離れている為、そちらに気付かれる危険は無い。

ただ、人狼族となると、鼻だけではなく耳も良い。先程のように近場を歩いて通るのは難しいだろう。となると…


私はよくよく通路を観察する。

地図だけでは分からない細部にこの状況を打開する何かが有るはず。勿論、希望的観測ではあるが、そうやって今までも切り抜けてきたのだ。


よくよく観察すれば……


私の目に止まったのは、壁に取り付けられている配管。その中に錆が強く浮き出ており、脆くなっていそうな部分。


あれは使えるかもしれない。


人狼族の男がこちらへ近付く前に、私はその配管に近寄る。当然だが、透明ローブを着て人狼族の男には背を向けている。私の姿は見えていないはずだ。

そうして近寄って配管を観察すると、まだ強度的に壊れる程ではないが、他よりも脆くなっている事が分かる。恐らく、力を加える事で簡単に壊せるはずだ。中に通っているのは…恐らく水だろう。


これは使える。


私は、シンヤから貰っていたアラクネの糸を取り出す。細く不可視に近いというのに、恐ろしい強度を持つアラクネの糸は、私達のような隠密を得意とする者にとって重宝するアイテムだ。


私はアラクネの糸を配管に巻き付けると、ゆっくりと反対側の壁へと向かう。


タッ…タッ…


人狼族の男が近寄って来る。


音を立ててしまうと存在に気付かれる距離。

しかし、まだだ。まだ遠い。


タッ…タッ…


そろそろ糸が視認されかねない距離……ここだ!


私はアラクネの糸をゆっくりと、しかし強く引く。


ギギギッ…


配管が軋む音を発する。


「っ?!」


その音に気が付いた人狼族が配管の方へ目を向ける。

それと同時にアラクネの糸を強く引く。


ギギギッ!ブシャァー!


「うぉっ?!」


勢い良く配管から飛び出して来る水。それに反応して驚く人狼族の男。男は咄嗟に配管へと駆け寄ると、溢れ出す水に向けて両手を押し当てる。


「おい!誰か来てくれ!!」


不可視の状態である私だが、水等の物質が当たると、その場に何か有ると直ぐに認識出来る。その為、配管を破壊した後、水が私に触れないよう離れる必要が有った。また、もしも水が私に触れたとしても、気付かれないよう、配管に目を向けた瞬間から私が視界外となる位置取りが必要不可欠だった。そんな理由で手の込んだ事をしたが、わざわざ手間を掛けた甲斐があったようだ。男が水を抑えて悪戦苦闘しているうちに、私はさっさとその場を離れる。

直ぐに近場に居た数人が人狼族の男の元へ走って行ったが、目的を持って走る者を回避するのは難しくない。壁に張り付いて大人しくしているだけで通過してくれるからだ。


軽い騒ぎにはなってしまったが、脆い配管を選んだ為、老朽化が進んでの事だと結論付けるはず。


まだ騒ぎが続いているうちに、私は急いで確認を行っていく。


一つ目、二つ目の部屋は空。三つ目の部屋は鱗人族ではない誰かが入っていた。


そろそろ騒ぎも落ち着いてくる頃だと考えていた時の事。


カシャン!


四つ目の部屋の小窓を開けると、やっと目的の者達が見付かった。


「??」


私が小窓を開けると、中に居るギガス族の内数人がこちらへ目を向ける。


どうやら他の部屋と違い、この部屋は大部屋になっているらしく、パッと見ただけで十人以上居るのが見える。全員が閉じ込められているかは分からないが、間違いなくギガス族である。


「お前達。セレーナ姫の護衛か?」


「……そんな事を聞いてくるという事は、連中の仲間じゃないって判断しても良いのか?」


私が声を掛けると、中に居る者達の内の一人がこちらへ言葉を返す。


茶色い髭に茶色い髪。頭の頂点部分の毛が薄くなっており、相応の歳だと分かるが、体はかなりがっちり…というか筋肉隆々きんにくりゅうりゅう。ギロリと睨み付けるような鋭い目付き。茶色の瞳には同じように鋭い眼光。耳も鼻もボテっとしていて戦士と言えばという典型的な男だ。声も野太い。

ギガス族というのは人族とほぼ同じ見た目でありながら、筋肉の付き方が桁違いでる。それ故に、余計に戦士らしく見える。いや、体中に見えている古傷から、歴戦の戦士である事は直ぐに分かる。かなりの腕を持つ戦士だろう。


「そうだと言って信用出来るかは分からないが、私達はお前達を助けに来た。」


「「「「……………」」」」


私は小窓から目だけを覗かせている為、相手からは私がどういう見た目なのかさえ分からない。それを信用してくれというのはあまりにも無理な話かと思っていたが…


「いや。もし助けてくれるというのであれば、我々はお前を…いや、お前達を信用する。どこの手の者かは知らないが、俺達をここから出してくれ。」


「サ、サーヒュ隊長?!」


「何を?!」


私に対して受け答えしていた男は、サーヒュ隊長と呼ばれており、恐らくこの集団のまとめ役。彼と上手く話が出来ればすんなりと事が進むかもしれない。


「この状況を打開出来るのならば、誰にでも、何にでも縋るべきだろうが!第一に考えるべきはセレーナ姫の事!優先順位を間違えるな!」


周囲に聞こえないよう、彼は声を抑えて喋っている。実際には小声のよな声量であったのだが、それでも周囲の者達全てを黙らせる迫力を放っていた。


「すまん。俺は、サーヒュ-ロレ-テナル。セレーナ姫の護衛部隊隊長だ。今はとにかくここを出たい。助けてくれ。」


サーヒュが私の覗いている小窓に近付いて来ると、その場で頭を下げる。


「頭を下げる必要は無い。元々お前達とセレーナ姫を助け出す為に来たのだからな。」


「ありがたい…」


「仲間はこれだけか?」


「いや。半分は別の所に閉じ込められているはずだ。詳しい場所は分からない。」


「…分かった。それはこちらで探す。お前達は少し待っていてくれ。必ず助け出す。」


「承知した。」


詳しい事を何も聞かず、私の言葉に頷くサーヒュ。それが既に私を信用しているという証にもなっている。話の分かる隊長で助かった。このまま長くここに居るのも危険だ。


短くはあったが、取り敢えず囚われているギガス族の半分は見つけ出した。残り半分は…恐らくこの階層ではないはず。私がギガス族の者達を捕まえた側ならば、もしもの時に直ぐ合流出来ないよう階層を分けておく。となると、この階層を調べる必要性は低くなるが、憶測で動いて実は同じ階層でしたなんて話になった時は最悪だ。そうならないよう、一先ずこの階層を一通り見て回る。


私はサーヒュの囚われている部屋から離れる。


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー



「これだけの数が居ると、やはり時間が掛かりますね…」


エフが俺達から離れ、階層を調べに向かってから既に数十分が経過している。既に何度かこちらまで見張り役が歩いて来たが、どうやら俺達の隠れている場所までは巡回ルートに入っていないらしく、今のところ見付かってはいない。とはいえ、あまり長く停滞していると何が有るか分からないし、焦る気持ちも少なからず有るというのが本音だ。

ニルとしてはエフの事が心配らしく、しきりに通路の奥を見ており、かなり落ち着かない様子だ。


「大丈夫だ。エフなら上手くやってくれるさ。」


「は、はい。」


エフの隠密技術はかなりのもの。それはニルも分かっている。それでも心配になってしまうのは、それだけ皆の事を大切に思ってくれているからだろう。


「任せてくれと言った以上、完璧に任務は遂行する。」


俺とニルが小声でそんな会話をしていると、何も無いはずの空間からエフの声が聞こえてくる。


「戻ったか。」


完全な不可視状態となっており、更にエフの技術で気配を消されるとどこに居るのか全く分からない。声が聞こえても空耳だったか?と思ってしまう程だ。


「ああ。取り敢えず、囚われているギガス族の半数は見付けたぞ。」


「本当か?!」


「ああ。セレーナ姫の護衛部隊隊長も居た。話が分かる奴だったから後で助けに来ると伝えておいたが、残りの半数はこの階層には居ないな。」


「まあ、同じ階層にまとめておくなんて事はしないよね。」


スラたんの言うように、捕まえた一団をまとめておくと、協力し合って逃げ出そうとする。しかし、半数、もしくは更に多くのまとまりに分けておけば、下手な事をすると他の者達に被害が出る可能性を考えて動けなくなる。古典的ではあるが、効果的な方法だ。


「ここより上の階層には居なかったし、残りは更に下の階層か……かなり下りてきたし、そろそろ最下層に到達するんじゃないか?」


「そうね。暗くて見えないけれど、下から音が反射して来ているから、最下層はもう目の前ね。」


何となくこうなる事は予想していたが、この特別に広い監獄内の約半分を見て回る事になるとは…誰が考えたか知らないが、本当に厄介な物を作ってくれたぜ…


心の中で愚痴を吐いた後、俺達は更に下の階層へと下りる。


結論から言うと、部隊長サーヒュという男が居た階層から二つ下の階層に残りの半数が居た。

最悪、数人欠けているかもしれないと考えていたが、そんな事もなく全員無事らしい。ただ、そこまで来てもセレーナ姫の姿は無く、またしても待つようにエフが伝え、俺達はそこから更に二つ階層を下りた。


「結局最下層間近まで来てしまったわね。」


俺達が居るのは最下層から三つ上の階層で、既にこの監獄の底が視認出来るところまで来ていた。


ギガス族の者達が捕まっていない階層は、あからさまに見張りが少なく、俺達も一緒に回れた為、それ程時間は取られなかったが、それでもここまでにかなりの時間を消費してしまっている。そろそろセレーナ姫を見付けて逃げ出したいところだが…


「…この階層は当たりかもしれないな。」


見付からないように橋を渡り切ったところで、直ぐにエフが呟く。


「数が多いのか?」


俺の質問に対して、エフは頷いて答える。


「今回も私が一人で行こう。」


「…負担を掛けて悪いな。」


「この程度、負担とは思わん。」


いや、間違いなくエフには負担を掛けている。広い階層を一人で見て回るだけでも大変なのだ。

しかし、彼女は涼しい顔をして歩き出す。

頼りになる仲間というのは、本当に心強いものだ。


エフが歩き出した時から二十分後。予想よりもずっと早くエフが帰還した。


「戻った。」


虚空から聞こえたエフの声に全員が反応し、声の方向へ顔を向ける。


「どうだった?」


「居たぞ。恐らくあれがセレーナ姫だろう。」


「よし!」


「しかし……」


「「「「「????」」」」」


歯切れの悪いエフに対して、全員が疑問顔を向ける。


「セレーナ姫の所まで行くとなると、私でも見付からずに…というのは難しい。」


「そのローブを使っても…という意味だよな?」


「ああ。」


「それは…」


詳しく聞いていないが、エフが無理だと言う程の状況となると、それなりの状況という事だろう。まあ、ギガス族の護衛部隊よりも、姫の方が手薄な警備というのは有り得ない話だし当然ではあるのだが…

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