第732話 下層探索

独房から離れて行く俺達に対し叫び続ける男。その声に対し、シュルナだけは少し困った顔をしていた。


恐らく、男の声が本当に悲しそうに聞こえて、彼が冤罪で閉じ込められた可哀想な男だと思っているのだろう。


だが、その顔色は直ぐに変わる事となる。


ガシャンッ!!

「おい!戻って来やがれ!殺すぞ!」

ガシャンッガシャンッ!!


激しく鳴る鉄格子。その音に負けない程の大声が後ろから聞こえてくる。


その声を聞いた途端。シュルナは青い顔をしてニルの裾を引っ張る。


純粋な彼女にとってはかなり怖い体験だとは思う。だが、この世にはこういう連中だって居るのだと知る必要も有る。特に、俺達と行動を共にするのならば、他人を疑う事を覚えなければならない。悲しい事ではあるが…


「おい!戻って来ないと後悔する事になるぞ!オラァッ!」

ガシャンッ!ガシャンガシャンッ!!


「後悔させてやるからな!オイッ!!」

ガシャンッ!!


男の叫び声は、結局俺達がその場を離れても聞こえ続けており、聞こえなくなったのは声が届かなくなる距離にまで離れた時だった。

檻の中から俺達を後悔させる事など出来ないと思うのだが…そう分かっていても、シュルナには恐ろしい相手だったのか、声が聞こえなくなってからも真っ青な顔は変わらなかった。


そんな事が有りつつも、俺達は何とかその階層を見て回る事に成功。結果から言えば何の収穫も無かったのだが…落ち込んでいる暇は無い。


そうして複雑怪奇な階層を進み、三階層目。下層と呼ばれる階層に到達。

それまでと同じように探索をしていると、先頭を進んでいたエフが俺達へ向けて止まるようにと手を挙げる。


「………まだ遠いが、この階層に見張りが一人居る。」


「例の?」


「恐らくな。鱗人族の足音とは違う。」


「なるほど…つまり、ここからが本命って事だな。」


ここまでは、どちらかと言うと鱗人族が居ない事を確認する為だったが、ここからは彼等の居る可能性が跳ね上がる。より一層確実な確認が必要になるという事だ。


「その人を迂回して通り抜けられるでしょうか?」


ニルの疑問に対して、エフは考えるような素振りを見せた後、口を開く。


「そうですね…迂回は可能ですが……相手が一人であれば処理してしまう方が早いかもしれません。」


「いえ。出来るならば時間が掛かってでも迂回するべきです。被害が私達だけに及ぶのならばまだしも、鱗人族の方々に迷惑を掛けてしまう可能性が有ります。」


「そうでした…申し訳ございません…」


しゅんとするエフ。しかし、エフの意見も間違いではない。上手くいけば迂回して時間を取られる事はないし、一人無力化出来る上に色々と情報を入手出来る可能性だってある。しかし、それは上手くいけばの話であり、上手くいかなかった時の代償が大きい。俺達は見張りの連中に見付からないよう行動する事を第一に考えなければならない。


「怒っているわけではありませんよ。それより、見付からないように先へ進むにはどう動けば良いでしょうか?」


「…はい。こちらです。」


エフは気持ちを切り替えて進行方向に対して右の道へと進む。


複雑な構造の場所を進むようになってから、周囲の見た目が少し変わり、水でも通しているのか、配管が壁に固定され、色々な方向へと伸びているのが見える。周囲は薄暗く、時折うめき声のようなものが聞こえて来て気味が悪い。ここは監獄なのだから気味が悪いのが当たり前と言えば当たり前だが…


見張り役の者を迂回するのはそう難しい話ではなく、エフの案内で見張り役を回避する事に成功。その階層を見て回った。またしてもギガス族の者達は見付けられなかったが、今のところ見張り役に姿を見られてはいない。


周囲の階層から見られていない事を確認し、俺達は中央へ戻り更に下の階層へ移動。


「また居るな…」


下の階層へ移ってから直ぐに、エフが階層に見張り役の気配を感じ取る。


「何人だ?」


「まだ分からないが…少なくとも二人は居るな。」


「迂回も難しくなるな…」


「だが、逆を言えばそれだけ警戒しているという事だ。私達の目的地は近いかもしれないぞ。」


「…そうだな。気を抜かずに行こう。」


このアンバナン監獄がどれだけ大きいかは事前の話で分かっていた事だが、実際に中へ入って探索していると、より一層大きく感じられる。

中層と呼ばれる階層でも一階層調べるだけでそれなりの時間が掛かっていたが、下層に入ってからは段違いの時間が掛かっている。

それでも、最下層までは残り数階層。このまま順調に事が運べば、夜が明ける前に逃げ去る事が出来るだろう。順調に事が運べば…


「チッ…こっちはダメだ。このまま行くと一本道で出くわす。」


「だとすると…この道はどうかな?」


「…この道は進めるが、その先で詰んでしまう。行くならこの道を通ってこっちに流れるしかないな。」


エフの索敵とシュルナの地図案内で進んではいるものの、見張り役の位置がそこそこ厄介で来た道を引き返す事も何度か有った。思うように進めないと気持ち的にも焦りが出てくる。


「そうなると…次はこっちの道を進んで、突き当たりを左だね。」


「よし。」


ガシャンッ!!


先へと進み始めたと思ったら、いきなり近くから金属音が鳴り響く。


「あ゛ー?なーんだー?なんでこんな所に一般人が居るんだー?」


先程まで静かだった独房の鉄格子に、黒翼族の男が張り付いており、その男がこちらを見て話し掛けてくる。

目の焦点は合っておらず、口元には涎の泡が付着している。薬物でもやっているのか、その後遺症なのかは分からないが…間延びした喋り方からも普通の精神ではない事が分かる。


「キヒッ!良いねー。良いね良いねぇー!キヒヒッ!」


鉄格子に張り付いている男は、喋る度に口の端から泡を飛ばしている。正直なところ、出来るだけ近付きたくない。


「なー。こっちに来てよー、俺に殺させてくれよー。良いだろー?なー?キヒヒッ!」


良いわけがない。


「チッ…」


エフがまたかと言いたげに舌打ちして男を見る。


「キヒヒー!良いねぇー!その強気な表情が苦痛に歪む所を想像するとー……キヒィー!!」

ガシャンガシャンガシャンッ!


「キヒヒヒーッ!!」

ガシャンッガシャンッ!


狂ったように鉄格子を揺らし音を立てる男。

狂ったようにというか狂っているのだろう。ただ、この男が狂っていようといなかろうと、これ程の音を立てられるのはまずい。


「何事だ?!」


案の定、俺達が向かいたかった先から見張り役の一人が向かって来る。


「チッ!シンヤ!そこの道に入れ!私が何とかする!」


「クソッ!」


エフが咄嗟に指示を出す。この階層を覚えたのはエフだ。恐らく一時的に身を隠せる通路なのだろう。


俺達は急いで指示のあった道へと体を滑り込ませる。道と言っても数メートル先は行き止まりで袋小路。しかし、身を隠せる場所は他に無い。何とかここでやり過ごせると良いが…


シュルナに静かにするようジェスチャーで示し、エフの方をそっと覗き込む…がしかし、既にエフの姿は見えない。どこに隠れたのだろうか…?ここは一本道で側道は俺達の居るこの場所だけなのに…


「キヒヒヒーッ!キヒィー!」

ガシャンガシャンガシャンッ!


「おい!うるさいぞ!」

ガンッ!


音に呼ばれて来た見張り役は男。黒くツルツルした尻尾と翼が有るのを見るに黒翼族だ。


「あー?んー?」


駆け付けた男が独房の中に居る男の鉄格子に向かって警棒のような物を叩き付ける。すると、独房の男が首を大きく傾けて見張り役の顔を見る。


「どうなってんだー?さっきの奴等はどこに行ったんだー?あー?」


「何を言っている!静かにしないと下へ移すぞ!」


「ヒィ!嫌だー!下へは行きたくないー!」


駆け付けた男の言葉を聞き、鉄格子に張り付いていた男が部屋の奥へと引っ込み縮こまる。


「ったく…これだから頭の狂った奴は嫌いなんだ。」


見張り役の男が檻の中を一瞥する。


「しかし…さっきの奴等とか言っていたが……」


狂人の妄言もうげんだと割り切ってそのまま帰ってくれれば良かったのだが、どうやらそうはいかないらしい。


「最近は色々と物騒だって聞くし…」

コツ…コツ…


男が独り言をブツブツ言いながら俺達の方へと歩いて来る。


認識阻害の魔法はハイネ達が吸血鬼魔法で掛けてくれたが、あまり近寄られるのはまずい。いざとなれば当身あてみでもして意識を奪うか…


俺は男が目の前に来た瞬間に飛び出せるよう足に力を入れる。


「取り敢えず、一度報告してから…ぐっ?!」

ガンッ!


もう少しで見付かる…というタイミングで、エフが男の真後ろに現れ、義手で男の後頭部を強く殴り付ける。あれは間違いなく痛いやつだ。


ドサッ…


エフの一撃を後頭部に受け、男はそのまま気絶してうつ伏せに倒れ込む。


「……流石はエフだな。」


正直、エフが姿を現すまでどこに隠れていたのか分からなかった。

どうやら、天井の暗い部分に張り付いて姿を消していたようだ。あの一瞬でよくもまああれだけ完璧に姿を消せるものだ。


「これくらいは容易い。それよりも…」


「…ああ。時間を掛けていられなくなったな。」


エフがギリギリまで男を攻撃しなかったのは、男が俺達に気付く事無く去ってくれる可能性を待っていたからだ。しかし、そうはならなかった。あのまま何もしなければまず間違いなく俺達は見付かっていたのだし、エフの判断は正しい。ただ、見張りを一人気絶させた事で、より俺達に残された時間が減ってしまった。

気絶させた男は、何者かに襲われて気絶したという事を目を覚まして直ぐに認識するはず。そうなれば当然報告するだろうし、完全に俺達の事がバレてしまう。そうなる前に急いでギガス族の者達を助け出さなければならなくなったわけだ。


「チッ…こいつのせいで…」


檻の中、部屋の隅で縮こまる男を睨み付けるエフ。


「下へは行きたくない…下へは行きたくない…下へは行きたくない…」


エフの気持ちも分かるが、相手は檻の中。いくら極悪人とは言えど、既に捕まっている相手を俺達がどうこうするのは話が違う。睨み付けるくらいしか出来ない。それに、俺達が何もせずとも、男は何かに怯えてブルブル震えている。

話から察するに、下の階層に恐ろしい奴でも居るのだろう。囚人達も常に牢屋の中に居るのではなく、牢屋の外に出る時間くらいあるはず。その時に何かされたのか、言われたのか…まあ、投獄されている者の事など俺達には関係無い。


「急ごう。」


「ええ。一応この男は隠して拘束しておくけれど、目を覚ましてしまったら直ぐに見付かってしまうわ。」


「殺してしまった方が良かったか?」


「エフさん。この人達自身は自分の仕事を真面目にこなしているだけですよ。」


「うっ…も、申し訳ございません…」


命を奪えば、死人に口なしで面倒事は少なくなるだろう。しかし、それでは盗賊のやっている事と変わらない。黒犬であったエフとしては選択肢として当然入ってくるものなのだろうが、自分達が楽をしたいから、その方が都合が良いから…という理由で命を奪うのは違う。

魔界に入り、E部隊と会ってからというもの、エフの考え方が少し黒犬に引っ張られているような気が…いや、魔界に入り、行こうと思えばいつでも魔王の居る城へ行ける距離なのに、そう出来ない現状に対して焦りを感じているのだろう。それがより早く、簡単な選択肢に導いてしまうのだ。

エフの焦る気持ちは仕方の無い事だが、そういう時だからこそ慎重に動かねばならない。


「今回の件。真相に近付いている者は一握りです。私達が焦って失敗すれば、同じように動いてくれている方々全てに迷惑を掛けます。迷惑を掛けるだけならばマシな方です。一度のミスでこの状況を打開不可能にしてしまう事も考えられるのですよ。それ程に戦力差は大きいのです。

エフさんならば分かっているはずです。」


「…はい。」


「焦るなとは言いません。魔界の中へ入って物理的な距離が近付いた分、焦るのも分かりますからね。ですが、私達全員がエフさんと同じ気持ちなのです。私達の事も頼って下さい。」


「ニル様…」


ニルだけでなく、俺達全員が同じ気持ちだ。

エフのような魔王に対しての忠誠心は無いが、それでも俺達にだって託された思いは有るのだ。どうにかしたいと思っているのは皆同じである。


「行こう。今はとにかくここを攻略するんだ。」


「……ああ。」


エフの焦りが少し落ち着き、いつもの調子に戻り始めたらしい。キリッとした表情で頷いてくれた。


そこからは、スラたん、エフ、シュルナの道案内を受けつつ階層を探索。探索自体を素早く行わねばならない為、シュルナの持っている地図を使っての案内は最小限にして一気に見て回る。

気絶させた男以外にも見張りは居たが、何とか回避に成功。そのままもう一つ下の階層へと向かう。


「どうだ?」


「まずいな…かなり見張りの数が多い。」


階層を下って直ぐにエフが眉を寄せる。

階層間を移動する際も、見張りの目が無い瞬間を狙って移動した。その時からこの階層の見張りがやけに多いのは分かっていた。恐らく、回避が難しいであろう数の見張りが居る。

今は身を隠しているが、下手に動くと即座に見付かってしまうだろう。


「どうするか…」


「…ここは私が一人で行こう。」


そう俺達に言ったのはエフ。

先程までとは違い、焦りから来る一言ではなく、現状を考え、それが最善だと結論を出したのだろう。それはエフの目を見れば分かる。


「…透明ローブか。」


「ああ。これならば姿をほぼ完全に消して探索出来る。この階層の地図は頭に入っているし、私が適任だろう。」


「…………」


俺がニルに視線を向けると、ニルは無言で頷く。俺の考えている通り、今のエフならば大丈夫だとニルも考えているようだ。


「分かった。ただし、何か起きた時は直ぐに戻って来てくれ。ギガス族の者達を見付けても同じだ。」


「分かっている。連中をゾロゾロと引き連れて歩くわけにはいかないからな。確認だけしてくる。」


「…頼んだ。」


「ああ。任せておけ。」


口角を少しだけ上げて言うエフの表情は、既にいつもと同じものだ。心配は必要無いだろう。


エフは自分を覆うようにローブを着ると、魔力を通して姿を消す。実に見事なものだ。俺も欲し…くない。欲しくないから俺の目を見詰めないでくれ。ニルさん。


ーー・ーー・ーー・ー・ーー・ーー・ーー



透明ローブを頭から被り、私はシンヤ達と離れ単独でアンバナン監獄の下層を探索する。


気配を隠し、身を隠す技術は身に付けているし自信も有る。しかし、見張りの数が多く簡単には通り抜けられそうにない。


この階層に作られている完全隔離型の独房は全部で五つ。それぞれが数十メートル間隔で設置されており、その間の道程は非常に複雑。中には完全な一本道で逃げ場の無い通路も有る。道順を間違えてしまうと動けなくなる可能性が非常に高い。


頭の中に入っている地図を展開し、見張りの位置と道順を照らし合わせて最適なものを選ぶ。簡単な事ではないが、私ならば出来る。


まずは一番近い独房へ向かおう。


足音を消し、私は極力速く正面の通路に入る。

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