第731話 中層

アンバナン監獄、中層。


このアンバナン監獄は下へ行く程に、より罪の重い…つまりタチの悪い相手が収容されている。そう聞いていたが、俺達が中層に来てから直ぐにその言葉が本当だったと理解した。


上層とは違い、中層の連中は叫んだりしない。

しかし、独房の中から俺達に向ける視線はねっとりと首筋に絡みつき、鳥肌が立つようなもの。

強敵から向けられる視線に背筋が凍る事は有るが、それとは全く別種のものだ。殺気とも違う独特な気色悪さを感じる。


上層の連中がチンピラだとしたら、中層はその手の組織の者達…くらいの差が有るように感じる。それくらい、中層に入ってからガラリと空気感が変わったのだ。


「シュルナ。絶対に離れるなよ。」


「う、うん。」


正直、極悪人とは言っても上層の連中は警戒する必要も無いような者達ばかりだった。うるさい上に下品な連中ではあったが、盗賊連中とあれだけ斬り合ったのだからある程度の耐性は付いている。腹は立つがそれで精神が掻き乱されるという事は無い。

しかし、この中層では、少なくとも警戒が必要だと思われる相手が何人か居る。檻の中で何か出来るはずなどないのに、虎視眈々こしたんたんと俺達の事を狙っているような視線を感じるのだ。


俺達を捕まえて人質にし、脱出を試みようとしているのか…それとも、単純に殺す事が目的なのか…その詳細は分からないが、無闇に独房へ近付けば、相手が檻の中であろうと危険だ。特に、シュルナのように戦えない者にとっては脅威でしかない。

俺達はシュルナを守れる陣形を取りつつ、独房の並ぶ外周部へと向かって橋を渡る。


橋など渡らずとも、中央から見てギガス族が居なければ下へ向かへば良いだろうと思うだろうが、中層より下の区画には上層と違って完全な隔離部屋というのが存在する。

上層部分では、独房には鉄格子がはめ込まれ、罪人には枷。他に目立った防衛機構のような物は見えなかった為、恐らく、罪人につけられている枷は、奴隷につける枷と同じような効果を持っているのだろう。普通の奴隷の枷よりも強力な物だったり、条件が厳しい可能性は高いが…

要するに、罪人達が何かしようとしたならば、その場で枷が彼等の命を奪うという事。本来であれば、そんな状態で何かをしようという罪人は少ない。

しかし、中層より下にはそれだけでは危険な連中が収容されていたりする。枷だけでは絶対に安全だと言い切れない連中をどうやって収容しておくのか。

答えは簡単だ。鉄格子などという甘いものではなく、部屋自体を分厚い鉄板で作り、扉も同じような頑丈な素材で作るのだ。手足は勿論、声でさえ部屋の外には聞こえない頑丈な部屋となれば、いくら極悪人でも文字通り手も足も出ない。

そして、そんな鉄板で覆われている独房は、近付いて中を確認しなければ、誰が入っているか分からない。ギガス族達を隠しておくのに都合が良すぎる部屋である。

中層以降の全ての部屋を確認する必要は有るが、中層においては、部屋数が一階層に三つ程度である為それ程時間は掛からないはず。まあ…上手く事が運べば…の話だが。


橋を渡り終えた先にはまたしても鉄格子。その鉄格子を鍵で開けて外周部に入って直ぐの場所は軽い踊り場のようなスペースになっており、いきなり誰かの独房前という配置ではない。

確認が必要な部屋は外周部に正三角形となるように配置されており、俺達はぐるり一周歩かなければならない。


「行くぞ。」


「はい。」


俺の声に反応して、ニルとエフが先頭を歩き始める。


コツッコツッ…


「………」


コツッコツッ…


「…………」


外周部を反時計回りに歩き始めると、独房は直ぐに右手側に見えてくる。


特に何か言われたりされたりはしないが、中に見えている囚人は濁った瞳でこちらをじーっと見詰めてくる為気持ちが悪い。

不必要な囚人との接触を避ける為、極力目を合わせないように前を見て歩いているが、中には鉄格子に両手を掛けて外を歩く俺達を見詰める者も居て警戒の意味も有り、視線を一瞬そちらへと向ける事も有る。その時に目が合うと、二チャリと笑う者や、舌なめずりをする者。とにかく、普通ではしない反応をされるから背筋に寒気が走る。

監獄内に収容されているのは、色々な種族の者達で、鱗人族の囚人は今のところ見ていない。一番多いのは、魔界内で数が最も多い黒翼族だろうか。

顔に大きな傷が有ったり、片目が潰れていたり、片手片足が無かったり…五体満足な者の方が少ない。


硬質な足音を鳴らしながら先へと進むと、まず一つ目の部屋へ辿り着く。


錆の浮いた分厚い金属製の扉。パッと見だが鉄ではないように見える。

その扉には、顔の高さと膝くらいの高さに開けられる小窓が付いており、顔の高さの方は中を確認する用。膝の高さの方は食事等を渡す場所になっているらしい。


カシャン!


一応警戒しつつ、顔の高さの小窓を開ける。中は薄明かりの灯った部屋で、他の部屋と構造は変わらない。

簡易的なベッドとトイレ、洗面台。それだけの部屋だ。流石に牢屋についての知識は乏しいが、元の世界でも同じような構造だったのではないだろうか。

一応言っておくと、小窓の奥にはガラスのような物が有って牢屋内から直接こちらへ干渉する事は出来なくなっている。食事の受け渡し口も直接干渉できないような形になっているのではないだろうか。

かなり厳重な構造に思えるかもしれないが、これでもまだ足りないくらいだろう。ここに来る連中は比喩ではなく、ここから一生出られないような罪状を抱えているはず。どうせここで息絶えるのならば…なんて考える連中が居てもおかしくはない。そうして嫌な意味で腹を括った者は何をするか分かったものではない。

死刑に処したり完全に隔離出来るのならば簡単な話かもしれないが、そう出来ないのであれば注意し過ぎてし過ぎな事はないだろう。


「どう?」


「いや。ここは違うみたいだ。」


中に居たのは黒翼族の男性。俺が小窓を開けると一度だけこちらをチラリと見たが、直ぐに興味を失ったらしく視線を逸らした。


「……これではらちが明かない。私が先の階層を見てくる。」


エフの言っている事は当然の感想である。一階層ずつ確認していくのは気の遠くなるような話だし、全ての階層をぐるりと一周するだけでも時間が掛かる。あまり時間を掛けたくはないし、出来る限り素早く事を済ませるならば手分けして確認するのが良い。


「私ならば気付かれないように移動する事も可能だ。例の連中に見付からないように動けば良いだろう。」


「……………」


ここに居るのは監獄に囚われている囚人と俺達。そしてギガス族達を隔離している連中だけ。囚人は全て独房に閉じ込められている為脅威になる可能性は低い上に、エフ程の力量が有れば何か起きたとしても対処が可能だろう。

時間が有るのならば全員で確認して回るのが最も安全で確実だが…今はそうも言っていられない。


「分かった。だがエフだけではもしもの時に危険だ。」


「私が行くわ。」


直ぐに手を挙げたのはハイネ。

隠密も可能でエフの動きに適応可能となると彼女が適任だろう。


「任せて良いか?」


「ええ。一階層ずつズラして確認していくわ。それなら時間も半分よ。」


「ああ。頼んだ。」


エフとハイネは一度俺に向けて頷いてから中央へと戻る。


「俺達も急いで回ろう。」


「はい。」


複雑な構造をした階層はもう少し下の階層になる為、今の階層はさっさと回り、時間を短縮したい。


下の階層はエフとハイネの二人に任せ、俺達は可能な限り速く階層を確認する。


結論から言うと、そこから数階層にギガス族の姿は無く、スラたん達に覚えて貰った複雑な構造をした階層に入る事となった。


「ここから先はエフ達も一緒に動かないとな…」


数階層分の時間短縮しか出来なかったが、それでもそれなりの時間短縮にはなったはず。数十分程度の時間短縮がどれ程この後に影響してくるのかは分からないが、この後逃げる事も考えると早いに越したことはない。


「別で行動しても何とか対処出来ると思うが。」


エフはこのまま二手に別れて確認する事を提案しようとしたみたいだが…


「ここから先はかなり複雑な構造になっているし、奥まった場所で何が起きても別階層に居る僕達には気付く事が出来ないでしょ。対処が遅れると最終的に作戦自体が失敗するかもしれないと考えると、別行動は避けるべきだと思うよ。」


「……正論だな。」


スラたんがすかさず意見を述べてエフを説き伏せる。


実際のところ、恐らくエフ達と別行動しても対処は可能だろう。俺達が主に相手をするのはギガス族の連中を監禁している者達数人のみ。エフやハイネが後れを取るとは思えない。

しかし、念には念をではないが…こんな場所だからか嫌な予感がする。杞憂きゆうであれば良いのだが、そうでなかった時が怖い。根拠の無い話ではあるが、俺の嫌な予感は当たる事が多い。


「ここからは地図が必要だ。シュルナ。道案内を頼めるか?」


「うん!」


「ただし、何か起きた時は道案内よりも逃げる事を優先するように。」


「分かった!」


いつものように元気なシュルナに見えるが、内心はかなり怖がっている。それくらいは俺にも分かる。しかし、敢えてそこには触れない。彼女が決めたのだから信じよう。


「行くぞ。」


何度目かの橋を渡り、中層後半を攻略する為に外周部を歩き始める。


ここからは調べなければならない部屋の数が増え、一階層で十以上。それも特定の場所にはなく、ランダムな位置に作られている。また、外周部自体が複雑な迷路のような構造をしており、奥まった場所に目的の独房が在ったりもする為、かなり時間が掛かるのは間違いない。それが分かっているから、キャリブルも日が沈んで直ぐに集合するよう言ってくれたに違いない。

この監獄は、下に行く程地上で管理されている魔具の影響が薄れる為、色々な階層に魔具等を配置している。魔具と言ってもボイラー室のような大きめの魔具である為、魔具部屋が随所に造られているというイメージだ。

その部屋を造らなければならない関係で、どうしても構造が複雑になってしまうというのも有るのだろう。ここの管理を任されている鱗人族ですら迷う事が有る程複雑になっている。


「えっと…突き当たりを右に行って…」


シュルナの案内を聞きながら、俺達は監獄内を進む。

上階とは違い、複雑な構造である為、独房に囲まれて数多の視線に晒されるという事が無いのが唯一良い点だろう。お陰でシュルナの緊張も少し落ち着いたように感じる。しかし、シュルナ以外の皆は逆に緊張感を増している。何故ならば、時折通り過ぎる檻の中に居る者達の持つ雰囲気が、下へ向かうにつれて強烈な物に変わっているからだ。

何度も言うようだが、その雰囲気というのは強者特有の物とは全くの別物だ。いや、ある種の強者と言っても良いのかもしれないが、単純な強者の雰囲気とは違う。言葉で表現するのは難しいが、敢えて言葉にするのならば、俺達とは考え方も感覚も全く違い、相容れない異質な存在が持つ雰囲気…だろうか。もっと簡単に言うのならば…サイコパスの持つ雰囲気とでも言えば良いだろうか。

檻の中の連中と言葉を交わしたりはしていないし、その者が何の罪でここに囚われているのかも知らないが、異質な相手というのは見るだけで何となく分かるものだ。と言っても、それは俺達の感覚でという意味であり、シュルナには感じ取れないものみたいだが…

何にしろ、ここまで以上に何をするか予想出来ない相手が囚われており、その前を通るのだ。緊張しないというのは無理がある。


カシャン!


「チッ!ここも違う。」


毎度ハズレばかりを引かされ、イラついたエフが舌打ちをする。


こういう場面の定石と言えば、最下層にギガス族達が居て、それを助け出す。なんて感じだろうが、この世界を構築した連中はひねくれていると言うのか、プレイヤーの裏をかくのが好きというのか…定石通りにいかない事の方が圧倒的に多い。

そう考えると、最下層に居るだろうと考えるプレイヤーが多いならば、中間地点…いや、中途半端な階層に当たりを用意しようなんて考えて配置している可能性がかなり高い。

つまり、結局は一階層ずつ地道に調べて進むしかないという事だ。


「イラつくのは分かるが、中層ももうすぐ終わりだ。」


「…すまん。ついな。」


エフの気持ちを落ち着かせ、次の目的地へ向かおうとした時だ。


「あんた達。少し待ってくれねぇか。」


俺達に向けてであろう声が少しだけ奥まった独房から聞こえて来る。声の感じから男だというのが何となく分かる。


「行くぞ。」


当然、俺はそんな声など無視して先へ進もうとするが…


「待ってくれよ。あんた達、ギガス族の連中を探しているんだろう?」


ギガス族の単語についつい足が止まる。


「何故そう思う?」


「こんな下まで来るのは飯を運ぶ連中だけだ。見た事もねぇ一般人。それも鱗人族じゃねぇ奴等が下りて来たなら何か目的が有るって考えるのが普通だ。

そんでもって、そんな連中が目的にしているのがここに収容されている悪人の類ってのは有り得ねぇ話だ。

となれば、罪を犯したわけでもねぇのに、最近ここに連れて来られたギガス族の連中が目的って考えるのが妥当だろうよ。」


声の主が居る独房は角の先に在って声しか聞こえないが、なかなか頭の回転が速い奴らしい。


「……それで?それが目的だとしてどうした?お前には関係の無い事だろう。」


「まあ、直接は関係ねぇが…ギガス族の所まで案内出来るって言ったらどうするよ?」


「必要無い。」


「おいおい。本当に断って良いのか?こんな複雑な場所を歩き回るのは骨が折れるぜ?」


「だとしても、極悪人の手を借りるよりマシだ。」


頭の回転が速い奴ではあるが、ここに囚われている時点で協力者にするという選択肢は存在しない。


「極悪人ねぇ…そう決め付けられると困っちまうぜ。」


「決め付けるも何も、ここに囚われている時点で結果は出ているだろう。」


「俺は冤罪えんざいで捕まっただけだ!!」

ガシャンッ!!


鉄格子を殴ったのか蹴ったのか…金属音が鳴り響くが、それ以上に大きな声が周囲に響く。


「冤罪?」


「そうだ!俺は何もしてねぇ!濡れ衣を着せられたんだ!」


叫ぶような声だけを聞くと、本当に可哀想なだけの男に感じられる。

もしかすると、この男は本当に冤罪なのかもしれない。罪の無い者が捕まるなんて話は元の世界でもそれ程珍しくはなかった。


しかし、それは今の俺達にとっては全く関係の無い話だ。冷たい物言いかもしれないが、そんな事はこの男をここに監禁している連中に言って交渉するべきであり、俺達には全くの無関係である。


「そうか。残念だったな。」


俺はそう一言だけ告げる。


そもそも、この男の話が本当であるとは考えていない。ここは脱獄不可能なアンバナン監獄。魔界内でも超極悪人が収容される施設なのだ。そこまでの場所に投獄するとなれば、投獄する方だって確実な証拠を持っているはず。つまり、この監獄に押し込まれているという事は、それだけで確実に罪を犯していると判断された者だという証。男の言動は十中八九演技だ。


「おい!待て!行くんじゃねぇ!」


俺達が檻から離れる方向に歩き始めると、焦ったように男が叫ぶ。

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