第730話 アンバナン監獄へ

「まさかこんなに早く皆を説得してくれるとは思わなかったね。」


宿に戻ると直ぐにスラたんが驚いた様子で言う。


「だな。政治に関わらないようにしているとは言っていたが、シャーガが政治に絡んだらとんでもない人物になるかもしれないな。」


「確かに、商人にしておくのは勿体ないわね。本人が望んでいないのに無理強いは出来ないけれど、魔界の為に働いてくれれば大きな利益を呼び込んでくれそうだわ。」


「まあ、まずは魔王をどうにかしない事にはどうにもならないが…」


「その為にも、ギガス族の姫と鱗人族の連中を助けるんだ。失敗は許されない。

イー達はまだ動かないとは思うが、時間稼ぎもそう長くは続かない。次にイー達が動き出せば、私達の動きもかなり制限される事になる。そうなる前に、さっさと事を済ませて移動するべきだ。」


「ああ。唐突に決まった事だったが、幸運だったと思うべきだろうな。」


「問題は、監獄内で上手く動けるかだよね…ギリギリまで地図を覚えておくよ。」


そう言って地図と睨めっこするスラたん。

一応言っておくが、地図を覚えるというのも、それぞれで覚える場所を担当して割り振ってはいる。ただ、時間の無い中覚えられる量にはそれぞれ限界が有る。覚えられる量の多いスラたんやエフが複雑な構造を含む部分を担当してくれたという話である。

因みに、シュルナは戦闘に参加しない為、基本的に彼女が地図を見て道順を教えてくれる予定だ。ただ、万が一戦闘が起きて咄嗟に動かなければならなくなった場合等、地図を見ていられる時間が無い場合を考えて覚えているのである。

何事も無ければスラたん達が覚えた地図も無意味になるが、その万が一が起きた時、袋小路に入ってしまった…なんて笑えないからだ。


俺達はそうして日没までの時間を使い切り、約束の時間に街の北側へと向かう。


「来たな。」


俺達が街の北門へと到着すると、そこには既にキャリブルが待っていた。


「さっきはすまなかったな。ちゃんとした挨拶も出来なかった。一応俺にも立場ってのが有るからよ。」


「気にしていないさ。」


「そう言ってもらえると助かるぜ。」


「それで、ここからはどうするんだ?」


「取り敢えず、出発する前にここで詳しい話をしておく。外に出たらゆっくり歩いている暇は無いだろうからな。」


「分かった。頼む。」


キャリブルは、なるべく簡潔に詳細を話してくれた。それをまとめると、北門から街を出てから更に北へと向かい、その先に在るアンバナン監獄へ一直線に向かう。

俺達が乗ってきた馬車が有る為、移動に時間を取られる事は無い。しかし、北へ向かうにつれて足場が悪くなり、最終的には底なし沼となる為馬車は途中までしか入れないそうだ。

馬車が進めなくなったら、馬車を降りて徒歩で北へ向かう。アンバナン監獄は、セゼルピークからそれ程離れていない為、移動の距離は長くないらしい。ただ、やはり足場が悪く普通に歩くのとは違うので、どうしても時間が掛かってしまうとの事。

そうして何とか北へ向かう事が出来たならば、その先に広がるのは大きな底なし沼。ここを自力で通るのは鱗人族にしか出来ず、俺達はキャリブルに頼るしかない。


底なし沼は、キャリブルが木製の小舟を用意してくれて、俺達がその上に乗る。そして、船に取り付けてある紐を引っ張って運ぶという実に原始的なものだ。

ただ、普通の水の上で小舟を引くのとは違い、沼の中に浮く小舟を引っ張るのはかなりの力が必要になる。水よりも泥の方が圧倒的に抵抗が強く、小舟を動かすのはその分の力が余計に必要となるからだ。

キャリブル含め、鱗人族は戦闘に長けた種族である為力は強い方だろう。それでも、俺達全員を乗せた小舟を引こうと思うと流石に一人ではキツい。そこで、アンバナン監獄の外で待ってくれている仲間の鱗人族二人が合流、俺達を運んでくれるらしい。


「大体こんなところだ。道中で問題が起きなければそう時間は掛からない。馬車はこっちで回収しておくから安心してくれ。」


「それは助かる。」


「それと、中に入った後は中層まで案内する者をつける。すまないが俺はついていけない。」


「そうなのか。分かった。」


アンバナン監獄の最高責任者的な立ち位置の者なのだから、その者が連れ歩く者達は当然目立つ。そして俺達が目立つのは許されない。つまり、キャリブルと行動を共にするのは敵側の目が無いであろう場所まで。黒犬の事を考えるならば今現在ですらその範疇はんちゅうなのだろうが、この際黒犬の事は無視だ。


「何か質問は?」


「潜入とは関係無いが……鱗人族の皆は唐突にこんな事になって怒ってはいないのか?」


「俺達が?それは無いと思うぞ。少なくとも、俺はなるようにしてなったと思っている。

俺はこういう立場だし、ある程度魔界の状況は聞いているが、それが無くとも、皆今の魔界が普通とは違う事くらい気付いている。だからこそ、魔王様が…っていう話を聞いた時に皆納得したって事だ。お前達が気にする必要なんて微塵も無いさ。」


「…ありがとう。」


「礼はこっちが言うべきだっての。他に質問が無いなら行くぞ。」


「…ああ。」


鱗人族に人の言葉を操るのは難しい。それはこの街に来てからの事でよく分かっている。種族的な違いから感覚が違うのも分かっている。

しかし、コミュニケーションが取れないわけではないし、俺達と全く別の感覚ばかりを持っているわけではない。寧ろ俺達が嫌がる事は嫌がるし喜ぶ事は喜ぶ…と同じ部分の方が多い。キャリブルの言葉を聞いて、種族による違いなんて意外と瑣末さまつな事なのではないかと思える。

そんな事を考えていると、俺達の乗った馬車がセゼルピークを北側へ向けて出発した。


キャリブルの言っていた通り、俺達はただただひたすらに北を目指して進み、足元の道は少しずつ悪くなっていった。


街を出発してから少しすると、足元はかなり緩くなり、直ぐに馬が進めなくなってしまった。


「ここからは歩きだ。馬車はここへ置いていってくれ。後で仲間が回収してくれる。」


「分かった。」


馬車をインベントリに収納しても良かったが、彼等が逃げる時にも馬車が有ると楽だろうし彼等に任せる事にした。


「こ、これは…歩き辛いわね…」


先頭をキャリブルが歩き、俺達はそれについて行くだけなのだが、沼の中では足を取られて思うように進めない。

足を引き抜く度にぬちゃぬちゃと音がして歩き辛さが聴覚的にも分かる。


「あわわっ!」


「大丈夫?」


後ろではシュルナが沼に足を取られて転びそうになり、ハイネが助けている。


「昔田植えを手伝った事が有るんだけど、それよりずっと歩き辛いね…」


ぬちゃぬちゃ歩くスラたんの言う通り、結構キツい。


「もう少しだ。頑張ってくれ。」


そんな俺達を後ろに見ているキャリブルは、スッスッと歩いている。ぬちゃぬちゃも聞こえない。足の構造とか鱗の有無が関係しているのだろうが……まあ愚痴を言っても仕方が無い。


俺達はぬちゃぬちゃと前へ進み、やっとの事で目的地へと辿り着く。道中で不幸な何かも起きず、順調に底なし沼前へ。

空には半月が出ており、それなりに明るいのだが…どこからが底なし沼なのかさっぱり分からない。ただ、少し先に灯りが見えており、その辺りがアンバナン監獄の入口だという事は分かった。


「ここからはこの三人で連れて行く。注意事項は一つ。何が有っても船からは降りるな。それだけだ。」


底なし沼の目前に辿り着くと、そこには二人の鱗人族の男性が待っており、ロープの付いた小舟が用意されていた。


俺達が小舟に乗り込むと、キャリブルが注意事項を述べてくれるが…


「俺達もまだ死にたくはない。底なし沼に自分から落ちようとは思わないさ。」


注意事項と言うにはあまりにも当たり前の事だ。


「まあ普通はそうだよな。たまに自分から落ちる奴が居るからついな。ははは。」


「「「「………………」」」」


笑えない話だが…監獄に行くのは極悪人。そしてその監獄に居るのも極悪人。そんな場所に行きたくないと思う者も大勢居るだろう。監獄に行くくらいなら…なんて思ったならば、俺達の足元に見えている底なし沼に身投げする奴が居てもおかしい事は無い。


「それじゃあ行くぞ。」


笑えない話をした後、キャリブル達三人が沼の中へと潜る。


「おっと!」


グンッと小舟が前に引っ張られ、俺達は小舟の縁に捕まる。思ったよりも揺れる。


ジャバジャバ…


小舟が引っ張られる度に船の横で泥が跳ねている。


ここから先は騒いだり出来ない事は皆が承知の事。小舟がゆっくりと進む中、俺達は無言で泥の跳ねる音を聞いていた。


ジャバジャバ…ジャバジャバ…


断続的に小舟が進み、少しずつアンバナン監獄の入口がハッキリ見えるようになっていく。


アンバナン監獄の入口は、泥の中から円柱状の建造物が突き出しており、その一部が湾曲した鉄格子になっている。吊り上げ式の鉄格子で、人が手で持ち上げるのは不可能な大きさだ。その鉄格子の脇に一つずつ篝火が取り付けられており、その下に槍を持った鱗人族が二人立っている。


「そろそろ着く。」


無言だった小舟の上で、エフが一言だけ発する。


ザバッ!!


アンバナン監獄が近付くと、沼に潜っていたキャリブル達が水面…いや、沼面から出てくる。


「あの門番は仲間だ。このまま門前まで近付ける。門前に移ってくれ。」


「分かった。」


こうして俺達は難無くアンバナン監獄の門前に到着。


ザバッ!


俺達が門前に移ると、小舟を引いてくれていた三人も沼から出てくる。


泥沼の中に居たはずなのに、三人の表皮は殆ど汚れていない。やはり鱗が沼を泳げるようにしているのだろう。


「ここからはこの者に案内してもらえ。俺は最上階に待機しておく。上手く事が運び戻って来たら、再度同じように底なし沼を渡る。

ここから先は十分に気を付けてくれ。中に居るのは極悪人の中の極悪人だ。独房の中に居るからと安心していると危険だぞ。」


「ああ。分かった。気を付けるよ。」


「それじゃあ、また後で会おう。」


「ああ。」


俺達はその場でキャリブルと別れ、道案内役の鱗人族に向けて頷く。


因みに、俺達は変装を解かずに来ている。動き辛い部分も有るが、話によるとアンバナン監獄に常駐している鱗人族以外の者達は、魔王と直結しているみたいだし、出来る限り情報を与えないようにしておきたい。既に黒犬にはバレているし、気休めみたいなものだが…


ガガガガガガ……


超重そうな鉄格子がゆっくりと上へ開いていく。


「……………」


案内役の鱗人族は喋る事が出来ないのか、俺達に目配せをしてから奥へと入る。


奥は暗く、灯りに目が慣れていて直ぐにはどういう構造なのか分からなかったが、案内役について奥へ進むにつれて周囲が見えてくる。


分厚く錆が浮いている鉄製の壁や天井、床。

多少暴れた程度ではビクともしないだろう。道幅は三メートル程度で円柱の中心地へ向けて真っ直ぐに続いている。

ジメジメとした空気と錆の臭いがどうにも気持ち悪く感じる。監獄というのはどこもこんな感じなのだろうか…?まだ中に入ったばかりなのに、既にこの中に入りたくないという気持ちが湧き上がってくる。


中は暗く灯りが無いように見えたが、壁の裏側に灯りが設置されているのか、薄らと光が漏れてきている。

間接照明なんていうお洒落しゃれな物ではないが、目が慣れると周囲がよく見える。灯りを直接壁に設置しないのは何か理由が有っての事だろうか?武器になりそうな物を設置しないようにしているとか…?


などと考えていると、円柱の中心地へと辿り着く。


中心の更に中心には直径数メートルの大きな金属の柱が有り、その周囲を巻くように下へと螺旋階段が続いている。当然、その出入口には鉄格子。それ以外の出入口は見当たらない。


ガシャガシャ…


案内役の鱗人族が鉄格子の鍵を開いて扉を開ける。


「……………」


案内役の鱗人族が再度俺達に目配せする。


ここから先は極悪人達が収容されている区域。今一度気を引き締めるようにという意味だろう。


俺達は各々でゆっくりと頷き、それを見た案内役は先へ進む。


コツッ…コツッ…


足を踏み出す度、金属製の床材とは思えない硬そうな音が響く。


コツッ…コツッ…


螺旋階段を下っていくと、階段周りの壁が鉄格子に変わり、アンバナン監獄の全容が見える。


構造は聞いていた通りのもので、筒を立てたような形状。その外壁部内側に区切られた独房がズラリと三百六十度に並んでいる。

空いている独房もチラホラ見えるが、かなりの数が収容されている事は一目で分かった。


カンッ!カンッ!カンッ!カンッ!


俺達が螺旋階段を下へ移動すると、どこかの独房から鉄格子を叩く甲高い音が聞こえてくる。


カンカンッ!カンカンッ!


それに呼応するように、また別の場所から甲高い音が重なり…


カンカンカンカンカンカンッ!!!


最終的に爆音とも言える程に多くの金属音が鳴り響き、監獄内を響き渡る。


「ヒュー!女が居るぞ!」


「姉ちゃん!こっち来てくれよー!」


「こっちに来いよー!俺が楽しませてやるからよー!」


「ギャハハ!お前の小さいブツじゃ楽しませられねぇだろ!姉ちゃん!俺にしておけ!」


「んだとコラッ?!」


「あ゛?!やんのか?!」


下品なやり取りが金属音に紛れて飛んでくる。


俺達新顔に対する歓迎会のようなものだろうか。あまりにも下品過ぎて腹が立つところだが、流石に無視して下へ向かう。


「おーい!どこ行くんだよー!相手してくれよー!」


「こっち向いてくれー!」


ハイネ、ピルテ、ニル、エフは眉間に皺を寄せて頬がピクピクしている。今にもブチ切れて斬り捨ててしまいたいという感情が読み取れる。

シュルナだけは怖いのか、ニルの服をギュッと掴んで顔を下へ向けている。シュルナの状況が更に彼女達を怒らせているのだろうが…ここは我慢して欲しい。


結局、案内役の男が足を止めるまで、その金属音と声は止まなかった。


何とか騒音の中を下へと向かって進み、中層と呼ばれている区域一歩手前まで来ると、上層とはまるで別世界かのようにシンと静まり返っている。

しかし、螺旋階段から見える独房の中にいる者達の目は、薄暗い中でもギラギラと光っており、別の不快感を感じさせる。


そんな不気味な場所で足を止めた鱗人族は、自分の案内はここまでだと頷く。


ここから先が鱗人族の進入禁止区域。つまり敵陣という事になる。


俺達が頷き返すと、案内役はゆっくりと来た道を戻って行く。


「シュルナ。大丈夫か?」


なるべく独房の者達に悟られないよう、シュルナに声を掛ける。


シュルナにとってはかなり怖い場所だろうし、さぞ辛いだろう。しかし、彼女だけを置いてくるわけにもいかなかったし、彼女自身がついて行くと譲らなかった為連れて来た。これ以上進めないならば、誰かと一緒に上で待っていてもらおうかと考えていたが…


「…大丈夫…皆が居るから怖くない。」


彼女の言葉が強がりだという事は、微かに震える手を見れば直ぐに分かる。それでも、シュルナの瞳はついて行くと言っていた。


「……分かった。無理になったら直ぐに言えよ。」


「…うん。」


アンバナン監獄の事を軽く見ていたわけではないが、やはり現場へ来るとその空気感や重圧が直に伝わって来る為、想像とは全然違うように感じる。シュルナでなくとも、大の大人でも怖い場所だ。それでも彼女は勇気を出してついて行くと決めたのだ。これ以上は何も言うまい。


ガチャッ…


「じゃあ行くよ。」


案内役の鱗人族から預かった鍵を使ってスラたんが独房の方へと続く扉を開ける。


ギガス族救出作戦は、ここからが本番だ。

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