第722話 セゼルピーク

門を抜け、馬車を走らせること一時間弱。

俺達は草原地帯を抜け、足元がぬかるむ沼地へ入っていた。


「道が有るから通れるものの、少しでも逸れると泥濘ぬかるみにハマっちゃいそうだね。」


スラたんが馬車の荷台から顔を出し、周囲を見渡して言う。


魔界は国とも呼べる程の広大な土地であるが、あくまでも魔族のテリトリーである為野生のモンスター等は殆どいない。

殆どと言ったのは、魔族が脅威にはならないと判断したような弱いモンスターや小動物等は居るらしく、時折見掛けるとハイネ達から聞いたからである。また、普通にモンスターが生息する地帯もあるらしいが、それも管理されているとの事でモンスターによる被害というのはほぼほぼ無いとの事。

そして、俺達の居る沼地にもモンスターと言える生物は見当たらない。


「ここまで大きな沼地は魔界の外でも珍しいよな?」


「同じ規模の沼地となると、かなり有名な地帯になっていると思いますよ。モンスターも数多く生息しているかと思いますので、冒険者の方々も出入りするはずです。」


流石はニルさん。俺の質問に的確ながら迅速な返答。


「その規模の沼地がモンスターも居ない状態で保てるなんて…魔族って僕の想像以上に凄いんだね。」


「言われてみると確かにそうだよな…」


「正確に言うならば、魔族と言うよりこの辺り一帯に住んでいる鱗人族の方々が凄いんですよ。」


俺達の話に馬車を横付けしていたクルードが入ってくる。


「鱗人族は沼地一帯を管理していて、異変が起きた場合は彼等が対処しているんです。」


「この辺りは既に鱗人族の領地って事か?」


「領地…とは少し違うでしょうか。彼等が街として認識しているのはこの沼地の中心部に在るセゼルピークのみです。領地と言うのであればセゼルピークがそれにあたるでしょう。

つまり、この辺りの沼地は彼等が管理する必要は無い土地になっています。ですが、彼等はこの広大な沼地全体を自分達の意思で管理しているのです。」


「どうしてだ?広大な土地を管理しようとすれば、色々と必要になる物も増えるしあまり良い事には感じないが…?」


「僕も詳しい話までは分かりませんが、彼等にとって沼地は、その全体が自分達の縄張りだと考えているみたいです。」


「つまり、自分達の縄張りを整理するのは当然の事…という感覚なのかな…?」


「スラタンさんの言う通りだと思います。鱗人族の方々は、他の種族の方々よりも縄張り意識が強いらしく、沼地全体を種族で守っているみたいです。」


「種族が違うとそれぞれ感覚が違っていて理解が難しい事も多いって事だね…」


人にだって縄張り意識というのは有る。プライベート空間とか、考えてみれば自分の縄張りというのが意外と存在している事に気が付くだろう。ただ、人族というのはその縄張りを状況だったり何だりで変えたり割と柔軟であり、人にもよるだろうが、縄張り意識はあまり高くない種族だろう。

これに対し、鱗人族は自分達のテリトリーというのを人族よりも明確に持っており、そのテリトリーを守る事に対して重きを置いている種族という事だ。


これまでいくつもの種族に出会ってきたが、やはり種族間の感覚的な違いというのはどうしても存在しており、他の種族の者には理解が難しい習性や感覚というのも有る事が分かっている。

それ自体に問題などないし、本能に近いものだから誰かが何かを言って変わるようなものでもない。ただ、知らず知らずに相手の不快に思う事をやってしまう可能性があるという事だけは頭に置いておかなければならないだろう。


「ギガス族の姫を監禁している理由にもよるが、鱗人族と無駄な争いはしたくない。出来るだけ友好的にいこう。」


「僕の知っている鱗人族の方々は、そんな事をするような人達ではないのですが…とにかく、一度セゼルピークに行って確かめなくてはなりませんね。」


「セゼルピークには馬車のまま行けるんだよな?」


「はい。明るくなってきましたし、このまま道沿いに行けばセゼルピークまで安全に馬車のまま行けます。」


「ふー……ここからはより一層気合いを入れないとね。」


「ああ。」


既に敵の陣営内である事は百も承知だが、どこかの街中に入る行為は更に大きな危険を伴う。気を引き締めなければ、明日には死んでいる…なんて事も起こり得る。


もう一度気合いを入れ直し、朝日の登りつつある沼地をセゼルピーク目指して進む。


そこから更に沼地を進む事一時間弱。俺達はやっとセゼルピークに辿り着いた。


「す、凄い街だね…」


「見た事の無い構造の街だ!」


シュルナがキラキラした瞳で街を見ているのには理由がある。


沼地の中に在る街。それがセゼルピークという街であり、今までに見た色々な街の中でも珍しい街の構造をしていた。


街の在る場所は巨大な沼地の中心地。

勿論地面は沼になっていて普通の建築は不可能。家の土台を作ろうにも沼の上に作るのは難しい。

ではどうやって街を形成しているのかというと、建築物が一つ一つ『』の中に入っているのだ。

イメージとしては、水の上におわんを浮かべ、その中に家が建っていると言えば分かりやすいだろうか。

これをイメージしてみると、おわんが一つではフラフラしたり、ひっくり返ってしまうのでは?と思うかもしれないが、おわん一つ一つが上から見るとパズルのピースみたいな形をしており、それが互いに組み合う事によって大きな一つの塊として街を形成しているのである。


この建築方法を何と言うのか分からないが、シュルナの見立てではいくつかのデメリットが有るらしい。


一つは浮力を利用して建築物を沼の上に浮かせているような状態なので、おわんが耐え切れなくなるような重さの建築物は建てられないという事。つまり、建築物は全て木造で、尚且つ割と小さめのものでなければならず、大きな建築物は一つもない。何かしらの魔法で上手く浮力を作り出している可能性は高いみたいだが、それでも限界が有るらしく、小さめの一軒家が多いとの事。そして、そのおわんが連なって円形を作っているという状態である。


他にも、雨が降った時に街の基盤が不安定になる事や、恐らく、街に入ると常に浮遊感を感じる…という不思議な地面の上を歩く事になる為、辛い人には辛い街になるだろうという事だった。

幸い、皆乗り物酔いはしないから大丈夫だと思う。シュルナだけどうなるか分からないが…大丈夫だと信じよう。


話を戻し、何故そんな住み辛い街を作ったのか。これについてはクルードが知っていた。


クルード曰く。そもそも鱗人族というのは家屋に住むという事をしない者達で、それこそトカゲのように沼地で生活していたらしい。

それが魔族として生活していく間に、他の種族の者達との接点が出来た事で、ある程度他の種族でも訪れ易い場所を造る必要が出来た。そこで考えられたのがこの街で、住み辛い形状である事よりも、造るのが簡単であるという事に重きを置いた構造の街になったとか。

鱗人族にとっては無くても良いという家屋なのだから、手間を掛けて造るよりも簡単に作れるという事の方が重要だったという事である。

今となっては街が出来て長い年月が経った為、彼等も家屋に住む事を当たり前に感じているかもしれないが、その時からの流れでこの構造の街は創り続けられているらしい。


「雨季になったら流されちゃったりしないのかな?」


「そこは大丈夫ですよ。一応街のあちこちに杭のような柱を立ててこの場に固定させていますからね。ただ、街自体の浮き沈みは有りますし、そうやって浮き沈みする事が重要なのでふわふわした感じはしますが…」


「雨が降ったら中に水が溜まって沈まないのかしら?」


「そこは魔石を使った風魔法で雨が入り込まないようにしてあるんです。」


「面白ーい!こんな街が有るんだね?!」


「シュルナ。気持ちは分からなくはないがあまりはしゃぎ過ぎないようにな。」


初めての旅。初めての街。シュルナにとっては興味が尽きないだろうが、ここは敵地であるという事を忘れてはならない。


「はーい……」


「さあ。行きましょう。」


街の端には門というものが無く、跳ね橋のような物が取り付けられているだけだ。

そもそもおわん型の床面なのだから、外から見ると地面が反り上がっている状態で入ろうにも入れない。床面がそのまま外壁の役割も担っているのだ。


ガンガンッ!!


跳ね橋の近くに馬車を止め、跳ね橋まで歩いていくとクルードが橋の根元を強く手で叩く。


想像とは違ってかなり原始的な…ノックという訪問方法に少し驚いたが、これがここの普通らしい。


ガコン!


ノックをしてから暫くすると橋の根元の小窓が開く。


「シュルル……ミナイカオ…」


小窓から現れたのは大きなトカゲの顔。


鱗人族はこれまでに何度か会ったが、改めてその特徴を挙げると…


見た目は二足歩行のトカゲ等の爬虫類を思わせる者達で、身体能力はモンスターに近いと言われている程に高い。

希少民族でありながら身体能力の高さから強い民族とされており、ツルツルとした鱗の体表、瞼や白目部分の無い目が特徴的だ。

他にも、非常に再生能力の高い体を持っている者達が多い…が、再生能力は自身の体力を大きく消耗する為多用は出来ない。


クルードやハイネ達の話を聞くに、この辺りが鱗人族の特徴だ。


かなり優秀な者達だというのは話を聞くだけで分かるが、数が少ない種族である事が大きな繁栄に繋がらない理由らしい。


そのような見た目である鱗人族は、そもそもの体の構造が人とは違う為、人の話す言葉を話せる者が少ないらしい。いないわけではないらしいが、門番の言葉のようにカタコトである事が多いとの事。


他の種族との交流も有る為、流暢りゅうちょうに喋る事が出来る者もいるらしいがかなり限られた人数らしい。

故に、基本的には文字でやり取りする事が多い。その為の通行書と訪問目的が記された紙という事である。


「僕はクルードです。後ろの一家をここへ案内する為に同行しました。これが証明書です。」


「………ワカッタ。」


それだけ言った門番は小窓を閉める。


「下がりましょう。」


クルードに言われた通り、俺達は跳ね橋から離れる。


ギギギギギギ……


跳ね橋から離れて少しすると、跳ね橋がゆっくりと下りてくる。


「縄で引くタイプの跳ね橋だね。ドワーフ族の街を見た後だとギャップが凄い気がしちゃうね。こっちの方がこの世界では普通なのかもしれないけど…」


スラたんの言う通り、ここまで原始的ではないとしても、ドワーフ族の街とは比較にならない程この世界の技術力は低い。その分魔法や魔具等が有る為不便を感じる事は少ないのかもしれないが、現代日本から来た俺やスラたんとしてはどうしても原始的に見えてしまう。


「逆だよ!やっつけみたいな理由でこんな街を造れるなんて凄いんだよ?!」


俺とスラたんの話を聞いていたシュルナがそれは違うと声を大にして言う。


「確かに…言われてみるとそうかもしれないな。これだけの構造物を造るとなると色々な技術が必要だし……他の種族の者達に助けてもらったのかもな。」


「皆さん。そろそろ開きますよ。」


ギギギギ…ズンッ!


ゆっくりと下りていた跳ね橋が地面に辿り着き、地面が少しだけ揺れる。


「ハイレ。」


それだけ言った鱗人族の門番は、そのまま踵を返してどこかへ行ってしまった。


「こ、これだけか…?」


「魔界に入る時にあれだけ厳しく見られるので、それぞれの街に入る時はあまり厳しく見られません。まあ…ここはその中でも特別緩い方ですが…

それより、早く入りましょう。」


「あ、ああ。」


何から何まで予想外と言うのか、想像よりもすんなりとセゼルピークの街に入れてしまった。


セゼルピークの街を内側から見ると、それぞれの建築物の乗っているおわん型の土台が連なっており、接合部が切り取られて通れるようになっている事が分かる。何とも言葉にし辛い光景だが、普通の街とは大きく違ってなかなかに見応えが有る街だ。


少し気になるのは、先に進む為には必ず何かしらの建築物が乗るおわん型土台を通らねばならず、他人の敷地を無断で横断しているような気分になってしまうところだろうか。

この感覚も恐らく鱗人族との違いに当てはまるのだろう。


「取り敢えず、この先に宿が有りますので、そこまで行きましょう。」


街の中に入ると、鱗人族の者達があっちにこっちにと歩き回っているのが見える。


見た目はトカゲやヘビ、トカゲに似た何か等、爬虫類と呼ばれる類の生き物が大きくなって二足歩行していると言うのが最も適切な表現と言える外見をしている。


クルードに言われた通り静かに後ろをついて進むが、こんな状況でなければ色々な場所を巡って見たい街である。


「ここです。」


クルードに案内された宿は……少し強度が心配になるような木造建築だったが、これがここの普通である事はここまで進んできた中で見た建築物で分かっている。


「馬車は横に置いて中に入ります。」


「分かった。」


クルードに言われた通りに行動し、俺達は宿へ入る。


他の客は見当たらず、どうやら泊まるのは俺達だけらしい。

セゼルピークは魔界の中でもかなり田舎の街らしいからそもそも客が来ないのだろう。宿の人も『えっ?!客?!』みたいな反応をしていたし…


何はともあれ、俺達は無事に宿を取り、部屋へ向かう。

これでやっと落ち着けるというものだ。

ただし……木造でありつつ、あまり強度が期待出来ない程の造りである為、大きな声で喋ると外まで丸聞こえだから気を付けなければならない。


「思ったよりスムーズに魔界へ入れたね。」


「これもクルードのお陰だな。」


「い、いえいえ。僕は何もしていませんよ。」


「それは謙遜が過ぎるわよ。本当に私達は助かっているのだから。」


「あ、ありがとうございます…」


実際、ここまでスムーズに事が運んでいるのはクルードの力が殆どであると言って良い。彼に助けを求める事が出来た事が良かった。


「…ですが、ここから先は僕の力なんて通用しません。ここからどうするおつもりですか?」


「そうだな……何をするにしても取り敢えず情報が欲しい。特にギガス族の姫であるセレーナ姫の情報と、この街に居るギガス族がどういう状況なのか。そして、そのギガス族に対する鱗人族の反応だな。」


「鱗人族の方々は無愛想に見られがちではありますが、その根は優しい方々です。出来れば事を荒立てたくありませんね…」


「それは俺達だって同じだ。騒ぎになるのは困る。だから、騒ぎを起こさないように情報を素早く集めたい。」


「……分かりました。この街に何人か心当たりが有るのでその人達に聞いてみます。」


「私も動くか?」


クルードだけに情報収集を任せるのは…と思っていたところに、エフが手を挙げる。しかし、クルードの反応は真逆だった。


「いえ。ここは僕に任せて下さい。皆さんが歩き回ってしまうと目立ちますから。」


「変装していても鱗人族の中では目立つか…」


「僕は既に何度も来ていて顔見知りも多いので静かに動けます。」


「……分かった。クルードに任せる。」


「はい。では早速行ってきます。」


俺達に出来る事はかなり少ないらしい。動けなくてムズムズするが、ここは我慢だ。

だがしかし、エフには別件で動いてもらう。


クルードが出てから直ぐ、俺はエフに視線を向ける。


「宿での一件でクルードが狙われる可能性は大きくなった…よな?」


「そうだな。この街に来て直ぐに私達から離れるならば標的から外される可能性は大きいが、そうでないならば仲間と見なされて狙われる可能性はかなり高くなるだろう。」


俺とエフが話しているのは、宿で俺達を襲ってきた黒犬の話だ。

あの時クルードは狙われていなかったが、今回は狙われる可能性が高い。エフの言う通りクルードが何も出来ず殺されるのを黙って見ているつもりは当然無い。


「エフ。頼めるか?」


「敵地でニル様から離れるのは気が引けるが…」


「行ってください。私は大丈夫です。」


エフはニルの傍に居たいという様子だったが、ニルはそれを良しとしない。


「ニル様ならばそう仰られるだろうと思っていました……分かりました。」


そう返事をすると、エフは部屋を出て行く。


「私も向かった方が良いかしら?」


「いや。宿に居る数が減り過ぎるとそれはそれで良くない。エフなら上手くやってくれると信じて俺達はここで待とう。」


「…分かったわ。」


ハイネの返事を聞いてから、俺達は宿で泊まる準備を始める。


暫くは落ち着かない時間を過ごす事になりそうだ。

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