第721話 魔界再び
「分かった。それじゃあ一先ずの目的地は鱗人族の街セゼルピークだな。それと、アマゾネスとホーローとの合流か。」
「あっ!そうでした!色々とあって伝え忘れていましたが、魔界へ向かうのは明日の夜になりました!」
「予定より早いな?」
「準備を急いでくれたんです。残念ながらその彼に会うことは出来ませんが、出発は既に可能な状況です。」
「既に可能という事は今からでも出発出来るのか?」
「い、今からですか?!一応可能ではありますが…休まなくても大丈夫なのですか?」
「慎重に事を運ばなければならないのはその通りなんだが、急いでもいるんだ。可能ならば直ぐにでも出発したい。」
「わ、分かりました。それでは今から出発しましょう。」
かなりの急展開ではあるが、魔王の状況を考えるならば急げる部分では急ぐべきだろう。エフではないが、焦らなければならないのは分かっているのだ。
かなり急ではあるが、俺達は宿の人に扉の修理代を渡し、宿泊キャンセルの断りを入れて出立する事にした。
「急な話になってしまって悪いな。」
「いえ。皆さんの体調は心配ですが、急いで魔界へ向かわなければならない理由は聞きましたから。」
宿を出てクルードに謝るが、クルードは気にもしていないと笑顔で応えてくれる。
「それよりも、ここから先の話をしておきます。」
「ああ。頼む。」
クルードから聞いた魔界への入り方をまとめると、アロルペから更に魔界へ向かって進む。時間にして馬車で二時間程度らしい。
その後、魔界の南西にある外門から中へ入るらしい。
ただ、アロルペに入る時のように簡単にというわけではない。当然のように荷馬車は全て積荷までキッチリ調べられるし、入る者の検査も行われる。魔界へ出入りする者など限られている為、それを行う時間はたっぷり有るので、文字通り隅々まで調べられるという事だ。
そんな場所を普通に通れるはずはないので、通れるようにクルードがいくつか用意してくれている。
まず、魔界への出入りが可能になるという通行証のような物。これは金属製のプレートで、元の世界で言うところのパスポートと同じようなサイズの物に通行許可を受けた者である的な事が打刻されている。一種の身分証のような物になっていて、偽名で登録された通行証が用意されている。
因みに、顔写真なんて技術は無い為、名前とか職業とかそういう個人情報が登録されているようだ。
次に魔界の地図。
これは正確な物ではなく、かなり大雑把なものになるが、一応ある程度の目安として使えるものだ。
魔界は広大な領地であり、これまでの街や村とは比較にならない。この世界には国という概念は無いが、魔界はそれが一つの国と言っても良いサイズである。そんな場所を目的地の方角すら分からずに歩き回るのは無理がある。その為の地図だ。
因みに、ハイネ、ピルテ、エフは魔界で過ごしていたから、魔界の全体像やある程度大きな街の位置は把握しているものの、小さな街なんかは殆ど分からないらしい。
俺だって日本の県が何処にあるのかは分かっても、全ての市がどこにあるかまでは分からない。それと同じようなものだろう。
それに、魔界は種族ごとに街を形成し生活しているらしいし、少数種族の小さな街まで全て把握している者は限られる。そして、俺達の向かう先は少数種族である鱗人族の街だ。地図が有って困る事はない。
最後に、鱗人族の街へ入る為の通行証と、その理由が示された証明書。
これは外門を抜ける為に必要な通行証とは別物で、簡単に言えば魔界へ入る理由を証明する文書だ。当然、セゼルピークへ入る為にも必要となる。
「偽造パスポートみたいで罪悪感が凄いね…?」
スラたんが小さな声で俺にそう言う。俺も全く同じ事を考えていたから苦笑いで返した。
スラたんの言う通り罪悪感はあるが、そうも言っていられない。ここは有難く使わせてもらうしかないだろう。
「前にも言いましたが、会話は僕が全て行います。」
「ああ。俺達は大人しくしていれば良いんだよな?」
「はい。」
「魔界へ辿り着く前に、私が皆さんの変装を手伝うね!」
そう言ってシュルナが取り出したのは人肌粘土。前にも変装する為にお世話になった品だ。
「よろしく頼む。」
「うん!任せて!」
シュルナがいなければ他の方法で変装する事になっていたところだが、人肌粘土を使った変装は魔法を使った物やその他の変装よりずっと完成度が高い。勿論、それはシュルナの腕があってこそだが。
最初にシュルナが俺達と同行すると言った時は悩ましいと思ったが、早速頼ってしまう事になった。やはり腕の良い専属スミスの存在はパーティにとってかなり大きなものだったらしい。有難い限りだ。
そうして俺達の変装を整えながら馬車に揺られる事約二時間。俺達は目的地である魔界へ続く外門へと辿り着いた。
因みに、変装は誰が見ても完璧な物だ。
設定としては魔界へ来た一家を装っており、俺は初老のお爺さん。ハイネがお婆さん。ピルテとスラたんが夫婦でエフは付き人、ニルは保護された奴隷。シュルナはドワーフ族で身体的特徴が大きいものの、まだ幼くて人族との見分けは難しい為娘という事で通るはず。クルードはその一家を魔界へ案内する役割という事になっている。
何故自分がまた年寄りの役なのかとハイネの機嫌が悪くなってしまったのは言うまでもないだろう。
それはさておき、俺達が魔界へ入る為の口実は、俺達の扮する一家が、ニルという奴隷を助けようと魔界へと入る…という簡単な設定だ。
魔界は、ドワーフの街ザザガンベルと同様に奴隷を作らないという制度になっている。その為、同じように奴隷を助けるという目的で魔界へ入りたがる者は多いらしい。特に、非合法で無理矢理奴隷にさせられてしまった者の家族は藁にもすがる思いで魔界へ向かうらしい。
その気持ちはよく分かるし、魔界が安全な場所ならば誰でもそうするだろう。
しかしながら、実際にそうやって魔界へ入ろうとする者達は極めて少ないらしい。
何故ならば、魔界は魔界外の者達から見ると魔境そのものであり、魔界外で逃げ続けるのが良いのか魔界へ入るのが良いのかと悩む程だ。実際、魔界は強さこそ全てという制度であり、種族的に弱い人族にとっては魔境と言っても過言ではないだろう。
そうなると、家族が奴隷にされたからと魔界へ向かう者も当然少なくなる。故に、魔界でも問題視される程の事柄にはならなかったとの事。
俺達はその数少ないがゼロではないという微妙な一家を装って魔界への侵入を試みるという事だ。
当然だが、そうやって死に物狂いで逃げ回っていたであろう家族を装うのだから、格好は小汚い感じになる。伸びたシャツや薄汚れたズボン。とにかく貧相に見えるような格好だ。
ただ、エフが付き人という役割を担う以上、ある程度の地位を持った者達であるという設定が必要な為、服自体は少し高級な品である。
「そこの馬車!止まれ!」
俺達が魔界の外門へ近付くと、篝火の光が見えている塀の上から声が聞こえる。
声に言われた通り、俺達は馬車を止めてその場に静止する。
「何者だ?!」
「我々はセゼルピークに向かう途中の一団です!」
「セゼルピーク…?」
ガシャッ!
少しだけ沈黙が流れた後、鉄製の外門に取り付けられている小窓が勢い良く開く。小窓の向こう側には鉄製の兜を被り、目だけが見えている兵士が見える。
「あんな田舎の街に何用だ?」
「僕は案内役でして…セゼルピークにこの一家を送り届ける途中です。」
「………随分と薄汚い者達だな。」
馬車に乗っているとは言え、隠れているわけではない為、小窓から覗き込むだけで俺達の姿は見えるようだ。
「も、申し訳ございません。道中色々とありまして…」
「…………………」
怪しまれているのか、小窓の奥から俺達の事をジロジロと見る兵士。
盗賊との一件で魔族側も警戒しているだろうし、簡単に入れるとは思っていなかったが…やはり厳しいか…
「…………………」
クルードも冷や汗が出る程度に緊張しているらしい。最悪、無理にでも通り抜けるしかないか…と思っていると。
「おっと!そいつらは大丈夫だ!」
小窓の向こう側から別の兵士の声が聞こえて来る。
「この前認可を取り付けた一家がいるって話をしたろ。その一家だ。」
「あー。あの時に話してた者達か。」
「ちゃんと手順を踏んで許可証も持っているはずだから確認して通してやってくれ。」
「許可証ならここに。」
クルードと俺達はそれぞれで通行許可証である金属のプレートを見せる。
「確かに正式な物だな。悪いな。こんな夜中に来る馬車なんて怪しいからよ。」
「いえいえ。こんな時間にしか来られなかったこちらも悪いですから。」
「通す前に中だけは確認させてもらうぞ。」
「はい。存分に。」
危うくインベントリを開いて武器を取り出しそうになったが、何とか耐えて検問へと移る。
「武器やなんかは持ってないのか?」
「僕が案内役と護衛役を同時に受けていますから。」
「そういう事か。こっちの二人は大丈夫だな。そっちは……問題無し。
一人は奴隷か……まあ、こっち側じゃ奴隷だろうと何だろうと関係無いがな。」
クルードの話通り、門前での検査はかなりしっかりしたもので、馬車の中は勿論、馬車の車体の隅々から俺達の顔もしっかり確認された。
下手な変装をしていたら一発でバレていただろうが、シュルナの変装技術が門番の目を上回った。
一通りの検査を終えるまで小一時間。徹底的に調べられたが何とか検査を通り抜けられた。
「よーし。行って良いぞ。」
ガガガガガ……
外門が開き、何とか魔界の中へ入れた俺達は大きく胸を撫で下ろしたい気分だった。
一番気が気でなかったのは、エフの肌色がバレないかという事だった。浅黒い肌色を持つダークエルフ族は、魔族の中でも知る者が少ないとされる種族。しかしながら、その肌色を見れば少なくとも普通のエルフではない事くらい分かる。
それがバレてしまうと面倒な事になりかねなかった為ドキドキしたが、シュルナの徹底的な変装技術は完璧に門番を騙せたようだ。
「な…何とかなりましたね…」
「一瞬ヒヤッとしたな…」
通り抜けられてしまえばあっという間ではあったが、ここでバレて面倒事が起きれば、今後の活動に多大な影響を与えてしまう事は明白だった。そうなれば魔王を助け出す云々の話ではなくなる。
そう考えると、大きな関門の一つを無事に通り抜けられたと一安心するのは当然だろう。
そうしてホッとしつつ外門を抜けると、その先は草原。以前別の門から入った時も同じだったが、外壁の内側は基本的に草原のような何も無い地帯が広がっているらしい。戦闘する時に物が邪魔にならないように…だろうか。
月明かりと馬車に吊り下げたランタンの光が背の低い草の表面を撫でて少し先まで照らしている。
そんな中、何も無い草原の途中にポツリと人影が一つ見える。
「皆。」
俺とスラたんは、直ぐにインベントリ内に収納しておいた皆の武器を取り出して渡す。但し、いきなり斬り掛かる為ではなく、あくまでも何か起きた時の対処を潤滑に行う為だ。武器はなるべく目立たないよう足元に置いておく。
クルードの馬車がゆっくりと人影に近付いていく。門前での検査で何かミスが有り、それに気が付いた者が先回り…?いや、それよりも俺達の行動に気が付いた黒犬辺りが動き出したと考える方が良いだろうか。
俺達の泊まろうとしていた宿に現れたE部隊。あの連中がそのまま俺達を見逃すとは思えない。少なくとも俺達の行動は監視されているはず。外門でアクションが無かった事の方が不思議なくらいだ。
「……あれは大丈夫だ。」
直ぐに動けるように、俺が刀を握る手に力を入れると、エフがそう言い切る。
「連中が相手ならば気付かれずにやる。それに、黒犬は魔族にも隠されている部隊だ。公の場にホイホイと出て来る事は無い。ここは外門からもほど近いからな。こんな場所で暴れたりはしない。」
エフ達は結構派手に動いていたから勘違いしそうになるが、ダークエルフ、黒犬は魔族内でも秘匿された存在だ。エフ達が派手に動き回っていた事の方がイレギュラーであり、本来ならばもっと影に潜むもの。寧ろ、宿で襲って来たE部隊のやり方が最も的確だと言える。
夜中で明かりは月とランタンだけとは言え、こんな草原のど真ん中にポツンと突っ立っているのは黒犬の流儀に反するという事だ。
俺は手から力を抜く。勿論、もしもの為に武器から手を離したりはしない。
「さっきは肝を冷やしましたよ。」
「ははは。すまない。」
ランタンの明かりに照らし出されたのは、黒い翼と角を生やした男。魔界で最も数の多い種族、黒翼族だ。ニルもこの黒翼族の一人である。
「まさかこんなに早く来るとは思っていなくてな。まあ、何とか間に合ったし良しとしてくれ。
それより、この先は大丈夫なのか?」
「はい。段取りは整えてあります。」
「それなら余程の事が無い限りは大丈夫か……いや、最近になって魔界が更にピリピリし始めた。これまで以上に気を付けた方が良いかもしれないな。」
「そこまでですか…?」
「ああ。ここのところ至る所で騒動が起きているらしくてな。一つ一つは小競り合いのようなものみたいだが、頻発しているのが良くない。
俺達は門番だからあまり関わっていないが、中を担当している連中がそう言っていた。」
「それは…」
「俺達も暫くは動くのをやめた方が良い。助けたい者達が居るのは分かっているが、それで処罰を受けたら二度と動けなくなるかもしれないからな。」
「……分かりました。暫くは僕も大人しくしています。」
「そうしてくれ。それじゃあな。」
黒翼族の男は、クルードとそこまで言葉を交わすとそそくさと暗闇の中門の方へと消えて行った。
「僕が前に来た時よりも状況が悪化しているみたいですね。」
クルードは馬車を止めたまま俺達の方へ声を掛ける。
「門番にまで話が伝わっているとなると……やはり上の者達の抑えが効かなくなってきているみたいだな。」
「そうですね……」
「俺達だって万能ってわけじゃない。今直ぐこの状況を解決しろと言われても出来ない。気になるのは分かるが今は大人しく先へ進もう。」
「……はい。出来る事から確実に…ですね。」
クルードが魔界の状況をどうにかしたいと思っている事は分かっている。ただ、魔界全体の話になると俺達だけでどうにか出来る範疇を大きく超えている。
それをどうにかしたいならば、最低限どうにか出来るだけの仲間や情報を集めなければ話にならない。
「行きましょう。」
クルードは俺の言葉を聞いて、一度目を瞑った後、北西の方へ目を向けて馬車を進ませる。
魔界と名前は付いているが、壁一つ超えただけで周囲の環境が大きく変わる事は無い。しかしながら…魔界へ入ってからというもの、どこか張り詰めたような空気を感じる。
俺の心境がそう感じているからだけならば良いのだが、どうやらそれだけではないらしい。鱗人族やギガス族の事もそうだが、もう殆ど時間は残っていない。出来る限り迅速に行動しなければ、この緊張の糸が切れた時世界がどうなるのか分からない。
「急ごう。」
「…はい。」
御者をやっているニルに声を掛けると、少しだけ間を置いた後返事をする。きっとニルもこの緊張した空気を感じているのだろう。
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