第720話 仲間

俺達がアロルペに到着した日の夜。


クルードが出掛けてから数時間後の事。


コンコン…


大人しく過ごしている俺達の部屋の中にノックの音が響き渡る。


その音を聞いた瞬間にエフが動き、扉の横に張り付く。もしもの時に対応出来る扉の裏という位置取りだ。


流石に警戒し過ぎなのではと思えるかもしれないが、ここは既に魔族が出入りする街。つまり、魔族の縄張りの目と鼻の先である。

エフが俺達に合流する前に何をしていたのか考えると、この行動が間違いではないと理解出来る。


エフは自分のナイフに手を掛けてから扉へと向かうピルテに頷く。


「どちら様でしょうか?」


警戒心も不信感も感じさせない平坦な声で扉の奥へ応答する。


「宿の者です。体を洗う為のお湯をお持ちしました。」


こういう体を洗う場所を確保していない宿では、宿の者がこうしてお湯を持って来る事はよくある話だ。

声は扉越しでよく分からないが、店の者の声にも聞こえる。しかし、エフの姿勢が変わらない事から、それが安心出来る決定打にはならないようだ。


「頼んだ覚えは無いのですが…?」


「こちらはサービスになっておりますので、全ての部屋を回っております。」


「そうなのですか。」


特におかしな返答は無い。しかし、クルードが俺達にあれだけ大人しくしていろと言ったのに、宿屋に何も言わず出て行ったとは思えない。

しかし、それでも宿屋の者がこれくらいはと声を掛けてきている可能性は有る。


判断が非常に難しい。


俺がそう考えていると、エフが音を立てないよう、ゆっくりと首を横に振る。


ピルテはその意図を正確に読み取り、扉の向こう側へと返答する。


「わざわざ持ってきて頂いて申し訳ありませんが」

ガッ!ガギィィーーン!!!


あまりに突然の事で、俺は何が起きたのかを理解出来なかった。


エフが首を横に振ったのは、お湯を断るようにというピルテへの指示。

扉の向こう側に居る者が危険か否か判断出来ないとなれば、敢えて危険に飛び込む必要は無い。故に、ここはお湯を断って帰ってもらおうとしたのだ。


その意図を汲み取ったピルテは、扉の向こう側へ断りを入れようとした。しかし、ピルテが全てを伝え終わるより先に、ピルテと扉の間に火花が散り、金属音が部屋に響いた。


何が起きたのかを理解するのに数秒を要したが、扉から突き出している細長い刃と、それを義手で止めた体勢のエフを見てやっと分かった。


扉の奥に居たのは敵。そして、その者がピルテを狙った一撃を扉の奥から放ったのだ。


「このっ!」


バンッ!!


俺が状況を把握したのとほぼ同時に、スラたんが扉を勢い良く内側へと開く。


しかし、そこには人影など無く、ただ突き刺さった細剣の柄が見えているだけ。


「っ!!」


「やめておけ。」


それでも尚、相手を追おうとしたスラたんを、エフの声が止める。


「どうしてさ?!」


「今更行っても追い付けないどころか相手の思う壷だ。」


「…どういう事ですか?」


スラたんに忠告するエフの言い方を聞くに、何か知っているように感じる。ニルもそう感じたらしく、エフに疑問を投げる。


「このやり方はよく知っています。黒犬の連中です。」


「黒犬の…」


「恐らく、我々がここへ近付いていると知っていて待っていたのでしょう。」


「だとしたらクルードが!」


俺達の動向を把握しており、この街で罠を張っていたとしたならば、俺達の事を魔界へ招き入れようとしているクルードが危ない。


「いや。それは大丈夫だ。このやり方は恐らくE部隊の連中。あの者達は標的を必ず殺すが、それ以外は絶対に殺さない部隊として知られているからな。」


「クルードがその標的に入っているって事は…?」


「まず有り得ない。クルードの事を知ってから日が浅い上に、わざわざ黒犬が魔界の外にまで来て殺そうとする程の相手ではないからな。」


「クルードもSランク冒険者だぞ?」


「戦闘能力は確かに高いが、暗殺への耐性は皆無に近い。モンスターばかりを相手にしている冒険者だから当然だがな。」


なるほど…確かにモンスター相手と人相手では色々と勝手が違う。モンスター相手のプロフェッショナルだからといって人相手の戦闘もプロフェッショナルとは限らない。クルードはまさにその典型的な例だろう。

当然、人相手でもある程度戦えるだろうし、他の冒険者に比べれば強いだろうが、黒犬は暗殺部隊。人を殺す事に特化した黒犬相手では分が悪い。


「まあ…絶対にとは言えないが、今更飛び出したとしても、クルードが標的であったならば既に死んでいる。」


「そ、それは…」


「うわっ?!な、何ですかこれは?!」


俺達の心配を裏切るように、宿屋へ戻って来たクルードが扉に刺さっている剣をみて声をあげる。


「クルード!良かった!」


「へ?よ、良かったって何がです?」


わけが分からずアタフタしているクルード。


取り敢えず、何が起きたのか説明する。


「えっ?!そんな事になっていたんですか?!」


「すまない。巻き込むつもりは無かったんだが…」


「いえ!それは良いんです!それより怪我とかは?!」


「いや。それは大丈夫だが…」


それは良いんですって…結構重大な事だと思うのだが…


「僕の事なら心配する必要はありませんよ。僕はこの為に命を賭けると決めています。危険な事である事を承知の上でやっているのですから、危険だからと手を引くつもりはありません。それに……今魔界がピリピリしている原因に携わっているのですよね?」


いつもはこちらが申し訳なくなるほどに腰の低いクルードだが、今の彼にはそんなところは一切見受けられない。

真っ直ぐに俺の目を見て、ハッキリとした口調で聞いている。


「悪いが、それを話す事は」

「お願いします!」


俺の言葉を遮るように勢い良く頭を下げるクルード。


「僕は……妻の故郷がこんな状況である事が悔しいのです!どうにかしたいのに僕一人の力ではどうする事も出来ないんです!

僕だって何とかしようとしました…それでもどうにもならなかったんです!」


「クルード…」

「クルード様…」


正直、かなり予想外な反応だった。


クルードは根本的に優しい男だと短い付き合いながら感じるし、真面目な男だとも思う。だから、あまり声を荒らげる事が無く、強い物言いはしないものだと思っていた。

実際、クルードの性格は俺が想像している通りとまではいかずとも、近い性格であると思う。

そうであるのに、かなり強い語気でクルードは話をしている。


恐らく、俺達の知らない何かが有った…のだろう。

例えば、自分が橋渡し役をした者が、ピリピリした魔界の雰囲気の中ヘマをして死んでしまった…とかだろうか。聞いている魔界の状況を考えれば、他にも理由なんていくらでも思い付く。

クルードの事だ。恐らくその事に責任を感じてどうにかしようとするだろう。それでも相手は三大勢力に数えられる魔族だ。いくら英雄と呼ばれる領域に足を踏み入れたクルードでも手も足も出ないだろう。


クルードの全てが分かるわけではない。


だが、どこか俺に似ている気がする。


それをニルも感じ取ったのか、クルードの名前を何とも言えない表情で口から漏らしている。


「お願いです!僕にも……僕にも何か!」

「やめておけ。」


歯痒い気持ちをどうにか俺達に伝えようと必死になるクルード。しかし、それをエフの言葉が両断する。


「っ!!何故ですか?!」


「お前が嫌いだから言っているのではない。お前の為を思って言っている。

魔界をどうにかしたいと思っているのは分かった。だが、覚悟が有っても死ぬ時は死ぬ。そして、お前に死が訪れる可能性は極めて高い。」


エフはかなりズバッと言っているが、こういう状況ならば仕方がないというもの。クルードが黒犬の標的にされてしまえば対処出来ずに殺される可能性は高い。それは先程エフと話し合っていた時に確認している。それが分かった上で彼を巻き込むのは彼を見殺しにするのと何も変わらない。

そう考えるならば、多少酷い言い方をしたとしても、ここでキッパリ諦めさせる方が良い。


俺やニルもそう考えて、エフの意見に反対はしなかった。


「それでも………それでも僕は!」


エフにほぼ確実に死ぬだろうと言われたというのに、尚も食い下がるクルード。


「……お前の亡くなった妻や娘は、そうやって死ぬ事を望んでいると思うか?」


少し卑怯ひきょうな言い回しだ。

ここで亡くなった人を話に出すのは気分の良いものではない。エフ自身もそれは感じているだろうが…クルードに死んで欲しくないという気持ちの裏返しだろう。


ただ…エフがここまでクルードの事を止めようとするとは思わなかった。

普段のエフならば…『ふん。ならば勝手にしろ。』くらいで話が終わりそうなもの。しかし、エフが特別クルードを良く思っているとかは無い…と思う。


もしかすると、黒犬はクルードの行動を既に知っていながら放置していたのかもしれない。魔王が困っている者達が居るならば受け入れるべきだ!なんて事を言った可能性は十分にある。話から聞いた俺の個人的な魔王への印象ではだが…


「……いえ。もし、妻と娘が生きていてくれたならば、僕に行くなと言うでしょう。そんな危険な事に首を突っ込むなと言われるに違いありません。」


「ならばそうするのが良いと思わないのか?」


「確かに、妻や娘が生きていてくれたならば、僕はその言葉に従っていたと思います。ですが…もう妻も娘もこの世には居ません。それがどうしようもない事実であり、変えられない過去なのです。」


クルードの言葉は自暴自棄になっているから…ではなさそうだ。


死にたいわけではない。生き急いでいるわけでもない。ただただ、自分がそうするべきだ、そうしたいと感じているから言っている。そんな言葉が出てくるような顔付きをしているのが分かる。


クルードの妻と娘が死んでから随分と時間が経っている。人の死という悲しみが時間経過で薄れる事は無い。それは俺もよく知っている。

しかし、それはずっと落ち込んで自暴自棄になっているのとは違う。

思い出す度に胸の奥がズキズキと痛むとしても、それと上手く付き合っていく方法は有る。事実、俺は今現在生きている。


妻や娘の死は痛い程に悲しい。

しかし、それでも…その死を自分なりに受け止めて、自分なりに抱えている。乗り越えたなんて事ではない。最愛なる者の死はそんなに生易しいものではない。だが、抱えたまま歩む事は出来る。クルードはそうして妻と娘が死んだこの世界で歩んでいるのだ。


俺に似ているなど烏滸おこがましいにも程がある。

クルードは、ゲームの世界に逃げた俺なんて足元にも及ばない程に強い人だ。たった一人で、こんな世界で生きているのだから。


「それでも……僕がまだ生かされている意味が有るのだとするならば、きっとそれはこの時の為だと思います!」


「……ふん。そこまで言うのならば好きにすれば良い。だが、死んでも恨むなよ。私は止めたからな。」


「感謝こそすれ、恨んだりしませんよ!」


「いやいや。死ぬと決まったわけじゃないでしょ。まずは生き残る事から考えようよ。」


エフとクルードの掛け合いに割って入るスラたん。


「そうね。死ぬだの何だのと弱気な発言ばかりするものじゃないわ。」


「は、はい。ありがとうございます。」


クルードには勿論死んで欲しくないし、出来ることならば巻き込みたくはないが…こうなってしまうとどうしようもない。何よりも、クルードがここまで頑なに自分もと言うのならば俺達が止めたところで無駄だろう。最悪自分一人で行動するかもしれないと考えると受け入れるのが最善の選択と言えるのではないだろうか。


「…クルードが本当に俺達と共に魔界をどうにかしたいと思うなら、いくつか伝えておかないといけない事がある。ただ、この話を聞いたならば、後戻りは出来ないと思ってくれ。俺達も慎重にならざるを得ないような状況ではあるからな。」


「……はい。覚悟はずっと前から出来ています。」


「…分かった。それなら今から話す事は他言無用で頼む。」


クルードの覚悟はよく分かった。俺達が向かう先は死地かもしれないと理解した上で共にと言うのならば情報を共有しておく方が良い。という事で、俺達は魔族に関わる情報の殆どを話した。

話した内容がではないのは、個々人のプライバシー的な内容の話も有るし、不確定な情報も多い為、伝える情報を選んでの事である。


「魔界はそんな事になっていたのですね…」


「魔王がどういう状態にあるのかはまだ分からない。ただ、正気ではないというのはほぼ間違いない。それをどうにかする為の潜入なんだ。」


「……だとすると、いくら皆さんと言えどこの人数では辛いですね……」


「一応魔界の中に加勢してくれる者達はいるが……正直今のままだと厳しいだろうな。」


アマゾネス、人狼族のホーローが味方として動いてくれる事は分かっているが…いくら戦闘に長けたアマゾネスが仲間だとしても、魔王軍と戦うとなれば巨像にアリの群れが突っ込むようなもの。現状で、正面からぶつかった時の勝算は皆無と言えるだろう。いや、黒犬の事やその他諸々を考えると搦手や暗殺のような隠密による魔王の解放を狙っても上手くいく可能性は極めて低い。

当然、どうにかしなければならないし、その為に魔界に残ったアマゾネスや人狼族のホーローが動いてくれているのだが…上手く集まっても勝敗を覆す程の数にはならないはずだ。

打開策が必要だとは思っていたが、魔界の外でグチグチ考えていても仕方がない為とにかく今は魔界へ入る事を優先している。


「……もしも、加勢してくれそうな勢力に心当たりが有ると言ったならば、それが少数の種族だとしても状況は好転するでしょうか?」


「…心当たりが有るのか?」


「手放しで受け入れてくれるわけではありませんし、彼等もまた今は厳しい状況なので、まずはその厳しい状況をどうにかする必要は有りますが、どうにか出来てしまえば恩義に応えてくれると思います。」


これからやってくるであろう魔王軍との戦闘において、人数差はどうやっても覆す事は出来ない。ただ、それでも味方が多いに越したことはない。


「解決しなければならない状況というのが何かにもよるが…俺達が行って直ぐに解決出来る事ならば、仲間が増えるのは願ったり叶ったりだ。」


「…でしたら、魔界へ到着した後、まずは鱗人族の街、セゼルピークに向かうのが良いかと思います。」


セゼルピークと言えば、ギガス族の姫であるセレーナ姫が囚われていると聞いている鱗人族の街だ。

普通に考えて、解決すべき内容というのはセレーナ姫の事だろう。


「セレーナ姫の事か。」


「よ、よく知っていますね…魔界へ出入りしている僕でさえ最近知った情報だったのですが…」


「最近ギガス族の者達と話す機会が多くてな。」


「そうだったのですね。それならば話が早いです。

鱗人族側としても、ギガス族側としてもこの件を上手く解決してもらえたならば、まず間違いなく僕達へ加勢してくれると思います。勿論、ギガス族の方々も、鱗人族の方々もです。」


「一つの事を解決すれば、その二つの種族から援護を貰えるかもしれないと。」


「はい。どちらも戦闘を得意とする少数の種族ですし、加勢してくれるならば心強いかと思います。

街の事やセレーナ姫の事に関する情報ならば、僕が集められると思うので…」


「それは有難い!」


まさか…まさかクルードとイベントクリアの追加条件が繋がるとは思っていなかった。


クルードを連れて行く事がイベントクリアの必須条件…なのかもしれない。

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