第706話 敗北
「っ……」
ご主人様の傍で悔し涙を流し、いつの間にか眠ってしまっていた私は、朝日が顔に当たるのを感じて目を覚ました。
眠気眼に映ったのは、白い布と見覚えのある手。
どうやら、私はご主人様の横で眠ってしまったらしい。
「ふふ。起きたのね。」
優しい声が横から聞こえて来る。
「ハイネ…さん…?」
「ええ。私よ。」
いつの間に…って、私が寝ている間にご主人様を心配して来て下さったに決まっている。寝起きで頭が回っていない。
「ここまで来てシンヤさんの無事を確かめたところで力尽きてしまったのね。ベッドへ寝かせようかとも思ったのだけれど、シンヤさんの手を離そうとしないからそのままにしておいたのよ。」
「ご主人様の手を…………っ?!!」
自分の体に視線を走らせて手の先まで行ったところでやっと頭がハッキリした。そして、そこでやっと自分が何をしているのかに気が付いた。
顔から火が出たかと思う程に熱くなって、とっても恥ずかしかった。
いつもご主人様と寝床を一緒にしていて何を言っているのか…と言われそうだけれど、それとこれとは話が別で、無意識にご主人様の手を握ったまま寝ていたなんて…凄く凄ーく恥ずかしい。
恥ずかしいと思えるのも、ご主人様が無事だったからなのだし、嬉しい事なのだけれど……
「ふふふ。可愛いわね。」
「うぅー……」
一通りハイネさんにイジられた後、今回の事についての話に移る。
「まず、シンヤさんだけれど、命に別状は無いそうよ。ただ…」
ハイネさんが少し表情を曇らせる。
「な、何かあったのですか?!」
ハイネさんの表情を見て、気持ちが焦ってしまい大声を出してしまう。
「ど、どうしたのですか?!」
「大丈夫?!」
私の大声を聞いて、部屋の中にピルテ、スラタン様、エフさんが飛び込んで来る。
「そこまで深刻な話じゃないから大丈夫よ。」
少し言い方を間違えたと困った表情に変わるハイネさん。
「シンヤさんの体に付けられた傷の治りが遅いのよ。」
「えっ?!」
私は直ぐにご主人様の体を見る。
ハイネさんの言う通り、ご主人様の傷の治りが遅い。と言っても、傷薬を使った時に比べてという意味で治っていないわけではない。
「治っていないわけではないからそこまで深刻な状況ではないわ。暫くすれば全て治るだろうという話よ。」
「傷薬は使ったのに、その効果が無いのと同等かそれ以下の回復速度なんだよ。ただ、回復はしているから心配は無さそうだけどね。」
「良かったです……ですが、何故でしょうか?」
ご主人様の発見した傷薬は、殆どの怪我に対して有効。切り傷だろうと擦り傷だろうと、大体直ぐに治してくれる。打ち身や内出血のようなものには効果が薄いけれど、今回の場合普通の傷だし効かないのはおかしい。
「アースドラゴンに受けた傷については直ぐに治り始めたのに対して、あのオボロという男から受けた傷は治りが遅いんだ。
僕が思うに、オボロという男が特別な能力を持っていたのでないならば…あの
「あの黒い刀が……何かの能力でしょうか?」
スラタン様の意見にピルテが反応する。
ご主人様の使う刀や、私に与えられている小太刀のように、武器や防具自体に能力が有り、例えばそれが回復阻害等の能力だと考えても納得がいく。でも…何となくだけれど、あれはそういう刀ではないように見えた。
「昔…一度ご主人様がお話して下さった話に、妖刀なる物が有ると聞いた事があります。」
「妖刀?」
「なるほど…あの禍々しさは確かに妖刀と言われても頷けるね。」
ご主人様と同郷のスラタン様は妖刀の事を知っているみたい。
「妖刀というのは…?」
ハイネさんとピルテ、エフさんも知らないという事だったので、私はご主人様に聞いた妖刀という物について説明した。
「妖刀…」
「ご主人様が仰るには、非現実的という話でしたが…」
「そうかしら?霊魂系統のモンスターだって居るのだから、別に不思議には感じないわよ?」
「何にしても、あの刀が原因という可能性が高いという事だね。
刀の能力ではなく、妖刀だからだとしても、それは刀の能力と考えても変わらないし、どちらにしても傷の回復力が阻害されるという結果は変わらないね。」
「ただでさえ強い相手だというのに、怪我が治り難いとなると、かなり厄介だな。」
「正直…あの男には二度と出会いたくないものだね。」
「神聖騎士団という話でしたからそうもいかないでしょうが…」
「一先ず奴は去ってくれたのだから、今は良しとするべきだろうな。対策は必要だが…」
「そうね。ただ今は対策よりもシンヤさんが元気になってくれる事の方が優先ね。」
「ご主人様…」
未だに意識が戻っていないご主人様の手を握る。
後にご主人様の容態について詳しく聞いたところ、怪我自体は大した事は無いらしいけれど、血を流し過ぎてしまっており、それが原因で気を失ってしまったとの事。
傷からの出血は既に無く、意識を取り戻し安静にしていれば体調も戻るだろうと言われた。
ご主人様の意識が戻るのには、まだ少し時間が掛かるかもしれないという事で、ご主人様の意識が回復するまでの間は私がご主人様のお世話をさせて頂く事になった。と言っても、大抵の事は病院の人が対応してしまう為、私が出来る事はご主人様の手を握って声を掛けるくらいしかなく、いつもながら自分の無力が恨めしい。
ただ、ご主人様が気を失っていると聞き付けたドワーフ族の方々が何人もお見舞いに来て下さり、落ち込んでいる暇は全く無かった。
シドルバさん一家やその付近に住んでいる方々、共に戦ったドワーフ兵士の皆様、そしてドームズ王までもがお見舞いに来てはご主人様の回復を願って下さった。
そのお陰なのか、ご主人様は数日後に目を覚ました。
「っ……」
「?!」
いつものように手を握っていると、ご主人様が反応を示し、指がピクリと動く。
「ご主人様!!」
「…………ニル……」
「ご主人様!」
薄らと目を開いたご主人様を見て、目から涙が出そうになるけれど、それをグッと堪える。
ご主人様は血が足りず体調は不調も不調。今はとにかく負担を掛けないようにしなければならない。
「目を覚まされたのですね。良かったです。」
「……気を失っていたのか……」
ボーッと天井を見上げているご主人様。やはり本調子とはいかないみたい。
「オボロはどうした…?」
「あの後直ぐに去りました。それからは来ていません。」
「そうか……また皆には迷惑を掛けたみたいだな…すまない。」
「いえ。迷惑だなんて思っていませんよ。見て下さい。皆様がお見舞いに来て下さって色々と置いていかれたのですよ。早く良くなって欲しいと。」
ご主人様の眠っていたベッドの周りには、花やその他諸々、沢山の物が置かれている。全てお見舞いに来られた皆様から頂いたものである。
「こんなに…有難い話だな。っ!!」
「ご主人様!」
ご主人様は体を起こそうとして顔を
「傷がまだ治り切っていないので無理はしないで下さい!」
「傷が……俺はどのくらい気を失っていたんだ?」
「数日です。傷が治っていないのは…」
私は、今のご主人様の状態について分かる限りの話をした。
「傷の治りが遅い…?」
「はい。一応傷薬は常時使用しているのですが…」
「オボロの刀が原因か…」
「恐らくは…」
「………オボロ……か……」
ご主人様は顔を横へ傾けて窓の外を見ている。
表情に変化は無い。けれど…
「ご主人様……」
ご主人様が何を考えているのか全てを理解する事は出来ない。けれど、ご主人様は落ち込んでいる…と思う。
私もご主人様のことに関してはそれなりに自信がある。今回の事でご主人様が何を思ったのかは分かっているつもり。
ご主人様との旅の中、人もモンスターも渡人も含め沢山の強敵に出会ってきた。
中にはご主人様一人では太刀打ち出来ない相手も居た。それ程に強い相手と出会うなど本来は稀な事なのだろうけれど、ご主人様はそういう状況に何度も遭遇している。
だけれど、ご主人様が手も足も出せずに圧倒されるという事は今まで無かった。少なくとも何かしらの手立ては有った。
しかし、あのオボロという相手はそれらとは違い、本当に何も出来なかった。
勿論、聖魂魔法や体力、魔力の消耗の事を考えると万全ならばまた違ったのではないだろうかと考えられるけれど……多分、そのどれもオボロの命には届かない攻撃に終わっていたと思う。
聖魂魔法は確かに超強力な魔法だけれど、あくまでも魔法であり、それを相手に当てる事が必須条件となる。やってみなければ結果は分からないけれど……多分、あの時聖魂魔法が使えたとしても、オボロはそれを回避した、もしくはご主人様が聖魂魔法を使う前に対処したのではないだろうか。
そう思わざるを得ないような相手だった事くらい私でも分かる。
ご主人様にとって、完膚なきまでにという言葉が付く…敗北だった。
ご主人様の事だから、敗北した事自体にショックを受けているのではないと思う。
ご主人様が考えているのは、もう一度オボロに会った時、私達の事を守れるかどうか。そして、その答えが望ましくないからこそ、落ち込んでいるのだと思う。
もし、もう一度あの男と出会う事になった時、ご主人様は戦闘を避けるか、私達だけを逃がすか…そうするしかなく、またそうするしかない自分の無力さに落ち込んでいるのだと思う。
「……ご主人様は血が足りないのですから、これからはモリモリ食べて下さいね!」
強引な話題の転換。それは自分でもよく分かっているけれど…私に出来る事は少ない。
ならば、私に出来る事をやるしかない。
私は出来る限り明るい声と表情で笑う。
「ああ。そうだな。」
ご主人様はいつものように優しく笑ってくれた。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
俺が目を覚ましてから数日後。
「やっと体調が戻ってきたな。」
起きて直ぐは手足に力が入らなかったものの、何とか回復。万全と言うにはまだまだ足りないが、深手は負っていなかった事が幸いしたらしい。
因みに、治りの遅かった傷についてだが、俺が目を覚ましてから二日程でその効果が切れて順調に回復。見える傷は完全に癒えた。
「弱っているシンヤさんもなかなか可愛いかったのに。残念ね。」
あまり残念そうではない表情でハイネが言ってくる。
「勘弁してくれ。」
「ふふふ。もう歩くくらいは大丈夫なのよね?」
「そうだな。まだ激しい運動はするなと言われているが、動き回るくらいは大丈夫らしい。」
今日は、所謂退院の日。やっと医者からOKと言われ病院を出る事になった。俺個人としては、既に数日前には動けるようになっていたし病院を出たいと言ったのだが、ドワーフ族の恩人に何かあっては王様に殺されると医者に拒否されてしまった。故に、今日まで退院が伸びたのだ。
「途中で倒れるような事になるくらいならしっかり治さないとだよ。医者の言う事は聞く。当たり前の話だよ。」
「スラたんにそう言われると何も言い返せないな…」
元製薬会社に勤めていたスラたんの言葉には重みがある。無視は出来ないだろう。
「それはそうと、早く行かないと遅刻しちゃうよ。」
「そうだな。行くか。」
俺達が退院早々に向かうのは、ドームズ王の待つ王城だ。
俺が入院中、何度かドームズ王本人や臣下の者が来ては話をして、退院と共に王城に来るよう言われていたのだ。堅苦しいのは嫌なのだが…俺の元々の任務、ドワーフ族に神聖騎士団との戦いで助力を願うという任務の為にも行かなければならないだろう。
「お待ちしておりました!」
俺が病院を出るとドワーフ族の兵士が二人待っており、上等な馬車で王城へ向かう事になる。
「なかなか凄いわね?」
馬車の中でハイネが耳打ちするように小さな声で言う。
「ドワーフ族にとっては史上最悪の状況だったはずだ。それを救ってくれた相手ともなれば礼は尽くすだろう。ドワーフ族は義に厚い連中だからな。」
「それくらい私だって知っているわよ。ドームズ王が絡んでいた事も考えれば王城に呼ばれるのも分かるわ。でも…」
そう言ってハイネが外を見る。
「「「「「ワァァァーーーー!!」」」」」
俺達の乗る馬車は上等な物で、実に目立つ。
ドワーフ族の者達は俺達がこの馬車に乗っているという事を知っているのか、まるでパレードかのように人が集まり歓声を飛ばしている。
「ここまでする必要が有るのかしら…?」
流石のハイネも苦笑いしてその光景を見ている。
「既に僕達がアースドラゴンとの戦いで活躍したって話が街中に広まっているからね。今更隠すなんて事は出来ないんだと思うよ。」
「隠せないのならば、敢えて人目に晒してザザガンベルの空気を明るくしようって事かしら。」
「全ての人を守れたわけじゃないけどね…」
アースドラゴンとオボロによって、何人かの犠牲は出ている。数字だけで見れば、犠牲者の数はかなり少ないと言えるかもしれないが、犠牲者の親兄弟にとっては少ない犠牲ではない。その事を考えてしまうと素直には喜べない。肉親を失う辛さはよく知っているから。
「それでも犠牲者を極力抑えられた事に変わりはないわ。」
「ああ。」
ハイネの言い分はよく分かっているし、毎度同じような事で悩んでいるから解決策が無い事もよく分かっている。それでも考えてしまうのが人間というものだろう。
「暗い話はここまでにして……ドームズ王は何の為に僕達を呼んだのかな?単純に今回の件で礼を言いたいだけではないって言っていたけど…」
俺が気を失っていた時と、起きてからもドームズ王は俺の病室に顔を出してくれた。その時に俺達を王城に呼んでくれたのだが…スラたんの言っているような事も言っていた。
詳しい事は王城に来てから話すと言っていたから、病院では出来ないような話だろうとは思うが…
「アースドラゴンを引き寄せた連中について何か分かったのかしら?」
「そうだとしたら、魔王を取り巻く現状を打破する情報が得られるかもしれないな。まあ…そう上手くはいかないだろうが。」
ペップルを含めたギガス族の連中からは聞けるだけの情報を聞いた。あれ以上何か出てくるとは思えないが、後に捕まえた連中から何か引き出せた可能性は有る。
「ここで考えても仕方がない事だろう。行って話を聞けば直ぐに分かる。」
エフが淡々と言う。
「それもそうね。そろそろ王城に着くみたいだし、詳しい事を聞きに行きましょうか。」
いつの間にか周囲の歓声が遠ざかっており、俺達は王城の目の前にまで来ていた。
王城に入るのは既に顔パス状態…というか大歓迎の様子。俺達の乗る馬車に向けて兵士達が胸に手を当てて敬礼っぽい事をしているのが見える。
非常に……むず痒い。
暫く馬車が進み止まると、俺達を連れて来た兵士達の案内を受けて王城内へ。
品が良く、技術力の高さを感じさせる王城の創りや装飾品を横目に見ながら進むと、一際大きく美しい扉が現れる。
扉の中央には、五角形で囲まれたハンマーと炎をモチーフにした紋章。ドワーフ族を表す紋章だ。
扉自体の素材も見た事のないもので、非常に頑丈そうな物だ。こんな時でなければ鑑定魔法でも使ってじっくり観察していたところだが…ドームズ王が待っているのにそんな事はしていられない。
俺達は大人しく開かれた扉の奥へと入る。
俺達が扉を抜けると、左右にズラリと並ぶドワーフ兵士達が見える。
統一され、美しい造形の鎧に身を包み、これまた美しい造形の槍や紋章の刺繍が施された旗を手に立っている。
そして、俺達が中央を歩き始めると…
ザッ!ガシャッ!
ドワーフ兵士達が一糸乱れぬ動きで足を閉じ、胸に強く拳を打ち付ける。
俺達に対する敬意を表してくれている事は直ぐに分かったが、ちょっとビクッ!としてしまった。
そして、その奥の数段上がった位置には王座。その前にはドームズ王が立っている。
前に会った時とは違い、華々しい衣装に身を包んでおり、どことなく前よりも王冠が輝いて見える。
「よく来てくれた。」
落ち着いた声で、しかしよく通る声でドームズ王が言葉を発する。
ここは公的な場であるのだし、流石に王の御前で直立不動は怒られそうだったので、俺達はその場に片膝を着こうとしたが…
「そのままで構わない。いや、そのままでいてくれ。
お主達は我々ドワーフ族の恩人だ。寧ろ膝を着くのは我々の方である。しかし、ワシも王という身分。このままで話す事を許してくれ。」
「い、いや…」
こんな場に来る事自体慣れていないのに、王にそんな事を言われては何と返したら良いのか分からなくなる。
「どははは!困らせてしまったようで申し訳ない!しかし、この者達がどうしても礼をと言うものだからな。ワシもその一人ではあるが。」
ドームズ王はそう言って豪快に笑う。
本当に分け隔てない王だ。
こういう人柄だからこそ、皆がついてくるのだろう。
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