第705話 オボロ
俺がオボロに対して繰り出す攻撃は、その全てが簡単に弾かれている。
逆に、オボロの攻撃は、ギリギリで対処出来る程度で、俺の体には次々と傷が刻まれていく。
強過ぎる。
それが俺の正直な感想だ。
俺がギリギリでオボロの攻撃に対処出来ているのは、あくまでもオボロがその程度で済むように手を抜いているからであり、全力を出された場合…恐らく即死するだろうという事が体感的に分かる。
「はぁぁっ!」
ギィィン!
「良いぞ!もっとだ!」
「くっ!!」
ギィィン!ザシュッ!
刃を交える度に、オボロの口角が吊り上がり、悪魔の様な笑みとなっていく。
ギィィン!ザシュッ!
「ぐあっ!」
少しでも気を抜けば、刃は確実に俺へと届き、肉を裂く。
「くくくっ!まだまだ気を抜くな!」
笑いながら俺に気を抜くなと言うオボロ。自分が楽しむ為だという事は分かっている。それが余計に腹立たしい。
神聖騎士団には焼聖騎士ミグズという男がいて、その男も強い者との戦いを望み、神聖騎士団に入ったと聞いた。
しかし、ミグズとオボロには大きな差がある。
それは実力とかの話ではなく、彼等の性格と言えば良いのか、
ミグズの場合、バトルジャンキーではあるが相手への敬意のようなものを感じた。勿論、それが親近感に繋がる事は決して無いのだが、少なくともオボロのように腹立たしいという事は無い。
神聖騎士団というだけで腹立たしいという話は有るが、中でもミグズはマシな方…という話である。
これに対して、オボロというのは相手への敬意など微塵も無く、ただただ強き者を殺す事しか考えていない。いや、殺す事に快楽を覚えているタイプかもしれない。
そういう奴はとことん最悪な性分に違いない。きっと俺達とは永遠に相容れない存在だ。当然理解も出来ない。
こういう奴と話をしても時間の無駄だ。
「クソが!」
ギィィン!!
俺は強く直剣を振り下ろすが、それもオボロに弾かれる。
確かにオボロは強い。手も足も出ない程の実力差が有る。それでも…この男だけはどうにか止めなければならない。
「はああぁぁぁっ!」
ギィィン!
「良いぞ!もっと!もっとだ!」
ザシュッ!ザシュッ!
嬉しそうに笑いながらも、俺への攻撃は鋭く重く速い。何とか致命傷にならないように体を
「ぐっ!」
既に全身は切傷だらけ。篭手という防具を装着しているが、その意味はあまり無い。
「ご主人様!」
俺がオボロの攻撃を受けて体をフラつかせると、後ろからニルの心配そうな声が聞こえてくる。
どこかのタイミングで逃げるとニルには言ったが…残念な事にそれが出来る状況ではない。
いつもならば、大丈夫だとニルに言っている場面だろうが…今はその余裕すら無い。
「はぁ……はぁ……」
それ程動いていないのに、全身からは汗が吹き出し、息が切れている。とてつもないプレッシャーの中での戦闘は肉体的にも精神的にも辛い。相手が圧倒的な存在であるのならばより一層辛いのは当たり前である。
しかし…それでも逃げるという選択肢は取れない。
オボロが現れてから、アースドラゴンにさえ見せなかった興味を俺へと向けている。ここで俺が逃げたとして、逃げ切る事が出来たとして……その後、オボロはどうするだろうか?
天幻流剣術の門下生達と同じように、この街を蹂躙するだろう。多分、そう考えているのは俺だけではないはずだ。
「はぁ……はぁ……っ!!」
息を整える時間など取らずに足を前へ出す。
「ああぁぁぁっ!」
「そうだ!もっと命を燃やせ!ははははは!」
ギィィン!ガギィィン!
「はああぁぁぁっ!」
ギィィン!
「くくく!はははははは!」
何度剣を振ろうが結果は変わらない。
喉が乾き、張り付くような感じがする。口の中がやけに乾く。
俺だけが生死の境を行ったり来たりしている。
だが…それも長くは続かなかった。
「ははは!」
ガギィィン!!
「ぐっ!」
オボロが横薙ぎに振った刀を、直剣で受け止める。
しかし、強力な攻撃を受け続けたせいか、腕や足に力が入らず、体が後ろへと流される。
「くっ!」
バギィィン!!
そこへ、追い討ちの一撃。
直剣を攻撃に合わせて滑り込ませる事は出来たが、無理な体勢でオボロの攻撃を受け止める事など出来ず、体は宙に浮いて後方へと吹き飛ぶ。
自分の体が飛び上がった事を認識出来る程の滞空時間。まるで大型のモンスターに吹き飛ばされた時のような感覚。
「ご主人様!!」
俺の視界には写っていないが、ニルの声が聞こえて来る。
受身を取りたいが、既に体は限界を迎えていたのか動かない。
ズガァァン!!
耳元でけたたましい音が鳴り響き、俺の意識はプツリと途絶えた。
ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー
「ご主人様!!」
目の前で、鬼人族の男に吹き飛ばされてしまったご主人様が宙を舞う。
ズガァァン!!
ご主人様の体が数メートル吹き飛び、ザザガンベルの外壁に当たる。
土煙の向こうで倒れているご主人様を見て、血の気が引いていくのを感じる。
ご主人様の元へと走り出そうとする体を、私は何とか意思で押さえ付けてその場に留まる。
鬼人族の男の攻撃をご主人様がギリギリで受け止めたのは見えた。恐らく大きな怪我にはなっていないはず。
いつもならばここで取り乱して、即座にご主人様の元へと走り出してしまうところだけれど…もし、ここで私が取り乱してしまったりしたら、上手くいくものもいかなくなってしまうかもしれない。
この世で一番大切な事は、私にとってご主人様が無事で居る事。だから、いつもならば即座にご主人様の元へと走り出すのだけれど……今回はそれではどうにもならない。そういう状況である事は分かっている。
冷静に…というのは無理だけれど、出来る限り落ち着いて対処しなければならない。
ご主人様の元へ走り出したい…その焦る気持ちを押し退けて、ご主人様とオボロの間に割り込み、盾を構える。
勿論、この男の事は恐ろしい。気を抜いたりしたら歯がガチガチと音を立てて震えそう。
それでも、ご主人様を失う事の方がもっと恐ろしい。
絶対に……絶対にご主人様だけは殺させはしない。
「……………」
先程まで、オボロは狂ったように笑いながらご主人様と戦っていたのに、今は何も言わず倒れたご主人様を見ている。
ザッ!
私が盾を構えていると、私の横にスラタン様、ハイネさん、ピルテ、エフさんが私と同じようにご主人様との間に割って入ってくれる。
「悪いけど。僕のマブダチにこれ以上手を出さないでくれるかな。」
いつも穏やかで、怒ったところなど見た事のないスラタン様が怒っている。多分、激怒と言えるくらいに強く。
「いきなり来て散々やってくれたわね。」
「絶対に許しません。」
ハイネさんもピルテも同じように怒っている。
エフさんは何も言わなかったけれど、多分同じように怒っているのだと思う。オボロの事を睨み付ける目がそれを物語っている。
私だって冷静であろうとしているけれど、体が熱くなる程に怒っている。
「……ふん。お前達が俺の事を楽しませられるとは思えんがな。」
「楽しませるつもりなんて無いわよ。あんたを殺す。それだけで終わりよ。」
「お前達にそれが可能だとでも?」
「やってみなければ分かりません。」
「くくく……面白い。あれを見てそう言える胆力の持ち主は初めて見たぞ。」
オボロから放たれる殺気が増し、体中を針で刺されたような痛みが襲う。
「「「「「っ………」」」」」
ご主人様は、こんな殺気の中戦っていたのかと胸を締め付けられる気持ちになる。
オボロは間違いなく強い。
ご主人様が…体力を消耗していたにしろ手も足も出なかった相手に、私達が善戦出来るとは到底思えない。
人数こそこちらが有利だけれど、人数が揃えば良いというものではない。それは盗賊との戦いでよく分かっていること。
多分…スラタン様含め、この場にいる全員が同じ事を思っていると思う。
それでも…ご主人様の…ドワーフ族の皆様の為にも、私達が何とかしなければ…
「俺達の街は俺達が守る!」
「嬢ちゃん達ばかりに良い格好はさせてられねぇ!」
私達がオボロに向き合うとほぼ同時に、私達の前を塞ぐような形でドワーフ兵士の皆様が割り込んで来る。
「嬢ちゃん。あそこでノビている兄ちゃん連れて逃げろ。」
その内の一人が、私に向けて小さな声で言ってくる。
「あんた達は十分に俺達を助けてくれた。感謝してもし切れねぇ。だから、ここは俺達に任せてくれ。」
「で、ですが…」
死ぬ。
オボロに向かって行けば、確実にその結果が訪れる。
言葉にしようとしたけれど、喉につかえて出てこない。
「気にすんな。元々俺達がどうにかしなきゃならねぇ話だったんだ。アースドラゴンをどうにか出来た時点で話は終わったんだ。」
「皆の者!決してその者達を死なせるな!その者達は我々ドワーフ族における命の恩人ぞ!
これ以上傷一つ付けさせる事が有ってはならぬ!」
私が何かを言う前に、壁の上からドームズ王の声が届く。
「おおおぉぉ!!」
「恩人を助けて死ねるなら本望だ!」
「絶対に傷付けさせるんじゃねぇぞ!」
「後ろの連中で兄ちゃんを運びやがれ!」
ドワーフ族の皆様は、私達が何かをする前に素早く動いてご主人様を担ぎ運んで行く。
それを見ていたオボロは……
「くくく……ははは!!!」
楽しそうに笑っている。
「これは愉快だ!良いぞ!最高だ!
ここまで反抗的な連中を見るのはいつぶりだろうか!実に素晴らしい!」
何が愉快なのか、何が素晴らしいのか。私に理解出来るとは思えないし理解したくもない。
「惜しむらくは、その相手が楽しめる程の強さを持っていない事か。」
笑っていたかと思ったら、今度は突然真顔になるオボロ。
「……まるで大きな子供ですね。」
私は思った事を口に出す。
オボロの事は理解出来ないししたいとも思えないけれど、どういう者なのかを推測する事は出来る。
オボロという男の印象は口に出した事そのまま。
まるで体だけが大きな子供みたいに見える。
自分の力を誰かにぶつけ、相手を圧倒する事で快楽を得ようとする。それが出来なければ機嫌を損ねて当たり散らす。まるで子供が駄々を捏ねて地団駄を踏んでいるようなもの。持っている力が大きいだけに、地団駄で済まないのが始末に負えない。
これをオボロに対して言葉にするか迷ったけれど、私は敢えて挑発的にオボロへと言い放った。
この男は、遊べる玩具を全て壊してしまい、詰まらないと感じていた。そこへ遊べそうな玩具が現れたならば、当然喜ぶ。
そして、その遊べそうな玩具というのは、自分に反抗的な者という括りだと思う。だとするならば、この男の意識を引っ張る為に必要な事は、弱気に媚びへつらうのではなく、強気に反抗する事。
そして、私に少しでも興味を持たせる事が出来たならば、きっとご主人様やドワーフ族の皆様から意識を逸らす事が出来るはず。
「…何?」
私の挑発的な言葉に対して、一つ低くした声で聞き返してくる。
声色だけを聞いたならば、機嫌を損ねたと感じるかもしれないけれど、オボロの顔を見ればそれが違うと気付く。
新しい玩具を見付けた子供のように笑っている。子供のように…と言うには、あまりにも暗く黒い笑みだけれど。
「聞こえなかったのですか?ならば何度でも言いますよ。あなたの精神は子供…いえ。それ以下です。」
私が何の躊躇も無くそう言ったことに対して、スラタン様達の中に緊張が走る。
言葉としてはかなり強く、相手が怒り出して攻撃されてもおかしくはないという類のもの。戦闘態勢に入ってオボロの攻撃に備える。
しかし…
「……ははは!俺をガキだと言うのか!」
オボロは笑う。
本当に笑っている。それが作り笑いでもなく、演技でもない事は直ぐに分かった。
「くくく。面白い女だ。今まで俺の事をガキ扱いした事の有る者はこの世にたった二人だけだ。それが、まさかお前のような小娘にガキ扱いされるとはな。」
「本当の事を言ったまでです。私のご主人様とは天と地程の差が有りますね。」
「ほう。お前はあの男の奴隷か?」
オボロが言っているあの男というのは、ご主人様の事だと直ぐに分かる。オボロが興味を示した人はそれ以外に居ないのだから。
「そうです。」
「……なるほど。奴隷である事を嫌がっていない奴隷というのも珍しい。
あの男の周りにはなかなか面白いものが集まっているらしいな。
確か名は…シンヤだったか。」
「…………………」
「神聖騎士団に歯向かうバカが居るとは聞いていたが、俺の刀を何度も受け止めたのだ。その辺の有象無象では相手になるまい。
俺にあの男を殺せと言ってきた理由がやっと分かったな。」
この男にもご主人様を殺すように言った者がいる様子。神聖騎士団から敵視されているのだから当然と言えば当然だけれど…
「お前の名は何と言う?」
「……ニルバーナ。」
答えるかどうか迷ったけれど、今はとにかくご主人様から興味を逸らす事が最優先。私の名前一つで標的が私に変わるならば答えるべきだと判断した。
「ニルバーナか……覚えておこう。」
そう言うと、その場の誰もが予想していなかった行動を取るオボロ。
「「「「「っ?!」」」」」
ザッ…ザッ…
オボロは、その場で踵を返してザザガンベルから離れる方向へと歩き出したのだ。
皆が驚いて固まっていると、オボロは足を止めてその疑問に答えるかのように口を開く。
「今回は久方ぶりに楽しめた。ここから詰まらぬ殺戮をするのはあまりにも惜しい。俺にとってドワーフ族などどうでも良いからな。
それよりも、あの男に伝えておけ。
次に会った時はもっと俺を楽しませろ…とな。」
「……………………」
返事はしなかった。
出来る事ならば二度と会いたくはない。
オボロという男は化け物よりも化け物じみた男であり、信じ難い強さを持っている。
結局、オボロの行動を読む事など出来なかったけれど、去ってくれるのであれば引き止めるなんて馬鹿な真似はしない。勿論、それはその場に居る者達全員に共通した思いである。
「ほ、本当に行った…のか?」
「そうみたいね。何故こうなったのかは分からないけれど…」
ドワーフ兵士の一人が困惑した表情で言うと、ハイネさんが答える。
「またここへ来る…でしょうか?」
「どうかしら…あの様子から察するに、もうここへは来ない気がするわ。当然警戒はすべきだと思うけれど…」
ピルテの疑問にハイネさんが再度答える。
私もハイネさんと同じように感じていた。
あの男がどう考えているのかは分からないけれど、恐らくドームズ王を殺すという話は、もうどうでも良いと考えていて、ここへは二度と来ないのではないかと思っている。
もし来るのならば、ご主人様への伝言は…次にここへ来た時には、もっと楽しませろ…みたいな言い回しになると思う。
そうではなく、次に会った時は…と言ったのは、ご主人様が神聖騎士団に仇なす存在であるが故に、いつかまた相まみえる事が有るだろうという考えからだと思う。
「という事は…終わった……のか?」
「そう…だね。」
最後があまりにも拍子抜けな終わり方だった為、皆固まっていたけれど、全て終わったと理解した人達が次々にその場へと座り込む。
「っ!!ご主人様!!」
私はやっと…ずっと走り出したかった気持ちを体に伝えてご主人様の元へと走り出す。
ドワーフ族の方々にご主人様の居場所を聞き、息が切れるのも構わず走った。
「はぁ…はぁ…ご主人様!!」
ご主人様は病院の一室に寝かされており、意識は無かった。
何度か見た光景だとは言っても、慣れるものではなく、心臓がキュッと縮まる。
私は、直ぐにご主人様の元へ駆け寄り、ご主人様が息をしている事を確認する。
「よ…良かった……」
ご主人様の無事を確認したところで、足腰から力が抜けてしまい、その場に座り込む。
ご主人様は無茶をする。どうしようもない状況で、そうするしかなかったというのは重々承知しているけれど、こうして気を失ったご主人様を見ると辛くなる。
いつもいつも、ご主人様を守る盾になれない自分が嫌になる。
身を呈してご主人様を守らねばならないのに、それが出来ない。今回の場合は特に最悪。私はオボロの殺気に恐怖して…それが理由でご主人様を守れなかった。
「悔しい……」
私はギュッと手を握り呟いた。
もっと強くなりたい。
もっと…もっと強くなって、ご主人様の盾になりたい。
……ううん。違う。
私はご主人様を心から敬愛している。私はご主人様を守りたい。私を守って下さるご主人様を、私が守りたい。
それなのに……
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