第688話 何か

俺達が見た限り、この辺りに俺達以外の採掘者は居ない。つまり、先程の鈍い音は、それ以外の何かが出した音である事は明白であった。


「静かに…だが急いで離脱するぞ。

シドルバ。明かりは消せ。」


俺が声量を抑えて言うと、全員が静かに頷く。


シドルバが魔具の明かりを消すと、周囲は暗闇に包まれる。


音の主が何かは分からない。

暗闇の先もよく見えない。

だが、もし音の主である何かと出会ったならば、戦闘が起きるであろうとは思っている。

こんな場所で出会うモンスターが温厚なんて事は有り得ない。ランクの低いモンスターでさえ、俺達に襲い掛かって来るのだから。


「……………」


「………………」


ただただ静かに移動する。それだけに集中し、前が見えない中、ハイネとピルテの気配を頼りに足を前に出す。しかし……正直に言ってしまうと、何も見えない。


本来であれば、鉱山内に取り付けられた魔具が、道をぼんやりと照らしてくれるのだが、道が綺麗さっぱり消えてしまったので明かりも無い。これで視界を通せというのは無理な話だ。

ただ、ハイネとピルテには見えているらしく、迷うこと無く真っ直ぐ進んでいる。どこかからか光が入って来ているのだろうか…?俺には全く見えないし、さっぱり分からないが。


「…………」


「………………」


呼吸音さえ抑えて歩いていた時の事だった。


ガゴッ!


「「「「っ?!」」」」


またしてもあの音が聞こえる。


しかも、今度はかなり近い。


「捕捉されているわ!」


「クソッ!明かりを!」


見付からないように静かにしていたのだが、捕捉されているのならば隠れても意味が無い。

明かりさえ灯さなければ見付からない…という希望的観測は簡単に打ち砕かれてしまった。


「近いわ!直ぐに戦闘態勢を取って!」


「っ!!」


ハイネの切羽詰まった声を聞いて、相手が俺達の思っている以上に近い事を知る。


「出口は?!」


「無いわ!」


ハッキリと断言するハイネ。どうやらこの辺りに出口らしきものは見当たらないらしい。


「クソ…最終的にこうなるのか!」


珍しく順調に事が進んでいると思っていたらこれだ。結局は戦闘になる。


「………………」


「…………………」


しかし、即時襲って来るであろうと身構えていたのに、相手はなかなか行動を起こさない。


「ど…どうなってやがるんだ?」


「襲って来ない…?」


シドルバも、スラたんも困惑した表情で周囲を見ている。しかし、そんな二人に対して、エフが言葉を返す。


「楽観視はしない方が良い。嫌な視線を感じる。」


「こちらに視線を送って来ているなら、何故襲って来ないのかな…?凄く嫌な予感がするんだけど…」


「多分…スラたんの予感が当たっているんだろうな…」


モンスターは人間を見ると襲い掛かって来る。それは常識と言える程、当たり前の事である。

しかし、ファンデルジュを長くプレイし、強敵と言われるモンスターとの戦闘を経験している俺とスラたんはよく知っている。

本当に強いモンスター…それも、知能の高いタイプのモンスターは、簡単に手を出して来たりはしない。

よく観察し、罠を張り、狡猾に命を狙ってくる。


勿論、臆病だから攻撃を仕掛けないモンスターや、知能が高いが故に相手を侮り、悠々と観察しているモンスターも居る。俺とニルが出会った天狐は後者に入る強敵だろう。

ただ……恐らくだが、この静けさはそのどちらでもない。


俺達を誘導するような事は起きず、たまにガゴッという音が聞こえて来るだけ。

姿形の分からないが、ゆっくり、じっくりと獲物の事を観察している…そんなネットリとした空気が漂っているように感じる。


周囲を警戒しているが、暗闇の中には何も見えない。しかし、確実に居る。


全員が武器を構え壁際に立ち、百八十度、視線を走らせる。


「………ゴクッ……」


こういう空気に慣れている俺達でさえ緊張するというのに、鍛冶師であるシドルバには辛い状況だ。

緊張した時間が続いている事で、喉が異様に乾き、視界が狭くなる。強敵との戦いを経験している者達ならば、一度は経験した事の有る感覚だろう。


「…無理ね…逃がしてくれる気は無さそうよ。」


ハイネは、少しだけ嫌な顔をして暗闇の奥を見詰めている。俺達の事を観察している何かが見えているわけではなさそうだが、逃がしてはくれないという事を感じ取っている様子だ。


「ピルテ。私が援護するから、魔法の準備を始めなさい。」


「はい。」


ハイネの言葉に、ピルテが頷いて魔法陣を描き始める。


ガゴッ!!


その瞬間、怒りを表すかのように、大きな物音がする。


「さあ…どうするのかしら?このままだと魔法陣が完成してしまうわよ?」


俺達に姿を見せない何かに対して、ハイネが挑発的に言う。


相手が人語を理解出来るタイプのモンスターかどうかは分かっていないが、知能の高いモンスターならば、挑発されたという事くらい理解出来ると考えての事だろうか。


ガゴッ!!


ハイネの挑発が届いたのかどうかは分からないが……今まで姿を見せなかったが姿を見せる。


「ヤ…ヤバい…よね…?」


「ヤバいなんてもんじゃないな…」


悠長に喋っているように感じるかもしれないが、そうではない。

目の前に現れた存在に対して、どう対処するのが良いのか分からないのだ。


俺達が持っている光をキラキラと反射する……言葉では表せない程に多くの色と数の結晶。まず目に入るのはそれだろう。

その結晶が形作っているのは、四足、尻尾、爪、そして翼。全長は五メートルとにしては小さめの体躯ではあるが、その強さは間違いなく災害級。

そう…俺達が出会ったのは、自然災害と変わらない存在とされる、最強種のドラゴンであった。


アースドラゴン。


ファンデルジュの世界において…いや、ファンタジーのゲームや小説では、いつも最強の名を欲しいままにする種族であるドラゴン。その一種である。

ワイバーンや土龍等のドラゴンに似たモンスターとは出会ったし、討伐もしたが、アースドラゴンはそれらのモンスターとは別格の存在である。


全身は、爪や尻尾も含めて多色の結晶で覆われており、全身に生えた結晶は、まるで棘の鎧でも着ているかのよう。

茶色の瞳が見える頭には、二本の枝分かれして尖った太い結晶が生えており、その美しい姿から、プレイヤーの間では、『クリスタルドラゴン』と呼ばれていた存在だ。


アースドラゴンの全身から生えた結晶は、アースドラゴンの体内で魔力と共に練り込まれた物で、その強度は想像を絶する。大抵の物理的、魔法的攻撃は全て無効。傷を付ける事さえ難しいと言われる相手である。


アースドラゴンは、土や岩を食べるドラゴンで、その生態からか、強固な岩盤をもバターのように削り取る事が出来る。それこそ、薄い壁程度ならば、音も立てずに食い尽くす事も可能だ。

また、ドラゴン種全般に言える事だが、寿命は長く、知能は非常に高い。

アースドラゴンが人語を理解しているかどうかは分からないが、少なくとも話す事はないというのは分かっている。


プレイヤーの間でクリスタルドラゴンと呼ばれていたという事からも分かるかもしれないが、アースドラゴンは、ドラゴン種の中では、比較的人目に触れるドラゴンの一種で、プレイヤー達の中には、その姿を見たという者達が何人か居た。

土や岩を食すという事で、基本的には地中に生息しており、特に鉱物や金属等の地下資源が豊富に採取出来る場所を好むらしい。

その為、鉱山等を掘り進めた先に、アースドラゴンが居た…なんて事もしばしばで、思いがけずにアースドラゴンと出会ってしまった例が多い。


俺とスラたんは、残念ながらなのか、幸運だったのか、クリスタルドラゴンに出会った事は無く、その容姿や特徴をネット上の情報として知っているだけであった。しかし、アースドラゴンの姿を見た時、ネット上の情報が真実であった事を理解した。

それ程までに特徴的な美しい姿は、一度見れば忘れられないものである。


そして、そのネット上の情報には、今の俺達がどうしたら良いのか分からなくなっている理由に関するものも有った。


まず、このアースドラゴンは、非常に縄張り意識が強く、縄張りに侵入したものを絶対に許さないという事。

何人かのプレイヤーは気付かれる事無く逃げ帰って来たみたいだが、アースドラゴンに殺されてしまったというプレイヤーが多かった。

つまり、恐らく縄張りに侵入してしまったであろう俺達が、失礼しましたー。と逃げ帰る事は出来ないという事である。


そして、先程も触れたが、物理的、魔法的問わず、こちらの攻撃の殆どが効かないという事。

残念ながら、アースドラゴンに殺されてしまったプレイヤー達も、ただ蹂躙されるのを黙って受け入れたのではない。

当然、勝ち目が薄くともアースドラゴンに立ち向かった。しかしながら、彼等にアースドラゴンを倒す事は出来なかった。トッププレイヤーではなかったとは言え、元々ハードコアなゲームだったのだから、弱いプレイヤーではなかったはず。それが、呆気なく殺されたとなれば、かなりの相手である事は間違いない。

出来る事ならば、戦闘などせずに帰りたかったのだが…そうもいかないらしい。


「ア…アースドラゴン……」


シドルバは、キラキラと輝く美しいドラゴンを見て、死を目の前にしたような、絶望的な顔をしている。

それは、シドルバだけではなく、俺やスラたんを含めた全員が同じだ。


ある程度の強敵ならば、このパーティで処理してしまう事が出来ると確信していた。しかし…相手がアースドラゴンとなると話は別だ。

いくらこのパーティが強いとは言っても、相手に出来るモンスターには限度が有る。


絶望的な顔をする程に、絶望的な状況なのだ。

ハッキリ言ってしまえば…死を覚悟し、その場に座り込んでしまってもおかしくはない状況である。


ただ……唯一救いが有るとしたならば……最強種の中で、アースドラゴンは討伐された記録の有るドラゴンである事だろうか。


災害級で最強種とは言っても、生き物である事に変わりは無い。生きているのであれば、いつか必ず死は訪れるものであり、殺せば死ぬ。


ドラゴンの中で、比較的人目に触れるアースドラゴンは、その分人間に与える被害というのも他のドラゴンと比べて多い。

被害を受けた者、もしくは受ける者達だって、ただ神に祈って過ごしているのではなく、討伐依頼をだしたり、打てる策は打っている。残念ながら、アースドラゴンを討伐するなんてのは狂気の沙汰と言われてもおかしくはない行いである為、その依頼を受ける者など居ないのだが……故に、ゲームとして楽しんでいるプレイヤーにとっては、かなり魅力的な依頼に見える。

誰も受けず、達成が超難しい依頼。聞いただけで、ハードコアなゲームのゲーマーならば、誰でも好奇心を刺激されるだろう。

ただ、今後もファンデルジュを続けようと考えているプレイヤーにとっては、好奇心を満たす為だけに受ける依頼としては…かなり重いものとなる。

要するに、ファンデルジュというゲームを卒業しようという者達が、全ロスト覚悟で記念に挑む。みたいな衣類なのである。

そして、討伐を成功させたのは、そういったプレイヤー達の成果である。

その時も、かなりの数のプレイヤーが参加したみたいだが、そのほぼ全てがアースドラゴンの餌食になったという話だったみたいだが…討伐を成功させたというのは間違いないらしい。


当然だが、俺やスラたんは、その討伐には参加していない。この世界に来る前、俺は最高難度のダンジョンに挑んでいた。そんな奴が、しかもソロで、アースドラゴン討伐なんて危険な依頼を受けるはずはない。スラたんも、スライム研究で忙しかっただろうし、そんな依頼を受けている余裕など無かっただろう。


アースドラゴンを討伐したという記録は残ったが、それを俺やスラたんが経験した訳ではないし、ネット上に公開された情報までの事しか知らない。


実際にやってみなければ、本当に傷も付けられないのかは分からないが…SSランクモンスターの恐ろしさは十分に理解している。

ソロで挑める相手ではない事など明らかだが、このパーティでも、死を覚悟して挑んでやっと勝機が二割…いや、一割も無いかもしれないという相手。


何故、アースドラゴンが鳴きもせず、じっと観察していたのか。それは間違いなく、強いからである。

弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったもので、威嚇というのは、相手に対する警戒心の現れ、怯ませる為のもので、これから食すであろう獲物に対しては行わない。自分が負ける事など全く想像していないのだから、威嚇するなど意味の無い事なのだ。


アースドラゴンは、鳴きもしなければ、こちらを攻撃する素振りも見せず、ただじっと俺達の事を見ている。いや……見下ろしている。


「…何とかシドルバだけでも逃がせないか…?」


正直に言ってしまうと、アースドラゴンに勝てる見込みなどまるで無い。

戦闘になれば、シドルバを守りながら戦わねばならない。そうなると、より一層厳しい戦いを強いられる。それに……シドルバを殺させるわけにはいかない。当然、俺達も死にたくはないが、シドルバは必ず無傷で帰すと約束したのだ。それだけは守らなければならない。だが…


「…いや。俺のことは良い。気にすんじゃねぇ。」


「そうはいかない。」


「元々は、俺が頼んだ依頼にアースドラゴンの討伐なんて含まれてねぇ。こんな事になるなら、最初から頼まねぇ。」


「予想外を含めての依頼であり、それを何とかするのが冒険者だ。」


「俺を逃がすのだって簡単な事じゃねぇはずだ。

それを、何とか出来るって言うのか?」


「………………」


出来ると言いたいが…ここで嘘を言っても、シドルバには通用しないだろう。


「何を言っても、これをどうにか全員で切り抜けるしか方法がねぇってんなら、俺も一緒に命を張るべきだろうよ。

心配すんな。ドワーフ族はそう簡単に死んだりしねぇ。」


「…………分かった。」


シドルバの覚悟を決めた声と表情に、俺はゆっくりと頷く。


シドルバの言うように、未だに見付かっていない出口を探し、彼を逃がすというのは、アースドラゴン相手には難しい。

勿論、出来る限りシドルバを守る。だが、一蓮托生いちれんたくしょうだと彼が言ってくれるのであれば、生きて帰ることの出来る可能性を引き寄せる事に全力を尽くす。


「俺達がこうして話をしていても、まるで動かないな。」


俺とシドルバが話をしていても、アースドラゴンはピクリとも動かずに、相変わらず俺達を見下ろしている。

余裕の態度…とも見る事が出来るが、絶えず俺達の動きに目を向けているのを見るに、どちらかと言うと、何か動きを見せないか観察…監視しているといった感じだろうか。


しかし…喋る程度の事で手を出して来る事は無いみたいだが、だからと言って逃げられるわけでもない。いや、逃げられないからこそ、アースドラゴンは様子を見ているのかもしれない。


「こちらから仕掛ける…か?」


「あんなの相手に、立ち回れる自信なんて無いわよ…」


「珍しい。お前が弱音など、似合わないにも程がある。」


「っ……」


エフの軽口を聞いたハイネが、何かを言い返そうとしたが、それを口元で止めて飲み込む。


エフの軽口が、ただの軽口ではないと分かっているからだろう。


俺やニルを含め、アースドラゴン相手に大立ち回りなんて出来る自信など無い。


「……ハイネ。出口の方向は、大まかにでも分かるか?」


「ええ。でも、そこに出口が有るかどうかは賭けになるわよ。」


「正面切って戦う方が分の悪い賭けだと思わないか?」


「……そうね。シンヤさんの言う通りだわ。

何とか出口に到達して、アースドラゴンを振り切る以外に生きて出られる方法は無いわよね。どうせ賭けるなら、勝ち目の多い方に賭けるのが良いわ。」


「そういう事だ。」


戦いを避ける事は出来ずとも、討伐するまで戦う必要は無い。何とかアースドラゴンの攻撃を捌きながら縄張りを抜け、退避出来れば良い。いや、それしか生き残る道は無いだろう。


「ご主人様の…例の魔法でどうにか出来ないのでしょうか?」


例の魔法というのは、聖魂魔法の事だろう。


確かに、俺達の持っている中で、最も強力な一撃であり、これまでいくつもの窮地を切り抜けさせてくれた。

だが……


「ロック鳥と戦った時、相手の攻撃を凌ぐ為に使ってやっと生き残れた事を考えると…それだけで仕留められる相手だとは思えないな。」


「……どうにか逃げ切るには、あの手この手で工夫を凝らすしかないという事ですね…」


「俺のせいで、いつも大変な思いをさせてしまうな。」


「ふふふ。いいえ。ご主人様と…いえ。皆様とであれば、この窮地も、何とか乗り越えられると信じておりますので。」


ニルは、そう言って微笑む。


その言葉には、皆への励ましの意が含まれていた。それは間違いないが……ニルの微笑は、何とかなると信じて疑っていないようにも見えた。

こんな絶望的な状況で、それでも尚、彼女は俺達の事を信じてくれているのだ。


その微笑と言葉を見て聞いた俺達が、絶望的だと項垂うなだれている事など出来るだろうか?いや、出来るはずがない。

何としてでも、その期待に応え、シドルバも守り、全員でこの状況を乗り越えてみせる。

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