第680話 シドルバからの依頼 (2)
「…やはり、俺の目に狂いは無かったな。戦闘態勢に入った瞬間に空気がピリピリしやがる。並大抵の奴なら、この空気感に飲み込まれちまうだろうよ。」
ゴクリと喉を鳴らすシドルバが、そんな事を言ってくる。
別に殺気を放っているわけではないし、敵も見当たらない。そこまで緊張させるような空気感を出した覚えは無いんだが…皆の反応が速く、即座に戦闘態勢に入った事からそう感じたのだろうか?
「あら……どうやら噂を聞き付けたようね。」
シドルバの緊張した声の後に、ハイネの声が続く。
「モンスターか?」
「ええ。あまり大きくはないわ。右斜め前方よ。」
「先に出るぞ。」
タンッ!
俺が何かを言う前に、エフが荷台から飛び出してしまう。
ハイネの反応を見るに、そこまで警戒する必要の無い相手だとは思っていたから別に構わないが…やる気満々といった感じだ。
エフが戦闘を買って出たのは、義手を貰った事が嬉しいわけではないと思っていたが、実際はそうでもなかったのかもしれない。
「ニル。俺も出る。」
「はい!」
ニルは馬を一旦止め、何か起きた時の為の動きに切り替える。
それを横目に見ながら、俺は御者席から、ピルテは荷台から降りてエフの後を追う。
エフの戦い方は、とにかく静かに、とにかく速く。それだけだ。言葉にすると簡単に思えるが、とても奥の深い技術で……という説明は必要無いだろう。散々それで嫌な思いをしてきたのだから。
そんなエフは、たった今俺達の元から走り出したはずなのに、既にその姿は木々の間に時折見えるだけ。
殆ど全力疾走に近い速度で動いているはずなのに、エフからは何も音が聞こえて来ない。それがどれ程異常な事なのかは、体術に長けた者ではなくても分かるだろう。
森の中を無音で全力疾走する殺し屋とか…考えただけでゾッとするのに、実際に目の前にそれをやっている者が居るのだから、恐ろしい限りだ。
ただ、走るスピードだけで言えば、流石に音を気にせず全力疾走している俺とピルテの方が速い。
彼女達が感じ取ったモンスターの気配に辿り着く頃には、俺とピルテは既にエフの姿を捉えていた。
「エフ!」
「大丈夫だ。任せてくれ。」
俺とピルテが駆け付けると、エフは既に義手にナイフを持って構えていた。
相手のモンスターは、ホワイトモンキー。
Aランクモンスターで、スピード型、サイズ的には人族の子供程度だが、ちょこまかとかなり面倒臭い相手である。
今回は、そんなホワイトモンキーが三体、俺達の存在に気が付いて近付いて来ていたようだ。
「まずは、義手としての性能を確かめさせてもらうとしよう。」
ナイフを握った義手は、指が開いたり閉じたりはするものの、肘や手首といった関節部分は大きく動かない。ガッチリ固定されているわけではないが、自由自在に動かす事は出来ないらしい。
何となく、ドワーフの作った義手!と言われると、元の腕より強い!みたいなイメージを漠然と持っていたが、そんな非現実的過ぎる物が作れたりはしないらしい。
義手の魔具に仕込める魔石は一つ。それを手の駆動に使ってしまえば、それ以外の駆動は難しくなる。もっと機械的な知識が豊富ならば、それも可能なのかもしれないが、残念ながら俺もスラたんも、そういう事にはあまり詳しくはない。
シドルバならば、そのうち自力で作ってしまいそうな気はするが…今回はこれで十分だろう。
シュッ!ザッ!
「ギャッ!」
エフが素早くホワイトモンキーの一体に近付き、義手の腕を振り回すと、握られていたナイフがシルバーモンキーの腕を深く傷付ける。
エフの実力ならば、ホワイトモンキーにさえ気付かれずに暗殺する事も出来そうなものだが、今回は義手を試すという目的から、正面から当たっているようだ。
俺とピルテがいつでもカバーに入れるという事と、相手がAランクのモンスターで、そこまで手強い相手ではないという大前提が有っての事だろうが。
「腕を斬り落とすつもりだったが……やはり、自分の意思で自由に動かせる腕とは勝手が違うか…しかし、これは良いな。」
エフは、義手の使用感を確かめる為、自分の感覚を研ぎ澄ましている。それが見ていて分かる。
「握りが甘いという事は無いし、すっぽ抜けたりしなければ、使い手次第でどうとでもなる。」
タンッ…タンッ!
エフは軽く、そして垂直に跳躍し、着地と同時に地面を蹴る。
「速い…とは違いますね…?」
エフの動きは、俺やニルとは全く別の物で、一番近いのはオウカ島に居た忍の者達だ。ただ、俺やニルと比較すると…という意味であり、忍の動きともまた違う。更に言えば、俺達と戦った時ともまた違う。
単純な脚力による瞬発力や、突発的な進路変更。こういった動きは俺達も見た動きだが、今のエフは、それだけではなく、少し変わった動きをしている。
例えるならば、フラダンス…だろうか。
何を言っているのか分からないとは思うが、パッと思い浮かぶのがフラダンスの動きくらいだ。
やけに柔らかい腰の動きと、腕の動き。クネクネと言うのかフニャフニャと言うのか…例えが難しい動きをしている。
フラダンスで戦っていると言ってしまうと語弊しかないが、ニルの柔剣術ともまた違う柔らかさ…もっと物理的な柔らかさを持った動きだ。
普段人がする動きと全く違う為、見ていると気持ち悪くなってくる。目が錯覚を起こしているように感じるのだ。脳が上手く処理出来ていない…みたいな感じだ。
「見た事の無い動きだな…」
「私も初めて見ます。あれは一体どんな剣術なのでしょうか?」
「どうだろうな…剣術と言うよりは、何かの体術のような気がするな…多分。分からないけれど…」
エフの異様に柔らかい体の動きは、要所要所で予想外の動きを見せ、それに騙されたホワイトモンキー達が、尽く攻撃を外している。
相手はAランクではあるが、その中でも屈指のスピード型モンスターと言われているホワイトモンキーなのにである。
恐らく、エフの動きは、黒犬か、ダークエルフ特有の武術とかから来るものではないだろうか。
エフの体が右に左にと揺れ、その度に目の錯覚が起きたような感覚が襲って来る。
ただ、その動き自体が、直接的な攻撃になるという事は無いし、不思議な感覚に陥る事はあっても、それが致命的なものになるというものではない。
相手が戦い辛いというだけの話で、対処不可能というものではない。その上、普通の人間が行わない動きであるが故に、エフ自身も強力な一撃を繰り出す事が出来ないらしい。どうしても、攻撃を行う際には、いつも通りの動きになってしまっている。
軟体動物のようなクネクネとした動きは、最初こそビックリするものの、実用性が有るかと聞かれると微妙なところだ。
俺達との戦いで、エフがこの動きを見せなかったのは、そこに理由が有るのだろう。
しかしながら、モンスター相手には実に有効に働いており、ホワイトモンキー達は、エフが腰をくねらせる度にオドオドしている。
魅惑の腰付きとか言うが…これは何の腰付きなのだろうか…?
何にせよ、俺達の援護は必要無いというくらいに、エフはホワイトモンキー達を圧倒している。
「これは良い。想像以上に使えるな。流石はドワーフの作った品というところか。」
エフは満足そうに義手を眺める余裕さえ持っている。
少しすると俺とピルテの目も慣れ、エフの動きに合わせる事が出来るようになる。
「ピルテ。あまり邪魔をしないように援護するぞ。まあ、援護なんて要らないだろうが…念の為な。」
「はい。取り敢えず、防御魔法だけは掛けておいた方が良いですよね?」
「ああ。頼む。
俺はホワイトモンキーを一体引き受けてくる。」
「分かりました。魔法での援護は任せて下さい。」
ピルテの言葉が実に頼もしい。
彼女の能力が高い事は、既に十分に知っている。ホワイトモンキー程度の相手には、寧ろやり過ぎというものだ。
俺は紫鳳刀を抜き取り、そのまま真っ直ぐにホワイトモンキーへ向けて走る。
何の小細工も無く、ただ真っ直ぐに走っているだけだ。
「エフ!一体は引き受ける!」
「いつまでも、ただこうしているわけにもいかないか。
私も、さっさと試す事を試して切り上げるとするか。」
エフは、そう言うと、義手に魔力を流し込む。
すると、義手は直ぐに指を広げ、握り締めていたナイフを手放す。
「魔力への反応も速い。この辺は魔具の製作に慣れているドワーフの品ならではだな。」
ガシャン!!
手放したナイフを収納したエフは、その後直ぐに義手の手首を回す。先程まで手の形をしていた部分が引っ込み、その代わりに刃が現れる。
シドルバが言っていたように、耐久値は低いのかもしれないが、薄く鋭い刃を見ると、それを補って余りある程の斬れ味を持っているように感じる。
「次はこれを試してみようか。」
タンッ!
エフが、義手の刃を出した状態で地面を蹴る。
「ギィッ!」
ホワイトモンキーの一体、傷を負っていない方がそれに反応して前へと走り出す。
Aランク屈指のスピード型モンスターというだけの事はある。単純な筋量やスピードだけを言えば、その辺の冒険者など圧倒してしまう程のものと言えるだろう。
しかし、ホワイトモンキー達には残念な事に、俺達は普通の冒険者でもなければ、そのスピードに圧倒される事もない。それは、俺達を苦しめ続けた黒犬であるエフにとっても同じ事だ。
タタンッ!
「ギィッ?!」
簡単なステップ一つで、ホワイトモンキーの攻撃をヒラリと躱してしまうエフ。
まるで子供と大人の戦いを見ているようだ。
ザンッ!ドチャッ!
「ギィャァ!!」
エフが義手の刃をサッと振ると、ホワイトモンキーの片腕が地面に落ちる。
「ほう…これはなかなか。」
それを見て、エフがニヤリと笑う。
どうやら満足のいく斬れ味だったようだ。
それもそのはず。ホワイトモンキーの腕は、関節部からではなく、骨や筋肉をバッサリと両断しているのだ。
俺の使っていた薄明刀のような…とまではいかないみたいだが、NPCの作る武器でここまでの斬れ味となると、かなりの物と言える。
義手が凄いというイメージで、付属品と考えていた刃にまで気が回っていなかったが…ゲーム時代ならば、一体どれ程の値段になったのだろう。とてつもない金額になったであろう事だけは確かと言える…という代物だ。
「どうした?これで私と対等だろう?来ないのか?」
言葉など通じないであろうホワイトモンキーに対して、エフが挑発的な言葉を発する。
確かに、エフも片腕が無いわけだから、対等と言えば対等なのかもしれないが…そういう事ではないと思う。
「ギャァァッ!!」
「ハッ!」
ザシュッ!
ゴトッ…
死に物狂いで詰め寄ったホワイトモンキーだったが、エフの繰り出した刃は難無くその首を斬り落とす。
ザンッ!!
ほぼ同時に、俺も担当する一匹の首を斬り落とす。
この辺りにはSランクのモンスターが山程居て、それを乗り越えて来たのだから、今更Aランクのモンスターに手間取ったりはしない。
悲鳴を出す暇さえ与えず、ホワイトモンキーを死に至らしめる。
「ギッ!」
残されてしまったホワイトモンキー一体は、可哀想な気もしてしまう程に絶望した表情を見せた後、踵を返す。
「逃がすか!」
ガシュッ!
逃げようとするホワイトモンキーを見たエフが、義手の手首を回し、先端がナイフからフックへと変装される。
取り出したり収納したりする手間が極端に少なく、咄嗟の判断で装備が変更出来るというのも、エフの義手の良いところだろう。
そして、そのフックなのだが、エフが勢い良く義手を振ると、先端部分が飛び出し、ホワイトモンキーの方へと飛んで行くではないか。
フックの先端はアラクネの糸に繋がっており、フックショットもどきになっているらしい。射出する機構は無く、腕力で飛ばすという形だが、それでもエフにとっては嬉しいギミックと言えるだろう。
フック自体は見たが、まさかこんなギミックが隠されているとは…流石はドワーフの職人だ。
ザクッ!
「ギャッ!!」
そして、フックは見事にホワイトモンキーの体に絡み付き、先端が腹部に刺さる。
逃げようとした瞬間の出来事で、ホワイトモンキーは驚き、恐怖し、暴れ出す。
「痛め付ける必要はないからな。終わりにしよう。」
「ギャァァッ!」
ホワイトモンキーは、牙を剥き出し、威嚇して暴れているが…
ザンッ!
ドサッ…
呆気なく、エフの振り下ろした刃によって命を絶たれる。
「悪くない。いや、今の状況を考えると、最高と言うべきか…きっとこれ以上を望むべきではないのだろうな。」
「気に食わない部分でも有ったのか?」
「いや。そんなものはない。ただ、自分の腕と同じように動かすというのは無理な話のようだ。」
「あくまでも義手だからな。本来の腕と同じようにとはいかないだろうな。」
「そうだな。そう考えると、これが最善の状態なのかもしれない。」
「その義手に内蔵されているナイフは、かなり薄く研がれているから、使うのが難しいはずだ。それをいきなり上手く使いこなせる奴はそういない。それを、いきなり骨ごと切断出来るんだ。それ以上の何を望むんだよ。」
「ふっ。まあそうだな。」
あまり笑わないエフが、少しだけ笑う。
「私にとって、友と言える友は初めての事だからな。少しでもニル様の力になれればと考えてしまうんだ。
この義手がどうのという話ではない。気分を悪くしてしまったならば謝ろう。」
「必要無いさ。」
エフにしては、やけに素直な反応だが、それだけ真剣という事だろう。本当に、随分とエフとの関係も変わったものだ。
彼女は、約束してくれた通り、いつでもニルを最優先に考え、自分がニルを守ると考えてくれている。
少し行き過ぎなところも有るが、それは思いが強い故だと考えたならば、悪い事ではない。
それに、エフは、そういうやり過ぎな事が平気で起きるような世界に居たのだから、やり過ぎてしまうのも当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。俺達の為にしてくれている事なのだし、実際にそれで安全が確保されているのならば喜ぶべき事だろう。
まあ…エフの、ニルに対する反応は友達のそれとは少し違う気もするが、それがエフという事で納得しておこう。
何にしても、エフがこうしてニルの事を考えて、もっとと思ってくれるのは喜ばしい事だし、嬉しい変化だと思う。それに感謝する事はあっても、謝罪を求める事などあるはずがない。
「それだけやれるなら、十分現役だ。これからも頼む。」
「言われるまでもない。私は常に最善を尽くすつもりだ。」
当たり前の事を言うんじゃないとでも言いたげな表情で言われてしまった。
「まだ試せていない事は有るが、私は取り敢えずこれで十分だ。一度馬車に戻った後は、少し離れて周囲の警戒をする。」
「スラたんのスライム達が索敵はやってくれるぞ?」
「それだけに任せっきりでは、いざ何か起きた時に対処出来ないかもしれない。索敵出来る能力を持っているのだから、索敵するべきだ。」
「それはそうかもしれないが…いや、そうだな。俺達はそういう立場なのだと意識しなければならないよな。」
「ああ。黒犬が単独で私達に突っ込んで来るという可能性は極めて低いにしても、情報を集めていたり、弱点を探ったりはしているはずだ。
相手が油断しているとなれば、今が好機と攻撃に出るかもしれない。いついかなる時でも緊張感を絶やすべきではない。」
エフの言うように、いついかなる時でも…というのは流石に疲れてしまうし、言い過ぎだとは思う。ただ、相手に油断していると思われない程度には緊張感を保っておくというのは間違いなく正しい事だろう。
「そうだな……ああ。俺達ももう少し緊張感を持って動くとしよう。助言してくれてありがとうな。」
「ふん…私は思った事を言っただけで、学んだのはお前の勝手だ。」
素直にお礼を言うと、エフは少し顔を背けてそんな事を言う。
これが……ツンデレ?!
と言葉にはしなかったが、エフも俺達に馴染んできた様子で安心した。
「ご主人様!」
そこで話が途切れると、後ろからニルの声が聞こえて来る。
敵を倒した事を察知して、馬車を進ませたらしい。
「ホワイトモンキーが三体だけかしら?」
俺達が倒したホワイトモンキーの死体三つを見て、馬車の横を歩いていたハイネが聞いてくる。
「みたいだな。」
「予想していた通り、そこまで大した相手ではなかったみたいね。」
俺達が無傷な姿を見て、ハイネは当たり前のように反応する。
「おいおい…ホワイトモンキーってのはそんなに弱い類のモンスターじゃねぇぞ…?」
ホワイトモンキーをあっさりと倒し、それを当たり前のように話し合っているのが信じられないらしく、シドルバが口を半開きにしてホワイトモンキーの死体と俺達を交互に見ている。
「一応Aランクのモンスターだから、弱いって事はないぞ。
俺達だって、変に気を抜いたりしたら殺られてもおかしくはないからな。」
「そういう事を言ってんじゃねぇんだが…いや、そもそも腕が立つと見込んで頼んでんだから、驚いている俺の方がおかしいのか…?」
「安全に鉱山へ向かえるって考えておけば良いのよ。難しく考える必要は無いわ。」
「うーん…それもそうだな!そうする事にするぜ!」
あっさりと納得して笑うシドルバ。こういう時、サクッと思考を変えられるのは、ドワーフ族の良いところだ。うん。
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